裏切り者の帰還[37]
 ギディスタイルプフ公爵サキュラキュロプスとエイディクレアス公爵ロヌスレドロファ=オルドロルファ、両王子の出会いは階段であった。
 大宮殿は世界でもっとも天井が高い平屋建てながら、中二階のような場所は幾つも存在する。その一つの螺旋階段からギディスタイルプフ公爵が落下し、エイディクレアス公爵が受け止めた ――
「うおぉぉ! あ、とっ! ぐあああ!」
『誰か! 誰かいないのか! サクラが!』
 人造人間は非常に運動神経が優れている。だが全員が”そう”なわけではない。トシュディアヲーシュ侯爵やエイディクレアス公爵のような運動神経という言葉では言い表せない身体能力を持つ者もいれば、
『サクラがああ!』
『どうした? ドロテ……ディークス、サクラが倒れそうだ。救出しろ』
 ”体がついていかない”という表現ですら生温いほど、体を動かせない者も存在する。
 その一人がギディスタイルプフ公爵。
 彼は歩いたり文字を書いたり、セックスをしたりは問題なくできるのだが、縄跳びをしたり水泳をしたり、階段を登ったりなど……出来ないことの方が多い。
 特に気が急くと、
「王子。おっと……」
 椅子から普通に立ち上がることすら覚束ない。
 ギディスタイルプフ公爵の側近で、侯爵の配下でもある身体能力に優れたエヴェドリット貴族のディークスが呼ばれ急いで部屋へとやってきて、椅子と机の間で弾かれ回り”ぐらぐら”している公爵を救出した。
『グラスを手放さないあたりがサクラらしい』
『凄いんだよ、アーシュ。サクラはグラスをキャッチしたんだから』
 特筆すべきところは、そんなにバランスが悪いのに、彼は物を壊さない。今も机に掴まろうとしてグラスに触れ落下させてしまった。まともに立ち上がれないのだから、グラスなど放っておくべきだろうが、そこはロヴィニア。壊れたら ―― 壊れにくい素材であり、そのことを知っているが ―― もったいないとばかりに手を伸ばしてキャッチした。
 ギディスタイルプフ公爵は運動神経は皆無だが、反射神経は人造人間のそれである。
『で、どうしてそんなに焦ってたんだ? サクラ』
「それは……理由はドロテオから聞け、ラスカティア。私をナジュのところまで大至急運べ! ディークス」
「じゃあ輿を用意してきますよ」
 ギディスタイルプフ公爵は歩くことはできるのだが、走ると途端に転ぶ。ただ歩くのも若干怪しいので、通常であればケシュマリスタ王族だけが移動用に使用する輿を、彼は大宮殿で使うことが許可されていた。
 そうしないと、危ないのだ。
『急いで連れてーいってー!』
「とはいいますけどね、王子。この野郎は、男に抱きあげられて運ぶなんてまっぴら御免な人ですから」
 なぜ急いでいるのか分からないディークスと、
『お前も落ちつけ、な、ドロテオ』
 侯爵は焦ってはいなかった。
『ナジュがミーリミディアとルキレンティアアトに嫌がらせ方法を聞いたかも知れないんだ! バルキーニとナジュが死んじゃう!』
 理由を聞いた侯爵の判断は速かった。
『抱えて走れディークス。事と次第によっちゃあ、コンソールぶち壊して馬鹿王子も殴ってこい』
「了解」
 忽然と画面から消えたギディスタイルプフ公爵とディークス卿。
 その後侯爵はエイディクレアス公爵から、どうして嫌がらせをしようとしたのか? を尋ね、
「……全く意味が分からない」
「でしょ? 俺もわかんないんだよ」

―― 分かっちゃいたが、無駄な時間だった

 眩暈にもにたような物を覚えて、後のことは任せろとエイディクレアス公爵を仕事に向かわせて、ディークスからの報告を待った。
―― 少しはマシになったようだが……
 侯爵はピアノの前に座り、鍵盤を叩きながら、エイディクレアス公爵とギディスタイルプフ公爵の出会いを思い出す。

**********


 頭も容姿も良いが、運動神経が生まれた時から壊滅しているギディスタイルプフ公爵は、幼い頃はそれを認められず、無茶なこともしていた。
 無茶といっても段差の大きい階段を登るとか、坂道を下るとか、エヴェドリット貴族からすると「その身体能力でよく生きていられるな」レベルのことだが、ともかく頑張った。ただし、自己流で。
 既に自宅である王城では階段を登ることを禁止されていたので、大宮殿でひっそりと練習を行っていた。
 九歳の彼は全身全霊を傾けて段差23cmの階段を登っていた。ちなみに彼の身長はこのとき160cm台。登れない段差ではないが、彼には強敵であった。
 全五十三段の半分を少し超えたところで、なけなしの運動神経に似たものが尽き果て、一歩を踏み出したところ後ろにひっくり返り、階段で両手を広げ必死にバランスを取っていたところ、
「踊ってるの?」
 背後からもの凄い間抜けな声 ―― 当時の彼にとっては ―― が、アホなことを聞いてきた。
「踊ってるよう、みえ、助けろ!」
「助けるって?」
―― ナジュか? ナジュなのか?
 彼の一歳年下の頭は良いが、稀に見る阿呆な弟なのか! とも考えたが、
―― ナジュは王城だ。だれ、ばか……まあいい!
「わたし、支え……ああああ!」
 階段の縁から足が外れ、何度も経験したことのある痛みに身構えた。……が、それは襲ってこなかった。
「これでいいの?」
 背中を押さえている人物のほうを向く。
 そこにはか細い月明かりのような頼りなさを感じさせる美しい少女に似た、
「あ、ああ……エイディクレアス公爵か?」
 噂のエヴェドリット王子がいた。
「……え、あ、うん。分かった?」
「そりゃあ、分かるわ」
「君凄いね」
 普通に会話しているのだが、このときの二人の体勢は階段の縁でまっすぐ斜めになっているギディスタイルプフ公爵と、手を思いっきり伸ばして支えている”だけ”のエイディクレアス公爵。
 偶々通りかかった侯爵は、それを見て「なにをしてるんだ?」と思ったが、そのまま通り過ぎた。侯爵の中には階段から落ちるような王族は存在しておらず、またあの体勢が「救出」という認識もなかったので。四十五分後、用事を済ませた侯爵は、再び同じ道を通り帰ろうとしたのだが――
「助けかた分からないのか!」
「わかんない!」
 先程と同じ体勢のまま、焦っている二人を見て、
―― なにしてんだ。できりゃあ触りたくねえけど、ウチの王子だしなあ
「なにしてんだ、王子さま二人で」
 嫌々ながら声をかけてやった。
「おまえは! 助けろ! トシュディアヲーシュ侯爵!」
「なんかこの人、助けろ、助けろっていうんだけど、どうやって助けるの? ラスカティアさぁん」
 侯爵は無言のまま駆け寄り、そのまま階段を登り二人を小脇に抱えて登りきった。
「階段で体勢を崩したから、階段から遠ざけろと言いたかったんだ」
 侯爵はエイディクレアス公爵にそのように説明してやった。
「そうなんだ」
「で、ロヴィニアの王子さま。ご自宅までこのまま、お送りしてやろうか?」
 腕の中でぐったりとしているギディスタイルプフ公爵に声をかけると、
「ああ……頼む。金はあとで払う」
 項垂れたまま依頼された。侯爵はロヴィニアの王子を担ぎ上げ、自国の王子のマントを引っぱり両者を送り届けてから寮へと戻った。
「へえ。初めまして、ギディスタイルプフ公爵」
「こっちこそ、エイディクレアス公爵。さっきは落下を防いでくれてありがとう。結果的には、落下したほうが楽だったがな」
 こうして最悪ではないものの、微妙な出会いをした二人だが、現在は親友といっても差し支えない仲になっている。

**********


―― 諦めたもんなあ
 その後、ギディスタイルプフ公爵は、世間から隔離されて育ったエイディクレアス公爵に色々なことを教えてやった。その結果”ナジュのバカは治らない”ことに気付き、そっと見守ることにした。
 最初は同程度と思われたエイディクレアス公爵とフィラメンティアングス公爵だったが、前者のほうはただ物を知らなかっただけで、知れば判断は普通であった。若干殺して終わり! 傾向が強かったが、問題がない程度。
 だがフィラメンティアングス公爵は駄目だった。
 頭脳そのものはエイディクレアス公爵を凌駕するものの、なんだか駄目だった。それは自分の運動神経にも似ている ―― 彼は自らの身体能力がどうすることもできないことを知り、それと同じであるならば、努力で少しはどうにかなるが、根本的な解決策はないと。
 早い話が匙を投げたわけである。
「閣下。ダーヌクレーシュ男爵から」
 懐かしい王子二名のコント(二人は必死だったが)を思い出していた侯爵に、
「繋げ」
 ディークスからの報告が届いた。
 椅子に座ったまま、モニターを運ばせて、現れた人相の悪い男から報告を聞く。
 ダーヌクレーシュ男爵ディークスの報告によると、大急ぎでフィラメンティアングス公爵の部屋に乱入すると、彼は部屋の隅で小さくなり水で戻した寒天を突いていたという。
「寒天?」
『寒天です』
「続けろ」
『その前に、ラスカティア。寒天如きで一々聞き返されると、話進まないんだが』
「知ったこっちゃねえ」
『はいはい。バーローズのぼっちゃんは、昔から我が儘だよ。それで……』
 予想通り、フィラメンティアングス公爵は自分で嫌がらせが思い浮かばず”嫌がらせといえばケシュマリスタ”と思い立ち、側近となったミーリミディアとルキレンティアアトに連絡を取った。そしてその方法を聞き――
『あまりに陰惨で理解できなかったようです』
 彼の知識には存在しないことばかりだったので、硬直してしまった。そう、かつてギディスタイルプフ公爵を救うことができなかったエイディクレアス公爵のように。
「あん……まあ、そうなるだろうな。天才でバカだが、陰険じゃあねえからなあ」
『そうですね。つーわけで、クレンベルセルス伯爵は無事です。この先は知りませんが』
「ご苦労」
『はい。ところでラスカティア』
「なんだ」
『ゲルディバーダ公爵殿下の結婚祝い、なにがいいですかね? 我、下っ端とはいえ王族なんで』
 ダーヌクレーシュ男爵ディークスは、現エヴェドリット王の叔父の子にあたる。エヴェドリット王位継承争いに巻き込まれる恐れのある立場だが、巻き込まれるだけで勝目はない。自分の意志ならば未だしも、巻き添えを食うのは御免だとばかりに、王家に籍はあるが離れ、当時国内を旅して歩いていたクレスタークと一時同行し、そのままバーローズ公爵家を拠点にし、王国の上級士官学校に入学した。
 彼が王国の上級士官学校に入学したのは、単純に喧嘩早く、確実に人を殺して退学になる自信があった為だ。
「ファティオラ様への贈り物な……リストからすると、お前の財力じゃあ」
 侯爵は側近なので、この手の問い合わせが来ることくらい分かっているので、
―― 全部揃うの? 聞いておきながら、くれないとか、許さないからね
―― この程度なら、俺だけで全部揃えられますから
 事前に欲しいものを聞き出しておいた。
 財力にあった贈り物を教えてやり、リストに残った物は自分からの贈り物として。
『いいのあります? ちなみに俺が出せるのはこのくらい』
 金額との兼ね合いを考え、ディークスの財力で揃えられる無難な品を教えてやった。
『感謝する、ラスカティア』
「気にすんな。ファティオラ様が期待してるからな」
『ああ』
 話は無事に終わったと、
「あ、ちょっと待て、ディークス」
 ディークスは思った。
『なんですか?』
 侯爵もそう思っていたが、あることを思い出し、それなりに対処しておこうと。
「皇太子妃に小麦粉とバターと砂糖、それにマドレーヌ型贈っておけ」
『どうした?』
「皇太子妃がリディッシュに贈ったマドレーヌ、俺一人で、ほぼ食い尽くした」
『……蛇足にならないか? 知らないままにしておけば』
 侯爵ならそういうこともあるだろうな……行為に関して深く追求はしなかったが、贈り物に関しては聞き返す。イズカニディ伯爵が、わざわざ”侯爵に全部食べられた”とエゼンジェリスタに報告するとは思えなかった。
「無駄だな。ジベルボートの目の前でやった」
『そりゃあもう絶対、過剰報告されるな。贈っておく』
「頼む」
 ディークスは侯爵との通信を切ってすぐに、イズカニディ伯爵へと繋いだ。

|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.