帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[181]
 合奏と聞きグラディウスはいそいそと持参したトライアングルを取り出した。
「エリュシ様と練習してきたの」
「そうなんだ」
 マルティルディの歌に合わせてグラディウスがトライアングルを奏でる。
 いつも全身で奏でるグラディウスだが、今日は何時になく全身で奏でる。それこそ腰が動き、両手も動いて酷い有様なのだが、マルティルディにとってそんなことは問題ではない。
 嬉しそうに「ちーんちーん、ちちん! ちちちん!」なる奇妙な音を奏でているグラディウスが楽しければいいだけのこと。
 だが同時にいつもの悪戯心が芽生え、全ての音を奪う声で歌い始める。
 鳥の鳴き声も木々の葉が風に揺れる音も、その風が吹く音も、そしてトライアングルの音も全てを消し去る。
 マルティルディの声のみが世界の音になる――のだが、グラディウスは自らが奏でる音が聞こえなくなっても笑顔でトライアングルを叩き続ける。
 その笑顔に不安は欠片もなく、歌っているマルティルディを見つめながら。世界の音を消し去ったマルティルディはその楽しそうな笑顔に、

―― 君の奏でる音だけ響かせるのを許してやろう

 グラディウスのトライアングルの音が聞きたくなり、世界の音の支配を緩めた。「ちーんちーん、ちちん! ちちちん!」らしい音と共に、鳥の鳴き声が遠くから聞こえ、風が自分の頬を撫で、草木が揺れて合奏に混ざってくる。
―― ああ、この子は孤独じゃないんだ
 グラディウスが奏でる音は音程が外れているが、宇宙の中にある音。マルティルディは全ての音を支配するが、それは同時に本来は存在しない音。
「君も歌えよ、グレス。トライアングルの手を休めてもいいから、歌え」
 言われて覚えてきた歌詞を思い出し、マルティルディの声に乗せている”つもり”で歌う。まったく音程もリズムも違うが、それは宇宙に溶けてゆく。
「楽しかったよ、グレス」
「あてしもとっても楽しかった!」
「それでさ。僕君の演奏聞きたい。君一人でトライアングルで奏でてくれるかい?」
「はい! ……ほぇほぇでぃ様、お願いが」
「なんだい?」
「隣にいってもいいですか?」
 グラディウスとマルティルディは向かい合って合奏していた。普段の”グレスとエリュシ”と同じような形。
「いいよ。リュバリエリュシュスとは向かい合ってばかりだろうからね」
「うん! エリュシちゃん……じゃなくて、エリュシ様の隣で、こう、くっついて遊びたいなあ」
 グラディウスはマルティルディの足にぴったりとくっついて、言われた通りにトライアングルを叩きだす。
 原曲が解らないリズムになっている曲を聴きながら、マルティルディは自分が整えてやった、真っ直ぐな分け目の頭を見下ろし、
―― エリュシちゃんって呼びたいのか……僕が良いって言ったら……やーめた。あいつに良い思いなんてさせてやるもんか
 許可を与えてやろうかと考えた物の、エリュシちゃんと呼ばれ、呼んで幸せになる二人を想像して腹立たしくなり直ぐに考えを撤回する。
「ほぇほぇでぃ様、どうでしたか?」
「とっても良かったよ。君の曲らしくてね」
「よかった!」
 笑顔になったグラディウスを前に「喜ばせるために、呼ぶのを許可してやろうかなあ」と言う気持ちがまた沸き上がるが、妬心がそれを叩きのめす。
「グレス」
 嫉妬と同義語である祖先のロターヌ・ケシュマリスタ。
 彼女の子孫だから嫉妬して当然だと思うが、あんな女と一緒じゃない、あの女みたいな下らない嫉妬じゃないと――
「はい!」
 嫉妬を種類分けしてまで違うと言い訳する自分に嫌気がさし、
「リュバリエリュシュスが”エリュシちゃんって呼んで”って言ったら呼んでもいいよ。でもそれまでは”エリュシ様”って呼ぶんだ。いいね?」
 マルティルディとしては出来る限りの譲歩をしてやった。
「はあい!」
 リュバリエリュシュスが”エリュシちゃん”と呼ばれたら悔しい。だが自分のことを”ほぇほぇでぃちゃん”と呼んで欲しいわけではない。
 ならば許せば良さそうだが、そうではない。マルティルディはただ純粋に嫉妬している。それは自分が言い訳した通り、ロターヌの嫉妬とは違うが、どこか似通った物でもある。

※ ※ ※ ※ ※


「ほぇほぇでぃ様!」
 食事にプレゼント、そして合奏。グラディウスが用意や練習してきた物は終わり、あとはマルティルディが用意した遊びになった。
 グラディウスは今、砂漠でそり遊びをしている。
 汚れのない原始の砂のみで作られている砂漠へとやってきていた。その歩くと鳴る砂に驚き、

―― ボードもいいけど、これはこれで

 反重力ボードで滑り降りる予定だったのだが、グラディウスには無理であったため、そりを用意させて、砂の坂を滑らせることにした。
 足を取られながら登りそりに乗り滑り降りる。
 単純な子どもの遊び。
 坂の下にいるマルティルディは、楽しくてしかたがないと言うのが露わになっているグラディウスの顔や、砂に足を取られながらも力強く登ってゆく後ろ姿を眺めて楽しんでいた。……のだが、
「ほぇほぇでぃ様も一緒に乗ろう!」
 坂を下りてきたグラディウスが、砂を鳴らしながら近寄って来て手を引く。
「僕と一緒に?」
「うん! 楽しいよ」
「……解った。それで前は君?」
「ほぇほぇでぃ様、前に乗りたい?」
「僕そりに乗ったことないから、最初は君に任せるよ」
 グラディウスを抱き上げて、飛び上がり坂の上にひらりと舞い降りる。
「ほぇほぇでぃ様すごい!」
「まあね。それで僕が後ろに乗るんだね」
「うん!」
 グラディウスはそう言い前に詰めて乗り……
「あああ! 滑っちゃった!」
 バランスを取ることができず、単身で坂を滑り降りてしまった。
「ぷっ……君らしいってか、期待に応えすぎってか……。早く登ってきなよ、グレス」
 可憐な鳴る砂では隠しきれない程”どすどす”とした足音で登ってきたグラディウス。今度は上手く二人で乗り、
「いくよ! ほぇほぇでぃ様!」
「いいよ」
 マルティルディがグラディウスの腰に手を回した状態で坂を滑り降りる。
 前に乗ったグラディウスが上手くバランスを取らなくてはならなかったのだが、やはりと言うか失敗してしまい、滑っている途中そりが傾き、二人は砂に俯せになった。
「大丈夫かい? 君」
 砂を払いながら尋ねると、グラディウスが砂に埋まっていた顔を勢いよく上げる。目を固く閉じ顔中砂まみれ。
「こんなに予想通りだと、楽しくてしかたないや」
 マルティルディは袖口で顔の砂を払ってやり、指で丹念に睫の砂を除去し、声をかけてやる。
「目を開けていいよ。あと口もね」
「ありがとう、ほぇほぇでぃ様」
「そりって楽しいね」
「うん!」
「さ、また滑り降りるよ。今回も君が前だ」
 後ろに乗ったマルティルディが必死にバランスを取るも、三回に一回は失敗して二人は砂に転がり砂まみれに。
 拭っていても良かったのだが、遊ぶ時間に割り当てたいと水を持って来させて洗い流しては遊び続ける。
 途中マルティルディは、リュックサックの時と同じくグラディウスが楽しんでいる顔を見られないことに不満を感じたが、目の前で揺れるお下げと全身から感じる楽しさに、
「もうっ……」
 バランスを取ることを忘れてまた砂まみれになりながら、自分の感情を持て余す。

―― 僕はなんでも思い通りにできる筈なのに、ここじゃあ一つも思い通りにならないじゃないか

 そりに乗れば楽しんでいる顔が見られず、楽しんでいる顔を見れば一緒にそり遊びを楽しめず。当たり前のことなのだが、マルティルディにはもどかしくて仕方がなかった。
「ほぇほぇでぃ様、お水」
 砂に俯せになり心中で葛藤していて起き上がらないマルティルディのために、自分の腕て顔を乱雑に拭い、少しばかり砂を噛みながら水が入ったボトルとタオルをグラディウスが持って来た。
「ありがとう。グレス、うがいするんだよ」
「はい」

 他にも色々な遊びを考えていたマルティルディだったが、砂でのそり遊びが思いの他楽しく、気付けば夕食時になっていた。

「ほぇほぇでぃ様、楽しかった」
「本当にさ。こんなに真剣に遊んだの、初めてかもしれない」

※ ※ ※ ※ ※


 シャワーを軽く浴びて着換え、食堂へと向かう。
「蝋燭だけで明かりを取るのがケシュマリスタの正式な食事なんだよ」
「蝋燭? この綺麗なのが?」
 ケシュマリスタの夕食の際に使われる蝋燭は手が込んでいる。大理石彫像風や、レリーフを施したものや、一つ一つ絵を手描きされたものなど。
 一晩だけで使い切らなくても廃棄してしまう。
「凄いだろ」
「うん!」
 本日食堂を飾っている蝋燭はグラディウスに解りやすく、溶けても悲しくならない花。選ばれたのは紫陽花で、花の一つ一つに芯があり炎が灯されると部屋がとても明るくなる。
 最初は動物などを模ったものを作らせたが、溶ける過程を見たサウダライトが「マルティルディ様に意見するようですが、あの子、動物が溶けるとしょんぼりしそうです。無論、マルティルディ様があの子のしょんぼりしているところを見たいのでしたら問題ありませんが」と進言し、少しは”しょんぼり”しているところを見たかったマルティルディだが、食事中ずっとそれではつまらないと、問題にならないよう花を作らせることにした。
 蝋燭の炎が揺らめくと、美しいマルティルディの姿がより一層美しく幻想的になり、
「ほぇほぇでぃ様」
 遊んで空腹になっている、食事大好きなグラディウスの手すら止まるほど。
「グレス、フォーク止まってるよ」
「ほぇほぇでぃ様きれい。ずっと見てたいよ」
 瞬きしたら消えてしまうのではないか? と不安になるほど頼りなく、それでいて美しい。
「見てていいから食べなよ」
 大自然の二度と見られぬ風景とも例えられるようであり、違う。
「はい」
 炎の揺らめき具合と、マルティルディの表情の動き。首を傾げる角度がほんの少し違うだけで、違う美しさを作りあげる。
「僕が美しいのは今に始まったことじゃないだろ。なんだい? 僕、この食事中に突然綺麗になったのかい?」
 ケシュマリスタ料理だけではなく、グラディウスが大好きなハンバーグをメインに用意させたものの、マルティルディの美しさの前には好物も形無し。
「ほぇほぇでぃ様、美味しい」
「僕が美味しいのか、そのハンバーグが美味しいのか、どっちなんだよ」
「ほぇほぇでぃ様」
 ハンバーグもとても美味しいのだが、マルティルディが相手では分が悪いとでも言うべき状態。そして、
「僕、綺麗だって言われるの慣れてるけど、さすがに照れるよ」
 グラディウスの素直な気持ちと視線に、美の称賛に慣れている筈のマルティルディが音を上げた。
「ご、ごめんなさい」
 グラディウスの称賛はまったく害意を含まない。
 マルティルディに恐怖することもなければ、美しさに嫉妬することもなく、その美しさを純粋に喜ぶ。
「いいんだけどさあ……」
 普通の人間は大なり小なり他の感情も含む。
 ザイオンレヴィがであれば複雑な感情を、イデールマイスラであれば嫉妬と後悔を。
「ほぇほぇでぃ様……ハンバーグ美味しいね」
 だがグラディウスが含むものと言えば、頬をもぎもぎさせる料理くらいの物。
「やっと気付いたかい。そうそう、マナー気にしなくていいよ。僕はアルカルターヴァたちとは違って、礼儀作法なんて気にしないからさ」
 そう言われたグラディウスだが、首を小さく振り、
「行儀良く食べたいです……れ、練習してきたの。ほぇほぇでぃ様に見てもらおうと思って」
 先程まで美しさに見とれしまい、パンを一口大にちぎることもせず、温野菜も手づかみで食べていたグラディウスだったが、正気に戻ってマルティルディの物とは違う”照れ”を浮かべながら、フォークとナイフを握り直す。
「そうなんだ。じゃあ見せて。僕”じーっ”と見てるから」

 そのように言われ緊張し過ぎてハンバーグを上手く切り分けられなくなり、最後はマルティルディに口まで運んでもらうことになる。

―― なんか、僕、デートでもしているみたい……それも、僕が男役で


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