「あ……はははは……緊張するなあ」
「そんなに緊張しないでくれヴァレン」
手を握っては開いてを繰り返し、首を大きく前後に振りながら歩くヨルハ公爵を連れて子爵はエンディラン侯爵が待つ自分の部屋へと向かっていた。
※ ※ ※ ※ ※
ことの始まりは前回のマルティルディの訪問。ザイオンレヴィが「優勝オメデトウ」と褒められつつマルティルディに吹っ飛ばされたあと、子爵は倒れている彼を引き摺り、ジベルボート伯爵と共に任務通りに彼女の相手をした。
学生生活に興味がある彼女の希望で、二人の学校生活を語ったのだが、高頻度に登場するヨルハ公爵に彼女は興味を持った。
目を覚ましたザイオンレヴィも、
「とっても良い人だよ」
会話に混ざり、ケシュマリスタ勢二人は手放しで褒めた。
「たまたま狂った部分に遭遇してないだけで、本当は危険なんだがなあ」
子爵だけは二人の意見を時に訂正するものの、それでも彼女が想像していたのとまったく違うエヴェドリット像。
「シクはエヴェドリット像をガンガン壊してくれますからね!」
「たしかに子爵はそうだよね。なんといっても穏やかだ」
「あなたの音痴で子爵のケシュマリスタ像は壊れたでしょうけれどね」
「それは言わないでください、エンディラン侯爵」
話をしているうちに、エンディラン侯爵が「ヨルハ公爵に会ってみたい」と言いだした。
「危険だから止めた方がいいいだろう」
子爵は止めたが、
「危険は貴方たちも同じでしょう? 貴方たちも私もヨルハ公爵の前では一撃で殺されるんだから、危険の度合いは同じよ」
言われてみればその通り。その上帰り際に彼女はマルティルディに、
「次に来る時はヨルハ公爵に直接会ってみたいんです」
頼み込んだ。彼女の表情と子爵たちの狼狽える姿を見比べて、
「ああ、いいよ。次は連れてこいよ。でもさあ、さすがに狂ってたら諦めるんだねロメララーララーラ」
マルティルディから命令が下り、次の訪問の際はヨルハ公爵を”用意”しておくことになった。
「いいか? ヴァレン。エンディラン侯爵が興味を持ったのはヴァレン自身であってお菓子じゃないんだ。わかるな?」
死体菓子を持参して行こうとするヨルハ公爵を子爵は丹念に説得し、ザイオンレヴィが吊される都度全館放送で呼び出されて走り出し、授業に追試に追試に授業の日々を繰り返していた。
『ぴんぽんぱーぽー。えー全館放送、全館放送。本日もギュネ子爵が反重力ソーサーレース部部長の手により吊されましたので、大至急ケーリッヒリラ子爵は回収に向かってください。まったく、こんな兄で済みません。ぴーぽぱーぽー』
何時もの放送に、
「ちょっと行ってくる」
部室を飛び出して行く子爵と、それを見送るアーモンドを吟味するジベルボート伯爵とヨルハ公爵。
「気を付けてくださいね、シク」
「気を付けろよ、シク」
日常の光景になりつつあったそこに、一人異分子が飛び込んで来た。ザイオンレヴィを降ろして連れ帰ろうとしている所に、メディオンが血相を変えてやってきたのだ。
「どうした? メディオン」
「どうしました? メディオンちゃん」
「なんで一々子爵を呼び出すんじゃ! ジーディヴィフォ大公! 同室のジベルボートでよかろうが!」
腕を振り回して、子爵を呼び出すな! と抗議をしだした。
ジーディヴィフォ大公は世間的には《同性愛者》で通っており、メディオンは子爵に好意をいだいており、子爵はジーディヴィフォ大公と同性である。
子爵が反重力ソーサーレース部に頻繁に呼び出されることに理由があるのではないか? と疑い、疑って……要は子爵がジーディヴィフォ大公の毒牙(メディオン視点)にかかるのではないか? と心配で心配で、我慢できなくなって乱入することに決めたのだ。
「吊さなければいいんじゃ! 吊さなければいいんじゃ!」
当たり前のことを叫びながら猛抗議してくるメディオンを前に、子爵は通りすがりの上級生にザイオンレヴィを医務室に運んでくれるよう頼み、ジーディヴィフォ大公と共に部室へと一度引き上げた。
ちなみに今年度も既に部員は怪我で戦線離脱者がたくさん! そんな反重力ソーサーレース部。
部室に辿り着いても叫び続けるメディオンを前に、
(本当のこと言わないと、怒り続けて死んじゃいそうだよね。テルロバールノルはそう言う人もいるらしいし)
(そうなですか? ジーディヴィフォ大公。ですが大公は言いたくはないのでしょう)
”どうどう”と宥めながら、二人で打開策を考えるのだが、とくに思い浮かばない。ジーディヴィフォ大公の嘘は局地ではなく、全宇宙に対しての責任ある嘘なので、思いつきで嘘を重ねて誤魔化していいものでもない。
嘘をついてこれれから卒業まで乗り切る自身は子爵にもない。「どうしたものか?」と悩んでいると、轟音と共に扉がゆっくりと開いた。
音は持参した効果音であり、持参したのは先程の放送を担当したゾフィアーネ大公。
「私の兄は同性愛者ではないのです!」
兄と子爵の葛藤をまったく意に介さずに、ゾフィアーネ大公は高らかに叫び、ここに至るまでの経緯を説明した。
「……」
「解っていただけたでしょうか?」
「主の言うことをまとめると、ガルベージュス公爵が誰かに懸想した際、エシュゼオーン大公と結婚するためにジーディヴィフォ大公は陛下の命により同性愛者を装っており、そのことをこともあろうにエディルキュレセに知られてしまった……のじゃな?」
「そうです」
「じゃがジベルボートの代わりにここに来る必要はないじゃろう」
「…………」
ゾフィアーネ大公は頬杖を付き、視線をわざとらしく”嘘をついている”と解るよう上にする。あからさまなのでメディオンも気付いたが、ゾフィアーネ大公の後ろに立っている二人は気付いていなかった。
―― 二人の前では言い辛いこと……か?
怒りが僅かに収まり、ゾフィアーネ大公の顔を探るように覗く。
「ジベルボート伯爵が頻繁に来ていたら、洒落にならなくなるからですよ。彼の稚児顔は完璧です。なにもしていないカロラティアン副王ですら稚児趣味あると言われるくらいのお稚児顔です。噂で兄の性癖を補強されてしまうと、後日戻ることがあった時”両刀”という称号を背負うことになるのは、あまりにも不憫というか弟として回避してあげたいのです」
「そういうことならば……」
二人からは見えないゾフィアーネ大公の表情に気を取られて、メディオンの興味は”そちらへ”と移動した。
「ねえ、弟さん。この兄の秘密をばらしてしまっていいのかい?」
会話が終わったところで、勝手に秘密を暴露されてしまったジーディヴィフォ大公が、やれやれと肩に手を置いて尋ねる。
責めるものではなく、なにか策はあるのだろう? ―― そう問い質す口調で。
「嫌だなあ、兄さん。私はメディオンの婚約者候補の筆頭ですよ。結婚したら兄さんのことを説明する必要があるじゃないですか。それの前倒しです、要するに結婚への布石」
「ああ……そういうことか!」
直後メディオンが絶叫したのは説明するまでもない。
「いや……あの、……済まないな、メディオン。心配してくれてありがとう」
子爵は落ち込むメディオンを部屋まで連れてきて「なんと声をかけていいのやら」と悩み抜き、必死に言葉を集める。
「……いや、気にするな。聞けてすっきりした」
落ち込んでいたメディオンは、自分の行動で子爵を悩ませるのは本意ではないので、先程までの憎たらしい兄弟のことは無視して子爵の本心を聞くことにした。
「儂はゾフィアーネとの結婚はどうでも良いし、ジーディヴィフォが義理兄じゃろうが、義理兄が同性愛者であろうが両刀であろうが、どうでも良い。……なあエディルキュレセ。呼び出されてわざわざ向かうのには、それなりの理由があるのじゃろう?」
先程までの理由はジーディヴィフォとゾフィアーネ両大公の視点で語られた理由。やや後者の視点は「固定」はされていないようだが、大別すると国家の理由であり皇帝の命。
だが子爵はどちらとも関係はない。
”呼び出されたから向かう”
そうするだけの理由があるはずだろうとメディオンは考えた。
「理由かあ。……我がもっともギュネ子爵を上手く運べると”自分で”思うからだ」
「上手く運べる?」
「感覚の遮断に長けている。意識しなくても感覚を閉ざすことが可能だ。我がこの能力を持っていることを知っているから、ギュネ子爵は安心して運ばれると考えている」
「そういうことか……」
「そんなに深刻に考えないでくれ。成り行きというのが一番の理由だ」
「ん。教えてくれて、ありがとなエディルキュレセ。そろそろ夕食の時間じゃな、食堂に行こうか」
「そうだな。ああ、緊張するな。食事マナーは本当に苦手だ」
「そうか? 寮のマナーはわりと緩いがなあ」
「我とメディオンの実家では、食事のマナーにかける時間が違うからなあ」
子爵とメディオンは一緒に食堂へと向かった。
その後、ヨルハ公爵を説得して菓子を持参せず会話することを納得させることに成功する。
「あ……はははは……緊張するなあ」
「そんなに緊張しないでくれヴァレン」
手を握っては開いてを繰り返し、首を大きく前後に振りながら歩くヨルハ公爵を連れて子爵はエンディラン侯爵が待つ自分の部屋へと向かっていた。
「連れてきたぞ」
ザイオンレヴィとジベルボート伯爵と共に待っていたエンディラン侯爵は、到着したヨルハ公爵を見て、
「映像で見たことあるけれど……まあ……」
まずは容姿に驚いた。
「初めまして、ヨルハ公爵だ」
ヨルハ公爵はエンディラン侯爵が取るような態度には慣れているので、まったく気にはしない。”美の一族”の姫君に会うのだからと、いつもより丹念に梳いてきた髪を掻きながら挨拶をする。
子爵は光りが入り込まないように入り口を封鎖する作業に取りかかる。
「初めまして。私はエンディラン侯爵よ。名前で呼んだら容赦しないから」
―― 初対面からそれか……
作業しながら背中でエンディラン侯爵の軽やかで横暴な挨拶を聞いていた子爵は、封鎖し終える前に振り返った。
「どうした! ヴァレン!」
ヨルハ公爵があらぬ動きをしたのだ。
その動きは感覚が察知したもので、実際どのように動いたのかは解らず視界にとらえようと振り返った。
「ちょっと……どうしたのよ」
そこにいたのはソファーの陰に隠れたヨルハ公爵とヴェールを持ち上げて顔を露わにしているエンディラン侯爵。
「ヴァレン、もしかして恐怖ですか! やはりケシュマリスタ女は!」
「それ以上言っちゃ駄目だ! クレッシェッテンバティウ! 死ぬ! 殺される!」
ケシュマリスタ勢の困惑と本音の暴露を他所に、子爵は驚きながらヨルハ公爵に近付く。
「どうした? ヴァレン。なにそんなに驚いてるんだ」
「シク……我は純粋に綺麗な”だけ”の人を初めてみた。き、綺麗だな、純粋に綺麗ってこういう容姿を言うんだな……」
不健康な顔色に赤絵の具で描かれた丸を浮かべて目を閉じて、ぷるぷると首を振り出す。
「き、綺麗だ。なんか香りも違う。血の匂いがしない、異形の気配がない。綺麗だー綺麗だあ」
ヨルハ公爵ゼフ=ゼキ。彼は”美しい”と”強い”が「カランログ」で結ばれる世界で生きてきたため、エンディラン侯爵のような美しい少女と出会ったのは初めての経験であった。
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