グィネヴィア[09]
 非常に機嫌良く、ウエルダの話を聞いていたゲルディバーダ公爵だったのだが、
「ファティオラ様、そろそろ行きますよ。よお、ウエルダ」
「おはようございます、トシュ……ラスカティアさん」
 側近の三人が迎えに来て、
「いや! ……って、ちょっと離せ!」
 拒否するも首根っこを侯爵に掴まれ、持ち上げられてしまった。
「はいはい。ゾローデ、頑張れよ」
 ”離せ! 離せ!”と暴れるゲルディバーダ公爵を無視して侯爵は、
「おはようウエルダ少尉。今度ゆっくりと話をしよう」
 デオシターフェィン伯爵にイルトリヒーティー大公と共に、
「ではな、マローネクス」
 皇帝たちが待つ宇宙港へと強引に連れていった。

「もっとお話するのー!」
「はいはい」

 ”止めてください”とも言えず、然りとて”頑張ってください”ではなく、だからといって”しっかりとご挨拶をしてください”など――
 二人は休憩スペースに声が届かなくなるまで、四人が去っていった方角を見つめ、そして、
「おやさしい御方みたいだな」
「ああ」
 静かさを取り戻し、残されたグラスの氷が解け”かたん”とグラスにぶつかった音を聞き、互いに口を開いた。
 二人とも座り直す気持ちにはなれず、見送るために立ったままの体勢で、昨日別行動になってから、何があったのかを報告しあう。
「キルヒャー殿下、お優しかっただろう?」
「ああ。ゾローデが言った通りだ。あと麦部」
 胸の大きさに関して、大事件が発生したことについて、ウエルダは触れなかった。それは平民である自分が口にして良い話題ではない……以前の問題なので。
「麦部の話したんだ」
「聞いたのより、遙かに斜め上だったけど」
「……説明しても、信じてもらえないかと思ってさ」
「ま、まあ。あのさ、さっきトシュディアヲーシュ侯爵が”頑張れよ”って言ってたけど、なにかあるのか?」
「礼儀作法の最終確認だって」
「ヒュリアネデキュア公爵に特訓してもらったのに?」
「うん。エウディギディアン公爵殿下が最終確認してくださるそう。テルロバールノル王女でケシュマリスタ王妃で、礼儀作法が完璧な御方だそうだ」
「…………トシュディアヲーシュ侯爵じゃないけれど、頑張れ、ゾローデ」
「ああ……」
 付け焼き刃など絶対に通用しない相手に、どうやって頑張るのか? 方法は分からないが、たしかに頑張るしかない。
「大将の格好似合ってるぞ」
 忠告しようがない話題から離れ、
「そ、そうか?」
 昨日別れた時点では准将の制服を着ていたゾローデが、今日は大将の制服を着ていることについて触れた。
 将官の制服の基本は同じで、飾りや階級章、ワッペン、房飾り、マント留めなどで階級を表す。将官の制服でもっとも有名なのは両肩から下がる、房飾り。胴体の半分ほどの長さで、少将はくすんだ灰色で、中将になると薄い灰色、大将になると黒に銀糸が編み込まれる。
「良い感じだよ」
「なんか照れるな」
「でも、ちょっと残念だ。少将や中将の制服を着たゾローデも見てみたかった」
「それは俺も思う。あと准将の制服をもう少し着ていたかったって気持ちも」
「大佐もすっ飛ばしたんだよな」
「できたら全部着たかったな」
 贅沢な悩みと言えばそれまでだが、それがゾローデの正直な気持ちであり、正直に言える相手はウエルダしかいなかった。
「用意してもらって、一人部屋で着換え……」
「虚しいとは違うけど、悲しい人ってか……変なような」
「だよな」
 互いに見つめ合い、なにか我慢できなくなり噴き出す。
「しない、しない。絶対にしない」
「だな!」
 一頻り笑い、テーブルの上に残っている飲み物――ウエルダは冷たい緑茶、ゾローデは冷えたオレンジジュースを飲み干した。
「そうだ、ゾローデ」
「なんだ?」
「アンミュリエさんには連絡したのか?」
 ”アンミュリエ”はゾローデの母親。帝国は領域が広大なため、平民は生まれ故郷を離れている場合、両親を呼びよせ式をあげることは滅多にない。
 大体は連絡をいれて終わらせる。子供の配偶者に会うことなく、人生を終える人も珍しくはない。
「入れてない。手紙書く時間もなかったしな」
 ゾローデの母は奴隷で、連絡手段はないに等しいため、早さを追求せず、料金も安い手紙でやり取りしていた。
 この手紙は紙の便箋に書いて封筒に入れるものではなく、手紙用のタブレット。それを貨物扱いで送る。
 ゾローデが初任給をもらった際に購入し、往復料金を支払い実家に送った。
 実家の母や祖父母は少しは字を読むことができるので、分かり易い文章と、あとは映像と音声で。先ずは最初に操作方法を身振り手振りで教えて、業者が回収しにくる前に手紙を記録するように頼み――ゾローデの説明が良かったのか、ちゃんとした手紙映像が送られてきた。
 そこに映っていた、六年ぶりにみる母親と祖父母、それに知り合いたちは、記憶にある姿より、当然ながら老けていた。
 親も自分の姿を見て、そう感じただろうと、時の流れを感じながら、手紙の他に帝星の名産なども付けて送る。
 直接会ったのは士官学校卒業後、二年ほど経ってから。資金はあったが、時間が取れず、やっとまとまった休みが取れたので、故郷を出てから八年目にして、久しぶりの再会を果たした。それから五年、会ってはいない。
「惑星の方に問い合わせたら?」
「元婚約者の実家だからなあ」
「そうだけど」
「新婚旅行的なもので、俺の故郷に行くらしい。その時に会って話そうかなと。金かけて高速通信してもいいが、誰も信じないと思うんだ。息子が王太子婿ですって……なあ」 
 ゾローデが手紙を送りたがらない理由はただ一つ。
 どう考えても信用してもらえないことが分かっているためだ。母たちの主人でもある父が言ったとしても信じるはずがない。
「それはまあ……うん」
 ウエルダはこうして間近でゾローデの変遷(頭髪含む)を見て、事実を聞かされているので納得しているが、事実を知らないゾローデの母親たちが真実を隠されたまま聞かされたところで――信じないだろうというゾローデの意見に、ウエルダも同意する。

 休憩スペースに人がやってきたので、二人は何気なくそちらを見た。
 左右の瞳の色がはっきりと違うため、上流階級だということは分かったのだが、彼らの敵意と蔑みと、嫉妬が入り交じった視線に、思わず二人は顔を見合わせる。
 男女五名ずつの、計十名。
「ケシュマリスタ王に体で取り入ったと噂の男か」
「ああ、嫌だ」
「私生児の子同士、似合いだな」
「平民が! ここを何処だと思っておる。大宮殿だぞ」
「まったく嘆かわしい」
 着衣は高価そうで、顔も悪くはない――だが、とても薄っぺらい。深みや重みというものがない。
 なにより、
「……」
「……」
 二人は笑いをこらえるのに必死だった。
 話す内容は少々違うものの、これに似た嫌悪感をむけて喋る人物に出会ったことがある。ゾローデの異母兄でベロニア家の跡取りアヴィリヴィス。
 彼の態度と同じ――
 二人はやや俯き加減になり、口元を隠して、目配せしながら唇を噛みしめる。
―― 皇王族が下級貴族と同じような言動とっては……いや、アヴィリヴィスは皇王族が取るような態度を取っていたから……いや、違うだろ! あの……聞いてて恥ずかしいから止めてください! 下級貴族と言動が同じとか、恥ずかしい! 止めてください、俺のため……ああ、俺にこうやってダメージを与えるのか!
 偶にしか遭遇したことのない「下賤に対し言いたい放題」の上流階級を前に、ゾローデは口の中に渋みが広がってくる。
 自分を悪く言われるのは慣れている。
 ウエルダのことを悪く言われるのは――腹は立つが、上流階級が平民をこき下ろすのは、階級社会では珍しいことではない。幸いゾローデの周囲には平民を軽んじるような人はいないので、よく忘れてしまうのだが、いま二人に対して悪口を言っている者のほうが、数としては多い。

―― これは……ゾローデと上流中の上流貴族にしか会ってなかったから斬新だ。あんまりにも斬新で……俺たち平民が描く貴族って、こういう感じだけど。所詮は平民が思い描ける程度の貴族って、貴族の中でも下っ端なんだろうなあ。いや、この人たちも偉い人んだろうが、ゾローデの正体を知らないってことは、権力中枢に居ないってことだな。俺みたいに、知ってても、中枢にいない奴もいる……?
 口々にゾローデとウエルダの悪口を言っている皇王族たちと、笑いをこらえている二人の周囲を、二百本ほどのエネルギーの檻が包み込む。
「なんだ?」
「なにごとだ!」
 驚く皇王族を脇目に、二人は見覚えのある雷を小型化したかのような光で囲まれた周囲を見回す。
「憲兵……だよな」
 このエネルギーを使った檻を使うことが許されているのは、帝国でも憲兵のみ。
「だろうな、ゾローデ」
 憲兵――と聞き、いままで二人の悪口を言っていた皇王族が青ざめる。帝国において憲兵は上流階級の犯罪を取り締まる役職で、その長である憲兵総監はテルロバールノル王が務めている。
 厳罰を持った恐怖政治ではないが「感覚的な者」を自由にしており、それは皇王族や王族たちに恐れられている。
 雷に似た光の檻が一瞬消え、何者かが突進してきて、一人の皇王族を殴り飛ばす。為す術なく吹き飛ばされた、ゾローデと同い年であった皇王族の女性はその生涯を終えた。
 感電に似た状態となり、四散し、それらがまた光の檻にぶつかり消えてゆく。人が焦げるような匂いはせず。僅かに欠片が残ったものの、もはや原型など留めていない。

「よお、クズども」

 檻の中に飛び込んできたのは、赤い巻き毛を短く”綺麗”に整えた、両目が黒い男性。左肩から指先までを強化パーツで覆い、右手には総重量二十五sほどのエネルギー銃を持ち、
「リケ!」
 恐怖に怯えて彼の名を呼ぶ皇王族をもう一人撃ち抜く。
「全員死ねよ」
 頭を撃ち抜かれ膝をついたところで、背後へと回り背中から容赦なく銃を撃ち込み続ける。体は撃たれた衝撃で何度かバウンドし転がり、力を失った腕が檻に触れて消えるも、撃たれ続けた男は痛みを訴えることもなく――既に死亡していた。
「アルカルターヴァの威を借りるだけの平民が」
 この後に及んで、まだ”そう”言えるだけ見事なのか? それとも愚かなのか? 答えは出ている、この場で憲兵に処分されているということは、愚か以外の何者でもない。
「お前等だって、皇帝の威を借りてるだけの無能皇王族だろ。上級士官学校卒業できない、帝国騎士でもない皇王族なんて、廃棄物以下だろ」
 リケと呼ばれた男は左腕を大きく動かし、男を殴り飛ばすと、同じように檻にぶつかり――軽い音を立てて、肉片が床に転がり落ちる。
 
「下賤ども」

 ゾローデの右後方から聞こえてきた、落ち着きはらった声。そして消える檻。ほとばしる光の向こう側に居たのは、白銀に輝く細身の剣を持った”テルロバールノル王女”
 煌めく黒髪は、後ろの高い位置に結い上げても膝よりも長く。額には巨大なオレンジダイヤが目をひくサークレット。深紫の右目に紅蓮のような左目。
 襟が立ち顔の中程まであるのが特徴的なこと以外をのぞけば、ガウンのような造りの服。形そのものはシンプルだが、白地で作られ、金で縁取りされ、緋色と緑でびっちりと刺繍されたモノグラムに飾られているそれは、彼女によく似合っていた。
「……」
 下賤と呼ばれた皇王族たちは、膝を折って頭を下げるが、
「儂が貴様らを許すとでも」
 彼女は許すつもりなどない。
「リケ、処分せい」
「かしこまりました! しかしこいつら、俺相手じゃあ諦めませんでしたけど、侯ロガが現れると、簡単に諦めますね」
「儂が借りるアルカルターヴァの威は、主が借りる威よりも大きいからじゃよ」
「よく言いますね」

 リケは舌を出して行儀悪く言い返してから、残っていた皇王族たちを撃ち殺した――

「侯ヴィオーヴ」
 現れたテルロバールノル王女に声をかけられて、ゾローデは急いで進み出る。
「殿下で御座いますね」
「そうじゃ」
 彼女こそ、今日ゾローデの礼儀作法の最終確認をしてくれる人物エウディギディアン公爵 エリザベーデルニであった。

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