帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[156]
「いれす……る、るる……」
「ルキュランです」
「ありがと、ルサお兄さん」
グラディウスは寵妃として「パーティーに参加させてください」という懇願の手紙を認めていた。
受け取る正妃の性格が悪ければ、何度も書き直しを命じたり、作法が整っていなければ、やはり同じように書き直しを命じたりと。そうでなくとも普通一度では受け取ることはないのだが、
「でかいお乳のおきちゃきちゃま。パーティーに参加させてください!」
”これさえ渡せばパーティーに参加できる”と信じているグラディウスの笑顔を前に、
「ああ、確かに受け取った。今度は私からの手紙を受け取りにくるんだぞ」
「はい!」
一度で参加させることに。
元々グラディウスに料理を食べさせ、それを見るのが目的なので、当然のことなのだが。
ちなみにこの「招待してほしい手紙」をイレスルキュランが受け取ることになったのには、深い経緯がある……わけでもなく、年長者のデルシ=デベルシュはその権利を二人に譲り、譲られた二人は互いに牽制しあって、ルグリラドが敗北したのだ。敗北の理由は説明する必要もない。グラディウスの書式が「なっていない」場合、それを受け入れなくてはならないということ。
グラディウスを受け入れたら、他の多少の間違い、たとえば文字の大きさがほんの僅かだが違っているなどという些細なことを突っ込むことができなくなる。
「その点私は金さえもらえば、全員に目を瞑っても誰もおかしいとは感じないからな」
「……」
テルロバールノル王女のプライドを捨てきれず、ルグリラド敗退とあいなった。
誰もが予想した通り、グラディウスの手紙は”ぐちゃぐちゃ”ではあったが、そこに楽しさがあった。必死さではなく楽しさ。
他の寵妃たちにはない感情が、書面に溢れていた。
「馬鹿だからなあ」
イレスルキュランは送られてきたルサ男爵の解読文と照らし合わせて、辛うじて読める箇所に、その特徴的な大きな目を細めた。
「ほうら、これがグラディウスからの手紙だ。封筒だけなら見せてやる。中身見たかったら金払え、ルグリラド」
「ぬぉ! 貴様……貴様という王女はプライドがプライドが! 幾らじゃあ! 幾ら払えば見せてくれるのじゃあ!」
王女同士の醜いと言うのとは程遠く、幼いと言うのも些か奇妙。不敬を承知で評すれば「馬鹿馬鹿しい」争い。
そんな争いはしているが、一応は間を取り持つようにはなっていた。
その策とはグラディウスと同じく寵妃のエンディラン侯爵がルグリラドに申請するようにし、その際グラディウスを連れて行くことになっていたのだ。
溢れんばかりの調度品と、大宮殿でもっとも躾の行き届いた召使いたちの間を抜けてやってきた、
「ジュラスの手紙! ジュラスの手紙!」
礼儀作法など知らない、そしてルグリラドに「知らずとも良いのかもしれん」と思わしめたグラディウス。その姿は本当に浮いていたが、
「……ほれ、儂に挨拶せぬか。グレス」
「は、はい! あてし、グレス。グラディウス・オベラ。グレスって呼んでね」
ルグリラドに対する挨拶としては不適だが、これ以上は望めずルグリラドも望まない。むしろこれで充分なほど。
同じテーブルを囲み、緊張しているエンディラン侯爵と、大好きなマシュマロを浮かべた温いココアに満たされながら、ルグリラドを見つめるグラディウス。
「ケシュマリスタ貴族ということを考慮し、合格としてやろう」
多少不備はあれども、グラディウスの”あてしのジュラスの手紙”と自信満々の視線に、ルグリラドは折れた。
この程度で折れるなら、グラディウスの手紙でも……だが、グラディウスの手紙は、そういうレベルではない。
ほとんど誰も読めない。
精々読めるのは勝手に解読主任にされたルサ男爵と、愛というよりはエロの力と、マルティルディの部下として培った適当さで読み切るサウダライトくらい。
ちなみに前者のルサ男爵は、解読主任手当というものまで給与に含まれている。
パーティーの告知、それを受けて寵妃たちは参加を願い出て、そして「出席の可否」をもらいに再度足を運ぶ。
可否についての書類は通常書記が渡すのだが、
「ほらグレス」
「ありがと、でかいお乳のおきちゃきちゃま!」
「料理いっぱい用意しておくからな」
「うん! 楽しみ。祭りみてぇなもんなんでしょ。あてし祭り大好き」
”これ”が楽しみなのだから、代理に任せるはずもない。
「そうだな。今回は室内だが、次ぎは室外……外でやろう。大騒ぎしようじゃないか」
「うん!」
「それでな、グレス。頼みがある」
「あてしに?」
イレスルキュランの部屋から出て、前回と同じようにエンディラン侯爵と共にルグリラドの宮へと向かう。そこで今度はエンディラン侯爵がルグリラドから”依頼”を受け、二人は同じ目的を持ったので、そこへと向かおうとしたのだが、
「でかい乳男さま!」
”待機していた”キーレンクレイカイムと遭遇して足を止める。
「フィラメンティアングス殿下」
エンディラン侯爵は「厄介だな」と思いはしたが、目的は解っているので同行することにした。
「よお。一緒に行かないか? グレス」
「どこへ!」
「カロシニア……デルシ=デベルシュ。おおきいおきちゃきちゃまの所だ」
グレスとエンディラン侯爵が正妃から依頼された仕事。もう一人の正妃が依頼するとしたら、このキーレンクレイカイム以外にはいない。
当人もそれを解っていて、この二人を待っていたのだ。一人ではあまり会いたくなく、なによりも一人では中々返事をもらえなさそうなので、それに対応するための策として。
デルシ=デベルシュに”高い高い”をして貰い、
「おきちゃきちゃま凄い!」
大喜び。
「時間がないのであまり遊べぬが、今度機会を作るゆえ、是非我と遊ぼうではないか」
「うん! 遊ぼうね、おきちゃきちゃまみんなで!」
そう言うグラディウスの頭を撫でながらデルシ=デベルシュは、キーレンクレイカイムに手紙を渡す。
「この二人と一緒に行くとは。お前は本当に賢い男だ、キーレンクレイカイム」
「お褒めにあずかり光栄です」
「即日返事がもらえそうだな」
「はい」
三人が各正妃から受け取ったのは、マルティルディへのパーティー参加依頼の手紙。寵妃全員がマルティルディの配下なので許可を取り、招待する必要があった。
「みんなでほぇほぇでぃ様のところ! ほぇほぇでぃ様、喜んでくれるかなあ!」
「喜んでくれるでしょうね」
「喜んでくれるだろうよ。さあ、さっさと渡して返事貰って、またおきちゃきちゃまの所に戻ろうなグレス」
「うん! でかい乳男さま」
マルティルディの性格上、正妃からの誘いを一度で受け取るはずもない。だが正妃としては何度も手紙を握り潰されるのは面白くなく、王たちも出来れば調整したくはない。
皇帝がもっとしっかりとしていればまた違うのだが、サウダライトがマルティルディに自重を促すなど出来るはずもない。
ない事ばかりなのだが、このパーティーその物は、グラディウスの為と知っている。
「招待状です! ほぇほぇでぃ様!」
「ふーん」
何時もの執務室ではなく、応接室で手紙を受け取ったマルティルディは、
「君は楽しみなのかい?」
すでに興奮気味のグラディウスと受け取った手紙を交互に眺める。
「はい! あてし初めてだから、とっても楽しみ!」
”爪”の一部を硬くしマルティルディは封を切り、手紙を取り出す。三通すべてを取り出してテーブルに乗せ、
「君は初めてで楽しくて、次は前が楽しかったから楽しみで……って永遠に楽しみが続くよね」
文面を一気に読む。
「楽しいこと好き」
焦らしたり駆け引きをしたり、不和を奏でることも出来たが、今回はグラディウスの藍色の大きな瞳に写る楽しさにそれらを放棄した。
「君、なんでも楽しいよね」
「うん!」
「ま、いっか。今返事書くから、三人で正妃三人に届けろ」
「はい!」
グラディウスはマルティルディらしくないという事は解らず”お手紙届ける大事な仕事”をもう一度できると大喜び。
「畏まりました」
キーレンクレイカイムは表情を変えずに”計画通りだ”と内心でほくそ笑む。もっとも笑っていることはマルティルディも気付いているが、効果的に人を使える男に対して怒りの気持ちはない。むしろ自分が ―― 馬鹿そのもの ―― を前にして、良い気持ちになっていることに少しだけ怒りを感じていた。
マルティルディは怒ることは多いが、その怒りが誰に対してなのか判断する能力が優れており、それを他者にぶつけて消化することはほとんど無い。
「仰せのままに」
それをぶつけられるのは、頭を下げたエンディラン侯爵の婚約者ザイオンレヴィと、皇帝となったサウダライトくらいのもの。
「あてし、ちゃんとでかいお乳のおきちゃきちゃまに届けてくるからね! ほぇほぇでぃ様」
ただ怒りその物は皇帝であろうが平民であろうが同じように持つので、結果として平民は処刑されてしまうのだ。立場が違うと言う部分をマルティルディは一切考慮しない。
三人が去り部屋に独りになったマルティルディは通信を開いた。
「……でも、ちょっと楽しみだな……おい、ダグリオライゼ」
『なんにございましょう、マルティルディ殿下』
”皇帝”が今何をしているかなどマルティルディには関係のないこと。
「君、正妃のパーティーに参加するの?」
『いいえ。皆様から事前に来るなと申し渡されておりましたので』
「ふーん。じゃあ僕からも”顔見せるな”って言っておく」
『御意』
グラディウスがサウダライトの後ろを付いて歩くのは、面白くないというのが全員の珍しく一致した見解である。
「僕、マントのデザイン新調しちゃおうかなあ。グラディウスを乗せて引っ張れるのなんて、おもしろいかなあ。もしかしたら、グラディウス喜んじゃうかなあ。馬鹿だから喜ぶだろうなあ」
※ ※ ※ ※ ※
「おおきいおきちゃきちゃま! ほ、ほぇほぇでぃ様も来るの?」
マルティルディは返事を書く際ケシュマリスタ語なので、グラディウスには読むことができず、尋ねたのだが「正妃たちに聞けよ。それまで秘密さ」と言われていたので、グラディウスは答えが知りたくて”うずうず”していた。
「どれどれ。参加するようだ」
「やったぁ! ほぇほぇでぃ様!」
大喜びしているグラディウスと、対照的な王族二名。
「アディヅレインディンが参加して、これほど喜ぶのはグレスだけであろうな」
「でしょうな。誰もができれば近づきたくはない存在ですからなあ」
「横着な貴様でも恐ろしいか? キーレンクレイカイム」
「ええ。自分が他者に対しては、ずいぶんと横着なのだと、マルティルディを前にすると認識をもてます。そのくらいには恐ろしいですな」
「ほぇほぇでぃ様とおきちゃきちゃまと! ジュラスとお料理!」
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