君想う[084]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[135]
「カー兵長」
 クロントフ侯爵が声をかけると、
「侯爵閣下」
 カー兵長は休日であるにも関わらず”ぴしっ”と敬礼をする。
「もっと気楽で良いんだよ」
「それは……」
 今日のミステリーツアーはクロントフ侯爵一人きり。いつも一緒の子爵や、八割方同行するヨルハ公爵はクラブ活動報告会でこの場にいない。
 クロントフ侯爵が一人きりと聞き、カー兵長はいつも以上に気合いを入れて来たのだが、拍子抜けするほどクロントフ侯爵は大人しかった。
 いつもの彼からは考えられない程に――
「そういう真面目な所、気に入っているけれどね」
「ありがとうございます」
「それでね、カー兵長。これは私の個人番号なんだが、受け取っておいてくれ」
「……はい」
「いつか”事件は起きていないけれども、その前にどうにかしなくてはならないような気がする”ことに遭遇したら、連絡してくれ。探偵は事件の前でも動くよ!」
「ありがとうございます」

 カー兵長が受け取った番号は確かにクロントフ侯爵の個人番号だが、その個人番号はまだ使用されてはいない。この番号が使用されるのは――

―― ……という理由なんだ! 問い合わせてくれてもいい!
―― ……分かった。我で良かったら付き合おう
―― ありがとう! ケーリッヒリラ子爵! あっ! 付き合いは今まで通りで頼む
―― 安心しろ。そっち方面に関しては無頓着だから、今までと変わらずに付き合わせてもらう。むしろ期待するな
―― ありがとう! ケーリッヒリラ子爵! それにしても君は本当に感情を読まないんだね! 読まれたら……と思ってたのに!
―― そう言う期待を受け付けないためにも読まないことにしている

 この番号が使用されるのは、六年後のことになる――

※ ※ ※ ※ ※


 皇帝にクラブ活動報告をし、良い気分に浸っていたヨルハ公爵の元に、バベィラからの使者がやって来て耳打ちをする。
―― ロフイライシ公爵閣下より伝言です。ガルデーフォ公爵が放った刺客が大宮殿に入り、本日の皇太子主催の夜会でケディンベシュアム公爵に攻撃をしかけるとのこと。遭遇した場合《ゼフならば殺してしまうだろうから、寮に戻れ。今回は潰すな》とのことです。お伝えしましたよ、ヨルハ公爵閣下
 聞き終えたヨルハ公爵は首を傾げて周囲を見回してから、
「シク。予定を早めて寮に帰ろう」
「どうした? ヴァレン」
「我がここにいると、まずい相手が来る」
 バベィラの指示通り、帰寮することにした。
 ヨルハ公爵が先に動き殺害して、夜会を成功させることもできるが、それをバベィラが望んでいない理由を理解して帰ることにしたのだ。
 バベィラがヨルハ公爵の動きを制した理由は、リスリデスの不満を募らせるため。
 今回の襲撃も不発に終わることはバベィラも、そして刺客を放つリスリデス自身も分かっている。なにせ夜会にはガルベージュス公爵が出席するのだ、万に一つの間違いもない。

 では何故、刺客を放つのか?

 親との決別を決定付けるためである。
 今回の騒動でリスリデスとエルエデスの父親であるシセレード公爵が「どう出るか」が問題であった。シセレード公爵がエルエデスを殺害せずに、まだ皇太子の妃候補として生かそうとするのなら、リスリデスは動く。
 シセレード公爵を殺害し自らが公爵となり、当主としてエルエデスを潰す。シセレード公爵がエルエデスを殺害した場合は、リスリデスは牙を剥くことなく黙ってその時を待つ。通常であれば、後者を望むであろうが、リスリデスは父シセレード公爵がエルエデスを生かすことを望んでいる。

 それはエヴェドリット特有の複雑な感情であり、リスカートーフォン特有の思考であった。

 『戦いたい』その一点だけが彼らの共通認識であり、彼らそのものである。
 だからリスリデスは追い詰められて簒奪に転じる。シセレード公爵は娘を守る形を取り、息子が攻めてくることを望む。
 穏やかな世代交代のない一族は、他者からみれば最悪の選択をして代替わりする。だが彼らにとってそれは、望むものなのだ。

 今夜放たれた刺客がエルエデスを殺すことがなければ、リスリデスはシセレード公爵を殺害し、新たなるシセレード公爵となる。
 次のバーローズ公爵となるバベィラは、その感情を思考を理解し、一族を殺害しヨルハ公爵となったゼフ=ゼキは同調する。
 ケーリッヒリラ子爵はそれに驚くことはない。そしてエルエデス本人も分かっている。

※ ※ ※ ※ ※


「夜会じゃ、夜会じゃ」
 メディオンは単身夜会に出席するのはこれが初めて。今まではローグ公爵姫として招待されることはあったが「リュティト伯爵」として招待されたのは今夜が初めてで、
「来たか、メディオン」
「殿下、ありがとうございます」
 婚約者がいないメディオンの為に、エスコートにはイデールマイスラが名乗りを上げた。
「気にするな。皇太子と会っておくのも悪くはない」
 イデールマイスラと共に馬車に乗り込み、
「あの……ところで殿下。あの……ガルベージュス公爵も?」
 メディオンは子供の頃から皇帝や王が主催している催しに参加しているので、今更皇太子主催の夜会に出席する程度のことでは緊張しない。十歳になる前には礼儀作法をマスターし、どこに出しても恥ずかしくはなく、出されても恥をかくことなどないメディオンの、唯一にして最大の心配事を尋ねる。
「………………」
 途端、イデールマイスラの表情が”おかしく”なった。
「あの……殿下?」
 ”曇る”や”苦悶”といった言葉で表せるような表情ではなく、無理に言葉に当てはめるのならば”おかしい”しか残っていない。そんな表情。
「ガルベージュスも参加するそうじゃ……心を強く持てメディオン。そして……エンディランに伝えておけ。儂は罵られる覚悟はしておると……ただし罵るのは後日、ガルベージュスがいない時に頼むとも伝えておくのじゃ」
「で、殿下?」
 エンディラン侯爵にとって最悪の状況が待っていることは明かだが、皇太子の興味はエンディラン侯爵であり、彼女の顔を見るための夜会で、ガルベージュス公爵は皇帝が大宮殿内の移動や催しの出席を完全許可しているので止めようもない。
「…………」
「殿下。罵るのは後日でガルベージュス公爵がいない時というのは……羨ましがられるからですか?」
「そうじゃ」

―― ジュラスを守ることは殿下を守ることになる……じゃが、どうやって守る?

 メディオンは悩んだものの、解決策など見つかる筈もなく夜会が行われている会場前に馬車が到着し、イデールマイスラに手を引かれて馬車を降りて会場入りした。
 会場にはすでにエルエデスと、
「エルエデスとイルギか」
 エスコート役であり暫定的な夫とも言うべきイルギ公爵が並んで無言のまま立っていた。
「メディオン来たか。殿下……今朝ぶりですな」
 同じ寮に住み同学年のため、顔を合わせてばかりなので、このような場所で畏まって挨拶をするとなると上手い言葉が思い浮かばない。
「そうじゃな、エルエデス。それとイルギか」
 イデールマイスラも特に気にせず返事を返す。
「初めまして、ベル公爵殿下」
 四人は当たり障りのない挨拶をしていると、
「もう、ちゃんとエスコートしなさいよ、ザイオンレヴィ」
「してるよ、ロメララーララーラ」
 飾り立てられている会場がより一層華やかになる二人が「あーでもない、こーでもない」と言いながら入場してきた。
 今日のエンディラン侯爵はケシュマリスタ貴族らしく、襟が高く足首まである緑色が多目に使われている上衣を着用し、美しい顔を露わにしてやって来た。
「おお! 綺麗じゃ、エンディランよ」
「あら、メディオン! メディオンも結構可愛いじゃない」
 ”結構って……”と思ったザイオンレヴィだが、それに関して何も言わなかった。言われたメディオンは気にしてはおらず、
「お主に”結構”つきでも可愛いと言われるとは思っておらなんだ」
 素直に喜んだ。
「エルエデスも……皇太子殿下が喜びそうね」
「この格好でか?」
 エルエデスは一般正装を用意するのが面倒だったので、制服着用でやってきた。
「ええ。目立つわよ」

―― 真に目立つのは……

 メディオンの隣で話を聞いていたイデールマイスラは、これからやってくる同室のガルベージュス公爵の姿を思い描き、目を閉じて頭を小刻みに振る。
「ありゃ? ゾフィアーネ」
 メディオンは兄ジーディヴィフォ大公と共にやってきたゾフィアーネ大公の姿に驚きの声を上げる。その声を聞いた兄弟は輝かんばかりの笑顔でメディオンの声に応えた。
「今日の腰布は長くてお揃いなのじゃな」
 いつもは”ぎりぎり”のゾフィアーネ大公だが、本日は皇太子主催の夜会なので正装ではなく準正装である膝まで丈のある腰布でやってきた。最高正装であるぎりぎり腰布以外は、普通に着用が許されているのでジーディヴィフォ大公も一緒に。もちろん上半身は裸である。
「そろそろ皇太子殿下がいらっしゃるか」
 ガルベージュス公爵は皇太子の護衛も兼ねるため、先に会場入りすることはなく、皇太子の後からやってくる。
 皇太子妃を伴ってやってきた皇太子の挨拶を聞き、そして会場の最終確認を終えて、婚約者であるエシュゼオーン大公と共に現れたのは、
「なんじゃありゃ……」
「……(これに愛されるエンディランも不憫だな)」
「ヌートリア?」
「惜しい! ザイオンレヴィ。今日のわたくしはカピバラです!」
 カピバラの着ぐるみを着たガルベージュス公爵。
 着ぐるみで可愛らしく見せるために、足は短めに作られており、一歩一歩が非常に短く”ちょこまか”している筈なのに、何故か優雅で普通に歩けている。
 腕も同様に短いのだが、エシュゼオーン大公をエスコートするその手の動きは典雅。表情はいつも通り凛々しく正しく、そして微笑みを絶やさず。あの黒く輝く髪の毛はカピバラフードに隠れている。
 まさに”キメラ”だが、他のキメラたちがガルベージュス公爵のこの姿を前にしたら即死してしまうくらいのキメラぶり。
 特に耐性のないイルギ公爵は、

―― 目から溢れているのは……涙じゃない! これは胃液? 嘘……

 目からあり得ないものを流して、迫ってくる(隣にエンディラン侯爵がいた)ガルベージュス公爵を見続ける羽目になった。

「今日のわたくしは、いかがでしょう? 美しき姫君ロメララーララーラ」
「可愛くないわよ」


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