ハーフェズの主、献納を受ける

 人々は神に感謝を伝えるために献納する ――
 ペルセア国王シャーハーン・シャーが即位する時、神殿に三万から四万の奴隷と他に財貨を収める。それ以外にも新年には数千の奴隷や家畜などを献納する。
 地方の有力者も新年にはかならず献納し、また喜び事があった際にも、神殿になにがしかを献納を行う。
 神殿に献納された品は吟味され、優れた品は神の子へ献上されることとなる。

 神の子が直接献納を受けることは滅多にない……と、されている。

「ラズワルドさま。お収め下さい」
「おう、銅貨が五……八……十五枚か」

 ハーフェズは見習いの訓練が終わり、日当の銅貨十五枚を受け取ると、それをそのままラズワルドに渡していた。

「正式な武装神官になれると、もう少し日当上がるんですけどね」

 武装神官にも色々とあるが、新人武装神官の日当は銀貨四枚。庶民であれば妻と子供五人くらい余裕で養える日当だが、武装神官としては全く足りていない。
 その理由は「軍馬」
 騎乗してこそ騎士であり、彼らを騎士たらしめるのは馬。それも訓練された馬が必要となる ―― 武装神官は騎士ではないが、人よりも足の速い魔物を追い屠る任があるゆえ、馬に乗れなくては話にならない。
 馬を個人で持つのは費用の面でかなり大変なのだが、騎士たるもの自分の馬くらい持っていなければと ―― 費用が掛かる結果、裕福ではない騎士の家は、子供が非常に少ない。五人兄弟でも少ないと言われる時代に、一人しか子がいない騎士の家も多い。
 バームダードの実家もその類いであった。

 それほど負担になる「馬」故に全員が馬を持っている訳ではなく、軍馬を騎士ならば国から、武装神官は神殿から借りて出征することも多かった。むろん使用料を支払い、馬が死んでしまった場合は賠償金を支払わねばならないが、それでも自分で飼うよりはずっと安くついた。
 ただし馬を借りている騎士は、騎士の中ではもっとも立場が低い。武装神官も同じである。

 ハーフェズの現在の日当は銅貨十五枚。独り身の見習いであれば、寮で生活し朝夕の食事は無料なので楽に生きて行ける額ではあるが ―― そうもいかない。
 まずは公衆浴場ハンマームを使うためには銅貨二枚は必要になる。
 そして乗馬訓練の為に馬場で馬を借りるために銅貨五枚は必要。この銅貨五枚は馬だけの値段で、手綱や鐙、鞍などは自前ならば当然無料だが、借りるとなるとその費用も発生する ―― 真面目に武装神官になろうとしたら、銅貨十五枚など遊びに一枚も使えない。
 もちろん馬に乗れなくてもいいという兵士もいるであろうが、馬を巧みに操れたほうが出世の道が開けることは分かっているので、真面目に訓練をする者は多い。

「騎士の日当も毎日わたしに渡すつもりなんだろう?」
「それは勿論! 毎日献納させてください!」

 ハーフェズは王都に居た頃は公衆浴場ハンマーム代を引いた銅貨十三枚を、毎日ラズワルドに渡していた。今は自宅に風呂があるので、日当を使うことなくラズワルドへ献納している。

「まあ、良いけど。どうした? バルディアー。ん? 献納……構わんが無理しなくて良いんだぞ。その銅貨十五枚は小遣いとして、好きに使って良いんだぞ。もちろん、受け取るが」

 バルディアーは毎日ではないが、銅貨がある程度貯まると、ラズワルドに収めていた。もちろん、ハーフェズの口利きがあってこその献納である。

「本当に微々たる額ですが、お収めください」
「そうか……では、小遣いをやろう」

 バルディアーからの献納は問題ないのだが、全額をよこしているのが気になるラズワルドは、銀貨が入っている袋から五枚ほど取り出し、手に乗せてやる。

「こんなにいただけません!」
「気にすんな。ハーフェズも銀貨持て。町に遊びに行くぞ」
「はーい。お代は俺とバルディアーが払います」

 ハーフェズは銀貨十枚と自分が献納した銅貨十五枚を小袋に入れ、バルディアーの背中を軽く叩き ―― 二人と一柱は町へと出かけた。

 ―― 通常の見習いであれば、乗馬訓練に多額の金を掛ける必要があるのだが、この二人はその必要がなかった。
 バルディアーは訓練された馬と必要な装備を、ラズワルド直属の部下になることを祝ってジャバードが贈ってくれた。
 ハーフェズは神殿入りする前に、ヤーシャールから祝いとして馬と装備一式を貰っている。
 馬の飼育に掛かる費用や人員だが、そこは二人の奴隷の主たるラズワルドが、当然全額を負担していた。故に二人は見習いながら、訓練された自分の馬に自由に乗り訓練に励んでいた。
 そういうこともあり、二人は日当のほとんどをラズワルドに収めていた。
 最大で銅貨三十枚 ―― 馬一頭の一日の飼育費用になるかどうか程度の額でしかないが。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ワーディは与えられている部屋で、床に俯せになり恐れおののいていた。彼の恐れの原因は目の前にある革袋。
 革袋の中身は二百枚の銀貨。
 自由民の身分を買うことが出来る程の額の銀貨。それが詰まった革袋が彼の前にあるのは「あー日当払ってなかったな。まとめて払うな」と ―― ラヒムに日当を支払っていたラズワルドが、近くにいたワーディに銅貨一枚も金を与えていなかったことに気付き「すっかり忘れてて御免な。少し色つけたつもりだ」そう言い、シャープールに用意させたものである。

「…………はぅ!」

 ワーディは自分が俯せになっている床から飛び起きる ―― 絨毯が高価だったことを思い出したのだ。そして革袋に再び視線を向ける。
 片腕の上に震えているので革袋の口を縛っている紐を解くのは大変で、緊張による汗を額に浮かべながら、綺麗な群青色の紐を引っ張る。

「あれ…………うわっ!」

 革袋の中身に気を取られていたワーディだが、必死に解こうとしていた紐が、金が混じった最高級の瑠璃を織り込んだ装飾紐であることに気付き腰を抜かす。
 その・・瑠璃が高級品であることを知ったのは、もちろんつい最近のこと。
 ラズワルドが「わたしの目に似てるだろう」と、大きな瑠璃の球を顔の隣に並べて、ワーディに見せてくれ、そして「高級品なんだってさ」と笑っていたので覚えていた。
 そんな高級品付きの紐に触るなんて……とは思ったが、それでも頑張って紐を解き、中身を見て ―― ろくに数を数えることができないワーディは「たくさんの銀貨」を見て、小刻みに震えることしかできなかった。
 しばらく震えてから、このままではいけないと、ワーディは開いている革袋の口を右手で握り持ち上げ、ラズワルドの部屋を目指した。

 部屋で読書をしていたラズワルドは、廊下で金属がばらけて飛ぶ音を聞き、

「なんだ?」

 持ち前の軽快さで、音がする方へと駆け出し、落として散らばった銀貨を拾い集めているワーディと遭遇した。

「どうした? ワーディ」
「銀貨を落としてしまいました」
「見りゃ分かる」

 ラズワルドも一緒になって銀貨を拾い集め、

「なに買いに行くつもりだったんだ」

 買い物にいくつもりだったのだろうと、気軽に話し掛けた。
 ワーディは首を振り、これをラズワルドに返すつもりで持ってきたのだと ――

「日当要らない? なんでだ」

 返しにきたのだと言われてラズワルドは首を捻る。

「こんなにいただけません」

 毎日清潔な服に着替えさせてくれるばかりか、自分の体に合わせて服を仕立ててくれる。
 服の生地は綿や麻だけではなく、絹の服まで作ってくれる。洋服には刺繍が入っていたり飾り釦が施されていたり。
 服一つを取っただけでも充分過ぎて、これ以上神の子からなにか施しを受けるなど、奴隷として許されることではないと ――

「気にせず使っていいんだぞ」

 当の神の子は、当然のことながら奴隷の気持ちは分からず。

「こんなに良くしてもらっている上に、お金までいただくなんて」
「良くしているかどうかは知らんが、働きに対価を支払うのは当然のことだぞ。奴隷をただ働きさせるなんて、神の子としてはしてはならんことだ。まあ随分とただ働きさせてたけど」

 済まんなあ! とラズワルドが笑う。だが感情が最も表れる目の部分を、ワーディが見ることはない。

「ラズワルド公、ワーディ、なにしてるんだ?」
「ラヒム! ワーディが日当要らないって」

 淹れたての紅茶を持ってやってきたラヒムは、廊下でラズワルドに給仕し、ワーディの部屋に一度戻り紐を持ってきて、銀貨が再度詰められた革袋の口を縛る。

「ワーディの言い分も分かります」
「なんで」

 師子国シンハラの茶を楽しみながら、ラズワルドは事情を聞く。

「金貰っても使い道ないからですよ」
「好きに使えばいいじゃないか。買い食いしてもいいし、綺麗なもの買ってもいいし。なんだっけ? 男とか女とか買っても? いいんじゃないのか」

 男や女を買うに関し、奴隷を買うのと何が違うのか? ラズワルドは分かっていないが、表層的な会話として耳にして知っているので、そう持ちかけてみた。

「ワーディはそれらが要らないから、金を返しにきたんですよ」
「そうなのか。でも金って持っていても、特に困らんぞ。そのくらい、持っておいたらどうだ?」

 神殿が金で埋まって「ああああ、どうしよう」になっている神の子が言っても、あまり説得力のない言葉ではある。

「……そうだ、ワーディ。使い道が思い浮かんだ。俺も一緒にそれに使うから、待っていてくれ」

 廊下に直接座りながら紅茶を楽しんでいたラズワルドと、銀貨が詰まった革袋の前に座っているワーディ。
 そして ――

「ラズワルド公。俺とワーディ、献納します」
「……」

 ラヒムも銀貨の詰まった革袋を持ってきて、ラズワルドの前に置きそう言った。

「あ、その……献納お願いします」

 ワーディは平伏して、収めてくださいと ――

「献納は構わんが……」

 銅貨もそうだが銀貨も百枚や二百枚貰ったところで、ラズワルド宛ての献納としては微々たるもの。ファルジャードの荒稼ぎ献納とは違い、受けようが受けまいが誰も困らぬ献納なのだが、なぜそんなにも受け取ろうとしないのか、ラズワルドは不思議でならなかった。

「そもそも、日当なんて要らないんですよ」
「なんで」
「衣食住が充実している」
「奴隷の衣食住を賄うのは、主の責務だ。それに神の子が直接購入した奴隷が、みすぼらしかったら信仰に関わる」
「そうでしょうけども。あとは馬も貰ったからなあ。あれはただの奴隷としては、過ぎたるものだ」


 ―― アッバースに来たラズワルドは、地域の有力者に僅かながら献納を許した。様々なものが収められたのだが、町の有力な奴隷商人インドラから訓練された馬の献納を受けた。
 全て毛艶がよく、乗馬に必要な鐙なども三十頭分全て揃っており、その三十頭を五年ほど飼えるほどの金も一緒に。
 宝飾品や芸術品などの献納品には興味をほとんど示さないラズワルドだが、奴隷や馬や家畜など生き物の類いは足を運んで一度は見る。
 インドラから献納された馬を一瞥したラズワルドは、シャープールに三十頭の中で特に良い馬、一番から五番まで順位をつけさせ、ハーフェズとバルディアーに、同じように選べと命じるなどして馬を見る目を養う必要性を分からせたあと、この馬を部下たちに直接与えた。
 ハーフェズとバルディアーには予備として一頭ずつ。
 いつの間にかすっかりと乗馬が出来るようになっていたラヒムにも一頭。
 乗馬の訓練をさせるという条件で買ってきたハーキムには四頭 ―― 彼は体が大きいので、換えの馬があった方が良いと忠告されたため。
 あとは馬を借りていたジャバード、メティ、ターラーに各一頭。
 ファルジャード、セリーム、アルサランにも一頭ずつくれてやり、

「一番良い馬は、ワーディに。残りはシャープールが好きにしろ」

 シャープールが最も良い馬といった栗毛の美しい馬を、ワーディに与えた。
 ワーディはもちろん馬に乗れないので驚いたが、

「ワーディが馬に乗れると、お使いに出しやすいから、乗馬教えてくれ」
「御意に御座りまする」

 シャープールに教えるようラズワルドが命じ ―― 見るからに貴種である彼シャープールから乗馬の手ほどきを受けることになった
 ――


「乗馬にかかる費用が莫大なのは、俺たちでも知っていることですから。日当分でなんとか賄える程度でしょう」
「そうかもしれんが、お前たちが馬に乗ってくれたら、わたしが楽だからなあ」
「日当は馬代として受け取ってくれると、俺たちとしては嬉しいです」
「そうか……まあ、小遣いが欲しかったら言え」

 ここまで頑なに拒否しているのだから、無理に押しつけるわけにもいかないと、ラズワルドは欲しいものがあった場合は、申告するよう指示を出した。

「俺なんかは、買う必要ありませんけどね」
「なんでだ、ラヒム」
「ここは酒もあるし本もある。娯楽として乗馬も楽しめる。金の使い道ありませんよ」
「研究とか、実験とかしても良いんだぞ」
「そういう頭良すぎる人の趣味は、持ち合わせておりません」
「そんなもんか……ワーディは、なにかないか?」

 銀貨をラズワルドに献納することができてほっとしていたワーディは、いきなりそう言われ、

「乗馬の練習はシャープールさんではない方に」

 貴人に訓練を付けてもらうのは、申し訳ないし恐いので、できればメティやジャバードが……と思わず口にしてしまった。

「シャープールが厳しすぎるとか、そういう訳ではないんだな」
「全く。とてもお優しく……こっちが申し訳なる……くらい」
「メティやジャバードでもいいんだが、あの二人はそんなに弓は上手くなさそうだからなあ」

 ラズワルドがシャープールにワーディの訓練を命じたのは、彼が騎馬で弓を巧みに操るからであった。
 騎乗で弓を扱うのは、かなり難しい。
 なにせ両手が武器にかかり切りになるので、足だけで戦場で馬を走らせなくてはならない。

「弓矢ってのは猟師でもない限り、上手く使えないんだ。猟師だって騎馬じゃあ無理だ……マッサゲタイは別だけどな。とにかくペルセアで騎馬で弓矢を上手に扱えるとなると、相当な貴族の息子になる。なにせ矢は消耗品だから、練習代がかかるんだ。とくに軍人は鉄のやじりがついた矢で戦うから、実践さながらの練習となると矢の代金がすごいらしい。……で、メティは小売りの息子で、ジャバードは漁師の息子で、どっちも馬を持っていないところから、そんなに裕福じゃないと思うんだ。となると、弓の腕はそれほどではないだろうから、馬上で弓は扱えない。馬上で弓を引くことに堪能なシャープールなら、両手を使わない乗馬技術を教えられるだろうと思ってなあ。でも取っつき辛いか」

 理由があってシャープールを教師に選び ―― 片腕のワーディに乗馬を教えるのならば、両手を使わず乗馬ができる自分が適任だろうとシャープールも言われずとも納得していたのだが、名家のご令息のあふれ出す高貴な雰囲気は、ただの奴隷には辛かった。

「でも貴族の風格が凄いってか。教える人としてはジャバードやメティより、よっぽど優れているのは分かるんですけど」
「……シャープールとサラミスなら、どっちが話しやすい?」

 槍の達人と言われているサラミスだが、元々はこちらも名家の子息。弓の練習もしていたのではとラズワルドは考えた。

「ハーフェズが近くにいるなら、サラミスさんのほうが話しやすいと思います」

 あまり緊張させるのもなんだろうと、ラズワルドはサラミスの乗馬技術を見せてもらい、両手を離して器用に馬を操れるのであれば、教える人を替えようとしたのだが、

「ワーディ、あれは駄目だ。凡人には無理だ」
「……」
「俺も乗馬しながら矢を射る練習をしたかったから、練習に付き合う。だから、いままで通りシャープール卿に練習を付けてもらおう」
「あ、うん、ラヒム。そうする」

 サラミスの乗馬技術があまりにも達人で、二人はとてもではないが無理だと、わざわざ聞いてくれたラズワルドに「お手数をおかけいたしました」と深々と詫びた。

「いや、あれは無理だろうな。ハーフェズなら出来るようになるかも知れんが……」

 サラミスに両手を使わぬ乗馬技術を見せてくれとラズワルドが頼んだところ ―― サラミスは鞍も鐙もなにもない疾走する馬の上で、滑らかに片手で逆立ちをし、向こう側から疾走してくる裸馬に飛び移るという曲芸師のような真似をして見せてくれた。
 ラズワルドは思わず手を叩き、その妙技に歓声を送ったが、どんなに訓練してもワーディには無理だろうし、出来るような訓練をさせたら死んでしまいそうな気がしたので、いままで通りシャープールの元で習うといった二人の意見を尊重した。

「ラズワルドさま。あのサラミスお父上さんみたいな技、俺ができたら嬉しいですか?」
「出来そうなら、練習してもいいぞハーフェズ」