裏切り者の帰還[25]
「ゾローデ。浮気したら、そいつがいる星系ごと消しちゃうからね!」
 上機嫌で夫を見送ったティファティフォンだったが、
「ファティオラ様、いまの引かれましたよ」
「女皇殿下。あれは少々」
 側近二名の”やってしまいましたね”という表情に、心外だとばかりに噛みつく。
「なんだよ! どこも悪くないだろう。口調だって隠しきったはずだぞ」
「口調ではなく発言が問題ですよ」
「星系を消せる権力と武力をお持ちの方が、あのような発言をされますのは」
「アウグスレイタが結婚相手に言えっていったんだぞ!」
―― 余計タチが悪いですよ、ファティオラ様
―― よりによって大皇陛下とは。誰も止められませぬのじゃ
「そうでしたか。それは余計悪いですね。大皇が本気を出したら、星系程度、本当に壊滅しますから」
「女皇殿下、それは人を選んで言うべき言葉では」
 いつもならすぐに引き下がる側近の二人が、割と意見してくるトシュディアヲーシュ侯爵と同程度責めてきたことにティファティフォンは驚きつつ、ようやく”不安”を覚えた。
「結婚相手なら誰でも良いと! ……違うのか?」
「私は違うと考えますが、大皇の真意を確認することをお勧めします」
「儂もデオシターフェィンの意見に同意です」
 形のよい親指の爪を噛み、眉間に皺を寄せて考えて、
「……ネロ!」
 後ろに控えているシラルーロ子爵に向き直り抱きつく。
「はい」
 凛々しい瞳を潤ませて子供っぽさを全面に出した口調で、
「ネロは? ネロの意見は? 俺間違った?」
 それでも同意を求める。
 長年養育に携わった大恩ある御方の忘れ形見……だが、
「私の感性からしますと、このソイシカの海が全て干上がるくらいには引くかと」
 ここは訂正するのが、育てた者としての使命だろうと、シラルーロ子爵も否定した。
「……うそ」
 まさか彼にまで否定されるとは思っていなかったティファティフォンは、子爵の腕を握っている手に力を込めて”頼むよ”と縋る。
 ”そうですね”というのは簡単。ゾローデが気にしていないことも分かっているが、ここはしっかりと訂正したほうが良いだろうと、心を鬼にして子爵は続けた。
「ヴァレドシーア様と一緒に私を連れ戻しにきたロフイライシ公爵でも”バイゼシュディン惑星”をエバタイユで撃ち落とす程度の脅しでした」
 帝国で最も放埒な存在が口にした脅しを聞き、
「…………もしかしなくても、やり過ぎたってこと?」
「はい。グレス様にとっては軽い嫉妬のおつもりでしょうが」
 自分がしでかしたことに気付いた。
 転がっている石 ―― 実際は計算された置物だが、その石を蹴り飛ばし拳を振るわせ、広がる海へと向かって、
「アウグスレイタのばかー!」
 大声で叫び、乱暴な足音を立てて城内へと消えていった。
「……あ! お待ちください。ファティオラ様」
 大きいが耳が痛むような音ではなく、甘美な声に聞き惚れて呆気に取られていたデオシターフェィン伯爵が急いで後を追い、
「そ、そうじゃ……お待ちください。女皇殿下」
 同じく並々ならぬ声量と、全てを支配するような声に麻痺していたイルトリヒーティー大公も主を追った。

**********


”お兄さま。どうしても結婚しなければなりませんか?”
”そうではなく……一生お側に……”
 ケシュマリスタ王城とは違い、放置された結果の手をかけられていない廃墟、その街の中を突き抜ける馬車用通路のど真ん中に腰を降ろし、三十年以上見てはいない陽射しを肌に感じながら、もう泣くこともなければ笑うこともない弟のことを思い出していた。
「ん?」
 胸元に入れている呼び出し音に、ナイトヒュスカは回想を中断された。人と付き合うことを辞めた元皇帝は、滅多なことでは通信を受けない。
 機動装甲開発用建物内にしか通信機はなく、建物内にいても気が向かなければ通信を受けることはない。
 気ままというよりは、全てに背を向けてしまったような存在。
 そんな彼だが、絶対に通信を受ける相手は存在する。
―― 異種の王よ。貴方の孫から連絡が届いている
 視力を失った彼には不必要な画像はなく、音声のみが届く。
「そうか。いま行く」
―― 早く出せと、お怒りだ

 孫のティファティフォンを怒らせた憶えのないナイトヒュスカは首を捻りつつも、急いで引き返す。

 機械が掃除している建物内。どのような形なのか見たことはないが、既に覚えているので歩くのに不自由はない空間。
 目が見えないと言われても信じられない、そんなしっかりとした足取りで通信室へと入る。
 モニターが起動している音と、その向こう側から聞こえる吐息。

”お兄さま”

『アウグスレイタ!』
「どうした? グレス」
 孫娘の声は弟と瓜二つであった。
『ゾローデが!』
「どうした? グレス」
『アウグスレイタのせいで! どうにかしろ!』
 弟――ジュレイデス親王大公――ならば決して言わないであろう言葉と口調。自分を責める気の強い喋り方。
「たしかに引かれるであろうなあ」
 それがより一層、ナイトヒュスカに死んでしまった弟を思い出させた。
『アウグスレイタ!』
「お前の結婚相手は、ロヴィニアのサクラで決まりだと。あれが相手ならば、しっかりと威嚇しておかねばと思ったのだが」
『うわー! 最初に言っておけよ! 言葉足りないぞ!』
「そうだったな。だがそのゾローデという男も、男である以上浮気を……」
『うわあああ! 黙れぇ! この発言で俺が嫌われたらどうするんだ! せっかく可愛い女の子気取ってたのに! 台無しだろうが! 責任取ってくれるのか! アウグスレイタ』
「いくらでも責任は取る。何をすればよいのだ?」
『俺の代わりにゾローデに謝罪しろ! 直接だ!』
「分かった」
『あの発言は自分が言うように教えたと、しっかり説明しろ!』
「了承した。他は?」
『謝罪して誤解を解いたら許してあげる。いいな!』
「分かった」

「アウグスレイタが悪いんだから、今日はご褒美なし! 謝罪しろよ!」

 一拍おきティファティフォンはそう言い残して通信を一方的に切った。
「グレスは相変わらず元気だな」
 ナイトヒュスカは口元に笑みを浮かべ、肩を少々揺すって声を出さずに笑う。そして閉じていた目を開く。目蓋を開いたところで、なにも見えはしないのだが、自ら通信を入れる時は目蓋を上げる。
 ケシュマリスタ王に自分がいる惑星イヴルドーレンシュに立ち寄るよう連絡を入れ、
『グレスと話できて嬉しかったでしょう』
「そうだな」
『もしかして、罵られたかったの? 僕のパパには罵られたことないだろうからね』
「ああ」
 言い返しようのない会話をする。これは恒例でもある。
 ナイトヒュスカが愛しているのは、ケシュマリスタ王の父親ジュレイデス親王大公。七十年近く、弟だけを愛していた。最早返ってくる言葉はなく、温もりなど三十年以上も昔に失われた。記録に残っている弟の声は何度も聞き、受け答えの全てを憶えてしまい ―― それすら死んでしまった。弟は留まったまま、変わることなく。
 そんな折、孫が生まれた。泣き声には憶えがなかったので似ているかどうか判断はできなかったが、成長するとその声が弟とそっくりであることに気付き、人と接することを避けていた彼にしては頻繁に話しかけた。
 聡い孫は自分に話しかける祖父の表情に、誰かの面影を重ねていることを察知して、事情を知っているであろう帝国宰相に尋ね、全てを聞き出した。
―― 答えなかったら、もうアウグスレイタとお話してあげないよ。原因は君って教えちゃうからねえ ――
 理由を聞き出したティファティフォンは、
”じゃあ、僕の願いを聞いてくれたらご褒美をあげるよ。ご褒美はねえ……愛している、アウスグレイタ。どうだい? 祖父とは全く違う口調で偽物ってはっきりと解るけど、心地いいだろう”
 我が儘を聞いてくれたら「愛している」と言ってやると。弟の喋り方ではなかったが、それがよかった。

 通信を切ったナイトヒュスカは目蓋を閉じ、腕を組む。

「ヴェーベリエス、来客がある」
―― そうか
「お前のことを知らない相手だ」
―― ”一般人”というものか?
「少々異なる。その男は余の孫の婿なのだが」
―― おめでとう。で、いいのかな?
「祝辞、受け取っておこう。その婿は一般人として生きてきた我々だ」
―― 僭主とか言ったね
「そうだ」
―― 貴方の仲間なのだな
「そうなる。だが、未だお前のことを教えるつもりはない」
―― 分かった大人しくしているよ。ところで、私のことを教えないのに、なぜこの惑星へ招待したのだ?
「私の不用意な発言で、婿と孫の仲がこじれるかもしれないので、謝罪しろと」
―― 貴方は本当にあの子に弱いなあ。声は同じだが喋り方はまったく違うのに
「だから愛おしい。あれが我が儘を言ってくれているようでな」
―― だが異種の王よ。貴方は彼の我が儘を聞かなかったのだろう?

”そうではなく……一生お側に……”

「そうだ。だから孫が存在する」
―― 効率が悪い繁殖方法だね
「余もそう思う」

 かつて幸せにしてやることもできず、我が儘も一度しか言わなかった弟が、自由に生きているように思えるので、我が儘な孫の言動に触れる都度、幸せに満たされるのだ。

**********


 孫の婿 ―― かつて皇帝の座を狙った者たちの末裔と対面した時”髪の短い男だな”ナイトヒュスカの第一印象であった。
 長い髪の毛がマントにこすれる際に発生する、特有の音が聞こえてこない事で判断した。
 謝罪を済ませ、ケシュマリスタ王の悪ふざけに乗りトシュディアヲーシュ侯爵と殴り合い訪問者と楽しんだ。
「夕食ができるまで、もう少しかかるよ」
「そうか」
「……怒らないの? お墓に座ったんだよ」
 ナイトヒュスカの肩に両手を置いて、耳に吐息を吹きかけながら、楽しげに囁く。殺風景な室内で、そこだけが色を帯びる。その色は鮮やかだが熱はなく、冷たさすら
「構わん。二人ともお前の悪戯に怒るような性格ではない……おそらくな」
「なにも知らないのに?」
 ケシュマリスタ王の着衣にしては少々薄い緑色の服。袖が大きく開いており、手を口元へと運ぶと、するりと落ちて肘下が露わになる。二の腕まである長い手袋を着用しているので、肌が見えるようなことはない。
 ヴァレドシーアの腕はけっして細くはないのだが、仕草と顔立ちで実際よりも頼りなく見える。もちろんナイトヒュスカは見たことはない。ヴァレドシーアが生まれる前に彼の視力は失われている。
「たしかに知らぬな……怒ったか? サリサレト、エレノシーア」
「囁きかけても、無駄でしょう。帝国騎士はそういうの感じる能力ないんだから」
 帝国騎士は幽霊を見ることはない ―― 幽霊の存在に対する認識は太古より変わっていない。存在しないという者と存在を信じる者の二種類が存在する。
 帝国はこれらの議論に関しては黙認している。その最たる理由が「微弱ながら不可解なエネルギー体が計測されている」こと。
 その場所を視て幽霊が見える上級貴族もあれば、見えない上級貴族もある。
 元々幽霊を視る力というものも研究されており、その能力を所持したような人造人間も造られたことも関係してか、信じる者たちのほうが多い。

 そして見えない貴族は機動装甲に搭乗でき、見える貴族は搭乗できない ―― これが帝国の常識であった。

「そうだな。全て無駄だな」

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