子爵はガルベージュス公爵に連れられて『子爵を付き人に推薦してくれた者たち』と面会し、
「これで最低限の礼儀は果たしましたよ」
「ありがとうございます」
貴族としてしなくてはならない面会を無事に終えた。
面会そのものはすぐに終わり、
「大宮殿を案内しましょう」
「お願いします」
ガルベージュス公爵案内のもと、子爵は大宮殿を見て回ることになった。
「皇王族区域にしましょうね。リスカートーフォン区画なら自由でしょうが、皇王族区画は用事がない限り足を運ぶこともないでしょうし」
―― そうですね……あんまり率先して……
寮内で接しているだけでも”お腹いっぱい”状態の皇王族たちの《巣》とも言える場所に、わざわざやってくるような気持ちに子爵はなれない。
ガルベージュス公爵に案内されて区画の中心にある待合室に入った子爵は、向こう側にいるテルロバールノル貴族と目が合い、その視線が殺気を含んでいることを感じ取り、自分の手腕を自分で押さえ込む。
隣にいたガルベージュス公爵も気付き、
「ローグ公爵。死にたいのですか? あなたの実力では子爵には勝てませんよ」
緋色と深い紫色が印象的な洋服を着た、榛色の長髪の男性《ローグ公爵》に、笑いながら声をかけた。
「……」
ローグ公爵が答える前に、
「リスカートーフォン風の挨拶をしてくださるとは、さすがローグ公爵。ですが、やはり危険ですよ。ここは普通の挨拶をするべきです」
ガルベージュス公爵が会話を勝手に進めて、決してローグ公爵の口を開かせない。
”いや、違う”と言いたそうな表情を子爵は見て取り、子爵が見たとおりなのだが……知っていてガルベージュス公爵は語り続ける。
「そうそう、彼が今度メディオン・ドートレルフィユ・エディルラージュと一緒に遊園地に行くケーリッヒリラ子爵です。やはり帝国軍人になるからには、他属の物の考え方を良く理解しないといけませんからねえ。テルロバールノルは特に自分が属している一族以外とは交流を持たない癖がありますが、そこはさすが名門ローグ公爵家が未来の皇后の側近として選んだメディオン・ドートレルフィユ・エディルラージュ。自ら進んで他属との交流を持ち、皇后の片腕となるべく奮闘しておりますからね」
「……」
―― 言いたいことは違うんだろうが、言いたいこと潰されたな
子爵は悶えているローグ公爵を見ながら腕を押さえている手を離して”申し訳ありません”とばかりに視線を逸らす。
ローグ公爵が怒りに満ちた視線で睨んだ理由は、エヴェドリット貴族如きがローグ公女と二人で遊園地など身の程を知れ! と言いたかったのだろうが、
「皇帝陛下もメディオン・ドートレルフィユ・エディルラージュの努力を高く買っております。皇后となられるセヒュローマドニク公爵殿下と他の正妃たちを上手く取り持ってくれるだろうと、期待も高く。もちろんやっと他属との交流を持つという気持ちを持ったばかりで、成果はさほどではないでしょうが、側近としての役割を理解していると、本当に期待されております」
最終兵器《皇帝陛下の期待》に完全に押し潰された。それだけで終わらないのがガルベージュス公爵、潰れた”それ”をならして大地に還す。
「イデールマイスラもメディオン・ドートレルフィユ・エディルラージュの努力に触発されて、ヒレイディシャ男爵共にゾフィアーネ大公の元、ケシュマリスタを知る努力をしております。これからもメディオン・ドートレルフィユ・エディルラージュがテルロバールノル貴族としての誇りを持ちながら、率先して他属との交流を持つことを、わたくしも期待しております」
テルロバールノル王家まで出されては、ローグ公爵が言えることは残っていない。大貴族らしい笑いを作るも片側の頬が引きつり大失敗しているのだが、子爵は敢えてなにも言わない。
「その通りじゃ。ガルベージュス公爵は若いがよく解っておるな」
「もちろんに御座います。若いから知らなくても許されるなど、この世界では通用しませんからな」
「先程の殺意は譲歩じゃ。本来であればリスカートーフォン貴族など…………遊園地に行くことは許してやる。ありがたく感謝せよ、ケーリッヒリラ」
”リスカートーフォン貴族など…………”その無言に言いたいことが詰まっているのは明かであったが、言わずに我慢したローグ公爵の我慢に尊敬を表し、
「はい。我も勉強させていただきます」
子爵は深々と頭を下げた。
「ローグ公爵、ケーリッヒリラ子爵はエヴェドリットでは珍しいほど理性的な方ですから先程の殺気でも無事でいられましたが、他のエヴェドリットではどうなっていたか? 解りませんよ」
「う、あ、儂とて調べておるからして……その……」
怒りやその他が入り交じったローグ公爵は立ち去るということをすっかりと忘れてしまい、睨み合い状態が続き……かけたのだが、
「ガルベージュス公爵《ローデ》遅いから迎えにきたよ」
そこに風が吹いた。
普通このような場に吹く風は”爽やか”であることが多いのだが、残念というべきか吹いた風は、
「母上」
「サディンオーゼル大公」
―― ガルベージュス公爵の母上か
息子並に熱かった。
両親が熱いので息子も熱くなった……とも言えるのだが。
「ローグ公爵ディフォレンケ・マッディオンド・シャデードルダ。私はそこにいるガルベージュス公爵《エリア》の母であるサディンオーゼル大公……」
名前の連呼で話はまったく進まず、我慢しきれなくなったローグ公爵が話を終わらせようとするが、
「まだお話は終わっておりませんよ! ローグ公爵。実はですね!」
そう簡単には離してくれない。
「悪かった、サディンオーゼル大公! 話はまた今度じゃ。儂は貴様等とは陛下の御前以外で話はしとうな……」
「わかりました、では明日にでも陛下と共にお話をしましょう! 私の姉君にして夫の姉君でもあるシャイランサバルト帝にお願いしてまいります! ひゃっはああ! ローグ公爵とお話いぃぃぃ!」
ローグ公爵は思考は偏っていたが立派な貴族であったので、この騒ぎに巻き込まれたことに対し子爵に間違った憎しみを抱くことはなかった。
戦略的撤退ではなく敗走でもなく佇み大公夫妻と息子、そして子爵を見送ったローグ公爵の背中は、この部屋に来た時より三歳は老けたように見えた。
子爵はガルベージュス公爵の自宅に連れていかれた。部屋の内装は見覚えのある物が多く、
「馴染み易いだろう、ケーリッヒリラ子爵エディルキュレセ=エディルレゼ・シクシゼム・ヴァートスドヤード」
見事なまでにエヴェドリット容姿のデステハ大公が、人懐っこそうに話しかけてくる。
「はあ」
子爵は馴染み深い内装に囲まれながら、必死にデステハ大公とサディンオーゼル大公を思い出そうとしていたが、両者の名前が混ざって上手く出て来ないで、非常に困っていた。
「何か食べるかね、ケーリッヒリラ子爵エディルキュレセ=エディルレゼ・シクシゼム・ヴァートスドヤード」
「何も食べさせないで帰すわけにはいかないでしょう先輩」
「やはりそうだよな、後輩」
「ははは。いつまでも学生気分の抜けない夫婦ですねえ」
ガルベージュス公爵の両親は母親が”先輩”で父親が”後輩”である。
一歳違いで生まれた当初から婚約者同士で、一緒に育ち、同じ道を歩んで、普通にエリートコースに乗って出来の良い息子を儲けた現皇帝の妹と弟。
エヴェドリットに縁の深い二人で、
「その時先輩に殺されかけてねえ」
「嫌だなあ、後輩だって殺しにきたじゃないか」
話す内容はエヴェドリットなのだが、語り口は皇王族。子爵としては馴染みのないものであったが、黙って行儀良く話を聞いていた。
「もっと楽にしてくださいケーリッヒリラ子爵。両親は礼儀作法には厳しくないので」
そう言っている息子が話を聞いている姿勢は背筋は伸びて、足をおく位置も手を置く位置もマントの広がりかたも完璧。
「あ、はあ……」
別に場違いではないのだが、気持ち的に場違いでいたたまれない気分になっていた。そこで少し話をして子爵は一人帰寮する。
その後ろ姿はローグ公爵と同じく、寮を出て行く前よりも三歳は老け込んでいた。
「シク!」
その老けっぷりをまったく気にせず、着込んだ後ろ姿限定なら「結構格好良い」ヨルハ公爵が元気よく声をかけて背中を叩く。
「あ、……ヴァレン」
振り返った子爵はというと、
「どうした? 眠いのか」
人好きするバランスのよい瞳が半開きになっていた。その子爵の顔を見てヨルハ公爵は顔を近づけてくる。
「いや……眠くはないが……」
目が虚ろ、精神はもっと虚ろなになっていた子爵だが、眠くはなかった。眠気もなにもかも、あの夫妻と息子に吹き飛ばされていた。眠気以外のものも吹き飛ばされ、何も残っていない状態とも言える。
「そうか! じゃあ聞いてくれ」
「どうした?」
「イルギ公爵の従妹、サステベイロが死んだって報告が届いた」
「死んだのか。それがどうかしたのか? ヴァレン」
エヴェドリットは普段、余程の貴族が死亡ない限りは驚かない。サステベイロは子爵よりは上位の貴族だが、名門の当主ではない。ヨルハ公爵家と敵対するイルギ公爵家縁の女性だが、ヨルハ公爵が興味を持つほどの強さは持っていない。
もちろん当主であるイルギ公爵よりは強いのだが、エルエデスの足元にも及ばない程度。ヨルハ公爵が話題に出すような相手ではない……だが、殺した相手が知り合いであった。
「ベリフオン公爵が殺害したんだって!」
「ええ? あ……研修中に?」
「そういうこと。勝負してサステベイロが負けたんだって」
「あー。でもなんでまたサステベイロはベリフオン公爵と勝負なんて」
普段はどうであれ、学校の成績からすれば、サステベイロ如きでは勝ち目はない。完璧に勝てない相手に勝負を挑むような性格であったのか? 二人はサステベイロの性格をよくは知らないのでなんとも言うことはできなかった。
「不思議だよね」
ヨルハ公爵は、着実に皇帝の意志に従うために任務を果たすベリフオン公爵を尊敬し、
「不思議だな」
子爵はベリフオン公爵がエルエデスと様々な関係があることは知らないので、純粋に不思議だと感じた。
この事件に先程までの精神的な疲れがすっかりと霧散した子爵は、ヨルハ公爵と共に深い事情を知っていそうなエルエデスの元へとむかった。
※ ※ ※ ※ ※
「デルシ、クロスティンクロイダは仕事が早いな」
「そうですな。あのベリフオンならば我がエヴェドリットでも上手くやっていけるでしょう」
デルシと皇帝は碁を打ちながら、先程受けたばかりの報告について語り合っていた。
「クロスティンクロイダからの連絡だが、喪に服するので”どちらか”を決めてくれとのことだ」
ベリフオン公爵は現在五年で、エルエデスは一年。卒業と同時に結婚するのが慣習なので、それに則ればエルエデスは二年の終わりにベリフオン公爵と結婚しなくてはならない。
だがその下地が用意できないので、
―― どちらかを病死させてください。息子として出来るたった一つのことである「喪に服し」ますので
両親のどちらかを殺害し、喪に服すという名目で結婚を延ばしたいと皇帝に依頼した。殺害するのはどちらでもよく、だが二人は殺さないで欲しいとのこと。”将来喪に服する期間が欲しくなる可能性もありますので”とのこと。勘違いされそうだがベリフオン公爵は両親のことは嫌っていない。ただ好いてもいないので、皇帝の命令を完遂するためには気軽に殺害できる。
「悩まれますか、陛下」
ベリフオン公爵にしてみれば、皇帝の意思に沿って死ねるのだからどちらであろうとも栄誉なことだろうとすら考えていた。
「悩むわ。どちらかが優れておるのならば悩まんで済むのだが」
「仕方ありますまい。皇王族の結婚は、片方が突出しているような組み合わせは避けるのが慣わしですからな」
婚約者は生まれてすぐに決められるものだが、成長して変更されることも稀だがある。あまりに両者の才能に開きがある場合は、無用な争いを招かぬようにするために。
血筋と家柄、そして才能も似たようなのを組み合わせてどちらかが劣等感を覚えないようにするのが”慣わし”であり治世維持の秘訣でもあった。
ガルベージュス公爵が生まれながらに婚約者が定まっていないのは、彼の突出した才能が原因の一つでもある。
「そうだがな」
「この勝負で決めますか。我が勝ったらベリフオンの父が、陛下が勝たれたらベリフオンの母が”病死する”で、どうでしょうか?」
普通ならば「負けたら」であろうが、相手が皇帝である以上負けた話はしてはならないので、勝った場合でデルシは話を進める。
「そうするか。それにしてもこの勝負で何人殺す相手を決めたことか」
「数える必要はないでしょう、陛下」
ベリフオン公爵が卒業する二週間前に【父親】が病死し、彼は法に定められた最長である二年間、喪に服した。
それでもエルエデスは五年の時には結婚しなくてはならないのだが ――
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.