裏切り者の帰還[33]
 侯爵は達しながらクレスタークの胸骨をへし折ったのだが、
「だから俺の指を折ったことは、気付いてないだろうな」
 間近で聞いた派手な音にかき消され、気付いていない ――
「……普通、快感で動けないものではないのか?」
「弱かったぞ。あの距離で本気なら、背骨も折れる」
「何で知っておるのじゃ?」
「過去に何度か。兄弟の他愛のないじゃれ合いって感じ?」
「儂は兄弟がおらぬゆえに、それに関しては何も言えぬが、世間的には背骨を折るような拳が繰り出される状況を”他愛ない”とは言わぬとおもうがのう。……それで、どうするのじゃ?」
「後ろの締め付けが、俺の指を折る程じゃなかったら、取りなしてやろうかと思ったが、これじゃあ無理だな。もし恋人同士になって、添い寝するだけというのも気持ち悪いだろう」
「正直言って、気味が悪いな」
「たまにフェラ……と行きたいところだが、ラスカティアにフェラされたいと思うか? ハンヴェル、お前耐えられるか?」
「嫌に決まっておろう」
「だよなあ」
「主の口内と近いのじゃろう? 舌は肉をこそげ取り、奥歯は二重になっているような」
 エヴェドリットは基本何でも食べる。その”何でも食べる”を実行するために、歯や顎、胃袋などが人間とはまったく違う状態となっている。
 クレスタークは公爵がいった通り、舌は凶悪なほどにざらつき、奥歯は二列になっている。
 歯の数そのものが人間よりも多いことも、彼らの特徴だ。
「俺は舌下は未だマシだが、ラスカティアは言われている通り全身凶器だ。舌下も容赦無い」
 若い頃クレスタークは、普通に公爵に口淫を仕掛けて、酷い目に遭わせたことがあった。その後、舌下ならばなんとかなることに気付き、嫌がる公爵を押し倒して試し「出来ないこともない」という結論に達した。
 侯爵の口内はクレスタークよりも攻撃的で、破壊力に満ちている。人間の性器など一舐めで半分は”持って”ゆく。
「貴様等が容赦無いのは構わんが、どうして弟の舌の裏側の状態を知っておるのじゃ?」
「そりゃ、可愛い弟に熱いキスをしたときに」
「舌、突っ込んだのかえ?」
「そうなるな。俺の舌でも痛かったぜ」
 長年の付き合いだが公爵は知らなかった。侯爵がウエルダに興味を持たなければ一生知ることもなかった、無駄な知識でもある。
「なんにせよ無理じゃな。抱く側ならばまだしも、抱かれる側とはのう……己の体の強さを理解せず、人間に抱かれようとするとは」
「気付いてないんだって。でも恋しちゃってる」
「諫めよ」
 公爵の言葉にクレスタークは背もたれを抱いていた手を解き、自分を指さして問い返す。
「え? 俺がラスカティアを口頭注意しろってこと?」
 クレスタークたちの「諫める」は暴力だが、公爵の「諫める」は基本、口頭で注意。
「それ以外の方法なぞ、ないであろう」
 あまりにもまともな意見に、クレスタークは自分を指さしていた手を頭へと持って行き、黒髪ごしに頭皮を掻き、ばつが悪そうに意見を述べた。
「俺として別のやつに抱かれるように仕向けて、ベクトルをそっち方向に変えようと思ってるんだが」
 クレスタークが考えた解決方法を聞き、公爵は怒りに口元をひくつかせて詰問する。
「その人選で儂なのか?」
「まさかあ。ハンヴェルさまは、俺の弟にはもったいないですよ」
「黙れ」
「黙るよ………………それで、誰か良い相手、思いつくか?」
 言われて黙るような男ではないく、
「貴様の弟の後孔に耐えられる性器持ちで同性愛者となると、数が限られてくるのう」
 黙られては話が進まないので、口を開いたクレスタークに注意せず公爵は答えてやる。
「俺でもいいんだけど。ほら、俺、弟に嫌われてるじゃない」
「そうじゃな。もっと嫌われてみたらどうじゃ?」
「それはそれで楽しいんだけど」
「トシュディアヲーシュの最大の悲劇は、貴様が兄であることじゃな」
「ラスカティアも言ってる」
「貴様以外で思い当たるのは……グレイナドアはどうじゃ? 体も頑丈で男好きな……なんじゃ? その顔は」
 クレスタークは足で椅子ごと体を移動させて、公爵の両肩を掴んで、
「ハンヴェル、俺の弟のこと嫌い? 嫌いなら嫌いと言ってくれて良いんだぜ」
 凶悪な満面の笑みを浮かべた顔を近づける。
「なんじゃ! 儂は真剣に考えたんじゃぞ!」
「真剣に考えてグレイナドアとか、やっぱり嫌いだろう。あれか? セイニーの手作り菓子を奪って食った弟に腹立ててたのか? そうならそうと」

**********


「これがエゼンジェリスタの愛の手作りマドレーヌですか!」
 前線に向かう途中、イズカニディ伯爵は贈られた箱をみんなの前に出した。箱は縦が二十五cm、横は四十cm。厚さは五cmほど。
 包装紙は白地に斜め線の模様が入っている。斜め線は細めで縁が光沢のある緋色で、中心部は山吹色。飾りのリボンは斜め線よりも細く二mmほどのもので、リボン結びにはエゼンジェリスタの癖 ―― 左に比べて、右の広がりが少し大きい ―― があった。
 ジベルボート伯爵は自身の指を絡めて手を握り、箱に満面の笑みをむける。
「みんなと一緒に食べてくれと」
「はやく開けてくださいよ、オランベルセ」
 イズカニディ伯爵は丁寧に包装紙を開き、厚みのある高級感溢れる茶色の箱を取り出し蓋を開く。箱の中には縦に四個、横に七個、
「二段重ねらしいな」
 合計五十六個が一つ一つ透明な袋に入り、エゼンジェリスタが手紙に封をする時に使う蝋封と同じデザインのシールが貼られていた。
「蝋封シールもエゼンジェリスタが作ったんでしょうね! 愛されてるぅ、オランベルセ」
「いや、その……みんなにも食べて欲しくて、気合いを入れたと手紙に」
「やだーオランベルセ。ねえ、バルデンズゥ」
 なにが”やだー”で、なにが”ねえ”なのか? ゾローデやウエルダには分からなかったが、
「そうだね、キャス」
 話題を振られたクレンベルセルス伯爵は同意した。それは面倒だからなのではなく、本当に理解している表情。
「ですよね」
「リディッシュ、皇太子妃は手紙でも素直になれない御方なの、分かってるだろう。リディッシュに食べて欲しいと気合いを入れて作り過ぎて”恥ずかしい”と思い、手紙で自分の照れをフォローしたんだろう」
「それは……」
 指摘されたイズカニディ伯爵はエゼンジェリスタが丹精込めて作ったマドレーヌが入った箱を持ったまま、口を開いて全員から視線を逸らす。イズカニディ伯爵もそのことには気付いている。それを他者から指摘されると照れるのだ。
「でも食べましょうね、ゾローデ卿にウエルダさんも、遠慮しないで食べてくださいね。僕も一個もらいますよ。あとシアとカーサーに一個づつ……」
 ジベルボート伯爵は右隅から二個手に取る。
「シアの分は別にあるぞ。カーサーとシアにと届いた。もちろん、取り置いて構わないが」
「やだーもう、はやく言ってくださいよ。でも貰っておきますね」
 イズカニディ伯爵が中身をゾローデ側に傾け、
「プレーンのマドレーヌだ。是非とも食べてくれ、ゾローデ。味は保証する……あの時は悪かった」
 皇太子妃が作ったマドレーヌという単語だけで、ゾローデの脳はあの時の味を再現し、舌に届ける。唾液が枯れ、口内が乾ききり、歯茎が疼く、その味。
「いえ。ですが、よろしいので……」
 もう上手になったのならば、この味を思い浮かべるのは失礼だとゾローデは手を伸ばそうとした ――
「リディッシュ、来たよ」
「よお、リディッシュ」
 所用で遅れていた、公爵と元帥殿下が二人揃って現れた。
「それ、食っていいのか?」
「はい」
 手を伸ばしているゾローデの隣にやってきた侯爵は、箱に手を突っ込むと”いつも通り”に鷲掴む。
 その有様を見てウエルダは ―― お札のつかみ取りしたら主催者泣くだろうな ―― と思い、ゾローデは ―― 内臓を一掴み技術をここで ―― 以前「何故侯爵はあんなにも一掴みが上手いのだろう?」と疑問に思った時に同級生が答えてくれたことを思い出した。
「ちょっ! 馬鹿なのホモ!」
 侯爵は一掴みした大量のマドレーヌを口に入れて噛み砕く。マドレーヌは噛み砕くような代物ではないのだが、侯爵が食べている姿は噛み砕くとしか表現できない。
「……なんだ、ジベルボート」
 食べ方が違うのだから仕方ないのだが、仕切りごと上段と下段のマドレーヌを一気に掴んだ。その数五十個。
「エゼンジェリスタがオランベルセのために愛情込めたマドレーヌ、一気食いするとか馬鹿!」
「……悪かったな、リディッシュ」
 難を逃れたマドレーヌ三個が、空洞になった箱の中で震えているようですらあった ――
「アーシュの一口が一掴みなのは分かってますから」
「馬鹿、馬鹿。馬鹿ホモ! オランベルセ、ホモを甘やかしたら駄目ですよ! 襲われたらどうするんですか! エゼンジェリスタが泣きますよ!」
 その後残った三個のマドレーヌを、
「美味しいね、ゾローデ先輩」
「そうですね、ドロテオくん」
 ゾローデと元帥殿下が半分ずつ。
「昔は酷かったんだよ」
「そうなんですか。今は店で売ってるみたいですね」
 ウエルダとクレンベルセルス伯爵で分け合う。
「もっと作ってるかと思ったんだが」
「気にしないでいいですよ」
「だから、そんなに優しくしちゃ駄目だって! オランベルセ!」
 一個が無事にイズカニディ伯爵の口へと入った。
 ジベルボート伯爵は自分が最初に手に入れた三個のマドレーヌを抱きしめるようにし、侯爵に威嚇するような蔑むような眼差しを向けた。

**********


「いや、本当に御免なあ。シアたちが貰ったの食ったが、上手になってたぜ。食えなくて、残念だった?」
 ジベルボート伯爵が怒りながらクレスタークに事の顛末を伝えたのだ。
「そのような下らぬことで腹を立てるわけなかろうが」
「そうか。じゃあ根っから嫌いなんだな」
「何を言っても貴様には通じんじゃろうからして……で、貴様は誰がいいと考えておるのじゃ?」
 自分の肩を掴んでいる手を払いのけ、クレスタークに問い返す。
「イズカニディ伯爵オランベルセ=オランベルジュ。ラスカティアがこいつも気に入っているし、こいつも気付いている。同族同士で最良の相手だと思うが。どうだ?」
「勝手にしろ。貴様が本気ならば、エゼンジェリスタとイズカニディでは、太刀打ちできぬな。可哀想なことじゃ」
 公爵の表情は崩れることもなく、態度や仕草に焦り一つ無い。
「助けてやる気はないの?」
「結婚しておきながら他の男にうつつを抜かしている娘と、自分と年齢的に大差ない男を助けるじゃと? 笑わせるな」
「是非とも笑った顔が見たくて」
「……ふ……ふははははは!」
「はははは!」
 二人が互いを睨みながら、楽しさとは縁遠い笑い声を上げる。
 窓どころか壁をも震わせ、叫ぶ二人の笑い声。
「邪魔する。で、殴り合い始まるのか?」
 危険を察知してやってきたネストロア子爵が、牙を剥いて笑っているクレスタークの右頬を殴り付ける。
「何用じゃ? サロゼリス」
 椅子から転げ落ちたクレスタークを無視し、用事がなければやってこないネストロア子爵から公爵は書類を手渡される。
「ユセトラカーの戦死報告。ドロテオにさせるのは酷だから、そちらで」
 デーケゼン公爵ヒルグブレディネの二十九人目の婚約者も、呪いにも似たそれに囚われ、生きて帰ることはできなかった。
「総司令官がそのようなことから逃げてどうする」
「じゃあ、王様同士で話合って。うちの王様、嫌な報告とかさせたがらないから。そっちの王様とよろしく」
 ”リスカートーフォンめ”と憎憎しげに、その表情と態度を隠すことなく公爵は書類を受け取る。
「どうしたものかのう……」
 公爵は婚約者ユセトラカーのことは然程問題にはしていない。彼にとって大事なのはテルロバールノル王家。
 脇で”お返し”とばかりにサロゼリスを殴りつけているクレスタークと、それに抵抗する――などは、死亡したユセトラカー以上に問題ではない。それはもう一つの風景であり音である。
「どうしたものって?」
 殴る蹴るをとめて、サロゼリスが尋ねる。
「……ローグ公爵家とデーケゼンは、以前家督を渡されて死に絶えた一族よりも近い関係じゃ」
「それで?」
「エゼンジェリスタに継がせようかと」
 公爵は呪いなどは信じていないが、王家には危険を近付けないほうが良い。となると、継げる他の者が引き継ぐべきであろうと。
「娘殺す気か?」
「ひでぇ父親だな、おい」
「本当だな、クレスターク」
「だろ、サロゼリス」

―― なんで貴様等、そんなに息が合うのじゃ。王国のみならず、帝国に仇成すほどの内戦を幾度となく繰り広げた公爵家の者同士じゃというのに

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