グィネヴィア[43]
 元気よく出かけていったグレイナドア(三発やったよ!)を、ベッドの上から見送ったジアノールは、助けを求めることにした。
 この姿を他人に晒したくはない ―― などという余裕はもはやない。
 ただジアノールは帝星に知り会いはほとんどいない。
 ジアノールが心酔する主オーランドリス伯爵は、頼めば助けに来てくれるが、訪問方法が若干あやしいので(ブランベルジェンカオリジンに搭乗してやってくる)それ以外の人物……を必死に考える。

―― ウエルダ中尉は顔見知りになったが、残念ながら平民だ。王子の寝所には近寄れないだろう。ゾローデ卿はお忙しいだろうし……トシュディアヲーシュ侯爵……はお暇じゃないだろうなあ。あの方が一番……

 帝星にいるジアノールの知り合いの中で、もっとも権力を持ち王子の寝所でも、易々と踏破できそうなのが侯爵。

―― だが侯爵は……クレスターク卿の弟だしなあ。あの騒ぎを見る分には、破壊に容赦無いし……王子殺したら……

 ジアノールが知っている侯爵は”さすがクレスタークの弟”という評価。要するに破壊殺戮の化身。散々酷い方向で善い目に遭わされたジアノールだが、グレイナドアのことを殺したいわけではないので……最終兵器”あの人”に依頼することにした。
「通信機……」
 擦れた声で通信機を依頼したその人物とは ――
「…………」
 ヒュリアネデキュア公爵。
 部下を大勢引き連れ、王子の館に乗り込み、その館の召使いたちの態度が悪いと吐き捨て、湿りぐちゃぐちゃになっているベッドの上で、己のものではない体液をあらぬ場所からしたたらせ、全身が滑っているジアノールを容赦無く見下し、
「運び出せ」
 その言葉は冷たく、されどジアノールにとっては救いの言葉であった。

 こうしてジアノールはグレイナドアのベッドから逃げだすことができ ――

「遅かったな!」
「いくぞ、帝国騎士や」
 体調を治すために復元機に入り、過敏になった箇所を収め、オーランドリス伯爵の元へと急ぎ帰ったところ、
「殿下……閣下……」
 グレイナドアとイルトリヒーティー大公が待っており、オーランドリス伯爵と自分を含めた三人で侯爵とウエルダがいるヨルハ公爵邸へ、行かざるを得ない状況に。

**********


 昨晩グレイナドアの所に飛んで来た異形はクラバリアス親王大公。
 彼女が斬られ飛ばされた原因は、あの自称ゾローデさん(きらきら)に抱きつかれたことが原因である。
 当然抱きつかれたもう一人、ケルレネス親王大公も、同じ目にあった。違うのは飛ばされた場所。
 後者においてクラバリアス親王大公は幸せだったと言える。
「お待ちしておりました!」
 白皙の美しい肌、頭部を飾る蔦冠から下がる蔦が絶妙に乳首を隠し、腰布が巧妙に男性器を隠す、帝国軍統合本部長付き士官候補生(少佐待遇)
 顔は彫りが深く、作りは大きいが決して下品にならず。鋭いはずの目元は、その内面から溢れ出す慈悲により優しげ。通った鼻筋は顔をやや柔弱み見せるが、引き締まった口元がその弱々しげな雰囲気を完全に打ち消す。
「お待ちしておりましたとも!」
 ガニュメデイーロと呼応するのは、薄い紫色の瞳が美しい、憂いを帯びた面持ちを持つ帝国軍大将の女性 ―― ただし、喋った瞬間に全ては消え去る。

 二人が元気よく出迎えたのは、
「……ひぃ! ケルレネス親王大公殿下?」
 ケルレネス親王大公……の半分。それも縦に切られた上に横に切られた部分。右側四分の位置が吹っ飛んで来た。
 クラバリアス親王大公は内臓が残った状態で飛ばされたが、ケルレネス親王大公は内臓は別の部分に置き去りにされたようで、内側が空洞の状態。
 そのあまりグロテスクな断面図にデオシターフェィン伯爵は驚いたが、
「稀によくあることだよ、デオシターフェィン伯爵」
 皇王族組はとくに驚くことはなかった。
 ”稀によくある”それについて突っ込みたかったデオシターフェィン伯爵だが、
「稀によくあったら……飛んで来たりするのか? クレンベルセルス伯爵」
 この状況下でその質問をしてなんになるのか? 考え、無為だと即座に辿り着き、言葉を噤む。
「それはもう。だってここは大宮殿だからね。それも大公宮区画だから、危険がいっぱい!」
 デオシターフェィン伯爵は今、クレンベルセルス伯爵などの伯爵たちが住む区画ではなく、大公が住む区画に、無理矢理招待されおり、そこでこれに遭遇したのだ。

 説明しておかなければ忘れられそうだが、グレイナドアも「大公」である。

「パスパーダか……きさ……」
 ケルレネス親王大公の四分の一が飛び込んできたのは、パスパーダ大公の邸。
 その場にはもう一人、
「ケルレネス親王大公殿下、お久しぶりです! おお! その切り口はエヴェドリット王ですね!」
 ”デ”ことバッシェベルデン大公もいた。
 トシュディアヲーシュ侯爵をして ―― ……で、十人だ。こいつらは、一人でも厄介だが同じ場所に二人になると、騒がしさや面倒くささが一気に十の七百五乗になる ―― と。その時、凄いけど微妙な数字だな……と感じたデオシターフェィン伯爵だったが、
「はいはいはいはい! お美しいおばあさま! そんなお姿になっても、どうしてそんなにお美しいのですか! おばあさま!」
 ジャスィドバニオンは足を高く上げて踊りだした ―― 足の上げ下げが激しく素早いので、中は見えないし、デオシターフェィン伯爵も見たくはない。
「おばあさま! 切り口を見せてください……いやですって? 照れなくていいんですよ。同性同士じゃないですか! いえいえいえいえ、そんなに照れないでくださいよ。……おお! なんという淑女! これが貴・婦・人。ふふふふ淑女を調教する未・亡・人! なんという魅惑の響き。ジャスィドバニオンの腰布も歓喜で震えることでしょう!」
 クレンベルセルス伯爵が小声で「突っ込んだら負け」と呟く。ただし笑顔で――
「ええ、もちろん震えておりますとも! 腰布も、その下も!」
「雨に濡れた小鳥のようにですか? エスケールディーグ」
「そう、生まれたての子豚のようですとも! デ先輩」
「子豚は乳を求めて! 乳房はエーークセレントゥ!」
「おお! なんという、真っ平らな胸。これぞ高貴也ぃぃ!」
 二人は言いながらケルレネス親王大公を掴んで、バレーボールのトスのような行動を繰り返す。空中でくるり、くるりと回される四分の一は恨みを吐くも、

「あれは”いっしょに移動”という、皇王族と皇族のみに許された移動方法です。あのようにして、ゆっくりと! カタツムリのほうがまだはやい速度で、お家までお届けするのであります!」

 伝統なんです! とクレンベルセルス伯爵に言いきられ、
「ああ、そうなんですか」
 皇王族ではない彼は、同意する以外できなかった。
 デオシターフェィン伯爵ジャセルセルセ。彼はこれからメーバリベユ侯爵として、彼らと渡り合わなくてはいけない。

**********


「ラスカティアさん、起きてください」
 二日目の朝、ウエルダはラスカティアをゆすって起こした。
「朝か……どうした? ウエルダ」
 視線が自分の頭のあたりを見ているのに気付き、ゴミでもついているのか? と尋ねる侯爵。
「あ、いえ。おはようございます」
「おはよう、ウエルダ」
 仮面越しなので、寝起きの顔は分からないが、声は少し低く擦れて ―― 怖さを倍増させていたが、通常の侯爵で怖さが限界値なので、それ以上の怖さは最早感じることもない。

―― 夢だったんだな。侯爵の頭上に白いほんわりしたものなんてついてない……当たり前だけどな。でも夢にしても、触り心地良かったなあ

 侯爵の頭に猫耳がなかったことに安堵しつつ、少し残念に感じながらウエルダは朝食の準備に取りかかった。
 市販のワッフル用の液体を振り、均等に混ぜてからメーカーに流し入れ、目玉焼きとウィンナーを焼き、朝届けられた牛乳 ―― ユシュリアが受け取り中身を検分するという、牛乳配達人、人生最大の恐怖体験 ―― を、
「母さん、これ洗った?」
「洗ってるわよ」
「念の為に、もう一回洗う」
「そうね」
 洗いたてのコップに注ぎ、外で待つ侯爵の元へと運び、
「こんなもんです」
「充分だ」
 ウエルダは向かい側に座り、プレートに乗せた朝食を差し出す。

「済みません。いつもは、もう少し上手くクリームチーズ盛れるんですけど、今日は……緊張しちゃったみたいで」
「そうなのか」
「また今度、機会がありましたら、その時こそ、成功させますので!」
「それは楽しみだ」

 二人で朝食を取る約束をしているようにも聞こえるが、実際はそうではない。その未来はというと……

「ラスカティアさんって、寝起きいいんですね」
 向かい側に座り同じメニューの朝食を取りながら、砕けた感じでウエルダが尋ねる。
「まあな。寝起きが悪いと、帝国の士官学校には入れん。エヴェドリット限定だが」
「へ?」
「俺たちの寝起きが悪いは、破壊行為だ。朝起きるたびに、周囲を壊してたら問題になるからな」
「あ……はあ」
 寝起きが悪いエヴェドリットは危険極まりない。だが帝国にはそれを上回る恐怖がある。
「寝起きが悪いで有名なのは、ナイトヒュスカ大皇だな」
 脇で腕を組み立っているユシュリアが、それはそれは人が悪そうな顔で。
「あの人の寝起きの悪さは、異常を通り越してるな」
「そんなに寝起き悪いんですか? ナイトヒュスカ大皇陛下は」
 ウエルダは聞いたことはない。
「まあな。お前の父親あたりなら、聞いたことあるんじゃないか? 父親、徴兵されていた時、聞かなかったか?」
 突如話題を振られた父親は、少し考えてから首を振る。
「末端ではその様な話は」
 末端の平民の会話に、皇帝の名が上ることはない。
 せいぜい平民や奴隷を妃とした皇帝の名が、妃のことを話す際にのぼる程度。ナイトヒュスカの皇后は誰もが納得のエヴェドリット王女であったので ―― ウエルダの父親も「強い」という話は聞いたことがあったが、それは軍に属さずともよく聞く類の話題。
「そうか……まあ、あの人、寝起き悪いんだ。自然に目覚めても機嫌が悪いという、厄介な男でなあ」
「我の祖父さんは寝起きのナイトヒュスカ大皇に声をかけるという仕事をしていた。スリリングで楽しかったそうだ」
 ユシュリアの祖父で先代デルヴィアルス公爵は、この命がけの秘書官の職を、それはそれは楽しみ、ナイトヒュスカ大皇が退位した際に公職を引退したくらいに ―― その危険が好きであった。ちなみに、当時のデルヴィアルス公爵の医療費は突出していた……そういうことである。

 朝食を食べ終え、ウエルダが淹れたコーヒーを二人が飲んでいると、レティンニアヌ王女がかけ足でやってきた。
 その腕には薔薇の花束。
「どうした? レティンニアヌ……ウエルダ、薔薇を受け取って欲しいそうだ。自宅に飾ってもらえると嬉しい! だとさ」
「王女殿下。ありがとうございます!」
 大ぶりというほどではなく小ぶりでもない。
 ちょうど良い大きさで、花弁の重なりも華やかすぎず、さりとて地味でもない。
 人がみて美しいと感じる、そのも。
 花びらの色は薄いピンク色。花束は光があたると僅かにきらめく包装紙と、重厚で肌触りのよい真紅のリボンで飾られている。

 包装紙とリボンは王女自ら出向き、貴族庁から盗んできた ―― 誰とも話せないので、控え目な実力行使をするしかなかったのだ。

「花瓶あるか? そうだ、レティンニアヌ。平民の家には、お前が抱えるような大きさの薔薇を挿す花瓶がない家が多い……ごめんなさい……だとさ。悪気はなかったんだ、ただ浮かれてただけで。バンディエールから大宮殿で一番綺麗だって聞いた薔薇を見せたくて、だとさ」
「いえいえいえいえ! ありがとうございます。これって大宮殿の薔薇なんですね! 本当にありがとうございます。母さんとか姉さんや妹は薔薇に囲まれてみたい! って言ってたんで。大喜びですよ。分けて自宅のあちらこちらに飾らせてもらいます」
「よ、よろこんで、くれた? ……とさ。喜んでるだろうよ……なんだ? あ? イルトリヒーティーに会って……そりゃそうだろう。そこは観賞用だからな」
 薔薇を喜んで受け取ってもらえたことは嬉しかったが、王女には気がかりなことがあった。それはイルトリヒーティー大公のこと。
 ぼそぼそと王女の話を聞きながら、
「王女らしからぬ行動をとりおって……って顔してたって……まあ、そりゃそうだろうなあ。心配するな、あとで手紙で詫びておく。今度から見つからないようにしろよ、レティンニアヌ。え? 怒らないの? 怒るわけねえだろ。多少の面倒は気にすんな」
 片目を瞑り、口角が”くいっ”と上がっている口元に人差し指をあて、悪巧みを勧める笑顔を王女に向けた。

―― クレスタークと瓜二つだな

 ユシュリアはその顔を盗み見て、何故か妙に納得した。

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