帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[187]
驢馬に手紙を渡してから、グラディウスは皆がマルティルディからのもらったプレゼントを見せてもらった。
リニアには靴に鞄、コートなど外出用品をセットで十着ほど。ルサ男爵もリニアと同じく外出用の品。
これは二人が大宮殿の外で行われている幼児教育の講習を聞きに行っているので、その際用の服を用立ててやったのだ。
ジュラスは貴族の子女らしく宝飾類。
「ジュラスに似合う!」
小さな花をモチーフにしたティアラを五種類ほど。どれも当然ながらジュラスには似合う。
やや遅れてやってきたザイオンレヴィは、
「……」
「白鳥さん、白鳥になった!」
肩の部分が白い羽で飾られたマントが二十枚。
その羽、非常に抜けやすく、また舞飛びやすく、歩いているだけで羽をまき散らす……まさに白鳥。
バーゼは部屋に巨大な水槽が設置されており、飾られた水槽内を色鮮やかな小魚が泳ぎ回っていた。
「うわああ! 小さな水族館だ」
グラディウスは昨日マルティルディと一緒に水族館に行ったことをみんなに教える。
「良かったわね」
「うん。とっても楽しかったんだ、リニア小母さん! この小さな水族館すてきだ」
以来グラディウスは、二日に一度はバーゼの部屋へとやってきて、小魚たちを見て声をかけ、偶には餌を与えるなどして楽しませてもらっていた。
皇帝の寵妃との時間はバーゼにとっても、とても幸せな時間となる。
そして最後は「ダグリオライゼには直接プレゼントする。これはリュバリエリュシュス用」と書き添えられた箱。
「なんだろうね! エリュシ様喜ぶよね! おっさんに渡して貰おう!」
両手で包み込むようにして箱を持ち、グラディウスはリニアやジュラスに笑いかけた。
「なにかしらね」
「お喜びになられるでしょうね」
そんな”ほんわか”とした空気を切り裂いた子爵の叫び。
ザイオンレヴィは羽が無駄に飛び散るマントを脱ぎ駆け出し、ジュラスは「幸せな空気を妨害した」ことに腹を立ててザイオンレヴィの後を追うようにして走り出す。
グラディウスも”とても大変なことが起きた気がする”と、箱を丁寧に置いてから、全力で走る――
「グレス殿、こちらです。そっちではありません」
「ありがとう、ルサお兄さん」
ルサ男爵と共に叫び声がした方へと……普通に考えれば、この館の主で寵妃であるグラディウスが、彼女の身の安全を守るためにいる部隊の責任者が叫んでいる場所に向かってはいけないのだが、そこら辺はグラディウスもルサ男爵もあまり良く解っていない。
グラディウスはケーリッヒリラ子爵を心配し、ルサ男爵はグラディウスの願いを叶えることが最重要なので。
辿り着いたグラディウスは、
「おじ様!」
廊下に倒れているケーリッヒリラ子爵に駆け寄り、
「大丈夫? おじ様」
必死に揺する。
「大丈夫よ、グレス。この人、びっくりが過ぎて意識を失っただけだから」
普段は厳しいジュラスだが、これは仕方ないだろうと意識を失ったケーリッヒリラ子爵を優しく放置していた。
放置が優しいのか? と問われそうだが、彼女の性格からすると放置でも充分優しいのである。
驚きを共有していたザイオンレヴィは、マルティルディに真意を問うために再び彼女の元へと急いでいた。
「びっくり?」
「あ……」
グラディウスよりも先に室内のヌビアの作品に気付いたルサ男爵が、驚きで声を詰まらせる。
「あなたでも驚くんだ」
後ずさりしかけているルサ男爵を見て、ジュラスはある種の感動を覚えた。
ルサ男爵ですら驚く品。
「なに? なに? ジュラス」
「あれよ」
室内にまったく注意が向かないグラディウスに、ジュラスは指をさして教える。鮮やかなオレンジ色の手袋をはめた手が指し示した先にあったもの。
「……」
グラディウスは”ぽかん”と口を開け、ケーリッヒリラ子爵を揺すっていた手が止まる。
※ ※ ※ ※ ※
「いやあ、本当は私がマネキンになればよろしかったのでしょうが!」
僅かな隙をつき、ケーリッヒリラ子爵の部屋にヌビアの作品を飾ったのはゾフィアーネ大公。
第十六代皇帝より下賜されたヌビアの作品は、その国の王位継承権を持つ者のしか身に付けることができない決まりになっている。
運び込んだ彼、ゾフィアーネ大公はケシュマリスタ王位継承権第三位を所持しているので、装着したまま立っていても許されるのだが、彼は王位よりもガニュメデイーロであることを望み拒否した。
ちなみに彼の兄は「腰がない服を着て装着してもいいのでしたら」と勝手に申し出てきて、マルティルディに却下された。
あと一人、キルティレスディオ大公ミーヒアスも装着できるのだが……
「えー酒乱」
「ええー酒乱」
大公兄弟に言われ、
「いい香りがする酒乱って最悪だよね」
マルティルディにも拒否された。
「酒乱関係ねえだろ!」
マルティルディの言う”いい香りの酒乱”というのは、ケシュマリスタは体臭が”ない”か、いい香りがするかのどちらか。それは飲酒しても変わらない。酒を飲んだ後特有の匂いがすることはないのだ。
大公兄弟は無臭でマルティルディとミーヒアスはいつでも芳しい香りがする――
マルティルディとしては自ら装着し、グラディウスに見せてやろうと考えているので、腰布やら腰の部分丸出しが装着した後の物は使いたくないので却下し、ミーヒアスは装着して暴れ出したら壊しかねないのでやはり却下。
「素っ気なく飾っておけよ。その後、僕が着て見せてやるからさ」
……となった。
「マルティルディ様が装着なされた似合うでしょうね、兄さん」
「それは似合うだろうね、弟さん。そして私が装着したら、ヌビアのあれも驚くことでしょう」
「そうですよね」
そんな話をしている二人に、
「驚くわけねえだろ」
仕事中なので一応素面のキルティレスディオ大公が呆れたように指摘する。
「どうしてですか?」
「ああ? ヌビアは、えっとなヒロフィルの先代の先代……三代前のガニュメデイーロと会って話してるんだよ。脱ぎながら登場したガニュメデイーロにも驚きはしなかったって聞いてるぜ。作品はヌビアの性格に似てるってから……おい、なにをする気だ?」
「いや、ならば装着してみようかなーと」
「服着て装着しろよ。そのもろ出し格好で装着しようとするの止めろ、ソロトーファウレゼーニスクレヌ。ヌビアの作品はよくても、マルティルディに対して嫌がらせになる」
「失礼な! 私のなにが嫌がらせですか! ミーヒアス様!」
「”なに”がだ。服着ろ、見せんなそんなもん」
※ ※ ※ ※ ※
ケシュマリスタに下賜されたヌビアの作品は《全身を覆うもの》
長いネックレスが繋げられたような作品で、その人の体にぴったりと合わせることができるような仕組みになっている。
薄い緑一色だけの硝子で作られているのだが、カッティングにより光を通すと、数百万の小さな硝子の粒どれもが違う色になる。
本当に光り輝く装飾品で、並の人間ではその輝きに負けてしまう。
「おじ様! おじ様」
意識喪失状態から戻ってきたケーリッヒリラ子爵と共に《全身を覆うもの》に近付く。
「おじ様、これ硝子?」
「そうだ」
「凄いね」
「ああ……」
見惚れるケーリッヒリラ子爵と、その美しさに圧倒されるグラディウス。
「ねえ、ジュラス。これを作った人は、きっと優しい人だったんだね!」
マルティルディの髪にも似た輝きに、グラディウスは優しさを感じた――
「えっ……」
《全身を覆うもの》を見てトリップしていたケーリッヒリラ子爵が漏らした声。
「そうね。きっと優しい人だったのね」
ジュラスはグラディウスを喜ばせるために、伝わっている逸話を全て無視した。ヌビアに心酔しているケーリッヒリラ子爵の声。それを聞いたルサ男爵は、
―― 性格……優しくなかったのか
空気というものを読み、逸話は知っているが性格まで推測したことのなかった彼は、このとき初めて推測し、それは完璧であった。
―― 優しくないというか、悪いといったほうが正しいというか、優しかったかもしれないが、そういう記述はひとつもないというか……(ケーリッヒリラ子爵談) ――
―― ヒロフィルがヴィオーヴから聞いた話を聞いた、所謂又聞きだが、性格は陰険でも性悪でもないが悪かったってよ。ヌビアに心酔していたヴィオーヴがそう言うほどだ(キルティレスディオ大公談) ――
※ ※ ※ ※ ※
数日後――
「君、これのメンテナンスする?」
引き取りにやってきたマルティルディからのありがたい提案に、
「無理です」
ケーリッヒリラ子爵は頭を下げて辞退した。
「そうかい。じゃあ最後に僕が着ている姿を見せてあげるよ」
「ありがたい……」
「ねえ、本当に僕でいいの?」
「……」
「リュバリエリュシュスの方が似合うかもしれないよ」
容姿は同じだが表情はまるで違う……ようでありながら、似ている。
簡単に見分けることはできるが、確かに似ている二人。
「……貴方様以上に似合う方はいません」
「そうかい?」
マルティルディはそれ以上追求せず《全身を覆うもの》を装着し手見せてやった。
「どうだ?」
普通の人間では負けてしまうが、マルティルディはそんなことはない。
「お似合いです」
「ああ、この宇宙で僕を飾れる数少ない一つだよ。もう一つは”これ”だけどね」
懐から取り出した「かたばみのイヤリング」
「……」
「すごい気に入ってる。これよりも気に入ってるんだ」
そう言いながら微笑んだマルティルディは ―― 本当に美しかった ――
《六章・終》
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