グィネヴィア[26]
―― 俺、もしかして、浮かれているのか……
 ソヒィルヤがコーディネートしたテーブルにつき、食べ慣れた味付けの料理を口に運ぶ。目の前にはウエルダ、右脇には背の高い陶器の花瓶に生けられた薔薇の花。
 侯爵は普段ならば決して引き受けないようなこと ―― 王女とジベルボート伯爵の会話の通訳をする ―― を、進んで引き受けてしまった自分に対する驚きが、メインディッシュを食べている時に沸き上がってきた。
 あまりにも遅い驚きにも”驚いた”が、それを上回る驚き。

 侯爵は自分が浮かれていることは分かったが、その原因には未だ気付いていない。酒を飲んでも酔うことはなく、人殺しをすると気持ち良くはなるが、いま自分が感じている浮かれとは違う。それに関しては自信があった。
 いままで感じたことのない、ふわりふわりとした感触。
 本来であれば思春期よりも前、十代になる前の子供が覚える感情なのだが、情操面が著しく別方向に進化していた――クレスターク、死ね――侯爵は、それらの感情が芽生えることがなかった。
 其の感情、淡い初恋。
 風が吹き香りのない薄紫色の花弁が幾重にも重なっている、大ぶりな薔薇が揺れる。侯爵は一輪の薔薇を花瓶から引き抜き、

 そして――

「どうした? ラスカティア」
「口に合わなかったのか?」
 食った。ニメートル超えの成人貴族の握り拳ほどある大きな薔薇の花を、二口で食い尽くした。
「いや、料理はいつも通りだ。薔薇は、なんか……」
 茎だけになった薔薇を力なく持ったまま、向かい側でフォークとナイフを持ったまま硬直しているウエルダの表情を見て【何故か】必死に言い訳を考えようとする侯爵。
「ケシュマリスタは花が主食だ」
 口を突いて出たのは”それはそうなのだが、だから何故?”としか言いようのない言い訳。
「バルデンズさんも教えてくださいました……えーと、凄いですね」
 花を食べるケシュマリスタ ―― それは普通は凄いではなく、美しいや可憐、儚げといった言葉で言い表されるものである。
 緩やかに波うつ黄金髪と白い肌。性別を感じさせない細身の容姿。美しい歌声が紡ぎ出される小さな口が啄む。
「ラスカティアが食うと、花が花じゃないな」
 だがエヴェドリットが食べると、それはやはり”凄い”としか表現のしようがない。
「そうだな、バンディエール。マローネクス家の諸君、ケシュマリスタは花を食うが、こんな感じではない。ケシュマリスタ王辺りが食べている姿は可憐だ。性格を知らなければ、可憐で儚げだ。中身はラスカティアみたいなもんだが」
 粗雑ではなく乱暴でもないのだが、行儀良く食べていてもやはりエヴェドリット貴族。どこまでいっても”すごい”状態になってしまうのだ。
「俺はヴァレドシーア様よりは、マシな性格していると思うんだがな、ユシュリア」
「性格はね」
「ラスカティア。フォルフェルスは食用じゃないぞ」
 薔薇に詳しいバンディエールが、テーブルを飾っていた花瓶を持ち上げて薔薇――フォルフェルス――を助ける。
「まあな……その、済まん。別のことを考えていた」
「何時から別のことを考えていると、花を食うようになったんだ? ラスカティア」
「今日からだ。バンディエール」
「食うなら、それ用のを用意するぞ」
「専用のは要らん。棘で傷つく口内でもなけりゃ、毒成分が影響するような体でもない」
「そりゃなあ。お前の口内や唇を傷つけることができるような薔薇が開発されたら、帝国はその薔薇に支配されるだろうよ」
「だろうなあ」
 マローネクス家の面々と、付き従っている部下、そして侯爵自身が驚くこととなった昼食が終わり一休みしてから、侯爵が用意させた車に乗り込み全員で出かけることになった。マローネクス家の面々に、行き先は告げられていない。
 侯爵と王女、そしてマローネクス家の近隣に貴族の施を配っていたマシュティが大型高級車両に乗り込み、バンディエールとユシュリアはバイクに跨った。
 二人と走って車と並走できるのだが、見た目というかマローネクス家の人たちが落ち着かないだろうということで、軍用バイクで付いてゆくことになった。彼ら二名は決して護衛ではない。車中にいる男――トシュディアヲーシュ侯爵――さえいれば、彼らがいなくても何ら問題はない。侯爵の強さの前には二人など、護衛にならないどころか盾にすらならない。


 帝国は全てにおいて貴族が優先される。道路も当然その規則に則っており、貴族が道を使用している時は、無料の車などは全て路肩で停止する。三キロメートルほど前から信号も停止し、貴族が搭乗した車両が通り過ぎるまで待つ。通り過ぎてからも車両が五キロメートル離れるまで信号は復帰せず、その間、平民や下級貴族たちは黙ってその場で待機するのが規則となっている。

 貴族とは住む世界が違う者たちはそれで終わり。だが同じ階級の者たちは、そうはいかない。

「トシュディアヲーシュ侯爵閣下」
 運転手の隣に座っている運転補助員が、侯爵に通信を繋ぎ車内に声が響く。
「なんだ?」
 侯爵は特定の場所ではなく、独り言のように聞き返しながら、組んでいた足をゆっくりと戻す。両足を床につけ組んでいた両腕をほどき、ぶら下げるようにする。
 ただそれだけなのだが、侯爵が戦える体勢になったと――ウエルダたちは見たこともないのだが、そのように感じ、事実そうであった。
「前方に馬車が止まっております」
 貴族用のレーンは広いが、車両が大きいのですれ違うのは難しい。いま侯爵たちが乗っている車は大型で、
「誰のだ」
「フィラメンティアングス公爵殿下とイルトリヒーティー大公閣下の馬車です」
 王侯が乗車している馬車も大型で、すれ違える道幅はない。
「なにやってんだ、あいつら。目の前で停めろ」

 停車した車から降りた侯爵は、博物館近くで両者腕を組んでそっぽを向いている顔見知りに声をかける。
「おい、グレイナドア、ベルトリトメゾーレ」
「トシュディアヲーシュ!」
 褐色の肌に、王侯には珍しい短髪。黒髪に空色の鍔のない帽子は良く似合い、グレイナドアをとても知的に見せる。実際知的ではある。大天才だ。ただ馬鹿なだけで――
「トシュディアヲーシュか」
 白い肌に艶やかな栗毛。ふんだんに緋色が使用されている着衣と、隠しきれない……ではなく、隠すつもりなどない気位の高さをたたえているベルトリトメゾーレ。

「我等も街中にいると厄介だが、あれも厄介だな」
「そうだな、ユシュリア。グレイナドアはまだしも、ベルトリトメゾーレはなあ」
「お前の近縁だろ、バンディエール」
「血筋は近縁だけど、存在自体は遙か遠縁。いや、本気で遠縁。あんなのと一緒にするな、ユシュリア」

 バイクを停めて話す二人の会話を――ウエルダは聞かなかったことにした。

 ちなみに王女は口を開かなかったが、
―― ベルトリトメゾーレと近縁のほうがマシ……。叔父さんがあれってのは……
 そのように考えていた。
 王女の母親はグレイナドアの年の離れた実姉なので、グレイナドアは年下の叔父にあたるのだ。
「お前等、なにをしてるんだ」
「見れば解るだろう。博物館へとやってきたのだ」
「お前等は、腕組んで棒立ちするために博物館前へ来たのか?」
「それは違うのだが」
 二人がどうしてこんな状況になったのか? 侯爵には想像がついた。それどころか、昨日組み分けされた時点で、こうなることは分かっていた。
 イルトリヒーティー大公とデオシターフェィン伯爵は侯爵とウエルダのことを心配していたが、
―― でもまあ、グレイナドアと組んだベルトリトメゾーレはまだマシだろう。ジャセルセルセは……

**********


 のうたが のうたが のうたが のうたが のうたが のうたが

「……(二時間経過した、どうしよう)」
 デオシターフェィン伯爵はクレンベルセルス伯爵の元に”下心”を持って訪れたジャスィドバニオンと親戚達の猛攻に晒されていた。
 家奴ノーツに一目ぼれしたジャスィドバニオンは、親戚(クレンベルセルス伯爵)の所に、ノーツのことを良く知っているであろうデオシターフェィン伯爵が来ると聞き、
「下心はあります! ですがそれだけではありません!」
 情報集めと共に、好印象を持ってもらおうとやってきた。当然ながら腰布一枚で。一人でやって来てもデオシターフェィン伯爵としては厄介なのに、ジャスィドバニオンの恋を成就させる手伝いをしようと、善意のみでやってきた彼の親戚たち。
 それはそれは皇王族 ―― 容赦無く煌めいている。
 好印象を持って欲しいのならば、近づかないのが最良なのだが、彼らはそのことに気付かない。
「……(ラスカティア、天才なんだなあ。この人たちと渡り合って、首席卒業……済まないラスカティア。一瞬でもお前の相手にジャスィドバニオンを挙げてしまって……)」

 デオシターフェィン伯爵は二時間ほど前から、ずっと「かえるの歌」を聞かされている。見事な輪唱なのだが、人数が多すぎて二時間経ってもまだ終わらない。
 軍人らしい大声で繰り広げられる「かえる かえる かえる かえる かえる かえる」の輪唱を聞きつけ人が集まり、その輪が広まり、皇王族の楽器であるヴァイオリンを持った皇王族たちも続々と集まり旋律をかなで、ジャスィドバニオンは中身が見えそうで見えない、絶妙な腰布捌きでタクトをふるう。
 新手の拷問としか表現しようのない状況。
「折角ですので、彼らとも親交を深めたらいかがでしょう? デオシターフェィン伯爵」
 きこえて きこえて きこえて きこえて きこえて きこえて きこえて
「ありがとうございます。ですが私は、これに見合ったロヴィニア貴族を用意することはできないので、ありがたいのですがご遠慮……」
 かえる かえる かえる かえる かえる かえる かえる かえる かえる
「いえいえ。お祝いの先渡しですよ。近々、メーバリベユ侯爵家当主となられるのでしょう」
 ゲロ ゲロ ゲロ ゲロ ゲロ ゲロ ゲロ ゲロ
「ええ、まあ」
 きこえて きこえて きこえて きこえて きこえて きこえて きこえて
「独身の皇王族もおりますので、奥方にどうです?」
「ありがたいのですが……」

―― 助けてラスカティア! まじで助けて! あああ、オーランドリス伯爵の婿候補から逃げるんじゃなかったーかえる、かえる…… 助けてくれー! ラスカティア。あああゲロああゲロゲロあ……ラスカティアが、ベルトリトメゾーレを見て”こいつは仕事がしやすい、王族寄りの皇王族だ。よかった”と言った理由が解った。助けて、ラスカティア! お金払うから助けて! 全財産払ってもいい!

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―― 無事だといいんだがなあ。……ジャセルセルセは、あんまり中央の皇王族に知り合いいないから、知り合いを増やす良い機会だろうが、それ以上に……あいつなら大丈夫……でもなあ、あのヴァレドシーア様ですらゾローデの側近に皇王族らしい皇王族を選ばなかったところに、やつらの怖ろしさがあるんだが、ジャセルセルセはソレを感じとって無さそうだったからなあ。バルキーニが立候補してそのまま側近になれた理由も、ソレなんだよ

「おい、ウエルダ。家族と一緒にそいつらの馬車見学しててくれ。乗り込んでも構わないぞ。バンディエール、ユシュリア、馬車の説明をしろ。レティンニアヌ、御者代わりになって少し動かしてやれ。おいマシュティ、持ってこい」

 自分のことはよく分からないのだが、他人のことはよく分かる。何時の時代でも、誰にでも起こる出来事だ。

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