グィネヴィア[18]
 次の任務を言い渡されるまで、ウエルダは微睡む――

 ゾローデとゲルディバーダ公爵の結婚式典が無事に終わり、次の任務を言い渡される時間までは自由になったので、彼は集合場所にいち早くやってきて、毛足が長くふかふかの絨毯の上で昼寝をすることにした。
 昼食を誘ってくれたクレンベルセルス伯爵に”先にいって眠ってるんで、起こしてください”と頼んでおいたので、安心して眠ることができる。
 話を聞いたクレンベルセルス伯爵はソファーで昼寝するのだろうと考えていたのだが、ウエルダは立派な小市民であり唯の平民ゆえ、豪華な絨毯の上で充分であった。
 ウエルダが昼寝をしている原因は、昨晩の酒ではない。
 その辺りは酒宴の支配者たるガニュメデイーロ、ジャスィドバニオンがしっかりと考えて、適量を飲ませ、心地良い眠りへと誘ってくれた――彼が現れたのは、慣れない平民ウエルダの緊張を解すためであった。
 それ以外にも顔を見てみたかったとか、酒が飲みたかったとか、なんかはしゃぎたかったとか、色々理由はあるが、基本善意の人である。

 ゾローデが式典で失敗する……ようなことに関してウエルダは心配していなかった。親友のゾローデは皇帝の眼前に跪くことを前提とした、名門中の名門学校を卒業した男。彼が礼儀作法を間違うなど、ウエルダは思ってもいなかった。
 信用しているのだ。
 どちらかと言うと、自分自身が心配で、そして大過なく任務を果たせたことで緊張が解れ、こうして午睡に――。

「ウエルダ」
「……、バルデンズさん」
「ソファーから落ちたの?」
 起こして欲しいと頼んでいた相手に、肩を揺すられて目覚めたウエルダは上半身を起こす。
「あ、いえ。最初から床に」
「そうなの? 落ちたんじゃないならいいや。これ、昼食」
 クレンベルセルス伯爵はチーズとハムのホットサンドと、苺を皿に乗せて運んできた。
「ありがとうございます」
「ソファーに座ろうよ」
 彼らが座る位置 ―― 三人掛けのソファーが二つ、向かいあっており、間にはテーブル。そして入り口からもっとも遠い席に三人掛けのソファーよりも大きいが「一人掛け」のソファーが二つ並んで置かれている ―― 一人掛けのソファーから観て右側の三人掛けのソファーに、クレンベルセルス伯爵が真ん中に、ウエルダは一人掛けからは最も遠い位置に腰を降ろして、食欲をそそる焼き色がついているホットサンドを口に運ぶ。
「飲み物も、はい」
「ありがとう、ございます」
 ボトルの中身は無糖のアイスティー。渋みなく香り豊かなその茶と共に、一切れずつ中身のチーズとハムの種類が違うホットサンドを味わっていると、ウエルダと同じく呼び出された侯爵とデオシターフェィン伯爵がやってきて、ウエルダたちの向かい側のソファーに腰を降ろす。
 一人掛けのソファーに近い方に侯爵が座り、一人分 ―― イルトリヒーティー大公が座る ―― 間を開け、ウエルダの真向かいにデオシターフェィン伯爵。
「いい式典だったねえ、ウエルダ中尉」
「はい、デオシターフェィン伯爵」
 ウエルダはハンカチで口を拭って返事をする。
「気にせずに食べていて。そうそう、私のこともラスカティアと同じく、名前で呼んでくれると嬉しいな。ちなみに名前はジャセルセルセ。よろしくな」
「そうですか? では、ジャセルセルセ様」
 貴族がそうしろと命じたのだから、ウエルダは素直に従う。
「ウエルダ、こいつに”様”なんて要らないぞ」
 侯爵が笑い顔を作り、手のひらを軽く動かして否定する。
「それは私が言うところだ。でもラスカティアが言う通り、様は要らないよ。私ごときを様付けで呼んでると、他の人を何付けで呼んでいいのか分からなくなっちゃうよ。貴族階級としてはラスカティアのほうが遙かに高位だしさ」
「え、あ……はい」
 とは言うもののデオシターフェィン伯爵も、平民のウエルダからすると充分な高位貴族。いきなり様付け禁止と言われても、甚だ困ってしまう。
「様を付けて呼ぶ、呼ばないはいいとして、デオシターフェィン伯爵位というのは、彼本来の爵位ではないんだよ、ウエルダ。メーバリベユ侯爵家当主が持つ爵位の一つであって、デオシターフェィン伯爵として然りと仕事をこなし、それらが王と陛下に認められて晴れて当主としてメーバリベユ侯爵と名乗ることができるようになるものなんだ。だから仮初めの爵位みたいなものだから、名前で呼んだほうが良いと思うよ」
 クレンベルセルス伯爵の説明を聞き、ウエルダはまだ残っているホットサンドを掴んで、
「かしこまりました」
 了承を伝えて、再びホットサンドにかぶりついた。
 正式にメーバリベユ侯爵家を継いだら、その時はまた……と言うことで。
 するとほぼ同時に入り口が開き、
「待たせたな!」
「待ってねえよ、グレイナドア」
 笑顔のグレイナドア、その後ろに波うつ黄金髪に緑色、榛の縦ロールに緋色の王が立っているのが見えて、ウエルダは喉を詰まらせる。
「お茶飲んで、飲んで」
 クレンベルセルス伯爵からボトルを受け取り、涙目で飲み干しているウエルダの脇を通り抜け、王は一人掛けのソファーに、グレイナドアはウエルダが座っているソファーに腰を降ろした。
 適当に座った―― それでも、直視し難いほどに美しい ――ケシュマリスタ王に対し、テルロバールノル王はマントを払い除けるようにして腰を降ろし、付き従う部下たちがその端を直し、またある者は結い上げられている髪をマントに広げるなどし―― そうでなくとも拝顔するのも恐れ多い迫力 ―― 王として椅子に座る。
 皿にまだ残っているホットサンドと苺をどうしようかとウエルダが悩んでいると、
「まだ時間ではない。気にせずに食え」
「はい!」
 テルロバールノル王の許可を得られたので、ウエルダは大急ぎで、だが出来る限り行儀悪くならないように小口でホットサンドを食べた。
「焦らずとも良いが、マローネクスや」
「はい!」
 ウエルダの声は裏返っているが、誰も笑いはしない。食事中にテルロバールノル王に声をかけられたら、大体の人間はこうなる。
「主は好きな物は最後まで残しておくタイプか」
 聞かれた瞬間、ウエルダは全てがふっとび、そして、
「あ……はい! 苺と言いますか、フルーツ好きなんです! フレッシュだからでございます!」
 ”フレッシュだからでございます”は全く必要ないのだが、勢いがついてついつい、口から元気よく飛び出していった。
 もちろん、コレについて笑うような者はおらず、後々、指さして笑うような下品な者などいない。
「なる程。ゆっくりと……」
 そして轟音が響いた――音の正体は、ケシュマリスタ王。
 立ち上がったケシュマリスタ王に、右側に座っていたテルロバールノル王が座ったまま、左足を軸にし、右足で容赦無く腹部に蹴りを入れた。
 椅子に叩き付けられ”座り直した”ケシュマリスタ王と、マントの裾を直すために集まるテルロバールノル王の部下たち。
「酷いなあ、ニヴェ」
 俯き腹を抱くようにしてケシュマリスタ王は、笑いながら言う。
「家臣の好物を奪おうとする王も酷かろうよ」
 自分以外、誰も何も気にしていない状況のウエルダに、侯爵がやや身を乗り出して、
「ヴァレドシーア様の悪い癖だ。他人が好きというものを奪いたがる癖だ。で、その悪癖を叩き直すのが女傑様の仕事ってわけだ。別にあの人は苺好きでもなんでもねえから、気にするな。ウエルダ」
 事情を説明してやった。

 テルロバールノル王は非常に強い。帝国騎士の能力は所持していないが、身体能力であればケシュマリスタ王に遅れを取ることはない。
 テルロバールノル王は帝国騎士の能力を持っていないことを恥じることも、悔しく思うこともない。”どうせ”その能力を持っていたとしても、彼女は前線へと赴かないからだ。
 彼女は前線の礎ではなく、中枢の礎であり、戦死できるほど軽い立場にはない。彼女は帝国にあるべき存在で、前線にいるべき存在ではない。

「はい」
 ウエルダは皿の上の料理を食べ終え、ボトルのアイスティーを飲み干した。
「これ、下げてくれる」
「下げてやろうではないか」
 クレンベルセルス伯爵は”テルロバールノル王の家臣”に皿を下げるように頼んだ。普段であれば引き受けない彼らだが、この場は王が整えるように命じたものであり、王が彼らに話すことがあるので、引き受けてやった。
 もっとも普段であればクレンベルセルス伯爵も、彼らにこんな仕事を頼んだりしない。
 皿が下げられて、
「おお! そろそろ時間だな! そうだろ? ジャセルセルセ」
 グレイナドアが声をあげる。
「そうですね、グレイナドア王子。でも、もう少し落ち着いたほうが」
「どうしてイルトリヒーティーが居ないのだ? 女を連れ込んで終わらないのか!」
「いや、王子……でも、私も理由は分かりません」
 テルロバールノル系皇王族であるイルトリヒーティー大公は、集合時間を過ぎても現れなかった。

―― 女は連れ込んでいないと思いますよ、王子。ベルトリトメゾーレはラスカティアとは違って童貞ではないけれども、女性に現を抜かすようなタイプではありませんから

 デオシターフェィン伯爵はそうは思ったが、あえて言わなかった。
 言うだけの余裕がなかったのだ。
「……」
「……」
 何とも言えない空気が流れ、
「俺、捜しに行ってきます。あいつが遅れるなんて、余程のことでしょうから」
 侯爵が腰を上げた。
 テルロバールノル王に対しての忠誠心篤いイルトリヒーティー大公が呼び出しに遅れるなど、通常では考えられないこと。
 そうでなくとも、彼は約束の刻限に遅れたりはしない。

―― いや、おかしいとは思ってたんだよ。俺とジャセルセルセがここに来るよりも先に、来てるはずだろうよ

 侯爵がそう考えており、デオシターフェィン伯爵も同じように考えていた。
 それでも王の後を付いてやって来るのではないかとも思っていたので、ギリギリまではそれに関して触れなかった。
「それがよろしいかと」
 何が起こったのかは分からないが、イルトリヒーティー大公が誰かに捕まったのだとしたら、デオシターフェィン伯爵に対処できる問題ではない。
 彼は腕力などは、ごくごく普通。あのリケに殴り飛ばされる程度の身体能力しか持ち合わせていないのだ。帝国上級士官学校に入学しろと命じられたら入学することができ、兄二名が首席卒業し、首席に最も近いであろう能力を持つヨルハ公爵のその座を脅かすとされている彼が、事件に巻き込まれたとしたら――ある程度の武力が必要であろう。
「そうじゃな」
 テルロバールノル王もそのように考え、大宮殿にいる王侯貴族の中でもトップに近い侯爵を派遣することに決めた。
「ニヴェが怖くて、逃げたんじゃないのかなあ」
「それは主じゃろうが、エレーフ」
「嫌だなあ。私はニヴェから逃げたことはないよ。ニヴェの近くにいた方が、守ってもらえるから。一生離れないよ」
「そうかえ」
―― エレーフってケシュマリスタ王のことか。不思議な呼び名がたくさんあるなあ
 王二人の会話を聞きながら、ウエルダは心の中のメモ帳に書き込む。
「お二人とも、待ってください。ベルトリトメゾーレの足音が近づいてきました」
 立ち上がっていた侯爵がそう言い、入り口のほうへと近づき、腰の剣に手を乗せる。
「なにかあったの? ラスカティア」
「追われてるような足音だ」
 デオシターフェィン伯爵の問いに答えて、侯爵はドアを開く。すると――

「儂の話をお聞きください!」

 部屋に飛び込んできたイルトリヒーティー大公は、テルロバールノル王の爪先に跪き、謝罪も挨拶もせずに声を上げた。
「急ぎか」
「大急ぎであります!」
「それは、ノーツが関係しておるのか?」
「はい」
 ウエルダが座っている位置からは見えなかったのだが、イルトリヒーティー大公はグレスお気に入りの家奴ノーツを脇に抱えていた。
「よろしい。喋るがよい、イルトリヒーティー」
「ありがとうございます。トシュディアヲーシュ! 警戒するのじゃ。ノーツや、王のマントの内側に入れ」
 侯爵は剣を抜き、通信機で周囲にいる部下たちに誰も近付けないよう命じ、イルトリヒーティー大公は王のマントを持ち上げて、ノーツを転がし入れ、大きく息を吸い込んで、

「パスパーダめが、ノーツに求愛をいたしました!」

 彼が遅れた理由であり、周囲を警戒するように促した理由でもある人物と出来事――

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