裏切り者の帰還[36]
 いま王家に存在する者の祖先が正義だとすると、ゾローデの祖先も覚える必要のない敗者だが――
「他王家は別な」
 それらは自国のみに通用することだということは理解しているので、侯爵はトーンダウンとまではいかないが、傍観者的な態度で首を振る。
「顔立ちは似てないんだけど、雰囲気はあるんだよね、ゾローデ」
 クレンベルセルス伯爵が胸元から小型の端末を取り出し、ゾローデの雰囲気によく似た人物を映し出す。
「随分と美形じゃねえか。たしかに雰囲気あるが」
 侯爵はロヴィニア王家のものとは違う、輝きに和やかさを持つ銀髪の青年の美しい姿に少しばかり驚いた。
 ケシュマリスタ王の側におり、性格は論外だが美しさだけなら文句の付けようがない女性たちを五年以上見続けた彼ですら息を飲むような美しさ
「さすがケシュマリスタ。この繊細さは……たしかにゾローデに近いものがあるな……」
 イズカニディ伯爵はその映像を見たところ、異様な懐かしさが沸き上がってきた。周囲に似たような容姿の人物はいないのだが、どうしても懐かしいという気持ちが抑えきれず、顔を押さえて俯く。
「どうした? リディッシュ」
 突然俯いたイズカニディ伯爵を気遣い、侯爵が肩に手を乗せて心配そうに尋ねる。
「ちょっと、懐かしい気持ちになって。大丈夫ですよ、アーシュ」
 侯爵は仲間思いで、体調を気遣えるタイプなのだが、見た目(凶悪)と性質(人殺し)と特性(全身凶器)のせいで恐がられることが多い。
―― 友人としては最高なのだが、その……済まないアーシュ
 気遣われたイズカニディ伯爵は、侯爵の淡いく自覚のない恋心をぶっ潰すことを、肩に乗せられた大きな手の暖かさに詫びる。
 前線が一段落ついたらすぐクレスタークに話し対応してもらおうと。事態を丸投げするのではなく、秘密裏にだが確実に最良の結果を出すためには、クレスタークに対応してもらうしかないのだ。
 イズカニディ伯爵は侯爵のことが嫌いではない。同族同士で年齢も二歳ほど年下で、弟のようにすら思っている ―― 怖いが。
 だから最終段階で甘さが出て、作戦失敗し余計に侯爵を傷つけてしまうことを懸念し、決して手を緩めないであろう侯爵の実兄に相談に乗ってもらおうと決めたのだ。
 もしも ―― の話だが、クレスタークが侯爵の実兄でなかったとしても、イズカニディ伯爵はクレスタークに事態の収拾の手助けを求めたであろう。
 性格は悪くない侯爵に内心で謝罪している、詳細な帝国史を知らないイズカニディ伯爵に、
「この人はね、ジーディヴィフォ大公ソロトーファウレゼーニスクレヌ。ゾローデの祖先のお祖父さんのお兄さん。リディッシュの祖先にあたるネーサリーウス子爵の弟君と在学期間が被ったね」
 クレンベルセルス伯爵が映し出された人物の詳細を教える。
 ゾローデの祖先の祖父であり《人格を持って現在に至る》ゾフィアーネ大公の兄ジーディヴィフォ大公。二人は実の兄弟(帝国では両親が同じにしている場合”実の”とつく)で、ケシュマリスタ王位継承権を持っていたほどケシュマリスタ王家に近かった人物。
 その王位と対となっていると言っても過言ではない美しさ。
 それは ――
「美しく銀に輝き流れるような髪を惜しげもなく結い上げ、涼やかな青き瞳と深き優しさを映し出す緑の瞳を持ち、その目は鋭さと優しさを感じさせる。少年と青年の狭間にある特有の危うさを持った雰囲気と、その雰囲気をより深くする線細い顔。背は高く手足も長く、鍛えられた肉体の瑞々しさは着衣の下にあっても隠しきれない。ジーディヴィフォ大公とはそういう男だ……?」
 俯いたままイズカニディ伯爵は、ジーディヴィフォ大公のことをそのように語った。
「大丈夫か? リディッシュ」
 突然のことに侯爵はイズカニディ伯爵の両肩を掴み揺する。
「あ、ああ。大丈夫だ、アーシュ」
 揺すぶられながら、言った当人は呆然とした表情になり顔を上げた。
「確かにそういう事言いそうな人だけど。リディッシュって今みたいなの考えるの好きなの?」
 容姿をあまりにも的確に表現しているので、クレンベルセルス伯爵は感動の眼差しで見つめる。その汚れはないとは言わないが、清らかさを感じさせる純粋な尊敬を含んだ視線は、
「いや! 別に好きではない!」
 イズカニディ伯爵にはとても耐えられなかった。
「照れなくていいんだぜ、リディッシュ」
 悲しいかな同属の侯爵はイズカニディ伯爵の生家デルヴィアルス公爵家から、芸術家が多く出ることを理解しているので、芸術気質の一端であろうと ―― 俺には理解できないが、芸術なんだろう ―― 大貴族らしくそれを認めた。
「信じてください、アーシュ! 俺の名誉のために信じて、アーシュ!」
 クレンベルセルス伯爵に向かって叫ばなかったのは、彼の場合は諦めもつくからだ。だが侯爵となると違う。
 エヴェドリット王国内で大きな力を持つ侯爵が「リディッシュは芸術家だ」と言ったら最後、皆に芸術家扱いされる。
 イズカニディ伯爵はどちらかと言えば芸術家気質だが、当人がそうは思っていないので、国内で”芸術家”呼ばわれされたら恥ずかしくて相手を食い殺しかねない。
 それはそれでエヴェドリット貴族として良さそうだが、人殺しがそれほど好きではないイズカニディ伯爵のとっては、避けたいのだ。
「…………芸術家気質だと実家に迫害されるからな。良かったら俺がパトロンになってやるが」
 人殺しをせず芸術に現を抜かしていると殺されかねないのが彼らであり、
「アーシュ。パトロンってのは、主に武力的な?」
「そうだ、バルキーニ。リディッシュに金は必要ないだろ」
 パトロンの意味が一般とも違う。
「守ってもらえばいいじゃないですか、リディッシュ。アーシュはエヴェドリットでも五指に入る権力者ですよ」
 猫耳が生えたり皇太子妃の菓子を鷲掴みにしたりと、とてもそんな人物には見えないが、クレンベルセルス伯爵が言う通り国内屈指の権力を持つ大貴族。
 侯爵はエヴェドリット”貴族”ではなくエヴェドリット王国全体で五指に入る。下手な王族をも凌ぐ武力と権勢を誇っているのだ。
「それは知っている。いや、だからな……アーシュ、俺を信じて! 芸術家じゃないと!」
「分かった分かった」

 ゾローデとは違う意味の分からない記憶や懐かしさ、貴族としての仕事に、

「オランベルセ、カーサーが整備しても良いって言ってくれたよ。僕に感謝するんですよぅ」
「ああ! 感謝する。何をしたらいい? キャス」
「僕になにもしてくれなくてもいいですから、エゼンジェリスタに何かしてあげてくださいね」
 それなりに楽しい日を過ごしていた。

**********


 フィラメンティアングス公爵グレイナドア。愛称ナジュ。十九歳。彼の最大の敵は、
「オランベルセを出せえぇぇ」
『リディッシュ、いま忙しいから。この先もしばらく忙しいから。うん、諦めてね』
 クレンベルセルス伯爵バルデンズ。渾名バルキーニ。二十五歳である。
 側近というのは緊密に連絡を取り合うのだが、グレイナドアとウエルダはかなり一方的な「オランベルセ争奪戦争」が勃発しているため、連絡を取り合ってはいない。
 もっともオランベルセ争奪戦争が起こっていなくとも、ウエルダはグレイナドアと連絡を密に取り合ったりはしないだろう。なにせグレイナドアは正真正銘の王子。平民のウエルダからすると雲の上の人。
 本当に雲の上にいて、そのお姿を拝見する栄誉に預かりたくなかったくらいに王子である。
 自分を含めて三人のうち、一人と連絡を取らないのだから、必然的にもう一人の側近と連絡を取り合い、状況を報告しあうことになる。
 クレンベルセルス伯爵は公爵の見事な仕事ぶり感動しつつ、彼の要望を完全に無視していた。
「オランベルセえぇぇぇぇ。あーわーせーろー」
『はいはい。切りますよ』
 フィラメンティアングス公爵の性質はロヴィニア王家というよりも皇王族に近く ―― 彼の母親は皇女なので立派な皇王族なのだが ―― 皇王族の中で育ったクレンベルセルス伯爵は”これ”に対して強い耐性を持っていた。
 大好きなイズカニディ伯爵と話ができぬまま通信を一方的に切られたフィラメンティアングス公爵は、両手に握り拳を作り怒りに震え、そして、
「プー兄上」
「せめてサクラ兄上にしろと言っただろう、ナジュ」
 頼りになる実兄ギディスタイルプフ公爵の元へと助けを求めた。
『元気そうだな、ナジュ』
 その頃ギディスタイルプフ公爵は、遠征軍の総指揮官エイディクレアス公爵と話をしていた。
「あ、ドロテオ。私は元気だ。オランベルセは元気か! 無事か、浮気していないか!」
 兄が画面に向かって座っている、その間に体をねじ込み画面に掴みかかるようにして、イズカニディ伯爵の近況らしきものを尋ねる。
『元気だ。ゾローデやアーシュと仲良くしてる。あと浮気もなにもオランベルセは』
 真っ当な受け答えをするエイディクレアス公爵に、ギディスタイルプフ公爵は机に置いている炭酸が入った角が丸みを帯びている長方形のグラスを手に取り、渋い顔 ―― 眉間に縦皺をよせて、右の口元を少しつりあげ ―― をし、その顔の前に空色のシンプルな手袋を嵌めた左手を持って行き”無駄だ”とばかりにグラスを持っていない側の手を小さく振る。
「うおあああ! 私のオランベルセエェェェ」
『どうした? ナジュ』
―― 俺より頭いいのに、どうして……
 遠く帝星にいる親友の実弟を、エイディクレアス公爵は非常に残念にして、少し憐れな気持ちで眺める。
「クレンベルセルスが会わせようとしないのだ!」
『まあ、落ち着いて、落ち着いて』
 ”落ち着いて”といわれて落ち着くような者ならば、イズカニディ伯爵は遠い目をしないわけだが。
「ナジュ」
 エイディクレアス公爵と込み入った話をしていた訳ではないし、ここで通信を切ってもなんら問題ないのだが、
「プー兄上」
 乱入してきた弟はどうにかせねばと、背中を叩き、彼にしては根気強く間違いを訂正してやる。
「だからサクラ兄上な」
 普段の彼であれば、間違いなど訂正してやらない。
 愚か者は愚かなままであれば良いというのが、彼の姿勢である。が、賢いのに馬鹿と知れ渡っている弟はそれには属さない。
「そうでしたね、サキュラキュロプス・フィゴヅディメッシレー・フェンドゲルデヒョウ兄さん」
―― この言い辛い名前、一度も間違ったことがないというのに……プーなあ
 ギディスタイルプフ公爵の名は上級貴族としては普通の長さだが、発音のし辛さでは中々有名である。
 名付けたギディスタイルプフ公爵の両親ですら、正確には発音できないくらいに。
 どうしてこんな名前になったのか?
 それはロヴィニア王家は子供の数が多いことが原因。王侯貴族は名付けにおいて様々な規則がある。それを踏襲すると、十人目を越えたあたりで読みやすい名前が枯渇。あとは規則に従うことを優先し、読みやすさや覚えやすさなどは排除され、結果ギディスタイルプフ公爵のような名になる。
「それで、ナジュ。私になにをして欲しいのだ?」
 炭酸が入ったグラスに差されている、飾りのない透明なストローを噛むようにしてギディスタイルプフ公爵が尋ねると、
「クレンベルセルスに嫌がらせしたいと思います」
 帽子を外し少々長めの前髪をかき上げて、
「失礼しましたー」
 笑顔で去っていった彼、フィラメンティアングス公爵。
『……ナジュはいったい、何をしにきたんだ? サクラ』
「できれば聞かないで欲しいな、ドロテオ」

―― 頭、良いのになあ……

 二人は溜息をつき、先程までのことは無かったことにして、途切れた話を再開した。笑いながら話をし、エイディクレアス公爵がそろそろ通信を切ろうとした時、彼は怖ろしいことを思い出してしまった。
『サクラ!』
「どうした? ドロテオ」
『ナジュの嫌がらせだけど、まずいぞ!』
「大丈夫だ。ナジュは嫌がらせの類は苦手だ。当人の言動が一番の嫌がらせだが」
 グラスに残っている氷を口に流し込んで噛み砕き”心配ない、心配ない”とするギディスタイルプフ公爵に、
『ナジュはね。でも、側近にミーリミディアとルキレンティアアトを迎えたんだろ? あの二人に聞いたことを実践したら、バルキーニが死んじゃう! 下手したらナジュも死んじゃうようぅ!』
 帝星から遠く離れたところにいる遠征軍指揮官の悲痛な叫びが届いた。
「……そうだった!」

 フィラメンティアングス公爵が側近にと選んだ二人のケシュマリスタ女性は、まだ帝星に来ていないのだが、側近の任務は引き受けていた。なのでギディスタイルプフ公爵は少々油断していた。
『危ない! サクラ!』

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