グィネヴィア[19]
 イルトリヒーティー大公はテルロバールノル系ながらも皇王族で、生まれ故郷は帝星であり、大宮殿の一角である。
 久しぶりに帰国した彼は、自宅として与えられている区画へと赴き、宮の状況を確認したり、近所に住んでいる親戚縁者と会ったり、受験へむけて家庭教師を手配したりと、忙しく活動していた。
 結婚式典が終わった後も、精力的に動き、時間に余裕があったのでゲルディバーダ公爵が滞在している区画へと戻った。
「女皇殿下は?」
「ヴィオーヴ侯爵と入浴中です」
「そうか」
 顔を見せてから呼び出された場所へと向かおうと考えていたイルトリヒーティー大公だが、新婚の邪魔をしてはならないだろうと考えて、
「なにか言伝があるのでしたら」
「なにもないわい。それではな、ノーツ」
 今から向かうと少々早く所定の場所に到着してしまうが、遅れるよりはマシであろうと――
「ベルトリトメゾーレ」
 聞き憶えのある声に、イルトリヒーティー大公は振り返り、ノーツは誰かは分からないが、大公を親しげに名で呼ぶ人物の登場に、流れるように自らの面を下げた。
 そこには、ゲルディバーダ公爵とゾローデの初夜のために派遣された、皇帝の酒杯を管理するべき男ジャスィドバニオンが、正装で立っていた。
「ジャスィドバニオン。随分と早くにやってきたな」
 彼は初夜前に盃を傾けるであろう若き夫婦に、皇帝からの贈り物として――本当は皇帝も派遣していいのか悪いのか、止めたほうが良いような気もするのだが、慣習としては”皇帝よりガニュメデイーロが遣わされる”というのは、名誉であり心より結婚を祝福している証拠なので、人格とか合う、合わないは除外し、皇帝として最大限の心遣いで彼を送り込んだ。
「ええ! 遅れるわけには行きませんので」
 白く肌理が整っている肌。彫刻のような筋肉が付いている体。凛々しさのある美しい顔立ち。限界ギリギリな腰布からのぞいている長い脚。
「そうじゃが。儂は用があるので、ノーツや、これはパスパーダだ。部屋へ案内してもてなせ」
「かしこまりました、イルトリヒーティー大公」
 命じられた彼は面を上げて、聞いてはいたが初めて見る帝国の慣習に、さすがに驚いたものの、必死にそれらを押し隠し、彼を控え室へと案内しようとした。
「……」
「どうなさいました?」

 パスパーダ大公はノーツに一目ぼれをした――

「君こそ、わたくしの運命の恋人! 結婚してくれ!」
 ノーツはこの時点で全てを放棄する。考えたところで無意味であるし、彼が考えたところでどうにかできるような問題でもない。
「なにを言っておるのじゃ、ジャスィドバニオン。これは女皇殿下のお気に入りの家奴じゃぞ。主とて遊び半分に」
「誰が遊びなど! わたくしは本気です! 結婚してくれ! いや、結婚してください! ノーツさん」
 同性愛者だと表明しているジャスィドバニオンなので、男を伴侶とするだろうことは帝国の誰もが疑ってはいなかったが、相手が家奴なのは予想外。
「よく、見ぬか! ノーツの顔は主の好みとはかけ離れておるじゃろうが!」
 ジャスィドバニオンの好みは美少女と見紛うばかりの美少年。だがノーツは見るからに男。特別逞しいわけではないが、一目で男と分かる容姿であり、雰囲気も美形特有のものではなく、家奴らしい控え目なものしかない。
「わたくしは今まで、自分の好みを分かっていなかったのです! ノーツこそ、わたくしの求めていた人!」
「落ち着かぬか! ジャスィドバニオン!」
 イルトリヒーティー大公が諭したところで聞くような男ではなく、
「わたくしは、この通り、本気です!」
 叫びながら彼は脱いだ。唯一纏っている腰布を。帝国でガニュメデイーロのみが身に付けることを許されている腰布を脱ぎ捨て、
「何しておるのじゃあ!」
 蔦を大雑把に絡ませたかのような蔦帽子のみを着用した姿で。
「貴方のためなら、わたくしは腰布だって脱ぎ捨てます、望むのならば帽子も!」
「普通は順番が逆じゃあ! 帽子を先に脱ぎ捨てよ!」

 問題はそこではない――

**********


「という次第にございます」
 硬直しきり精神が何処かへと行きかけているノーツを抱えてイルトリヒーティー大公は逃げたわけだが、そう簡単に逃げられる相手でもない。
 全裸で愛を語る男だが、帝国上級士官学校を首席で卒業した逸材。
 技量的にもそうだが、愛は盲目状態の彼を相手にするのは、イルトリヒーティー大公も非常に苦労して、最後は脱ぎ捨てられていた腰布をイルトリヒーティー大公が結んで、全力で遠投。さすがに腰布を遠投されてはガニュメデイーロとしては無視できず、地面に落下する前に受け止めようと駆け出した隙をついて、ノーツを抱えて集合場所へと急ぎ――
「パスパーダな」
「はい」
「分かった。遅れたことは不問に処す。それで良いな、ヴァレドシーア」
 テルロバールノル王が同意を求めるとケシュマリスタ王は小首を傾げて笑い、ソファーから立ち上がり、マントの中に隠されていたノーツを軽く蹴って追い出し、
「ここ僕の席だから」
 テルロバールノル王の膝に腕を乗せて、もたれ掛かる。
 先程から何が起こっているのか理解できないまま、転がされたノーツを侯爵が拾い上げる。
「トシュディアヲーシュ、席に着き、ノーツを主のマントの中に入れて保護してやれ。イルトリヒーティー座れ」
 テルロバールノル王はケシュマリスタ王の行動に対しては触れず、それどころか黄金髪を撫でる。
「ジャスィドバニオンは美少女と見紛うような美少年が好きだって聞いたんだけど。昔の僕なら彼の好みの範囲だったかなあ」
 膝に頬をすりつけるようにしているケシュマリスタ王に、
「主はいまでも充分美しい。幼い頃よりもな」
「本当?」
「本当じゃ」
 テルロバールノル王は表情を変えずに応えた。
 それに気を良くしたようで、彼は床に座ったまま、側近たちへの提案を聞いていた――笑顔で。

 飼い犬を撫でるかのように、ケシュマリスタ王の黄金髪を指で梳きながら、テルロバールノル王は時間も押しているので即座に命じた。
「六日後にはグレスと侯ヴィオーヴは、ルド星へと向かう。主らは側近として同行するわけじゃが、側近同士、意思の疎通ができておらねば問題が起きた際に対処できぬ。故に主らに強制的に互いについて理解し合う時間を作り、交流してもらうことにする」

「じゃが時間が少ない。故に【ベルトリトメゾーレとグレイナドア】【ジャセルセルセとバルデンズ】【ラスカティアとウエルダ】の組み合わせで、互いの実家と自宅を一日ずつ訪問するように。本日は準備期間で、明日からとする。訪問する順序は互いで話合うように」

 ソファーに腰掛け、一息ついていたイルトリヒーティー大公は、隣のデオシターフェィン伯爵と顔を見合わせてしまった。
「ニヴェローネス」
「なんじゃ? フィラメンティアングス」
「なんで、そんな組み合わせに?」
「主とジャセルセルセを組み合わせる必要がないことは分かるな?」
 デオシターフェィン伯爵はロヴィニアの大貴族で、王族とも良く婚姻を結んでおり、グレイナドアとも顔見知りである――伯爵には王子の考えていることは、ほとんど理解できないに等しいが。
「仲良いからな」
「そうですね、王子」
 仲が良い覚えはないデオシターフェィン伯爵だが、悪いわけでもなく、悪くなるつもりもないので……仲が良いというのは拒否することができない。
「主とトシュディアヲーシュも、顔見知りであろう」
「そうだな!」
「不本意ながら、そうですな」
 侯爵としては顔見知りになどなりたくはないのだが、帝国中枢で仕事をしていると、どうしても知り合いになってしまう。
「よって主と最も関わりが薄い、イルトリヒーティーじゃ」
「へー……うん、まあ、なんか分かったような気がする」
 一人納得しているグレイナドアから視線を外し、
「イルトリヒーティー、デオシターフェィン、別件で話がある。後で儂の元へと来い」
 目が泳いでいる二人を見て”侯爵のことに気付いている”と判断して、呼び出しヒュリアネデキュア公爵にしたのと同じ説明をしてやることにした。
「初夜前に二人で来い。分かったな。退出するぞ、ヴァレドシーア。トシュディアヲーシュの元から家奴を連れてくるのじゃ」
 膝にしな垂れかかっているケシュマリスタ王に促し、王二名と家奴は退出した――

「ねえねえ、怒ってる? ニヴェ」
「なにをじゃ?」
 二王は並んで歩いているのだが、ケシュマリスタ王がテルロバールノル王にまとわりついているように――後ろを付いて歩いているノーツには見えた。
「僕が奴隷を蹴ったこと。本来の持ち主は君だしさあ」
 ノーツの直接の主はシラルーロ子爵。彼はテルロバールノル貴族なので、ノーツの正統な所持者はテルロバールノル王。
「下らないことを」
 奴隷なのでどのように扱っても良いのだが、実際は”良くはない”
 わざとそのことに触れるも、される方は慣れたもの。
「下らないの?」
 テルロバールノル王は足をとめて、ケシュマリスタ王の襟元を掴み、
「今夜、貴様は初夜検分はせずに、家奴の護衛をしておるがよい」
「……」
「その程度のことは出来るな? エレーフ」
 雄々しいと評するのが最も相応しいであろう表情に、抗うことを許さない断固とした声で”命じた”
「あのさ……」
「黙れ。貴様の意見など聞かぬ。貴様が言った通り、それは儂の奴隷じゃ。全身全霊で儂に詫びるがよい」
「…………分かった」
 ノーツは王たちの会話を聞いているが、決して考えることはしない。会話の意味など理解してはならないのだ。彼は家奴であり、二人は王 ――
「子供のころの僕って可愛かった?」
 歩き出したテルロバールノル王の後を付いて歩く、ケシュマリスタ王。
「可愛らしかったのう」
「僕、ニヴェのお婿さんになりたかったなあ」
「そうかえ」
 それは二人が初めて出会った日と同じ光景でもある。
「僕、子供産ませることができないじゃないか」
「そうじゃな」
「だから、今のニヴェの愛人になれるんじゃないかなあ」
 テルロバールノル王はロヴィニア王子グィズドシーを伴侶とし、跡取りとなりうる二人の王子を儲けた。だから――
「馬鹿か」
「やっぱり駄目か」
「貴様を愛人にするのは構わんが、この儂が子供を作れぬ男じゃから愛人にするような、下らぬ王じゃと思うておるのか?」
「……思わない」
「主は儂のことを、よう知っておるなあ」
「ニヴェは子供の頃から王様だったねえ。即位する前どころか、立太子される前から」
 二人が初めて出会ったのは、ケシュマリスタ王がまだ王弟だった頃、テルロバールノル王はその頃は王女であった。
「当たり前じゃ、儂は王として生まれたのじゃ。貴様と一緒にするでない」

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