裏切り者の帰還[46]
「ではゾローデさんが起きている時にお願いします。それではザロナティオンさん、ありがとうございました! お帰りになってください。あとは私とローグさんで、適当に口裏合わせしますので。本当にありがとうございました!」
ゾフィアーネ大公だった男の言葉に、
「任せたぞ」
あまり現世に干渉しないようにしている帝王は頷き、廊下に出る寸前に人格を入れ替え、変わったオーランドリス伯爵は振り返ることもせずそのまま部屋へと戻る。
部屋で待っていたジアノールに聞かれ、
「どうなさいました?」
「ゾローデの様子、見たかった。我一人だとグレス焼きもちやくから、ハンヴェル連れていった」
無難な嘘をついた。オーランドリス伯爵は言葉は少ないが、知能に問題があるわけではないので、上手に誤魔化すことができる。
「そうでしたか」
「うん……」
ただ嘘をついたり誤魔化したりして、それを完全に信用されると嫌な気持ちになるので、滅多にそのようなことはしないのだ。
「どうしました?」
「ジアノール」
「はい」
「正直者」
「俺はそんなに正直者ではありませんよ」
ジアノールは尊敬する御大にそのように言われて悪い気はせず、にこやかに終えた仕事の報告をした。
**********
部屋に残された公爵と、体だけはこの部屋の主であるゾフィアーネ大公だった男ことマルファーアリネスバルレーク・ヒオ・ラゼンクラバッセロ。
「私のことはヒオと呼んでください、ヒュリアネデキュア公爵ハンサンヴェルヴィオ・ラディニントレジオスカ・シャディオスト=シャディルオさん!」
怖ろしく滑舌良く、公爵のフルネームを呼ぶ。
「フルネームで呼ばずともよい」
「そうは行きませんよ! ヒュリアネデキュア公爵ハンサンヴェルヴィオ・ラディニントレジオスカ・シャディオスト=シャディルオさん。フルネームで呼ぶのは、私たちの伝統ですから!」
伝統と言われると公爵は弱い。”儂の名を勝手に省略しおって”そう言い、事あるごとに注意し、自身は決して他者の名を省略しない。
「せめて一つだけにせい」
全ての名を呼ばれるのは悪いことではないが、話す際にはくどい。
「いえいえ。そんな気を使ってくださらなくとも結構です」
会話を円滑に進めるためには、ハンサンヴェルヴィオ一つで充分だと言いたいのだが、
「気など使っておらぬ……」
輝ける皇王族には、その意図が伝わらない。
「私の同期をご存じでしょう? 私の同期にして総司令長官閣下はかのガルベージュス公爵、後のデステハ及びサディンオーゼル大公ですよ。彼の名前を連呼しまくった私にとって、ヒュリアネデキュア公爵ハンサンヴェルヴィオ・ラディニントレジオスカ・シャディオスト=シャディルオさんの名など、短くて呼びやすくて、これ以上縮めろといわれたら困ってしまうような長さですよ!」
「…………」
―― そうじゃった。こいつらはあの男と同期じゃった
ヒオが言っている人物の本名は、
ロウディルヴェルンダイム=ロディルヴィレンダイス・サーフィルディレイオンザイラヴォディルシュルトスバイアムル=サールデルラインザルムシュロルセルハイロミュロデアムルス・アディリアキュランドムベルハインザクレシュラインドルエリア=エイリディアキュランドルハイザンクレアエリアドムスベルドア
帝国で最も長い名として知られている。もちろんそれだけではなく、数々の功績で知られているのだが、とにかく彼は名が長い。
これ程名前が長ければ省略しそうなものだが、彼は一切省略することはせず、書類には全てこの名でサインし、名乗る時も公爵のように気品を纏い、ヒオの動きのように滑らかに、歌うように己の名を全て語った。
「遠慮しないでください!」
「遠慮ではない。貴様をヒオを呼んでやるのじゃから、貴様も儂の言うことを聞けと言っておるのじゃ」
<人に頼む態度じゃねえなあ。さすが貴族王さま>
鬼畜で知られる公爵の内側に潜むラードルストルバイアが、あまりにも真っ当な意見を述べるも、公爵はそれを無視した。
「そうですか。ローグ公爵一門の御方に、そんなに頼まれてしまうと、かなり気分もよく、益々フルネームで呼びたくなりますよね」
<おいおい、これ、厄介だぞ>
―― 分かっておるわい……
ヒオは高圧的に言われるのが好きな性質。
生前の彼は地位高く、彼に対して高圧的に話しかけて来る人物はほとんどいなかった。
時代背景と彼の地位を考えると一人だけ高圧的な喋り方をして、彼に対してもその態度を取ることができる人物 ―― マルティルディ王 ―― が存在しているのだが、彼女はこのヒオが好きではなく、できるなら近寄って欲しくないと考え、自ら近寄ろうとしなかった。
「ほぇほぇでぃ(マルティルディのこと)さまは照れ屋さんで、いっつも逃げてしまって」
そんな彼女の真意を全く知らず、彼とその実兄は時には投げキッスを、時には全裸でダンスなど全力で彼女に突撃していた。
皇帝よりも権力を所持していた王とされるマルティルディ。
ならばその権力で遠ざけたら良かったのでは? そう考える者も存在するだろうが、このヒオがガニュメデイーロであった為に、阻止できなかったのだ。
ガニュメデイーロは酒が存在する場所ならば、どこであろうとも出入り自由。
どのような会合でも酒を飲んでいる場であれば、家主の許可も必要なく立ち入ることができる。さらにガニュメデイーロ自身が酒の注がれたグラスを持ち「乾杯!」言いながら激突してきたら拒否してはならない。
皇帝の酒を管理する酒宴の支配者は、帝国のある一部分において、王をも凌ぐ不可侵領域を所持していた。
―― マルティルディ王が苦手にした気持ちが分かるわい
<ケシュマリスタ王に同意するローグとか、気持ち悪いぞ>
第二の反逆王と言われるエヴェドリットのクレスケン=クレスカをして「マルティルディ王が生きていたら、我は反逆など起こさなかった……いや、起こせなかっただろう」と言わしめた程の存在。
―― 種類が違うのじゃ。第二の反逆王とマルティルディ王ならば正面衝突できたじゃろうが、これは正面がどこか分からん
<全部正面にも見えるな。全部横道にも見えるけどよ>
「苦悩なさるヒュリアネデキュア公爵ハンサンヴェルヴィオ・ラディニントレジオスカ・シャディオスト=シャディルオさんも素敵ですよ」
「……好きに呼べ。で、儂に何の話じゃ?」
拘って話が進まないと、部屋から出られないので、公爵は諦めて話題を振った。
「まずは私が私である証明を受け取ってください!」
ゾローデあたりなら「?」となるところだが、公爵は賢く帝国の全てに精通しているので、ヒオの意図を理解して……黙ってそれを見ることに。
ガニュメデイーロとは腰布一枚だけが正装。普段はこの腰布の上に偽りの装束(常識的な洋服)を纏い活動している。
だが何ごとかが起こった場合、即座に正装となる。正装となるまでの動きの早さ、即ち服を脱ぐ速度が早ければ早いほど一流とされる。
ちなみに着る行為の早さは無関係。
だからヒオはしっかりと着込んでいる軍服を脱いだ。決して服を引き裂くことなく。素早く袖が裏返ることも、カフスボタンが外れることもなく、軍靴の紐は宙を舞い、靴下は自然に外れたかのように――
公爵の頭に脱ぎ捨てられたアンダーウエア、そして足元にはパンツ。
「いかがでしょうか?」
全てを脱ぎ去るのに五秒とかかっていない。
「いまのガニュメデイーロにその妙技、教えてやるがよい」
アンダーウエアを手に持ち、早さをたたえた。ちなみに脱ぎ捨てられた服を畳んだりはしない。
「遅いのですか?」
「主よりは遅い」
「階級は?」
ガニュメデイーロは軍人以外は務めることができない。だが軍人以外から選ぶことが許されないとはなっておらず、ガニュメデイーロと定められてから軍人を目指すことは良くある。
ヒオは後者で、その類稀な美貌と、輝かんばかりの態度で三歳の頃に選ばれ、そこから軍人を目指した。軍人ではない期間とガニュメデイーロであった期間が被るが、そこは不問とされている。最終的に軍人になってさえいれば良いのだ。
「卒業したばかりで、まだ少佐にすらなっておらぬ」
現ガニュメデイーロ パスパーダ大公ジャスィドバニオン 十九歳。同性愛者で好みは少女と見紛うような美少年。もちろん抱く方。
「上級士官候補生の制服を脱ぐのに手間取っていると? いけませんね。私は元帥服でも今と同じ早さで脱げますよ」
態度や喋り方や全裸っぷりはともかく、ヒオは成績優秀で血筋もよく、二十代半ばには既に元帥の座についていた。
「それはともかく、もう一度服を着ろ。帽子だけ被った全裸男と話す趣味はない」
ゾローデの現状は帽子だけ被って全裸、変質者として何処に出しても恥ずかしくない状態。そして脱ぎ散らかされた軍服が、あちらこちらにぶら下がっている。
「帽子も脱いだ全裸男と話すご趣味はありますか?」
帽子を手に取り、胸元へと持って来て軽く一礼する。
「儂が同性愛者であることは知っておろう」
「そんな事になったら、返り討ちにしてさしあげますとも」
そう言い、ヒオは胸元の帽子を胯間の前へともってゆく。
「これならどうでしょう?」
「腕が疲れぬか?」
「……やっぱり服着ますね。私の胯間を隠すのに苦労したアルパカの友を偲んで」
<なにがなにやら。さっぱりわからねえなあ>
―― そうじゃな。貴様と意見が合うなど、屈辱以外の何ものでもないがのう
目にも止まらぬような脱ぐ時ほどの早さはないが、上級士官学校生らしく素早く軍服を着直し帽子を被り直してから、
「では疑問にお答えしますよ」
椅子に腰を掛けて公爵と向かいあう。
「疑問じゃと?」
その自信に満ち溢れた態度に、ゾローデの欠片すら見当たらない。
「私とザロナティオンさんの会話で分からないことがあったでしょう?」
”なる程。私は貴方よりも古い時代の者です”
”分かる……お前、改竄していたな”
「それか。儂に関係あるのか?」
帝王とヒオの会話ゆえ、公爵は余計な詮索はすべきではないと考え、後で調べるつもりすらなかった。
「ないです。ですがお教えします。さて突然ですが、なぜ私は今まで発見されなかったのでしょう?」
「隠れておったからじゃろう」
「では次に、ゾローデ君はどうやって上級士官学校に入学したのでしょう?」
「士官学校入学時の成績が優れておったからじゃ」
「上級士官学校に編入されても付いていけるほどの成績、ですよね?」
「そうじゃ。基礎が完璧……」
「上級士官学校目指しで士官学校を受ける人も大勢いますよね。それらを蹴散らすには、相応の家庭教師が必要だと思いません? あ、貴方の同期のクレスタークさんは別物ですよ。あの人はオリバルセバド帝や軍妃ジオ、ロウディルヴェルンダイム=ロディルヴィレンダイス・サーフィルディレイオンザイラヴォディルシュルトスバイアムル=サールデルラインザルムシュロルセルハイロミュロデアムルス・アディリアキュランドムベルハインザクレシュラインドルエリア=エイリディアキュランドルハイザンクレアエリアドムスベルドアと同じ、天才ですので」
この三名は上級士官学校卒業の完璧な軍人として名を挙げられることが多い。
対比として卒業していないが完璧な軍人とされるのは、カルニスタミア王やサフォント帝の名が挙げられる。
前者は異星人遭遇前、後者は異星人遭遇後 ―― 後者は前線事情により、上級士官学校で過ごすような余裕がなかった。
現在はその頃よりは落ち着き、公爵も上級士官学校を目指した。三十人に及ぶ家庭教師団を付けて、おおよそ五年の歳月をかけて、卒業まで上位の成績を保てるよう知識を詰め込み、次席で入学し、次席で卒業した。
上級士官学校に入学したがった次女エゼンジェリスタにも同じように、強力な家庭教師団を付けてやり合格させてやった。だから公爵にも分かった、
「…………貴様」
ゾローデは決して頭は悪くないが、独学で上級士官学校に到達できるほどではないことが。そして目の前にいるヒオという人物は、通常であれば首席であった人物。
名前がやたら長い三歳年上の男が、皇帝の命令により彼と同じ年に入学しなければ彼は間違いなく首席であった。
「入学したのはゾローデ君の実力ですよ。私が本気を出したら、アーシュ君と競えますよ」
「じゃろうな……侯ヴィオーヴは記憶にないようじゃが」
「催眠学習ですよ。寝ている彼に帝国の真髄を教え込んだのですよ。陛下の前では全裸でいるつもりで! とか」
「……教え方はともかく、合格させただけで大したものじゃ」
「でしょう。ところで、先程の質問 ―― さて突然ですが、なぜ私は今まで発見されなかったのでしょう? ―― わざと分かり辛く、間違うように質問したのです。だから言い直します。ゾローデ君は奴隷に行われる僭主判定をどのようにして逃れたのでしょう?」
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