裏切り者の帰還[41]
 ジベルボート伯爵とイズカニディ伯爵の爵位は比較的理解しやすく、血統を簡単に教えてくれるのだが ――
「そして帝国でもっとも爵位を持っておられるのは、当然皇帝陛下。そして陛下は子孫である私たちに爵位を授けてくださる。私の爵位はもちろん血筋に与えられるものだが、この血筋は陛下によるもの。皇王族の爵位は一つ一つが独立しており、一切の関連性がないので、百年前は家族であった爵位であっても、現在は全く別の家族を形成していることもある。むろん、大きな目でみれば私たちはいつだって全員血は繋がっているけれどもね」
 皇王族の爵位ほど記憶するのに面倒なものはない。
 貴族の爵位はほとんどが歴史と連動しているので、覚えることは難しいが関連があるので、通常の暗記方法でどうにかなる。
 例えばラウ=セン・バーローズはアシュ=アリラシュ・エヴェドリットとの間に子をもうけ、その子はヨルハと名付けられ、バーローズ家の跡取りではなく傘下でありながら、独自の公爵家を設立させた。
 またラウ=セン・バーローズはロフイライシという男との間にエザ=イノという娘を、トシュディアヲーシュという男との間にヒオ=ヒメという息子を……というように。
 だが皇王族にそれらの規則性はない。
 そもそも皇王族は家臣ではない。シュスター・ベルレーの血を引く者であって、当初の家臣たちは帝国貴族として、爵位を拝し現在も皇帝に仕えている。この帝国貴族は王国の貴族同様、それぞれに関連性がある。
「皇帝陛下の正配偶者が産んだ子が”親王大公”。この親王大公のなかで皇太子になれるものは、当然一人だけ。他の方々は親王大公のまま結婚する」
「親王大公殿下たちは、皇太子殿下にもしもの事があった場合、繰り上がるから、陛下や皇太子殿下と同じく、正配偶者を四人まで持つことができるんですよぅ」
 皇族一人に正配偶者四名。
 現在皇族は皇帝と息子である皇太子のみ。だが二人とも正配偶者は一人しかもっていない。皇帝は下級貴族出の皇后、皇太子は即位した場合新たに三人お后を迎える可能性もあるが、今の所、王国側からの打診はない。
 正配偶者である皇后は生来の身分が親王大公でないかぎり皇族とは見なされず、クレスタークの婚約者である皇女は、皇族位を抹消されているため皇族ではない。

 皇族というのは皇位継承権を持つ皇帝直系の子孫を指し示す。

「以前は違ったんだけれどもね」
「違ったんですか?」
「ああ。昔は親王大公の一人が即位すると、その兄弟たちは全員親王大公位、要するに皇位継承権を返上していた」
「へー」
「それを可能にしていたのが、ケシュマリスタの暫定皇太子。皇太子が居なくとも”皇太子は存在する”ので、兄弟たちは皇位継承権を返上していた。皇太子よりも後に生まれた彼らよりも、ケシュマリスタの暫定皇太子の方が継承順位は上だから、固執しても仕方がなかった」
「なるほど。いつ頃から継承権返上はなくなったんですか?」
「三十二番目の始まりの際に禁止された。あの内乱の原因は様々だが、皇位継承権の返上も理由の一つだ」
「そうなんですか、バルデンズさん」
「そうなんだよ。だから返上は禁止された。そして立太子されていない親王大公たちが複数の正配偶者を持つようになったのは、四十代陛下の御代からだ」
「へー」
「ほー」
「でも皇位継承権返上がなくなっても、皇位をめぐる争いがなくなったわけじゃないんですよ、ウエルダさん」
「そればかりはな。ちなみにドロテオは皇位継承権第二位で、アーシュは三十四位。あの二人、結構高位なんだよ」
 クレンベルセルス伯爵に”高位”といわれなくても、ウエルダやゾローデはよく分かっている。ただ、
「ロヌスレドロファは高位ですけど、トシュディアヲーシュ侯爵は三十四位だから大したことないですよぅ」
「当人もそう言ってるがな」
 上級貴族の間ではそうでもないらしい ―― ことを目の当たりにして、二人は”住む世界が違う、違う。全然違う!”と。
「ドロテオの皇位継承権は親王大公を両親に持っていた母上から受け継いだものだから分かりやすいだろうけど、アーシュのはちょっと説明が面倒。アーシュには血は繋がっているが、家系的には他人扱いになる皇帝の正配偶者が二人いる関係で皇位継承権が派生してしまった。アーシュは系図としてはゲルディバーダ公爵殿下とは遠いが、実際に引いている血は近い」

「……」

 ウエルダは何がなんだか、さっぱり解らなかった。別にこれ、彼が悪いわけではない。再婚したり、前妻との間にできた息子を婿に押し込んだり、その後政略結婚の手駒が足りないと離婚させて、腹違いの妹と結婚させたりなどするのが悪いのだ。

**********


「ゾローデ」
 前線基地に到着間近の頃 ――
「はい、アーシュ」
 ゾローデは侯爵から話したいと言われ、二人を会わせまいとするジベルボート伯爵をクレンベルセルス伯爵に押さえてもらい、話をすることに成功した。
「ウエルダの飼い猫が死んだのは本当か?」
 意外な話題にゾローデは驚いたものの、
「ウエルダというより、マローネクス家で飼ってた猫ですが、去年老衰で天寿を全うしましたよ」
 あの時の会話の内容を思い出し、気になったのだろうと解釈し、答えることにした。他人の家の話だが、飼い猫についてならば知っている範囲のことを話しても良いだろうと。
「どんな猫だったんだ?」
 もちろん後でウエルダに聞かれたことは伝えることを前提に。
「やや大きめな雌猫でした。足の先が茶色で体全体が灰色の縞模様の」
 ゾローデは記憶から猫の大きさを取り出し、手で大きさを作ってみたが自信はなかった。
「名前は?」
「ウェバイでした」
 ゾローデが出会った頃は、もうかなりの老猫で、じゃれてくるようなことはなかったが、初対面でも触らせてくれ、撫でると喉を鳴らしてくれるような穏やかな猫だった。
「そうか。聞きたかったのはそれだけだ。手間をかけたな」
「いいえ。アーシュ、俺も聞きたいことがあるのですが。少々よろしいでしょうか?」
「もちろん。なんだ? ゾローデ」
「フレンベルシャボイゼーケンとは、ドロテオくんの猫の名前ですよね」
「そうだ。平民のペットの名からすると、こんなに長い名前は付けないから分からなかったか?」
 平民のペットに名をつける際に儀典省にアクセスして、考えた名前を検索する必要がある。これは元々人間用に用意された物だが、誰もがペットにも使用している。
 その為、人間とペットの名前に差違はない。とにかく使用できる名前を使用するしかないのだ。
 余談だが平民や奴隷から皇帝の正配偶者となった者が三人いる。
 皇妃ジオ、帝后グラディウス、皇后ロガ。彼女たちの名前は現在は王侯貴族以外使用できないが、かつては有り触れた名であった。彼女たちが正式に皇帝の后となる際に、同名の者たちは全員改名することとなった。
 混乱があったのは初の平民出の皇妃ジオの時のみ。彼女以降は「名前を変えること」が定まっていたので、混乱なく名前の変更が行われた。

 帝后グラディウスはその名前変更がかかったせいで、大事件が起こったのだが――。

「は、はい。それでクレンゼロンディフォ……」
 ともかく平民は出来る限り貴族と被らない名前を捜している。
「クレンゼロンディフォバイエルシュのことか?」
 だが”こんな面倒な名前”は付けない。正確には付けられない。それというのも、階級により名前の長さに制限があるのだ。
 上級貴族以上になると名の長さ制限はなくなる。それはペットにも言えることで、平民のペットが貴族級の長さを持っていてはいけない。
「はい。それも名前で?」
 だからゾローデやウエルダには”クレンゼロンディフォバイエルシュ”名前なのか? それとも帝国の名前規則の例外である「学名」なのか? 判断がつかなかったのだ。
「そうだ。ドロテオの母親、ミロレヴァロッツァが飼っていた猫で、幼い頃のあいつの遊び相手だった」
「そうなんですか」
 話を聞いていて薄倖そうな女性を想像していたゾローデだが、飼い猫が”クレンゼロンディフォバイエルシュ”と聞き、その薄倖さ加減が少し薄まった。
 良いとか悪いとか失礼とかではなく、純粋になにかにより薄まったのだ。
「あ……あの時の会話、意味が分からなかったな。勝手に話していて済まない」
 侯爵は見た目と性質はともかく、礼儀正しい帝国貴族ゆえ、場にいる者が分からない話題を振り、無視して会話していたことを詫びた。
「いいえ! そんなことは」
「説明しておくと、バンゼケーロンデとファイバルデジットは血統、サンブローゲルドは管理しているヤツの名で、アバゼトレドッゲは猫の種類だ」
 そして次にこの話題を振られた時、ゾローデが困らないようにと簡単に、だが正確に説明してくれたのだが ――
「そ、そうなんですか」

 詳しい説明を聞いても、ゾローデには理解できなかった。

 ちなみに帝国史において必ず登場する平民ペロシュレティンカンターラ・ヌビア。この人物の名前が貴族と同程度の長さを持つ理由は、やはり帝国に生きるものならば誰もが知っているであろうから割愛する。

**********


 【前線基地】
 四十九年前、当時皇太子であったナイトヒュスカが【単身】で制圧した、異星人のガウセオイド級の攻撃空母を改良したものである――
 偉業を成し遂げ皇帝に即位したナイトヒュスカを讃え、ナイトランダードと呼ばれる。
「そろそろ到着するわよ、グレスちゃんの愛しい旦那様」
 艶やかで清楚さを感じさせるストレートの栗毛は背中の中程。正面から見ると、思わず誰もが”げっ”と声を漏らすほど化粧が濃い。特に青色のアイシャドウの濃さは特筆すべきで、誰もが青痣と勘違いする。
「グレスちゃんって、御大が心酔してる王女さまのことか? イーファンラドケイ」
 イーファンラドケイの隣にいる、硝子素材により宇宙空間を望むことのできる壁に背を預けた男が尋ねる。
「そうよ。グレスちゃん」
「グレスちゃんねえ……」
「あたしもあんな妹が欲しかったわ」
「あんた、妹なんて、掃いて捨てるほどいるだろう? ロヴィニア王子さま」
 ポルペーゼ公爵イーファンラドケイ。歴としたロヴィニア王子。
「そういう意味じゃなくて」
「アシュトベルレイが泣くぞ」
 ヒーシイ公爵アシュトベルレイはロヴィニアの王女。二人はエヴァイルシェストであり、グレイナドアの実兄、実姉でもある。
「あの子が泣くのは、損したときだけよ」
 わざと化粧を失敗させているようなイーファンラドケイが顔を近付けても、目を逸らさず話をしている男の名はジアノール。
「アシュトベルレイでも損することあるのか」
「損っていうか、あたしたちの憎たらしい弟、サキュラキュロプスのほうが上手く利殖したときとか。悔しくてしょうがないらしいのよ」
「あっちは政治経済の専門家だから仕方ないだろ」
「そうなんだけど。あたしもあの子も一応ロヴィニア王族の端くれとして、帝国騎士としてだけではなく、資産運用したいわけよ」
 ポルペーゼ公爵イーファンラドケイ、ヒーシイ公爵アシュトベルレイはエヴァイルシェスト。ジアノールも帝国騎士だがエヴァイルシェストではない。
 彼は数えて十八番目に位置する”奴隷”
「あんた達らしいな」
 ”僭主の末裔”でもある。
「ええ。だからグレスちゃんみたいな妹が欲しいの」
「グレスちゃんってのは、美少女キャスのご主人様で、ケシュマリスタ王の頭をヒールで踏みつぶしてるっていう、超アレな御方なんだろ? 女装好きな吝嗇家の王子様の好みってのは複雑だな」
 帝国騎士であるジアノールはジベルボート伯爵との面識がある。彼は王侯貴族からの信頼が篤く、自分の正体をも教えられていた。
 帝国騎士となった”僭主の末裔”たちは十八名ほどいるが、その中で自らが何者であるかを知っているのはこのジアノールだけ。
 後日ソフィアディンも知らされるが、それは彼女がロヒエ大公の妃であることも関係している。だがジアノールは個人の資質のみで教えられた。彼よりも帝国騎士として優れている”僭主の末裔”がいるのにも関わらず。
「違うわよ。グレスちゃんは女の子らしくて可愛いのよ。嫉妬深くて、でも嫌われたくないから我慢して。でも癇癪起こして、大皇に当たり散らして。いやいらするとお菓子やけ食いしちゃって。もうね、すっごく可愛いの!」
 イーファンラドケイの説明を聞けば聞くほどジアノールは訳が解らなくなったが、ここは上手く言い逃れできる正に魔法の言葉があった。
「そうか。女が好きな男には、たまらないんだろうな」

 ジアノールは帝国には珍しくない同性愛者である。

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