ハーフェズ、父親から槍を贈られる

 下町で暮らしていたラズワルドは、たくさんの顔なじみがいた。

 メフラーブの妹リリの娘スィミン。ラズワルドと同い年で、女の子らしく将来は素敵な男性と結婚したいと願っている、女の子らしい女の子。
 素敵な男性の中に二歳年上のカーヴェーは入っていないが、嫌っていないどころか好きなのは誰の目から見ても明らか。

 ナスリーンが来るまでの間、ラズワルドに乳を分けてくれた家の息子カーヴェー。ラズワルドの二歳年上で、スィミンに少々突っかかるが、それは好意の裏返しだと、ラズワルドにすら知られている。

 下宿の反対隣の子ども向けの私塾に通っているバームダード。
 地方都市ウルクの生まれで、父親は騎士。その仕事の関係で、王都に三年ほど前にやってきた。将来騎士になることを希望しているバームダードは、ハーフェズのところにやってくる武人たちが乗っている軍馬に憧れ ―― そのうち、武術の基礎をハーフェズと一緒に習うようになった。ラズワルドの二歳年上。

 ファルジャードと共に王都にやってきた奴隷のセリーム。
 左目に白内障の斑点があり、安値で売られていたのをファルジャードが購入した。その左目以外は特に悪いところなどなく、性格は優しいが気は強い方。ラズワルドよりも十一歳年上 ―― ヤーシャールと同い年である。

 ラズワルドの両親についてなにか知っているのではないかと、誰もが思っているが何も言わない、強突く張りで有名なバーヌー。困りごとを解決させる腕前と、宝飾品を作る才能は誰もが認めるところ。ラズワルドから依頼されたフェロザーターコイズの耳飾りは見事なもので、神の子ラズワルドの耳を控え目ながら美しく飾っている。

 ペルセア一の奴隷商ゴフラーブ。禿頭で目つきは悪いが、ラズワルドの前ではいつも笑っている。その笑いは決して悪いものではない。商品である奴隷の扱いは悪くなく、部下たちにも割と公平。跡取りになるはずの息子の出来の悪さに、少々頭を痛めている。

 ゴフラーブが西のヘレネス王国で奴隷を買い付け、帰る際に雇った用心棒の一人、アルサラン。当時は十を少し越えた辺りの少年だったが、その腕前の確かさと、人間嫌いからくる真面目さを買われて雇われた。神の子たちも認める、美しい顔だちの男。

「ファルジャードの奢り!」
「ファルジャード! ファルジャード!」

 ペルセア王国歴三一九年の秋の終わり、ファルジャードが学術院にて発表した論文が見事だったということで表彰されて金一封が出た。その金でいつも世話になっているラズワルドに食事を奢ろうと誘った。その際スィミンたちも側にいたので、親が良しというのなら連れていってやると言い ―― 全員が許可をもらい、ラズワルドにスィミン、カーヴェーにバームダードにハーフェズ、セリームにファルジャードと大人数で近くの公衆浴場ハンマームに併設されている食堂へとやってきた。
 蒸し風呂の為に使う火、その余熱を使って調理をする食堂は多い。
 羊の挽肉と米を混ぜ味付けしし、塩ゆでした葡萄の葉で包んだドルメ、揚げた玉葱とレーズン、それにシナモンを混ぜたレンズ豆の炊き込みご飯。オレガノと大蒜、檸檬と胡椒で味付けし焼いた羊の肉。茹でたほうれん草のヨーグルト和えに羊の肉団子と豆が入った石榴スープ。食事を乗せる布から溢れんばかりに注文して、会話に花を咲かせ、運ばれたきた料理を堪能する。

「そう言えば来年には、バームダードは騎士になるために入隊するんだっけ?」

 ペルセア王国歴三一九年、ラズワルドたちは七歳で、二つ年上のカーヴェーとバームダードは九歳。十歳ともなれば自分たちが進む道を選び、人生の第一歩を踏み出す年頃である。

「うん。無事、入隊できそうですよラズワルド公」

 黒髪に黒い瞳という、ペルセアで最も多い色彩を持つ、正義感の強い少年は胸を叩く。

「そりゃー良かったなあ。えっとカーヴェーは衛士になるんだっけ?」
「おう、街の治安守ります」

 同い年だがバームダードより一回り体の大きいカーヴェーは、騎士ではなく街中の治安を守る衛士の道を目指し軍に入隊する ―― 騎士と衛士は軍人ではあるが、全く違う所属のため、この二人の職場が同じになることはない。

「男の子って、武人とか本当に好きよねえ、ラズワルド公」
「だしかにバームダードは、武人に吸い寄せられてたなあ、スィミン」

 ハーフェズも七歳になったので、そろそろ軍人奴隷としての教育を ―― となり、神殿の方から教官が毎日のようにやってきて、馬術や剣術などの基礎を教えていた。
 ハーフェズに武術を教える責任者はヤーシャールなのだが、彼は彼で忙しく、彼の側近であるカイヴァーンが出来るだけ時間を作って、下町までやってきてはハーフェズに教えていた。
 興味のあるバームダードやカーヴェーは、それを遠くから見ていたのだが、ラズワルドが「混ざって良いぞ」と言い、三人はカイヴァーンに稽古を付けてもらう。
 特に騎士を目指しているバームダードは真剣だった。

「え、でもやっぱり格好良いし」
「そう言う、ハーフェズは武装神官だもんね」
「はい」
「青い服着るんでしょ。武装神官の服って格好良いよね」
「はい、そうですよ、スィミンさま」
「ハーフェズは旗を持つんだよな?」
「そうだよ、バームダード。馬に乗って、ラズワルドさまの旗を持って進むんだ」

 セリームが各自の前の器に料理を取り分け盛りつける。
 そう楽しげに話をしていると、少し離れた席で怒鳴り声が上がり、歓談が弾んでいた食堂内は一瞬にして静かになった。

「ん? あれは……レイラか」

 騒ぎが起こった方をラズワルドが見ると、店の客が一人の女に怒鳴りつけていた。店員がどこからともなく現れ、怒鳴られてもまったく気にする素振りを見せない女の腕を掴み、店から引きずり出す。

「店員も手慣れたものだな」

 ラズワルドが「レイラ」と言った女は、この界隈では手癖の悪さで有名で、こういった食堂に入り込み、客の料理を勝手に奪って食べるたりもする。
 店の方も警戒はしているのだが、店の入り口に人を立たせる余裕はないので、こういった被害が出る。

「レイラもちゃんと働けばいいのに」

 バームダードが「当たり前」のことを言うのだが ―― このレイラ、黒髪に緑色の瞳で、容姿も整っているのだが、手癖が悪すぎて奴隷商が「売れるあてがない」と若くて美しい娘ながら、承認を得ている奴隷商ばかりか、潜りの奴隷商まで買わなかったという逸話を持つ女であった。
 レイラは幼い頃から手癖が悪く、人のものをよく盗んだ。
 親はあちらこちらに謝って歩き、その親が亡くなり、親戚の家に身を寄せたのだが、その家で金を盗み家を追い出された。金がなかったレイラは、奴隷として買って貰おうと奴隷商のところに足を運んだが、今まで働いていた盗み癖のひどさから、買い手がつかないことが容易に想像できた。
 奴隷商にとって奴隷は売るだけではなく、日雇いとして働かせることもあるがこんな女・・・・を派遣したら、次から仕事が来なくなる。他の奴隷たちと一緒に養っても、騒ぎを起こすのは目に見えていた ―― 奴隷にすらなれなかったレイラは、盗みを働いたり、身を売ったりしてその日暮らしをしていた。
 盗み癖さえなければ、容姿は良い方なので、幸せになれただろうにと思う人も多いのだが、レイラの手癖の悪さは最早病気で、そこにもの・・があると、欲しくなくても盗まずには居られないのだ。

「本当にな。手を切られる前に落ち着いて欲しいものだ」

 その後また話に花が咲き、レイラのことを彼らはすっかりと忘れて、食事の時間を楽しんだ。

「スィミンさんとバームダード君、送ってきますね」

 食事を終え、帰宅の途につくのだが、スィミンとバームダードの家はラズワルドが住んでいる区画とは少しだけ離れている。
 日中ならば安心だが、既に空は暗くなっているので、用心のためにセリームが二人を家まで送り届けることになった。

「あー俺も一緒に行くよ」

 ラズワルドのはす向かいに住んでいるカーヴェーが、セリームと一緒にスィミンを送ると言い出したので、

「セリームも一人歩き心配だからな。頼むぞ、未来の衛士カーヴェー」

 ラズワルドは光る精霊の球を彼らに持たせて分かれた。
 セリームは二人を送り届け、各家からお裾分けをもらい ―― カーヴェーと話をしながら帰途につき、彼を自宅に送り届けてから下宿に戻った。
 家に戻るとラズワルドから明かりを借りたファルジャードが、壁に立てかけている黒板に向かって、なにやら難しい文字を白墨で書き付けていた。

「ファルジャード、あまり夜更かししちゃ駄目だよ」
「分かってる」
「ところでそれ、なに?」
「ああ、これは古いペルセア語だ。普通の神官はこの文字を使うらしい」
「ファルジャード、神官にでもなるの?」
「いや、ちょっと読みたい本があったんだが、まだ現代ペルセア語に翻訳されてなくてな。翻訳を待つより、自分が古いペルセア語を覚えた方が早いような気がしたんで、メフラーブ先生に習うことにした」
「ファルジャード、頭はいいけど、知識じゃまだ負ける相手がいるんだね」
「まあな」

―― それほどかからずに、ものにしてしまうのだろうな

 寝床と朝食の用意を済ませたセリームは、ファルジャードを寝かせるために話し掛ける。

「そろそろ寝るよ。寝ないと、今度からラズワルド公に”ファルジャードが徹夜するので、明かりを貸さないでください”って頼むよ」
「分かった分かった」

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 神の子はペルセア国外に出ることは出来ないが、それでもラズワルドにも外国人の知り合いはいる。

 ラズワルドたちには正体を明かさず去っていったジャラウカ。
 ラズワルドの心に胡散臭さを刻みつけていった、身分を隠していた王子。ラズワルドは彼が王子だとは知らないので、また旅の一座としてやって来たら会えるだろうと ―― それなりに再会を楽しみにしていた。

 そしてこの頃、もっともラズワルドにとって身近な外国人の名はハスドルバル。元の名前はジャガダーヤと言い、サータヴァーハナ人でありながらネジド公国に仕えている。ネジド公国に仕えているとはいうが、ハスドルバルの主がネジド公国に仕えたので、彼もそれに倣ったに過ぎない。
 もとジャガダーヤ、現ハスドルバルの主の名はサラミス。

「ハスドルバルおじさん、久しぶり!」
「お元気でいらっしゃいましたか? ハーフェズ殿」

 ハーフェズの父親からの信頼が篤い彼は、一年から一年半に一度、サラミスの妻子に贈り物を届けるためにペルセア王国を訪れていた。
 重鎮の腹心とも言える存在が、そんなに頻繁に私用でペルセア王国に送っていいのか? 思われそうだが、ネジド公国側としては、重職にある者を公然とペルセアの中枢に送ることができる上に、神の子ラズワルドの伝手で、それなりの人物と面会することもできるので、悪いことなど一つもなかった。

「おお、ハスドルバルか。久しぶりだな。サラミスは元気か」
「お久しゅうございます、公柱。サラミスの体調まで気遣ってくださり、ありがとうございまする」
「何日くらい滞在する予定だ?」
「十四日ほど滞在する予定でございます」
「七日間はヤーシャールの家で、残りの七日間はシアーマクの家に泊まれ」
「ご温情、感謝してもしきれませぬ」

 ペルセア王国だけではなくその近隣の国においてもそうだが、宿というのは貧乏人、もしくは身分が卑しい人が泊まるところであって、それなりの身分がある者は、地縁や血縁などを頼り、格にあった家に滞在させてもらうのが普通であった。
 また異国から献上品を携えて訪れたとなれば、受ける側が歓待するのは常識。
 今回はハーフェズの元を訪れたハスドルバルという形になるので、ハーフェズの主たるラズワルドが滞在場所を整えて、費用を負担してやるのは当然のことである。

「目録はこちらでございます。ご確認ください、メフラーブ殿」
「いや、あんた荷物掠めるような人じゃないだろうから、わざわざ確認せんでも」

 荷台に積まれた品々と、サラミス直筆の目録の内容を付き合わせるのは、メフラーブの仕事であった。

「ご信頼いただけて嬉しいのですが、これも仕事ですのでお付き合いください」
「まあな」

 ハーフェズとナスリーンの生活費に、洋服を新調するための反物。ちょっとした装飾品。メフラーブにはかなりの額の金貨 ―― これはネジド公国とペルセア王国で、奉じている宗教が違うため、直接ラズワルドに寄進するのは問題が生じるゆえに、宗教的な立場を持たないメフラーブに渡し、そこから神の子へ寄進するなり、神の子の為に使ってくれるなりして欲しいというもの。

「お、これは。おーい、ハーフェズ。お前の親父さんから、凄いの来たぞ」

 目録に目を通し、荷を確かめていたメフラーブが、手紙をしたためているラズワルドの側にいたハーフェズを呼ぶ。
 ”きょとん”とした表情を浮かべてから、行くようにラズワルドに言われて、走ってきたハーフェズ。彼の目の前で布にくるまれた「凄いもの」が露わになった。
 木目状の模様が浮かんでいる鋼で作られた槍。

「槍?」
「おお。ダマスカス鋼で作られた槍だ。これ、凄い高価なやつだぞ、ハーフェズ」

 ネジド公国の隣国、ダマスカス王国の特産品であるダマスカス鋼。そのしなやかさで折れることなく、群を抜く丈夫さで鎧に当たっても刃こぼれせず、軽く触れただけで切れてしまう鋭さを持ち得る希少の鋼。それを惜しげもなく使った逸品である。

「初めて見たな」

 家にいたファルジャードが、興味深げに槍を見つめる。

「名前だけは聞いたことあるけれど……」

 セリームもその存在は、奴隷商の元にいた頃から聞いてはいた。それと言うのもダマスカス鋼は、焼入れの際「逞しい奴隷の肉体に突き刺して冷やす」と言われており、奴隷仲間の間ではその話は有名だった。
 よって奴隷としては、ダマスカス王国の刀剣を作る家に買われたくないという意見で一致していた。目に疾患のあるセリームは、そういった謂われのある品を作る際の生け贄になることはないのだが ―― そんな話を知っているセリームでも、ダマスカス鋼の槍の美しさに見惚れた。

「へえ。凄いもんだな。ヤーシャールの家に持っていって、シアーマクたちに自慢しようぜ! そしてハーフェズが大きくなるまで、保管しておいてもらおう!」
「そうですね、ラズワルドさま」

 生涯使える立派な槍ゆえ、七つのハーフェズには持ち上げることすら叶わなかった。