君想う[073]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[124]
 マルティルディとイデールマイスラが、ぎこちない会話をしている頃、ヒレイディシャ男爵は、
「執事殿……大丈夫じゃろうか」
 フェルディラディエル公爵に”おもてなし”を受けていた。
 いつもイデールマイスラとマルティルディが争いにならないように仲裁していたガルベージュス公爵が、すべてを放棄して《愛のために》大宮殿へと降り立ったので、ヒレイディシャ男爵は「今回は儂が!」そう考え、もてなし準備に奔走しようとしたのだが、執事に捕まりこうして”もてなし”の名の元に拘束されていた。
「それは解らないが乱闘になった時、卿がいたところでなにもできないであろう。卿は乱闘を回避する明確な方法も持っていないのだから、居たところで無駄だ」
「……はい」
 気持ちはあれど、具体案がない状態。ヒレイディシャ男爵は突きつけられた事実に意地を張らず認めた。
「乱闘が起きたら、ミーヒアスが向かう手はずになっているから安心するといい。あの酒乱、あれで強いし戦い巧者だ」
「はい。もちろん存じております」
 テルロバールノル貴族の素直な返事を執事は上手く”流す”
 下手に触れたり、変にからかったりすると、せっかくの素直さが捩れて、普通の頑固ではなく歪んだ意固地になることを、執事はよく知っている。
 長い人生を無駄に使わず、人を丹念に見てきた彼は”こうなった”テルロバールノル貴族の「伸び」も良く知っている。
 生まれつきの才能で勝負が決まるといっても過言ではないエヴェドリットや皇王族とは違い、テルロバールノルやロヴィニアは勉強や人生経験で「伸び」が変わる。
 頑固さやがめつさという、特有の性格に何をプラスするのか? どのようなものを吸収するか? 考えることができるか? で、大きく違ってくる。
 執事が驚いたのはメディオン。執事が知っているローグ公爵とテルロバールノル王族の間に生まれた子としては、もっとも「伸び」が早く、そして伸び続けている。
 イデールマイスラはというと、あれでも随分と良い伸び具合で、ガルベージュス公爵の才能に執事は感服していた。そう”あれ”でも相当、テルロバールノル王族としては人を受け入れているのだ。
 二人はまだ十代前半、これらの伸びに変わる思考の変化は若さも重要。入学時点で十代最後ヒレイディシャ男爵については、執事はさほど変わらないのではないかと思っていたのだが、執事が意外と感じるくらいに彼は伸びた。
 できればこの伸びを、そのまま育てたいと。
 ヒレイディシャ男爵は緑茶をすすり、執事手製の手の込んだ和菓子を一口大にしようとしたのだが、手が止まる。
「芸術的ですな。食べるのが惜しいくらいじゃ」
 目の前の黒塗りの器に飾り付けられた和菓子たちは、見事な風景を作りあげていた。
「乾いてしまうと、美味しくないのも事実。適度なところで食べるように」
「はい……執事殿の芸術的なセンスは、やはりヴィオーヴ帝から?」
「基礎は確かにあの方から習いました。ただあの方は、工業製品的な美しさを追求した方ですから、こういった菓子で絵画のようなことをやらせることは、あまりありませんでしたね」
「……」
「どうしました? 興味ありますか」
「あ、はい。そのヴィオーヴ帝はあのペロシュレティンカンターラ・ヌビアと会って、その才能を認められ……」
 執事はヒレイディシャ男爵の言葉に思わず噴き出した。
「ぶはっ……失礼」
 短く切りそろえられている髪が揺れ、目尻の笑い皺が深くなる。
「儂はなにか失礼なことでも」
 表情は変わらないが、驚きを隠さないで話しかけてくるヒレイディシャ男爵に、
「いえいえ。時代は変わったなと」
 笑いを収めて、執事は答えた。
「なにが?」
「テルロバールノル貴族の口からペロシュレティンカンターラ・ヌビアの名が出てくるとは思いもしなかった。いや、卿、よく知っていましたな」
 執事が笑った理由を聞き、ヒレイディシャ男爵は納得した。
「……実は入学するまでは”ヌビア”しか知らなかった。正直ペロシュレティンカンターラという名も曖昧じゃった。じゃが、食事当番でよく組むケーリッヒリラ子爵が好きらしく、話を聞いているうちに覚えたのじゃ」
 本当にヒレイディシャ男爵は興味がなかったのだが、会話の際に使えることに気付いた。
 他属である子爵はもちろん、最近「ルグリラド様の側近として正妃の歴史を帝国目線で知るのも必要じゃ」と言いながら、軍妃とヌビアの本をコンプリートしそうな勢いのメディオンとも、一族の話題を離れたところで会話し、それにより違う面が見えることを知り、気付けばヒレイディシャ男爵自身も、かなりヌビアに詳しくなっていた。
「なる程ねえ。それにしても、驚いた。それでヌビアが認めた才能という逸話だが、十七代はヌビアに”ぎりぎり器用と言ってもいいくらいだ”と、言われただけだそうだ。私の目には十七代の指先から作り出される製品の巧みさに、息をすることも忘れるくらいでしたが、十七代に言わせると、ヌビアの指先の動きは《こんなものではなかった》と……そうだ、ケーリッヒリラ子爵はヌビアが好きだと」
「あ、はい」
「では今度、私のところに連れてきなさい。十七代が匙を投げたヌビアが作ったネックレスキット、見せて差し上げましょう」
 まだヴィオーヴ帝が幼い頃に遊び道具として、ヌビアが石をカッティングし、ワイヤーなどを組んで、あとはボンドで貼りつけ、ワイヤーを組み合わせるだけのキットを作ったのだが、器用と言われた五歳児には理解不可能、成長してからは作製不可能と知った。
 その後ヌビアが去り、彼が即位してから帝国中から名の知れた職人を集め、莫大な報奨金をかけて完成させようとしたのだが、十万人の宝飾品職人が”無理です”と完全敗北宣言をした「子供用ネックレスキット」
 形見分けの際にヴィオーヴ帝が「ヌビアのすごさを伝えるのに使えるだろう」と、彼の配下でもっとも長く生きる執事に託した。

―― どうしても作れないので、本当に作れるのかどうか? 出来上がった形を見れば作れるのではないかと考えて、このキットを一度組み立ててもらったことがある。脇で見ていたのだが、ものの三分足らずで作りあげて、二分たらずで元に戻した。これは本当に作ることのできるキットだ。石はワイヤーを組んだ後に乗せていったが、ほとんど同じに見える石の色を見分けて、美しいグラデーションを作りあげた。ヌビア、あれはもう天才の域じゃない。人の姿をした古来に存在した神だ ――

「喜ぶことでしょう! 帰寮したらすぐに教え、連れてきてもよろしいでしょうか!」
「ええ」
 無表情で威圧感があり、同族内では”無口”で通り、自分でもそうだと思っていたヒレイディシャ男爵だが、実は彼は喋るのが好きだった。
 同学年では実年齢的にも年上のヒレイディシャ男爵だが、執事からみれば九十五歳も年下で、酒乱のキルティレスディオ大公とさほど変わらない相手である。
 違うのはキルティレスディオ大公には然程未来はなく、あまり責任がないこと。ヒレイディシャ男爵は負うものは大きくはないが、補佐する相手は大きく、歴史の表舞台から降りたキルティレスディオ大公とは比べものにならない。その彼の不安などを、聞き役に徹し耳を傾けて、じっくりと最後まで付き合った。
「またなにかあったら来るといい。私ほどテルロバールノル王子と長年接してきた男はいない」
「……ありがとうございます」
 イデールマイスラと共にマルティルディを見送る為にヒレイディシャ男爵は執事の部屋を後にした。
 残った皿や茶器を片付けながら、
「……いや、本当に長生きするものですね。ヌビア好きなエヴェドリットや、ヌビアの名前を覚えて認めるテルロバールノルや……まったく楽しい限りです」

―― お前は長生きし、余の宇宙の変遷を楽しめ ――

 仕えた五代の皇帝それぞれに、今際の際に言われた言葉を思い出し”私は楽しんでおりますよ”そう反芻し、窓から外を見た。

※ ※ ※ ※ ※


 ザイオンレヴィはガルベージュス公爵とエンディラン侯爵を巡った争い……をするつもりなどなかった。”ぼうっと”している彼が、そんなことを考えるはずなどない。
 二人が仲良くなろうが、婚約破棄されようが、彼にとっては「そうですか」で済む……筈だったのだが、
「ギュネ子爵」
「ジーディヴィフォ大公」
「準備しておいたよ」
「は?」
「ガルベージュスと勝負するのだろう?」
「え? いや、僕は、勝負なんて」
「安心したまえ! ギュネ子爵の代理としてガルベージュスに決闘状叩き付けておいたから!」
「ええ! 僕、代理とか頼んでない……はずですけど」
「うん! 頼まれてない!」
「……」
 だまっていて問題が解決するのはケシュマリスタ王国内にいるときのみ。ここでは、やり過ごしはない。

―― エルエデスさんにぼんやりしているって言われる理由はこれかあ……僕もそろそろ気付こうよ、僕

 ジーディヴィフォ大公が”こういう人”だというのは、一年間のクラブ活動で知ったのにもかわらず、なんとも間抜けな質問をしてしまったザイオンレヴィは自分に言い聞かせた。
「勝負はギュネ子爵の才能を生かした半重力ソーサーレース。私たち部員が総力をもってガルベージュスを妨害するから、君は麗しき腹黒姫君メティキキーキキーを連れて逃げるのだ」
「ジーディヴィフォ大公! ジュラス、じゃなくてエンディラン侯爵は第一名ロメララーララーラは嫌いですけれども、第二名メティキキーキキーはもっと嫌いです! それは言っちゃだめ! その名で呼んだら!」

 エンディラン侯爵の第二名も貴族としてみてもおかしいのは、父親が……

「じゃあ、第三名の」
「それはもっと駄目えぇぇぇぇ! その名を呼んだら殺されます!」
 エンディラン侯爵の性格の悪さを構成したのは、名前の不味さ……は、ない。彼女は普通の名前であっても、あの性格であったことは疑いない。
「え? どうやって。私は彼女より強いよ」
 ジーディヴィフォ大公は、まったく気にせずに禁断の第三名を口にする。
「即日ガルベージュス公爵を骨抜きにして、ジーディヴィフォ大公抹殺を命じるくらいのことしますから! だから……」
「私を殺す暇なんてないだろう。骨抜きにするってことは、婚約を受けるわけだから、そのまま陛下の前に直行だぞ。私はガルベージュスに感謝されるだけだ」
 頭脳と度胸、そしてはぐらかしは超一流の彼は、笑顔で指を鳴らしながら答える。
「いや! 本当に恐いんですって」
 白い歯が無駄に”きらり”と光るジーディヴィフォ大公に、巻き添えを食らうから”やめて! やめて!”とザイオンレヴィが縋るも、
「安心したまえ。私の祖母も、ケシュマリスタ女だったよー! わかってる、わかってる! 洒落にならないくらいにわかってる!」
「どうしてご存じなのに! そこに突っ込んでいくんですかぁー!」
 分かってやっているのだから手に負えない。
「ケシュマリスタ男はそれでもケシュマリスタ女と戦わねばならぬのだよ、皇帝のためにも」
 ジーディヴィフォ大公は前髪をかきあげ、物憂げな眼差しをザイオンレヴィにむける。彼は性格は喧しいが、その喧しさの中にあっても静寂な憂いを感じさせる容姿を持ち合わせている。
 性格と見た目が合っていない……とも言うが。
「壮大っぽく語ってますけど、ジーディヴィフォ大公が楽しいだけですよね」
 言い返しても勝ち目は最初からないが、無いと解っても言い返さなくてはならない出来事がある。性質的にぼんやりして、性格的にぼうっとしているザイオンレヴィだが、自らの精神を引き締め行動できないと、生きていけないことに、帝国上級士官学校で一年間過ごしてやっと理解した。
「違うよギュネ子爵。半重力ソーサーレース部部員の総意だ。一同、楽しいのだ!」
「……」
 決意新たに言い返したところで、悪女が山ほどいるケシュマリスタ王国の王位継承権第二位を持つジーディヴィフォ大公の”もまれっぷり”に、簡単に勝てるものではない。
 口の達者さも、頭脳も戦闘能力も、勢いも、すべてにおいてまだ未熟なザイオンレヴィは、そのままクラブ活動の一環として帝星へと連れて行かれて、いつも通り首からロープをぶら下げられて、
「さあ、行こう!」
 部員一同と半重力ソーサーに乗り、エンディラン侯爵が絶叫しているだろう場所を目指した。帝星の夜空を横一列で進んでゆく半重力ソーサー。去年の年間最多王はトレードマークとも言うべき首からロープを今日も下げて。
「ジュラス!」
「ザイオンレヴィ! 早く助けなさいよ! 何してたのよ! 遅いでしょ!」


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