ヨルハ公爵が上機嫌でふらふらと歩いている。
顔は上気して赤の円形が頬に、両手をだらりとしたように横に広げて、右足を左足の前に、左足を右足の前にと今にも足が絡まりそうな歩き方をしながら。
「ゼフ=ゼキ、酔っぱらったのか」
「ふらふら歩いている人を、みんな自分と同じだと思わないようにミーヒアス。大体だらしなく酔うのは貴方くらいのものですよ」
「……」
「だらしないと言われたことが悔しいのですか?」
「いや。だらしなく酔ってる自覚はある」
「自覚があってあれですか。自覚がないほうがまだマシですね」
酒乱の寮母と最年長執事に見送られていることに気付きもせず、ヨルハ公爵は部屋へと戻り、
「エルエデス。おいでよ!」
「どこへ?」
「エンディラン侯爵、すっごい可愛いの!」
エルエデスを連れて子爵の部屋へと引き返した。
ヨルハ公爵がやって来た理由はエンディラン侯爵に「ケディンベシュアム公爵に会いたい」と言われ鼻先を指で突かれ、夢見心地になって出向いたのだ。
もちろんエンディラン侯爵に言われたからだけではない。
最初に話題に出したのはヨルハ公爵のほう。エンディラン侯爵が綺麗なので、是非ともエルエデスにも会わせてあげたいと思い、照れつつも話題を上手く持って行ったのだ。
”我は可愛い女には興味はない”
エルエデスはヨルハ公爵が呼びに来た原因は解っている。彼が接したことがある家族以外の女性で最も影響力を持っているのがデルシ。
可愛い娘好きでもある彼女を見て育った結果、
「可愛いんだよ。可愛いんだよ」
「はいはい」
女の子は”可愛い女の子”が好きだと勘違いしてしまったのだ。
―― イルトリヒーティーなら喜ぶかもしれないが
ホラー映画鑑賞部部長イルトリヒーティー大公。
彼女はデルシと同じく女性好きな女性で、部室でホラー映画を見ている時も「きゃあ! こーわーいー」とあからさまに恐がっていない部員(同じ性癖)が彼女の胸に飛び込み、しっかりと抱き合ったりする。
部には男性もおり、エルエデスのような男性が好きな女性もいる。
それらの人には迷惑をかけることはない。部内でそんなことをしているのが既に迷惑のようにも思えるが、帝国で生きている以上同性同士の”いちゃつき”は流せなくては話にならない。
エルエデスの部活はともかく、勘違いであることをヨルハ公爵に説明するべきだが、ふわふわとしている状態の彼の最上の気分を萎ませる気はなかった。
後日《女に興味がある女と、そうではない女がいること》を自分か、もしくはデルシが説明すればよいと、一緒に行くことに決めた。
これ程気分が良い状態なのを害すると、暴れる可能性も高く、一応接客中でありケシュマリスタの王太子がやって来ているときに騒ぎを起こすことは、エルエデスとしては避けたいところ。
―― 酔っぱらったゾンビ……いや、ゾンビは酔わんだろうな
廊下をよたよたと右にいったり左に来たりと、酷い歩き方をしているヨルハ公爵の後ろを付いて歩いていたエルエデスは、子爵の部屋に到着した頃、ヨルハ公爵は遥か後方にいた。
入り口でヨルハ公爵の到着を待ち、
「連れてきたよ」
「邪魔する」
子爵の部屋へと入り、ドアを閉める。
ジベルボート伯爵がピアノ部屋となった部屋のドアを叩いて、エンディラン侯爵を呼んできた。念のために光りが入らない部屋に移動していたのだ。
「来ましたよ」
ヴェールを上げた状態で現れたエンディラン侯爵と、
「綺麗でしょ! 綺麗でしょ!」
大はしゃぎのヨルハ公爵。”やれやれ”とヨルハ公爵をまるで年上の兄のような眼差しで見ている子爵と、喜ぶ兄を微笑ましく見つめる弟のようなジベルボート伯爵。
「……」
「……」
エルエデスとエンディラン侯爵の視線が激突したのをはっきりと見たのはザイオンレヴィただ一人。
「初めまして。私はエンディラン侯爵よ」
「こちらこそ。我はケディンベシュアム公爵だ」
当たり障りのない態度を取るエルエデスと、
「はい、ヨルハ公爵。口を開いて」
「う、うん!」
焚きつけるような態度を取るエンディラン侯爵。
室内の空気は重くなるより先に、鋭くなってゆく。こうなるとさすがに子爵やジベルボート伯爵もエルエデスが怒っていることに気付いたのだが、彼らは根本的に《エルエデスがヨルハ公爵のことを好き》なことを知らない。
ヨルハ公爵がエルエデスのことを気に入っていることは何となく感じ取っている三人だが、女性の気持ちには鈍い男たちの集まりでもあった。
(ヴァレンをおちょくってるのが、腹立たしいんでしょうか? シク)
(だろうな。ライバルはライバルであって欲しいという気持ちだろう、クレウ)
(御免。ロメララーララーラが、僕の婚約者が本当に御免よ)
女性慣れしていないヨルハ公爵を玩具のようにしていることが、エルエデスの気に触ったのだろうと三人は解釈した。
「あー楽しかった。ねえねえ、私ケディンベシュアム公爵と二人きりで話したいから、貴方たち出ていって」
部屋の主は子爵だとか、ヨルハ公爵を呼んでといったのはエンディラン侯爵だとか……様々あるが、男たちはケシュマリスタ女の美しく残酷な笑顔を前に、抗うことができず部屋を出る。
「……」
「……」
二人きりになり、エンディラン侯爵が挑発的な笑顔をエルエデスに向ける。殺意などではなく、本当に人を馬鹿にしたような微笑み。
これがまた憎たらしいのだが、文句を言えないほどに美しい。
「そんな顔しないでよ。私はあなたの味方よ、ケディンベシュアム公爵」
女は嫌いだが男は好きで仕方ないだろうな……と「女がそう思う」表情。どんなに忠告してやろうとも「解ってる。だから好きで騙されてる」と男が答えてしまう表情。
性格が悪いことを当人も相手も知っている。
それを隠そうともせず、悪いことを前面に出して魅力にしてしまう。
ケシュマリスタの女が嫌われる理由であり、好かれる理由でもある。善良さにはない魅力、それが彼女たちの残酷であり馬鹿にしたような態度である。
「お前に味方になってもらう理由はないが」
鋭く冷静な表情を保っているエルエデスだが、内心は理由が解らず苛ついていた。
「ヨルハ公爵に言い寄られて、鬱陶しいんじゃなくて?」
両手を広げるようにして、指先をゆっくりと向けてエンディラン侯爵は、先程よりもいっそう人を馬鹿にしたような笑顔を作る。わざと斜めにした表情に、思わず握り拳に力を込めたエルエデスだが、深呼吸をして制御した。
「なにを言っている」
「ヨルハ公爵、貴方のこと好きじゃない」
「……」
「敵対している家柄だから、面倒だろうと思って」
「それで」
「だから、私が奪って上げる。貴方は馬鹿じゃないでしょうけれども、前もって説明しておかないと駄目かなって」
「なにが?」
「自分の領域にずけずけと入り込む好きじゃない筈の相手が別の相手のところにいくと”寂しい”とか言って、簡単に恋に落ちる馬鹿いるじゃない」
目を細め、形の良い唇が楽しそうに”歪み”唇の隙間から白く小さな歯が見える。
作られた美貌に性質の悪い感情が宿り、他者を嘲笑う。
「……」
その姿がとても美しい。
こうやって動くために、こうして人をからかう為に、計算して作られたのだろうと信じてしまうくらいにエンディラン侯爵の表情、そして指の動き、声の調子は完璧であった。
「貴方のこと構わなくなっても、嫉妬したり恋したりしないでちょうだいね。結果的に二人の仲を取り持ったなんてことになったら、大問題になるじゃない」
エルエデスは頭はいいが、この種類の駆け引きは苦手だ。
得意にならなければと思いながらも、どうしても得意になれない。
「なら止めておけ」
「どうして?」
「少しでもからかったら、大問題になる。いや、既に大問題になったかもな」
「それ、貴方がヨルハ公爵のこと好きってことでいいのかしら?」
エンディラン侯爵は女から見て「同じ男を取り合ったら絶対に負ける」そう思わせる女だ。彼女は男を誘惑する女ではなく、女の女としてのプライドを枯らしてしまう物を持っている。
「……そうなるな」
「正直ね」
「勝てそうにないから。陰険に男女関係をかき回すのが大好きなケシュマリスタ女に玩ばれたくはない」
「あら、違うわよ」
「違うのか?」
「男女関係だけじゃなくて、男男関係も女女関係も。全部、暗く裏で手を回してぐちゃぐちゃにするのが大好き」
「呪われた性格だな」
「人殺しよりマシだと思うんだけど」
「人それぞれってやつだ」
「それじゃあ改めて言うわ。私、この先も貴方の大好きなヨルハ公爵で遊びたいの。遊んでるのに嫉妬するのは良いけど、殺さないで頂戴ね」
「殺されないようにしようとは思わないのか?」
「思わないわよ。貴方が我慢するのよ、ケディンベシュアム公爵。だって貴方は我慢しなければならない立場でしょ?」
「お前、性格悪いぞ」
「私、生まれてこの方”性格がいい”なんて言われたこと、一回もないわよ」
「おい」
「言い触らしたりはしないわよ。ヨルハ公爵、貴方の夫のイルギ公爵より強いんでしょ?」
「強い」
「じゃあ仕方ないってことなんでしょ、貴方たち強さが全ての基準なんだから。そういう点でみたら、仕方ないわよね。ちなみに私が気に入ったのは、あの不細工さ。なんていうの? 不細工も突き抜けると可愛いものなのね」
「……」
「どうしたの?」
「同意しかけた……」
”不細工も突き抜けると可愛い”
エルエデスがどうしても出せなかった答えをエンディラン侯爵は簡単に出した。
「なに、この恋愛慣れしてない生き物たち。貴方のことまでちょっと可愛いとか思っちゃったじゃないのよ」
「お前は恋愛慣れしているのか? エンディラン」
「してないわよ。だって私、好きな人いないし。貴族が誰かを好きになるって、無駄なことじゃない?」
「確かに無駄だな」
初対面の際の印象はエルエデスにとって良いものではなかった。エンディラン侯爵はというと《ヨルハ公爵とケディンベシュアム公爵、二人一つで面白い!》であった。
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