偽りの花の名[21]
 夕暮れが訪れ、空が黄金色に染まる。たなびく雲の影が僅かに青味を帯び ――
「勉強、教えてくれてありがとうなあ」
 エゼンジェリスタの帰宅時間となった。
「大宮殿まで送ろう」
 何時も通り大宮殿まで送ろうとしたイズカニディ伯爵だが、エゼンジェリスタは首を振る。
「いいや。今日は遠慮する」
 ここからエゼンジェリスタは大宮殿へと入り、皇太子妃としての仕事をしつつ、授業の予習などをする。
「だが……」
「今日は一人で……考えて帰りたいのじゃ」
 思う所があり、一人で帰ると告げた。
「そうか……」
 背が高いイズカニディ伯爵は腰をかがめ、エゼンジェリスタのカチューシャを直し顔を近づける。あまりに顔が近くにある頬を赤らめるエゼンジェリスタに可愛らしさ以上のものを感じ、いつ頃から可愛らしさ以上のものを感じるようになったのか? を自問自答するもはっきりと答えを出すことができない。
「お願いしてもいいかな? エゼンジェリスタ」
 出会った当初は可愛らしいという気持ちしなかったのは確かなのだが、
「な、なんじゃ?」
 会う度に照れながらも必死に好意を伝えてくる少女を前にして、徐々にだが――
「やっぱり来週も会いに来てくれるか?」
「準備があるのじゃろう」

 ゾローデの遠征はケシュマリスタ王が整えているが、それ以外の調整――遠征軍総司令や幕僚たちへの挨拶まわりから、彼らの直属の部下たちとの交流。誰が誰と仲が良く、誰とは不仲であるかなどの書面からは分からない関係などの調査。
 ケシュマリスタ王からそれらの調査書が届くが、鵜呑みにするほどイズカニディ伯爵は単純でもなければ素直でもない。
 自分から面会を申し込み、直接会って話をして、調査書が本当であることを確認する。遠征中の人間関係を円滑にするために心を砕くのも側近の仕事。特にゾローデは突然現れた存在なので、上級士官学校で同期であった者以外からすると未知の存在。他の者たちも色々と知りたいことがあるので、情報を聞き出すためにも伝手を捜す。そうなると、イズカニディ伯爵は、地位があり上級貴族でゾローデと知り合いでという条件ゆえに”格好の餌食”となり、側近の中でもっとも訪問が多くなる。
「ダメかな?」
「いいや! 儂は来てやってもよいのじゃ……いや、来たいぞ!」
「前線に行く前に、やっぱり会いたいからな。激励してくれるか? エゼンジェリスタ」
 端が裂けているように感じられる口に笑みを浮かべ、鋭い犬歯を見せてイズカニディ伯爵が頼むと、エゼンジェリスタは驚き、そして快諾した。
「おう! 儂が激励してやる。楽しみに待っておるがよい!」
 元気よくイズカニディ伯爵の腰に抱きつき、見上げてくる。
「ああ」
 大きくなったエゼンジェリスタを見つめながら、頭を軽く撫でた。

 迎えの馬車に乗り去ってゆくエゼンジェリスタをイズカニディ伯爵は見送り、彼女は後ろの窓からずっと手を振る。
 光の中に溶けてゆくかのような馬車とエゼンジェリスタ。見えなくなってもイズカニディ伯爵はその場から立ち去ることができぬまま、顔を両手で隠して俯く。
「ロリコンじゃないって、どの口で言うんだか……………………あ!」

**********


 ウエルダと平民たちはクレンベルセルス伯爵の自宅へと招かれていた。帰宅したい気持ちはあれど、伯爵の誘いを断るなど彼らにできるはずもない。それとクレンベルセルス伯爵には悪気はない。これから貴族と接することが多くなるであろう彼らに慣れさせるためにも、軍人としても皇王族としてもさほど階級が高くない自分が練習台になろうと考えてのこと。

 帝国軍准将で伯爵というのは、世間的にはとても高位の存在である。

 それでも彼らはなんとか打ち解けることができた。節度を持ったものだが、悪い人ではないことは何となく分かったので、話しかけたり答える際のぎこちなさが取れてきた。
 ただジベルボート伯爵キャステルオルトエーゼについて尋ねる勇気がある者は存在しない。だが……
「バルデンズさま。サベルス男爵閣下がお見えです」
 思わぬ出来事からその一端を知ることになった。
「来客中だぞ」
「その来客の方にも御用があるとか」
「何ごとだ? 仕方ない、お通ししなさい」
 執事の取り次ぎに首を傾げ、眉根を寄せて難しい顔になる。
「……」
「どうなさったのですか? クレンベルセルス伯爵」
「サベルス男爵の訪問理由が解らない。私と彼は行き来するような間柄ではない。なんだろうな」
「皇王族の方ですか?」
 ウエルダは”押さえておくべき貴族”しか覚えていない。
 一生会うこともなさそうな貴族の名前など覚える必要性を感じないことと、正直それほど記憶力に余裕もない。
「いいや、ケシュマリスタの上級貴族だ。名門男爵だよ。……あ、あれ? もしかして」
「思い当たる節でも?」
 ウエルダの問いに答えようとしたのだが、そのタイミングで当事者が到着したため、会話は中断された。
「お連れいたしました」
「失礼します」
 やや高く、よく通る声の少年。それがサベルス男爵であった。
 髪は貴族にしては短めで肩の辺りまでしかなく、カットしているせいなのか? 生来のものなのかは不明だが毛先が全て内向きになっている。髪の色は白みを帯びた金髪で、肌は褐色。右目は黒く左目は緑がかった蒼。美しいが少年と分かる顔立ち。
「サベルス男爵サンレストアサーファです」
「クレンベルセルス伯爵バルデンズです。どうしました?」
 帝国上級士官学校の制服を着用しているが、ケシュマリスタ貴族らしく体の線は細い。
「お聞きしたいことがありまして」
 クレンベルセルス伯爵は椅子を勧め、サベルス男爵は平民たちと同じ卓に嫌な顔一つせずについた。
「なんでしょう」
 大至急サベルス男爵の好みの茶葉や菓子を調べ、幸い邸にどちらも在庫があったので、大急ぎで用意し何ごともなかったかのように給仕する執事。
 淹れられた紅茶を一口飲み、執事に声をかけるわけではないが”満足した”と笑みと共に頷く。執事はその礼を受けて退出した。
「単刀直入に。イズカニディ伯爵から第三十八宇宙港の管理をしてくれと依頼されました」

 エゼンジェリスタを見送り、自らの気持ちと向き合ったイズカニディ伯爵は重大なことを思い出した。彼はクレンベルセルス伯爵に”第三十八宇宙港の管理”を依頼されて引き受けた。だがその後ウエルダの側近がジベルボート伯爵だと知り、彼の人生を全力で補佐すべく側近に名乗りを上げて書類をあげた。その結果遠征に従うことに ―― 要するに宇宙港の管理者の仕事ができなくなった。
 自分のうっかり加減に幼女から少女になりつつある姫への思慕を引っ込めて、急いで宇宙港の管理ができ帝星に滞在している知己やら縁戚を捜して頭を下げるはめになった。

「……あ、そう言えば。私からもお願いします」
 クレンベルセルス伯爵もすっかりと忘れていたことである。
 まだ学生のサベルス男爵に依頼するのは駄目なのでは? と思われそうだが、学生である故に、確実に帝星近く人工惑星から遠出することはない。イズカニディ伯爵もずっと管理責任者をして欲しいわけではなく、遠征の最中だけ代理の代理を務めて欲しいと依頼したのだ。
「依頼を引き受けるのはやぶさかではないのですが、イズカニディ伯爵の言葉、妙に歯切れが悪くて」
 まだ学生ではあるが、帝国上級士官学校は軍事の全てを学ぶ学校。代理を任されたら、教官の協力を得て管理することは可能である。
「歯切れが悪いと言いますと?」
「自分が引き受けたのだが、ちょっと問題があって……とばかり。理由を言いたくなさそうだったので調べさせましたら、クレンベルセルス伯爵がエイディクレアス公爵殿下に頼んで”宇宙港の管理者として”地下迷宮から引きずり出したと聞きました。それほど詳しいわけではありませんが、イズカニディ伯爵の性格なら引き受けるのではないかと思いまして」
 サベルス男爵は平民たちが徐々に俯き加減になっていっていること、特に少尉の格好をした人物がテーブルに俯せになりかかっていることに気付いていたが、それらを気にしていないような素振りで話を続けた。
「理由、言いませんでしたか」
「言いませんでした? 分かりますか?」
「言えなかったのだと思います」
「どうして」
「イズカニディ伯爵はこのウエルダ・マローネクス少尉の側近になりました。ご存じかもしれませんが、ウエルダ少尉は王太子殿下の婿の側近です」
「これはこれは。王太子殿下の婿の側近に挨拶をしないとは不徳のいたり。私はサベルス男爵サンレストアサーファ。よろしく頼みます、ウエルダ卿」
 立ち上がり握手を求められ驚いてどうするべきか? 確認するために、クレンベルセルス伯爵を見ると頷き親指を立てているので、手を握り返してもいいのだろうと判断して軽く握り返した。
「はい、閣下」
 また椅子に座ると、クレンベルセルス伯爵が決定打を打ち込むために言葉を紡ぐ。
「隠したところでどうしようもないのですが、イズカニディ伯爵は言い辛かったのだと思います」
「なにが?」
「ウエルダの側近はジベルボート伯爵キャステルオルトエーゼです」
「……」

 イズカニディ伯爵の焦った姿とも、エゼンジェリスタの幼い顔に暗い影を浮かべ憂いを帯びた表情とも、ほぼ元凶ともいえるクレンベルセルス伯爵の思い出した後の絶叫とも違う、サベルス男爵の絶望的表情。形の良い柳眉が崩れ下がり、口が絵に描いたかのように両側が垂れ下がる。

「宇宙港の管理者を引き受けてくださったイズカニディ伯爵ですが、ウエルダの側近がキャスと知り、血相を変えて自ら側近となりキャスを抑えることを約束してくださいました。閣下に”キャスが平民の側近になったからだ!”とは言えなかったのでしょう」
 サベルス男爵は再度椅子から立ち上がり、ウエルダに近付くと体をそれこそ九十度に折り曲げて詫びた。
「申し訳ございません!」
 特になにも起こっていないのだが、まるでなにかが起こったかのような、貴族達の行動。
「あの……」
「宇宙港のことは心配ご無用です! ……その……ごめんなさい!」

サベルス男爵サンレストアサーファ、十三歳。彼は――

 礼をしたまま体を起こさないサベルス男爵をクレンベルセルス伯爵が無理矢理椅子に座らせて”落ち着いて、落ち着いて”と宥め、茶ではなく精神が落ち着く成分が入った薬湯を手渡す。サベルス男爵はずっと謝りながら ―― ウエルダに対してなのか? 全宇宙に対してなのかは不明だが ―― 薬湯を三度ほど口に含み嚥下して、クレンベルセルス伯爵以外の平民たちが心配そうに見ていることに気付き、恥ずかしさを感じつつ、自分が取り乱した事情を説明する。
「キャステルオルトエーゼは私の婚約者です」
 ジベルボート伯爵家はかなりの名家であり、サベルス男爵家も紛うことなき名家である。その当主に婚約者がいないはずなどない。
「……あの、男爵閣下。よろしいでしょうか?」
「なんでしょう? ウエルダ卿」
「ジベルボート伯爵閣下とは、どのような御方なのでしょうか?」
 上級貴族が軒並み「嫁は諦めろ!」となる美少女。性格は悪いが悪くはない美少女。
「…………」
「閣下、申し訳ございません。無理に聞こうというつもりはありませんので」
 手に持っていた薬湯を一気に飲み干し、カップをクレンベルセルス伯爵に手渡してから、貴族や親しい皇王族は知っているが平民たちは知らない事実を、美しい声で語り出す。
「いいえ。その……キャステルオルトエーゼは怖ろしいですが、主は側近の身の上を知っているべきです! お答えしましょう! 私、サベルス男爵サンレストアサーファとジベルボート伯爵キャステルオルトエーゼは同い年で、今から十一年前、二歳の時に婚約しました。もちろん婚約を決めたのは先代当主同士です。当時のキャステルオルトエーゼは伯爵家を継ぐ立場にありませんでした。彼女には双子の兄がおりまして、彼が継ぐはずだったのですが……”僕、伯爵家継ぎたいの”と言いだして、母であり女としてライバルであった当主を葬り、実兄と実父を後宮に押し込み見事にジベルボート伯爵となりました。この時八歳」
「……」
―― さすが大貴族。すごいな……
 要点を聞いただけでウエルダは彼女の凄さを感じた。
「キャステルオルトエーゼの名誉の為といいますか……母であった当主は殺さなければ彼女が殺されていたことでしょう。ケシュマリスタ女は同性、特に母娘の関係が悪いのが特徴です。特性といいますか初代皇后と二代皇帝の確執から始まった因縁といいますか……キャステルオルトエーゼと母親もそのような関係でして。まだ子供だった……今でも子供の範疇ですが、今よりも幼かったころ、何度も不自然な怪我や体調不良を起こしました。事情を聞いていましたし、母親との確執であると裏も取れていたので、結婚を前倒しにしようかと提案したのですが”自分よりも不細工な女に家を追い出されるのは、ケシュマリスタ女としての矜持が傷つく”と言い張り、様々な策を弄して勝ちました」
 そこで勝ててしまう辺りがジベルボート伯爵キャステルオルトエーゼである。
「当主と他家に嫁ぐ姫君では家内権力に雲泥の差があるのでは?」
 ウエルダの身近に貴族はいないが、想像はできる。
「はい……キャステルオルトエーゼは自らの可愛らしさと無邪気な残忍さ、そして作為的な腹黒さと美しい狡猾さで王太子殿下のお気に入りになったのです。王は王太子殿下のお気に入りには無条件でなにに対しても許可を与え、また王太子殿下はケシュマリスタ女らしい我が儘さと嫉妬深さを持っていますが、根本的に支配者で懐が深く、一度抱えた部下は滅多なことでは見捨てません。そしてキャステルオルトエーゼは見捨てられるような愚か者ではありません」
「あー……」
 ウエルダは無意識のうちに同意の意が篭もっている声を漏らした。
 軽やかで歌うような話し声と可愛らしい笑顔、繊細な体付きに子供っぽさを感じさせる動きの数々と、ちょっと我が儘なところ ―― 話を聞いてからジベルボート伯爵を思い浮かべると、やたらと納得できてしまう。
「帝国上級士官学校は安らぎの場……ではなくて! あの人、良い所あるんですよ。可愛いところも私に甘えるところも……」
 ケシュマリスタ女の可愛らしさは”無敵”である。そしてこれほど性格に裏表があると知りながらも甘えられたら拒否できない。年上の男なら庇護するように、年下の男なら良い所を見せようと、同い年なら甘えられたり、甘えたり。
「これからお世話になります」
「いえいえ。あの人がなにかしても、私にはどうすることもできません。私にできることといえば無意味な謝罪と、慰めにもなりませんが資産だけは誇れる程あるので賠償はいくらでもいたします。あ、でも女性の斡旋は無理です。あの人と渡り合える女性に心当たりはあるのですが」
「テルロバールノル王とかですか?」
「……誰がそのようなことを?」
「皇太子妃殿下が」
「イズカニディ伯爵のお家にいらっしゃったのですね。かの大アルカルターヴァ殿下ともなれば、あの人でも相手になりません。私が御紹介できるのは、エダ公爵姫とかウリピネノルフォルダル公爵とかサゼィラ侯爵姫とか……ごふっ、砕けて言わせていただきますと、ぶちゃけあの人のほうがマシといいますか……」
 平民たちはその時、クレンベルセルス伯爵の顔に「どの姫君も似たり寄ったり、五十歩百歩、同じだよ」と書かれていることに気付いてしまい、この若く綺麗な少年の気持ちにも気付き、なんとも優しさとは違う、だが優しいとしか表現のしようがない気持ちに温く包まれた。
 サベルス男爵サンレストアサーファは色々言っても、様々な真実を知っていてもジベルボート伯爵キャステルオルトエーゼのことが好きなのだ。

|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.