裏切り者の帰還[16]
 朝起こしに来てくれた侯爵が、眉間に皺を寄せて、
「大丈夫か? 二人とも」
 聞いてくるくらいに酷い顔。人前に出るのを避けたほうが良いだろう……そんな顔だが、帰還前に聞きたいことは山ほどある。
「大丈夫です、アーシュ。ウエルダ、顔冷やすタオルを……」
「俺が持ってこさせよう」

 侯爵、優しさはありがたいのですが、ウエルダが警戒を。なにせ侯爵は昨日”天使”と名乗り八枚の翼を広げたクレスターク卿の実弟ですから。その……濡れタオルを手渡すところまではいいのですが。
「そうだな。兄貴のあの姿を観た後じゃあ、余計恐がるな」
 侯爵にウエルダが恐がっていることを伝えると、納得してくださった。正直なところ、あの姿を観ようが観まいが、ウエルダの侯爵に対する恐怖ゲージは、既に上限を突破しているので……。
 食堂で朝食を取り ―― 本当は朝食もそこそこに向かいたかったのだが、そんなことをしたらクレスターク卿の朝食時間をも奪うことになる。
 昼食は一緒に取ることになるだろう。俺の精神が持てば夕食も同席してもらい、話を続けてもらうつもりだ。
 朝食を終えた俺は、クレスターク卿の機動装甲格納庫の一つへ。
 前線滞在期間が長く、出撃回数も帝国騎士を上回るクレスターク卿は、帝国でもっとも数多く七十八体の機動装甲を所持していることでも有名だ。
 前線基地の最強兵器がある場所は、殺風景でもあった。金属が剥き出しの状態で、必要なものしかない場所。格納用フレームに収まっているのは、クレスターク卿が好んで使う形のもの。人間に似た機体だが、背中には昨日見た翼に似せたのであろう部品が取り付けられている。本人が最も動かしやすい形 ―― クレスターク卿はこの姿が最高の能力を発揮できのだろう。
 その機体の操縦席は開き、内部にはバラーザダル液がぎりぎりまで注がれている。いつでも出撃できるよう準備が整っている状態。
 格納庫は機体よりも大きく、高さもかなりある。
 壁側に螺旋状ギャラリーがあり、クレスターク卿はその中程で、手すりに身を預けるようにして俺に手を振ってきた。
 跳び上がるべきかどうか悩んだが、失礼があったらいけないので、螺旋のギャラリーを地道に登ってゆくことにした。
 それ程の距離でもないので……途中、なぜか道がなかったり、歩いていると床が剥落していったりしたのは、皇王族特有の悪戯だろう。
 クレスターク卿は皇位継承権を持つ血筋の方で、皇王族の血が濃い。
 何故か通路一杯の鉄球が転がってきて、回避するために手すりを走ったり、その手すりの材質が途中から柔らかいスポンジになっていて、体勢を崩しかけたり……。トレーニングコースなのだろうか。……いや……でも、そう思っておいたほうが楽だ。
「今日はなにが聞きたい?」
 やっとの思いで笑みを浮かべているクレスターク卿の前に到着することができた。深呼吸をして、気持ちを少し落ちつけて……手すりには触るまい。
「まずは、昨日ロヒエ大公妃が同席した件について」
 聞きたいことは多数あるので、次々と疑問をぶつけてゆくことにした。
「ソフィアディンか。あれもお前と同じ僭主の末裔だ」
「やはりそうでしたか」
「機動装甲は人造人間の血を引いていないと動かすことはできない。帝国騎士になれるもの、それは確実に人造人間だ」
「大公妃が奴隷だったのは、どこかに登録することになると、正体が知られるからですか」
 俺の祖母さんを奴隷にしようと曾祖母さんが考えたのも、これが原因だろう。探られると、すぐに見つかる「なにか」が存在する。
「そうだ。奴隷が一番バレにくい」
 ここまでは予想通り。次は……俺に関係のないことだが、ここまで聞いたからには――
「大公妃は昨日まで、大公を含めた皆さんが人間ではないこと、姿形が違うこと、そしてご自身が僭主の末裔であること知らなかったのですね」
 俺とウエルダと大公妃以外は知っていたようだ。全員、当然と言った顔をしていたものなあ。
「ご名答。そろそろ真実を伝えたかったようだが。カインはあれでボケてるからなあ。ま、元々仲良し夫婦だ。すぐに受け入れた。ソフィアディンは懐が深いからな」
「そうですか。……それでは次ですが」
「なんだ?」
「開戦前日、機動装甲に搭乗できるかどうか? を確認するための検査をした際に」

”ゾローデ。髪を一本引き抜いて、液に入れてみろ”
”はい……す、済みません、一本抜くのはちょっと難しい……”
”クレスターク、バカじゃねえの。どう見たって無理だろう”
「そうだな、ラスカティア。俺が受け取った履歴書の写真には、綺麗な髪が特徴的な青年士官が映ってたんだがなあ”
”ファティオラ様の本気を舐めるな。あの人の不器用さは、天然皇帝由来だ”
”グレスの不器用さは、確かに俺”たち”も天然皇帝由来と認めるが”

「あの”俺たち”とはどういう意味で?」
 ただの勘なのだが、どこかがおかしい。あの場で”俺たち”という必要はない。
「どういう意味ねえ」
「あれは俺を試したのでしょう。気付くかどうか」
 それ以外、考えられない。僅かな違和感に気付くかどうか? 齟齬を見破れるかどうか。
「そうだ。まあ、やっぱ、頭いいなあ。形もいいしな」
 手のひらで頭をぐりぐりと撫でられた。この年になって頭を撫でられるとは。いや良いんだが……撫でられている筈なのに、攻撃されているような気分になるのはどうしてだ。
「理由は聞かせていただけるのでしょうか?」
「もちろん、聞かれたら何でも答える。そうだな、この説明だけはハンヴェルも呼ぶか」
「……」
 クレスターク卿とだけ話をするつもりだったので……いきなりお会いするのは、心の準備というか……。
「あいつが居ないと、説明聞いても”半分”しか会えない」
「は、はあ」
 ”会えない”とは何のことだ? ”俺たちに会えない”と言ったのだろうが……見当もつかないな。ヒュリアネデキュア公爵と会うのとは意味が違うのだろう。
「ハンヴェルが来るまで、違うことの説明をしよう。次に聞きたいことは」
 コレは俺が考えたことなのだが、あの眠っている記憶 ―― 最早目覚めたわけだが ―― は、どう考えてもおかしい。
「検査の際に見た幻覚とも思える”眠っている記憶”についてですが、あれは外部から能力を刺激するために与えた映像ですか?」
 そうとしか考えられない。彼らが存在していた時代は、いまから千五百年以上も昔。それが眠っている記憶として引き継がれるということは、考え辛い。そんな事が出来るのならば、記憶媒体は必要ないとも言える。
「違う」
「じゃあ俺は何を見たのですか?」
「過去だ。俺たちは、全員じゃあないが他者の記憶を持ったまま生まれてくることがある。人間にはない能力だ」
 ”人間にはない”すなわち、俺は”人間じゃない”ということか。
 自分がなんなのか? 悩んだこともあったし、固執したこともあったが、今となってはその苦悩が馬鹿らしいというか、起点が間違って見当違いのことに無駄な時間を費やしていたと分かり……悩んだことは無駄ではないかも知れないが、それだけでは飲み込めないものがある。
「どうしてですか?」
「人間が造った時に機能として追加したためだ。それで、ゾローデはマルティルディって王知ってるか? ケシュマリスタの」
「もちろん」
 未来のケシュマリスタ王の婿になるので、ジベルボート伯爵の試験勉強に混ぜてもらい、クレンベルセルス伯爵の授業を聞いて復習をした。
 マルティルディ王は”美しい王”として有名だ。
 美しくて当然とされるケシュマリスタにあって”美しい王”と伝えられる程だ、並の美しさではない。
 三十一番目の終わりで、それ以前の王たちの映像は多くが失われてしまった。時代的にはその枠に入ってしまったマルティルディ王も例外ではない。
 だが僅かに残された映像。帝国の至宝とされる、ヌビアが作った全身を覆う宝石を身につけたマルティルディ王の映像は、何と言うか……美しいの一言を口にするのに、全体力を消耗してしまうような。それほどの美しさであった。
 それともう一つ。
 帝国が正式採用しているのだから、俺が疑問を持つような類のことではない ――
「現帝国は帝国を再統一したザロナティオンの始まりヒドリクの名を冠している。じゃあケシュマリスタ王家は?」
 分かってはいるのだが、知ることができるのならば真実を知りたい。
 帝国は三十二番目の始まりを迎えた際、僭主として立った際の名を王朝名として付けることになった。テルロバールノル王家だけは、直系子孫が王位を回復したので別王朝名はない。逆に言えば、他の王家と帝国には”それ”がある。ケシュマリスタ王家は、
「マルティルディ朝と習いました……不思議ではありました。マルティルディ王の跡を継いだのは実子ではなく皇帝サウダライトの娘。サウダライトはマルティルディ王よりも以前の王女の血を継いでいたはず」
 あり得ない王朝を名乗った。
 マルティルディ王に隠し子がいたのか? アデード王は実はマルティルディ王の私生児なのか? 公に言う者はないが、そうとしか考えられない。
「その通り。では、なぜマルティルディ朝なのか? その答えがお前の記憶だ。マルティルディ王は記憶を継承させることが出来る物質をアデード王の母親に与えた。本当の用途や目的は違ったらしいが、そこはもう分からない。ただ黄金の林檎を食った後にアデード王を産んだことにより、アデードにはかなりのマルティルディともう一人の血肉が受け継がれた。血肉はちょっと違うか、性質って言ったほうがいいな」
「三十一番目の終わりですか?」
 帝国の記録のほぼ全てが失われたとされる最大の内乱。復元できるものは、ほぼ全て復元が終わり、未だに戻っていないものは、最早失われたと諦めるしかない ――
「それもあるが、マルティルディ王はそれらに関して触れなかったから、黄金の林檎を食べたことすら公式には伝わってはいなかった。黄金の林檎ってのが、記憶を継承させた物質な」
「黄金の林檎はマルティルディ王の体で出来ているのですね」
「そうだ。ケシュマリスタのやつらは、記憶継承が得意でな。だから自分たちがマルティルディ王の末裔であると名乗った。他王家としては、口を挟む問題じゃあないから黙って名乗らせておいたんだが、真実に気づいたヤツがいてな」
 何が失われているのかも分からないというのに、分かった人がいたと?
「誰が、何に気づいたのですか?」
「ロヴィニア王弟セゼナード公爵って知ってるだろ。シュスターク帝の従兄で機動装甲の開発者として有名だった王子」
「存じております」
「そいつ、無類の天才でな……ちょっと待て、これはハンヴェルが来てからじゃないと、説明がつかないな。表層で答えると、セゼナード公爵はカルニスタミア王と帝国騎士レビュラ公爵と共にケシュマリスタ王家の謎に辿り着いた。お前が知ってる”なにか”に似てるだろう?」
「機動装甲の歴史として知っています」
「それと、これは切り離せないんでな。次の質問は」
「もっとも疑問なのは……」
「なんだ?」
「どうしてクレスターク卿が、俺に説明するのですか? 血統的には近いかもしれませんが、立場は随分と違いますよね」
 それが一番の疑問だった。調べたら血筋はそう遠いものではなかったが、近いものでもない。利害が一致するような所もない。
「そうだな。それは血統的に近いことと、この両方の瞳の色が関係する」
「皇帝眼、ですよね」
「ああ。この皇帝眼正配置持ち同士は、ある条件を満たすと、互いに一人だけだが相手の考えていることが分かるようになる」
「考えが読めるということですか?」
「その通り。考えが読め、感情を共有できる。良いことばかりではない、負の感情も、この殺意も混じり合う。何度もやってりゃあ、意識を閉じたり感情を堰き止めたりもできるようになるがな」
「……」
 いきなり言われても信用できない……。信用しなくてはならないのだろうが、皇帝眼ではない俺にはそれを体験する術がなく、どうしても懐疑的にならざるを得ない。
「だから俺が説明する役割を請け負った」
「それだけですか?」
「もちろんそれだけじゃない。最たる理由はヴァレドシーアはお前が嫌いだ。理由は簡単、あいつはグレスのことを愛している。所謂”嫉妬”だ。ただしケシュマリスタの嫉妬は、少しでも間違えば破滅へと向かってしまう」
 それならば、王とゲルディバーダ公爵殿下が結婚なされば、すべては丸く収まるのでは?
「その表情、何を言いたいのかは分かる。ヴァレドシーアが子供を作る能力があれば、それで良かっただろう。ヴァレドシーアは子供を作ることはできない。性的機能は普通だが、精子がその機能を果たさない。だから女傑様は自分の妹二人のうち、繁殖機能がない妹王女を嫁がせることにした。エリザベーデルニにも繁殖能力はない。元ヴァレドシーアの婚約者だったベスケニエラステスは繁殖機能には何ら問題がなかった。女傑様は妹王女二人とヴァレドシーアを守るため、ヴァレドシーアにはエリザベーデルニを、ベスケニエラステスはカロラティアン伯爵へと取り替えた。ヴァレドシーアもそれに応えた」
 あまりにも簡単に語られるので、これが本当のことなのかどうか? 不安になってくる。一筋縄ではいかない御方だとは聞いていたし、実際に会って話して事実だと感じた。だが信頼できないか? と問われると……何故か信頼できてしまう。そしてその根拠のない信頼を感じる自分自身に不信感すらいだいてしまう。
「王はなにをもってテルロバールノル王に応えたのですか?」
「あいつは元々は女が好きだ。今でもな。同性愛趣味はない」
「それは……エウディギディアン公爵殿下が責められないようにするためにですか?」
 王は王妃となるエウディギディアン公爵に興味を持つことはない。お二人の間には子供が出来る気配がないことは、俺たちですら知っている。それは王が同性愛者だから ―― なぜ広くそれが知られているのか? それはこの為だったのか。
 だとしたら、シラルーロ子爵はどうなる? 殺されずに済むのでは……。
「そういうことだ。それで、ネロのことだろう? ネロのことはあれで好きだ。ネロもな、ヴァレドシーアがグレスのことを愛しているのは知っている。ただネロは自分がヴァレドシーアに愛されていることは知らない」
「複雑、ですね」
「そうでもないんだが、余計なものが多くて複雑に見えるな」
 手すりに預けていた体を起こし、クレスターク卿は腕を組む。子供の頃から見たことのあるリスカートーフォン。死と恐怖の代名詞は、言われている以上に底が知れない。
 ここまで話していて気付いたのだが、クレスターク卿はほとんど自分の意見を挟んでこない。王の代理として事実だけを伝えることを優先しているのではなく、何かもっと別の。
「クレスターク卿に一つ。これに関しては卿ご個人の意見と、王の本心を教えていただきたい」
「なにについてだ?」
「ゲルディバーダ公爵殿下の即位に関して」
「そりゃあ、グレスがケシュマリスタ王になるって……意味じゃ無さそうだな」
 俺はゲルディバーダ公爵殿下が皇帝に即位して欲しいなどと考えてはいない。だがクレスターク卿の意見を聞くのには、この質問しかないだろう。
「はい。皇帝即位に関してです」
 不敬であり反逆の意ありと捉えられてもおかしくない質問だが、クレスターク卿の表情は変わらず。そして咎めるような素振りもなかった。
「俺個人の意見はない。俺は誰が即位しようが興味は一切ない。俺は帝国の命数に興味はない。ヴァレドシーアの意見は絶対阻止だ」
「ありがとうございます。クレスターク卿がご自身の意見や興味を持たれる事案とは、どんなものですか?」
「俺に興味があるのか?」
「興味を持たなくてはならない状況というのが正しいかと。俺は卿のことを知りません。クレスターク卿は真実を語って下さっているのだとは思うのですが、疑うとか信じるとか以前に、公共の場の公共放送を聞いているような。これほど聞いておいて失礼なのですが、卿の言葉が全て他人事のような状態で」
「そうだろうな。お前が全然落ち込まないのも、それが理由だろう」
「俺があまり卿の言葉を……信じられないわけではありません。受け止められないわけでもありませんが、上滑りするというのでしょうか。真実を知りたい気持ちはありますが、卿のことを知らないという事実が、それらを堰き止めてしまうのです」
 俺が知っているクレスターク卿程度では、全事実を受け入れられない。重大な事実は信頼が置ける相手でなければ……信じていると言いたいのだが、信じ切れていない。
「お前の反応は”まとも”だと思う。俺が言うとちょっと滑稽だろうがな。俺のことを知ってくれとは言わん。だが聞きたいことがあったら聞いてくれ、そしたら答える。いま全てを聞かなくても、知りたいことがあったら何時でも連絡を寄越せ。些細なことでもいい、なんでも答える。それ以外でも連絡を取り合おう、個人的なことではなく仕事でな。俺はお前の友達になりたいわけじゃない、俺はお前の家臣だ。―― 汝、支配者。我を見極め支配せよ」

 たった一人から事実とされるものを聞かされる。それを鵜呑みにできるほど、俺は純粋ではないということだ。


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