「研修の苦楽を共にしているタカルフォス伯爵家の第二子ヒレイディシャ男爵が”大事な部分は隠せ”と言ったので私は顔を隠したのですが、間違っていたでしょうか?」
「顔ではあるまい。ケシュマリスタが隠すのは胸であろう」
「…………と言うことは、ニプレスですね!」
「それで良かろう。ガニュメデイーロの研修中の立ち居振る舞いについてはヒロフィル聞くが良い」
「はい!」
「ところでマルファーアリネスバルレーク、ローグのメディオンはどうだ?」
メディオンとゾフィアーネ大公ともなれば、見合いの度に皇帝に報告が上がる。
「仲良くやっておりますが、婚約となるとどうでしょうかな」
「お前がメディオンと結婚するつもりがないのであれば、見合いを終わらせるが」
「できればこのままで。メディオンは独身を希望していますので、それにお付き合いしようかなと」
皇帝からの意見をゾフィアーネ大公は断った。
これは彼が”皇太子の事実”を知っていることが原因。
「そうか。では余はお前に別の婚約者を用意しておこう」
皇帝は息子の体質が変化したことを知らないので、深くは追求しなかった。皇帝はゾフィアーネ大公のことを高く評価している。知性では自分よりも遥かに上であること、はぐらかし方も一流であること重々理解していた。
「ありがとうございます」
「結婚せぬとしても、メディオンとは仲良くやってゆけ。あれは未来の皇后ルグリラドの側近であり友人だ。次の皇帝にもガニュメデイーロとして仕えることになるお前が、大宮殿の先輩として教えてやれ」
「畏まりました。メディオンとルグリラド王女の関係、陛下とデルシ様のような関係になればよろしいですね」
「そうだな。余は皇后というものが孤独であるかどうかは知らぬが、皇帝である余はデルシがおるから孤独ではない」
「僭越ながら、陛下が孤独ではないのは、陛下の努力と人柄によるものでしょう。生きるのに簡単で同情という憐れみをもらいやすい”孤独な皇帝”という立場に甘んじない結果だと私は思います」
皇帝は孤独になりやすいが、それを解っている以上、自ら殻を破り友人を得る必要がある。満足に人間関係を築けない皇帝など、統治者としてはやっていけない。
仕事を任せるためにも、帝国を統治するためにも、家臣と馴れ合いではない関係を築き、友人とは親しくなりすぎないが、他人行儀ではないラインで関係を育む。
該当する相手がいなければ、それを作ることもしなくてはならない。
皇帝とは人を見る目を持ち、人を育てられる者であることが大前提である。
「いまお前に言われて振り返ったのだが、余も若い頃は孤独を囲って、頭までどっぷりと浸っておったわ。恥ずかしく、いたたまれんな。あの精神状態のまま皇帝にならずに良かった」
家臣は皇帝を見る目を養う必要がある。
正確には「皇太子」を見る目。即位した「皇帝」を下ろすことは無理難題だが、問題がある場合は皇太子の時点で発見し、白日のもとにさらけ出し次の皇帝の座から遠ざける責任があり、まっとうな皇帝相手ならば決して無理ではない。
「変わった切欠の一つはデルシ様ですか?」
「そうだな。あれは余にはっきりと言ってくるからな。なによりも軍事的才能に優れておった。余は頭脳や軍事的才能に突出しておらんのだから、せめて精神だけでも成長せねば、皇帝としてなにもないからな」
「そんなことはございませんよ!」
※ ※ ※ ※ ※
本日は大宮殿内のゾフィアーネ大公の宮でメディオンは見合いをしていた。
「そんな顔しないでくださいよ、メディオン」
ケシュマリスタが住む宮らしく、砂漠に海に緑という解り易い”記号”で構成されている。建物は廃墟ではなく、メディオンには馴染みのあるパルテノン神殿タイプ。
それというのもガニュメデイーロやアグディスティスなどの言葉は元はギリシャ・ローマ神話から派生したもので、それらを持ち込んだのはテルロバールノル王家。
帝国では現在神話や宗教などは一切無いが、上級貴族や皇王族などはそれを知っている。知っている度合いは人によって異なる。
エヴェドリット勢のように皆無に等しい者もいれば、クロントフ侯爵のように古典推理小説を読んで宗教まで理解出来る者もいる。
パルテノン神殿のような建築物は、持ち込んだテルロバールノル王家縁ではなく、神話の美しさを持ち合わせていたケシュマリスタの建築様式となっていた。
そこでゾフィアーネ大公は古代ギリシャ人が見たら感動しそうな美貌と、腰布一枚で肉体美をさらしてメディオンに茶を勧めた。
「生まれつきじゃよ、マルファーアリネスバルレーク」
ゾフィアーネ大公はメディオンとの見合いを終わらせるわけにはいかなかった。
彼だけが”皇太子が後継者を作れない”ことを知っており、公表していないことに起因する。
「こうやってお見合いを継続していると、面倒がないんですから」
「確かにそうじゃが……なあ、マルファーアリネスバルレーク」
「なんですか?」
「父ははっきり言ってくれぬのじゃが、儂と主の見合いの本当の理由はなんじゃ?」
「表面上はご存じの通り、ケシュマリスタ王家の予備ですが、本当はキーレンクレイカイム殿下でしょうね。殿下、メディオンをお妃にしたいと言っていると聞きました。ローグ公爵はそれを阻止したいので、私に白羽の矢をぶすっと突き立てました!」
「はああ? あのスケベ……じゃなくて、色事師、なに戯言を? 親王大公殿下を妃に迎えることが決まっておるじゃろうが!」
「でも親王大公殿下、影も形もないじゃないですか」
「そ、そりゃ……」
「殿下ももう十八歳ですし、離婚前提で妃を迎えても、陛下だって文句は言えませんよ。メディオンは身分に差し支えはなく、独身を希望しているからすぐに離婚してもらえそうですし、帝国上級士官学校で軍事も学んでいるので、将来国軍を預かる殿下にとっては、最高の相手なんです」
「……た、たしかに……」
これが最大の理由。
メディオンはキーレンクレイカイムと結婚し「ある条件」になってしまえば、離婚はできなくなる。
皇太子に子どもができないとなると、マルティルディに皇位が移動する。この形であればキーレンクレイカイムはマルティルディの夫となり、メディオンは簡単に離婚できるが、マルティルディは《生きている》
このままの状態で時間が進むわけではない。むしろ、日々変化してゆく。
イデールマイスラという夫もいる彼女は、後継者を産む可能性があるどころか、産まなくてはならない。
彼女は後継者を産んだら「ケシュマリスタ王」に即位するとの見方が大きい。
その”まだ見ぬ”後継者が男であったら?
離婚は前提であろうが、成長して親王大公が生まれるまでとなれば、途方もなく長い時間が必要となる。
ゾフィアーネ大公は秘密を知り、公表しない道を選んび、彼はそれに関して不利益を被る人を減らすために動くことにした。
公表した方が楽なのだが、彼はそれを選ばなかった。
「イダ王太子も乗り気なんですよ。メディオンにロヴィニア王城で暮らしてもらい、イレスルキュラン王女とも仲良くなってもらえれば得ですしね。あの人たちは、懐柔とか大得意ですから」
「わ、儂は! 懐柔なんてされんぞ!」
「懐柔はされないでしょうが、メディオンは性格が良いので、イレスルキュラン王女のこと少し好きになっちゃうと思いますよ。そうすると辛いでしょう? ロヴィニアの狙いはそこですけれども」
「う……わ、儂は性格よくないぞ!」
「あはははは。それでも良いですけれど」
ゾフィアーネ大公は笑ったあと、カフェ・オ・レを飲む。
「笑うな! マルファーアリネスバルレーク!」
「笑うなといわれると、笑いたくなるものです」
「……じゃが貴様は”笑え”と言ったら笑うのじゃろう?」
「もちろん!」
「うおぉぉ! 主、性格悪いのじゃあ!」
「そんな蔑みの目で見ないで下さい。快感を覚えてしまうじゃありませんか」
「うわあああ! こいつ……うわあああ!」
「落ち着いて下さい、メディオン」
「落ちつけるか!」
「陛下は貴方とキーレンクレイカイムの結婚に乗り気ではないのです」
「そりゃあ……そうじゃろうな」
「勘違いしないで下さい、メディオン。陛下は貴方のことも気に入っています。皇太子殿下の妻の側近の中で、陛下の覚えが一番いいのは貴方です。ですがそれと、これは違います。……皇太子殿下がキーレンクレイカイム殿下のことを嫌いなのは知っていますか?」
”陛下の覚えが一番いい”と言われたメディオンの表情の変わりように、思わず笑いそうになったゾフィアーネ大公だったが、ここで笑えば説明ができなくなると、しっかりと堪えた。
「なんとなく」
そんな内心など知らないメディオンは、何度かルグリラドに同行し会ったことのある皇太子を思い出す。
皇太子は未来の正妃たちと一対一であうことはなく、候補の二人と同時に会っていた。エヴェドリットには該当する王女がいないので、王女は二人だけ。
その”お伴”の一人がメディオンであり、キーレンクレイカイムであった。
「嫌いな理由は様々あるのですが、根底にあるのは、キーレンクレイカイム殿下を見ると”契約”を目の当たりにすることです。王子が目の前にいるだけで、皇太子殿下は責めらていると感じるのです」
キーレンクレイカイムが皇帝から「親王大公をくれてやる」と言われていることは、上級貴族であれば誰でも知っている。
「皇太子殿下の気持ちは解るが、キーレンクレイカイム王子にはそんな気持ちはないじゃろう」
「はい。だから余計に嫌いなのです。劣等感を与えてくる相手が、自分のことを歯牙にもかけないって……屈辱じゃありません?」
ゾフィアーネ大公の小馬鹿にしたような笑いにメディオンは”ぞっと”した。
ケシュマリスタ特有の嗤い。皇太子妃の嗤いを見たことのあるメディオンだが、ゾフィアーネ大公の嗤いは皇太子妃の”それ”よりも、遥かに美しく害意があり、ケスヴァーンターンであった。
「ん……儂はそれについては答えぬ……じゃが、ロヴィニアは皇太子殿下の不評を買ってどうするのじゃ。イレスルキュランが疎まれるぞ」
会話の流れから小馬鹿にしている相手が皇太子であることは解ったメディオンは答えなかった。同意してしまえば不敬ということもあるが、彼女は皇太子のことをそれほど知らない。
「疎まないと思いますよ。この場合はイレスルキュラン王女を使ってキーレンクレイカイム王子を排除しようとするでしょう。手駒というか、それに同調している王子の叔父上、現国軍総帥もいらっしゃいますし。それが狙いだと思われますよ。蠢動する元国軍総帥を排除するには暴走させるのが一番。暴走させるにしても王国相手となれば、相当強力な後ろ盾が必要でしょうね。ただ忘れているようですが、皇太子殿下の父上はこれまたロヴィニア王子。同族同士、相手の手の内を知り尽くし、罠のかけ合いとなれば……個人的な意見ですが、キーレンクレイカイムがもっとも策士かなと。私が勝って欲しいだけです。結果的に大惨事になってしまっても、マルティルディ様もいますし、兄さんもいますし」
ゾフィアーネ大公の考えた皇太子排除の策は、ロヴィニア王国を使うものであった。これが使われることはなかったが、皇帝が普通に寿命を迎えていたら、この策が使用された可能性が高い。
「ふー……主は本当に恐い男じゃな」
メディオンはゾフィアーネ大公が皇太子を嫌っていることは解った。理由は彼がガニュメデイーロであることだろうと解釈した。皇帝の特殊な近侍は、仕えるべき皇帝にも特別であることを望む傾向が強い。そして、皇太子は残念ながら普通であった。
「そうですか?」
ゾフィアーネ大公はヒレイディシャ男爵が「メディオン、あれと結婚するのは……」と言いイデールマイスラが「嫌なら儂に言え。父王と……そのマルティルディにも頼んでやるからな。あいつらマルティルディの言うことなら聞くようじゃ……十回に一回くらいは」と言われるくらいにテルロバールノルとしては《そんな人》なのだが《皇帝の家臣》としてはガルベージュス公爵が褒めるくらいに《皇帝の家臣》であった。
「主は何でも知ることができるのじゃよな?」
ガニュメデイーロは皇帝の家臣であって、暴君や暗君の家臣ではない。皇帝の地位に頭を下げる家臣ばかり用意しては滅びることを知っている彼らは、ガニュメデイーロという軍人を作りあげた。
「記録されているものでしたら……そうだ、メディオンはライフラ・プラトやロターヌ=エターナにエターナ=ロターヌについてどのくらい知っていますか?」
「詳しくない。もしかして、教えてくれるというのか?」
「知りたいのでしたら」
「知りたい」
「解りました。それではまず聞きます。メディオンにとって、さきほど私が述べた三つの能力のうち、もっとも危険とされている能力はどれだと思いますか? 答えてください」
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