混凝土棺・4 - 少年残像≪後編≫
十歳の時にビーレウストと殴り合いの喧嘩をして派手に負け、悔しくて泣いていると 《彼》 が話しかけてきた。
《私を使えば良かったであろうが》
《彼》がはっきりと現れたのは俺が六歳の頃。
それ以前にも何度か現れていたが、直ぐに消え去っていたことと、自分が子供だったから解らなかった。だが六歳の時 《彼》 はその姿を人前に現す。
「嫌だよ……お前が勝ったって仕方ねえ。今のは俺とビーレウストの喧嘩だ。あの時は仕方なかったけど」
俺はあの一件で、俺の中に《彼》がいることを自覚し、それは他の王にも知れた。
《エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルよ。私の力をお前が自在に操るれるようになれば良かろう》
「そんなこと、出来るのか?」
《知らん。私はやったことはない、だがお前ならできるのではないか? あの男をディルレダバルト=セバイン末伯爵を止めたいと思うのなら試してみる価値があろう。あの男は発狂する、それを止めることが出来るのは “力” のみ》
俺じゃあビーレウストには敵わないが 《彼》 は勝てる。《彼》 は 《彼》 をも止めたほどだ。
「いつか俺があんたに食われたらどうする?」
《それは責任を負わぬ。もしもそうなってしまえば、私は私を食い殺し、私は誰かに殺されるであろうな》
自由を求める 《彼》 の言葉を聞き、俺は宮殿を逃げ出した。
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『用意は整ったか? ジュシス公爵』
「完了している。ライハ公爵こそ、用意は整ったか?」
『もちろんだ。それにしてもヴェッティンスィアーンも大胆な策を立てるな。ビーレウストを投入するのは何時ものことだが、制圧にエーダリロクとは。発狂したビーレウストを制圧するのは儂にしか出来ぬだろうが』
「我も制圧はできるが、その場合は死んでしまうからな。生かしたまま捕らえるとなるとライハ公爵の力くらい必要だろう。理由をザセリアバに尋ねてみたところ、ヴェッティンスィアーンが料金を節約した結果だそうだ。アルカルターヴァに弟王子を借りるとなると、相応の金額を支払わなくてはならない。艦隊戦用の料金までは支払う気になったが、白兵戦用の料金は支払いたくなかったと」
『全く。儂個人としては支払われずとも目の前でビーレウストが暴れていたら制圧するがな』
「金で忠誠を買う男に言っても無駄であろう。それよりも良くアルカルターヴァが許可したものだな。他王家の僭主狩りに参加することを良く思っていないだろう」
『アルカルターヴァは頑迷な男だから決まり以上のことはさせてくれん。だが今回は何があったかは知らないが、しっかりと戦って来るようにと命じられた』
「金で懐柔されたか?」
『あのアルカルターヴァが金で懐柔できるなら、儂はすでにやっているよ』
「そうだな。さて、エーダリロクが用意した “素材” を運ぶホースでも構えるか」
『では浴室前で会おう、ジュシス公爵』
今回の僭主狩りの責任者であるセゼナード公爵の命令に従って、彼等は落とされるのを待っている施設の壁を破壊して “ビーレウスト捕獲用” の糊状の物体を運ぶホースを抱えて突入を開始した。
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僭主狩りの責任者はエーダリロクだが、作戦を立てたのはロヴィニア王。
「なんでメーバリベユ侯爵を作戦にくわえた」
作戦決行ぎりぎりになって渡された書類に目を通し、エーダリロクは兄に異議を唱える。
「ロヴィニア王族になった証として作戦にくわえた」
「俺は結婚する気はない」
「見極めるといい。メーバリベユ侯爵が《皇帝の妃》に相応しいかどうかを」
エーダリロクは兄の言葉に目をきつく閉じる。腕を組んでいる指に力を込めてしばらくの間無言を保った。
「ヒドリクの傍系王よ」
しばらくしてエーダリロクが口をひらく。その喋り方が弟のものと全く違うことを確認して、ロヴィニア王は椅子から降り “当然のように” 膝をつく。
「はい。ヒドリクよ、なにか作戦に問題でも? メーバリベユ侯爵は皇帝の正妃候補として選ばれその後 “自ら私の弟の妻になりたいと申し出た” 女。彼女はロヴィニアで最も賢く美しく気高い、まさに皇帝の妃に相応しい。あと彼女が乗り越えなくてはならないのは、私の弟の妻として “親友の変貌” にどのような態度を取るかを見極めること。私はいつでも弟のことを考えております。ヒドリク、いいえ銀狂よ、私は何か間違っているでしょうか?」
兄を見下ろす弟の表情は二十を過ぎたばかりの王子とはとても思えない落ち着きと、それを上回る残酷さを持っていた。
「月の狂気は闇夜でなくては地上に届かぬ、それは認めよう。エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルにとっての闇夜の揺籃たるディルレダバルト=セバイン末伯爵を彼女が受け入れればエーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル、および他の末王達も彼女を認めよう。《私》 は今を支配していない、よってお前の作戦に従う。そうだお前は何をしても良い、だが彼女に 《神殿の真実》 は教えるな。それを教えて良いのは 《皇帝のみ》 だ。解っているな」
声は低く聞き続けていると、冷水を浴びせられたかのような感覚に陥る。
「はい」
《彼》はそのまま立ち上がり、部屋を後にした。
立ち去って暫くした後に、ロヴィニア王は立ち上がり服の埃を払いながら一人呟く。
「できればその部分を教えて、離婚できないようにしたかったのですが……さすがにそれは無理か」
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ビーレウストが突撃し、カルニスタミアが制空権を確保する為に戦艦を指揮する。隙を突きアシュレートが部隊を率いて地上に降り立ち、施設を無力化する。
一人戦艦から下りたエーダリロクは何も持たずにビーレウストが通った後をゆっくりと歩いていた。
ロヴィニア側が立てた作戦にジュカテイアス側が従う義理はない。僭主は僭主で作戦を立てて、それを実行する。部屋に残る肉片と血の匂いにエーダリロクは眉をしかめた。
《シーゼルバイアなる男がこの作戦を立てたのか?》
「だろうなあ……あいつはビーレウストと精神感応が開通しているから、血に狂うことを良く知っている」
捕らえられていた手枷に残る “てのひら” の傍に膝をつき撫でる。まだ幼さと暖かみが残る掌を撫でながら、声にもならないそして心でも言うことのできない謝罪を告げる。
《何故無辜の民を巻き込むのだ! 私は命じたはずだ! あれほど厳重に、僭主の争いに王族と皇族以外を巻き込むなと!》
「手っ取り早い方法を使ったんだろう」
もしもシーゼルバイアの立てた作戦が、市民を虐殺しビーレウストの凶暴性を高めるものでなければ 《彼》 はここまで絶望しなかっただろうとエーダリロクは思う。《彼》はエーダリロクの中で絶望し、そして怒りを露わにする。
《私の民を返せ! お前達が遊ぶために! 権力を得るために! 殺させる為に生かした者達ではない!》
わき上がる 《彼》 の怒りはエーダリロクの精神に容赦なく攻撃を加える。
「落ち着け、シャロセルテ」
エーダリロクは立ち上がり、再び歩きだす。血の匂いの濃い場所を進み、ビーレウストの銃を拾い上げた。
血に酔うビーレウストが作戦に使われるから人々を殺す。それは作戦として正しいのかどうか? かつて内乱を平定した男が定めた《残りの僭主との争いに平民や奴隷を巻き込むな》それを知りながらシーゼルバイアは背く。
「シーゼルバイアは知らないのさ。銀狂帝王がまだこの世界にいることを」
《知らずとも守れ。私は殺される為に人々を生かしたわけではない! 死んでいいのは争いを起こした私達だけだ!》
内側で叫ぶ 《彼》 の絶望をエーダリロクは何度聞いたことか。その声を聞きながらも、エーダリロクは 《彼》 を呼び出す。
「悪いな。本当はあんたは眠ったままにしておかなけりゃならないのに。いっつも俺の私的な理由で呼び出しちゃあ苦しめてよ」
《彼》 はその言葉に 《彼》 を取り戻し詫びる。
《私こそ悪かった、自分で力を使えと言っておきながらこの有様……私もお前ほど意志が強ければバオフォウラーとラバティアーニをあれほど苦しめなくて良かっただろうに》
《彼》 の語る思い出の中に存在する二人。それに関してエーダリロクは何も言うことができない。その二人に関してエーダリロクは 《彼》 に対して心を固く閉ざしている、この心の内を 《彼》 に開くと、彼が自分に対し、そして 《もう一人の彼》 に対しても叫び謝罪することを知っているためだ。
“愛している、愛している だから……引きちぎり、食った。私は食うことでしか愛情を伝えられない。バオフォウラーには通じたが、ラバティアーニには通じなかった”
血の薄い煙幕の中を歩きながら自分の妻となったナサニエルパウダが、ビーレウストを見て自分の存在ごと拒否してくれることをエーダリロクは願い祈る。
『陛下は一度も食したことがないから、お前も間違いは起こさないだろうエーダリロク。お前は第一の男で、陛下は第五の男だ。お前の方が正気の部分が多い』
― 俺は自信がない、あんたを食い殺さない自信はない。陛下は食わなかったが俺が食わないという保証はないんだ。俺の妻になるな ―
エーダリロクは祈る、その身の内側にある帝国の神に。
「やめろ! やめろ! 私を食べていることを、私に伝えるな! やめろ! やめろ! 私の味など、私は味わいたく! うわあ!」
愚か者の絶叫を聞きながら、エーダリロクは目を閉じた。
― 空舞わぬ翼持つ銀狂の帝王よ、俺に力を解放してくれ、俺の力を解放してくれ ―