君想う[031]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[82]
 案内されて五人は円テーブルについた。座り順は子爵の隣にヨルハ公爵、その隣にエルエデス。ヨルハ公爵をエヴェドリットで挟む体勢。エルエデスのもう片側はジベルボート伯爵、そしてザイオンレヴィ。
 ヨルハ公爵は大喜びで座って、渡されたメニューから適当に食事を選び周囲を見回して興奮していた。
「日替わりのセットメニューか。後宮の食堂も確かこうだったな」
「ケーリッヒリラ子爵なんで後宮の食堂のことなんて知ってるんだ?」
「親が”言う事をきかないと陛下の後宮に入れるぞ”って脅してきたんだ、ギュネ子爵。その際に後宮のシステムを教えられた。次男あたりはよくそうやって脅されると聞いたが」
 子爵が言っている通り、わりと良くある脅しなのだが、ザイオンレヴィはマルティルディのお気に入りだったので、そんな脅しをかけられることはなかった。
「いやあ、僕はないよ。次男と言えばヨルハ公爵も……」
 この場にはもう一人次男、兄を殺害してヨルハ公爵の座についたゼフ=ゼキ。話題を振られた彼は自分を指さして、
「我を後宮にいれるなど、バーローズ公爵が”陛下を殺してこい”と言ってるも同じだろう。それに後宮は普通顔が綺麗なのを選別するだろう。我のこの容姿でどうやって入れるのだ? シクシゼムなら余裕で合格だろうが」
 自分で言ってはいけないだろう……と言いたくなるような事を言いながら、ばさばさの髪を振り回すかのように首を振る。
 五人は注文を終えて周囲を見たり歌に耳を傾けたりして料理が来るのを待つ。
 その頃給仕は自分の顔を両手で挟むようにして叩き、気合いをいれて腰を下ろして腹に力を入れ料理を運ぶ体勢にはいった。
 そうして運ばれテーブルに並べられた料理を前にして、さあ食べようとなった所で、ヨルハ公爵がテーブルにうっぷして泣き出した。
「なに泣いてるんだ、ヨルハ」
「ピーマン嫌いなんだ」
 子爵の問いに顔をあげて、本当に悲しさを滲ませ答えた。
「はあ?」
 エルエデスの批難がましい声は当然のこと。メニューには全材料が書かれているので、嫌いなものは避けられるようになっているのだ。だがヨルハ公爵は初めての経験に注意力が散漫になり材料も見ずに「チキン料理のセット」を頼んであとは周囲を見て楽しんでいた。
 寮内での食事は残すことが禁止なので食べるのだが、外食となれば違う。
「外食でまで嫌いなもの、それも自分で注文してしまうなんて」
 あまりにも周囲が楽しくて迂闊に注文してしまい、目の前のピーマンを確認して泣き出したのだ。
 泣くポイントがかなりおかしいのだが、そこをヨルハ公爵相手に突っ込む人はいない。
「泣くな。泣くな、ヨルハ。まずは、ほら」
 子爵はハンカチを取り出して両目からぽろぽろと零れ落ちている涙を拭いてやる。
「うっ……うっ……」
 エルエデスに不景気と表される顔は、いま不景気を通り越して大恐慌である。
「ヨルハはピーマンさえ避けたら食べられるか? それとも我の注文したポーク料理のセットと交換するか? 飾りのピーマン取り除いた分の野菜は分けてやってもいい。どれでも好きにしろ」
 美男子が屍蝋のような生き物の涙を拭っている姿は人々の目には奇異に……写りはしなかった。普通の人は見るような真似はせず、料理に集中している。
 真紅のマントを羽織っている三人が並んでいるテーブルを見る勇気がある者はいなかった。
 精々《さすがにメルフィが紹介した店の、それも人前ではなあ》と背中を向けられたエルエデスが、艶がなく収まりの悪いヨルハ公爵の頭と、真紅地に青紫で描かれた矢車菊のマントを交互に眺めながら、制限のない子爵のことを少しばかり羨ましく思ったくらい。
「ピーマン避けてくれるだけでいい」
「そうか。涙拭いてるといいぞ」
 子爵はヨルハ公爵の骨ばった手にハンカチを握らせ、フォークとナイフでチキンローストの上を飾っているピーマンを自分の皿に手早く移動させた。
「見える範囲は取り除いた。取り残しがあったら残しておけ、行儀悪いが我が食うから」
 大貴族が外出先で出された料理を残すと、気分を害したと取られ料金を受け取るのを遠慮されたりと良いことが一つもない。
 料理を作り直させることもできるが、ヨルハ公爵自身それは望んでおらず、嫌いなものを食べなくては! という気持ちが先にきての涙だったので、
「ありがとう、シク……シゼム……」
 子爵は最大限協力することにした。
「気にするな。それにあまり泣いていると、周囲の人間が怖がるからな。ほら、泣き止め」
「うん」

―― 人間とか食べた時、胃袋にピーマン残ってたら胃袋残すのかなあ……

 自身好き嫌いの多いザイオンレヴィはそんなことを考えながら、すっかりと泣き止んでナイフとフォークを持って切り別けているヨルハ公爵の横顔を眺めた。
「ギュネ子爵、嫌いなものでもあるのか? あるなら我の皿に乗せてもいいぞ」
 隣に座っているザイオンレヴィの不思議そうな表情に声をかけたところ、
「駄目ですよ、エディルキュレセ。そんなこと言ったら、ザイオンレヴィはほとんど食べませんよ」
 ジベルボート伯爵に笑われ、暴露されたザイオンレヴィはその憂いを帯びている目元にやや羞恥を浮かべて俯く。
「もしかして、メニューは全て嫌いなものばかりだったのか?」
 子爵は好き嫌いという概念の無い家で育った。ザイオンレヴィも同じ概念で育ったのだが、根本が違う。
「そうじゃない。そうじゃないんだが……難しいというか、好き嫌いという文化がないというか、その……嫌いなもの、口に合わないものを食べるという習慣がなくて、僕は世間的に見ると偏食で食べられるものが極端に少ないんだ」
「初めて知ったぞ」
 ヨルハ公爵の嫌いなピーマンを飲み下してから子爵は驚きの声をあげた。他の国の文化にはさほど踏み込まないのが暗黙の了解にはなっているが、噂くらいは耳に入ってもいいだろうと。子爵は自分が情報に疎くて知らないのかと同属たちを見るが、目が合った二人も《知らない》と否定する。
「クレッシェッテンバティウを見ると解るでしょうが、ケシュマリスタでも軍人や国外で活動する貴族、王族の方々などは好き嫌いを無くするという教育を受けるのです。ですが僕は九歳まで王国から出る予定がなかったんで、世に言う好き嫌いが凄いんですよ」
 ナイフとフォークを持って笑う紅顔の美少年ジベルボート伯爵が、この子爵の目にはとても立派な健康優良児に写った。
「毎日食事で苦労してるんですよ、ザイオンレヴィ。特に偏食激しいんですよ、なにせ主食は花だったんですから」
 人造人間の度合いが高く、成長のための栄養素も必要ともしないので、色とりどりの花に果物、清らかな水だけで普通に成長できてしまうのだ。
「そりゃあ……」
 ”ギュネ子爵の見た目には合ってるが……”言って良いのか悪いのか? ザイオンレヴィの容姿は触れ辛い容姿なので、子爵は言葉を濁した。
「こうやって外食に連れてきてもらえるのは嬉しいんです。慣れないとなって、思ってるんで」
 なによりザイオンレヴィは食に興味がなく、自分の好みな味を捜そうという意思が薄い。
「ギュネ子爵、昨日の一次会でほとんど食べていなかったのはそのせいか」
「それもありますね。運ばれて来るなら食べようとは思いますが、口に合うかどうか解らないものをわざわざ取りに行く気にはなれないので」
 そう言って魚料理を切り、口に運ぶ。
「皇王族、特にジーディヴィフォ大公やゾフィアーネ大公に聞いてみたらどうだ?」
 ピーマンをより分けてもらってすっかり元気を取り戻したヨルハ公爵は、話しを聞いて考えをまとめて提案してきた。
「なにをですか?」
「ジーディヴィフォ大公はお前が食べられる物が少ないことを知っているだろうから……多分昨日の料理は結構口に合ったはずだ」
「え?」
「ジーディヴィフォ大公はお前に強引に料理を勧めはしなかったんだろう? ギュネ子爵」
 遅れて会場入りしたヨルハ公爵は、ザイオンレヴィが食事をしていないことに《もう食べ終わったんだろうな》疑問は抱かなかった。
「はい」
「あのジーディヴィフォ大公が、優勝者で酒も飲めないお前に料理を勧めないんだぞ? お前の偏食を知っていると考えるべきだろう」
「い、言われてみれば」
「ジーディヴィフォ大公、一次会ではほとんどザイオンレヴィを弄りませんでしたもんね」
 部外者ながら応援からずっと参加していたジベルボート伯爵は、自分には《未成年なんだから、料理食べることに専念するんだぞ》と皿に大盛りにしてくれた、相変わらず惜しげもなく髪を結い上げて会場をリードしつつ混沌に陥れていたジーディヴィフォ大公の行動に、溜息にも似た納得の意を漏らす。
「ああ、そう言うことか。ジーディヴィフォ大公はケシュマリスタの第二王位継承権を持つくらいだから、食生活についてはご存じなんだろうな」
「良かったじゃないですか、ザイオンレヴィ。これは是非ともアドバイスを貰うべきですよ! 部長だから聞きやすいでしょう」
「うん……まあ」
 話しが聞きやすい相手ではないのだが、
「ゾフィアーネ大公よりかは答えが貰いやすいのではないか? あいつは……鬼才過ぎて話しが通じない時が多いは、説明されても解らないことが多いわ……狂ってない分、余計に面倒だ」
 エルエデスの言葉に、よく部室に「移動放送部・何でも放送します」としてやってくるゾフィアーネ大公の怖ろしく長い足と、ギリギリな腰布を思い出し、
「そうですね。そう思います、ケディンベシュアム公爵」
 ジーディヴィフォ大公に聞く覚悟を決めた。
「それにしても、悪食中の悪食の我等には解らん苦労があるもんだ」
 ケシュマリスタは「奇食」でエヴェドリットは「悪食」と言われている。ベルレーヌは「粗食」でロヴィニアは「大食」
 帝国でもっとも「食」に煩いのは、テルロバールノル。礼儀作法から味まで、大体彼らが基本になっている。
「我など悪食過ぎて、フォークもナイフもスプーンも先端部分を食べてしまうのだがな」
 何のことはない、他王家のマナーは《人間に流用できない》ので、元人間で勢を尽した舌を持った昔からの王侯貴族に従ったのだ。
「エディルキュレセ、そこで苦労してますよね」
「まあな。我が家では”食事終わり”の意思表示が”柄だけ残す”ことで、同属のところで食事をしても、驚かれなかったからな。とにかく気を付けないと、またフェルディラディエル公爵に……」
 子爵はすでに一度フォークを食べてしまい、鬼の執事に吹っ飛ばされていた。
 運が良いのか悪いのか、体の造りは丈夫なので病室送りにはなっていない。

※ ※ ※ ※ ※


「あーあ、嫌ですねえ。自分が育てた子どもが宿酔でベッドから起き上がれず、職務に付けない姿を見ることほど嫌なことはないですよ」
 子爵にもゾフィアーネ大公にもイデールマイスラにも平等に清く正しく厳しく、キルティレスディオ大公には棘を含み意地悪く辛く当たる執事フェルディラディエル公爵。
 彼は今、寮に生徒が戻ってきたというのに酒が抜けずベッドから起き上がれないでいるキルティレスディオ大公の部屋にやってきて、したくもないが看病をしていた。
 食べやすい料理を作り持ってやって来て、窓を開けて空気を入れ換えて、水を勧める。
 キルティレスディオ大公のベッドの傍には、酒を抜く薬が入っていた瓶が数えるのも嫌になるほど転がっている。
 嫌であっても片付けなくてはならないので執事は拾い上げながら、文句を言う。
「まったく、自分で酒を抜く薬を作って、酒を飲んでは抜いて、最後には薬を足りなくしてしまって結局泥酔してと……何十年これを繰り返したら気が済むんですか?」
「……」
 キルティレスディオ大公は「お前も何十年も同じこと言っていて飽きないな」と思いながら水を飲み干し、料理に手を伸ばす。彼の味覚を育てたのはこの執事の手料理なので、どんな料理よりも口に合う。若い頃は手料理を拒否し、料理人の料理ばかり堪能していた彼だったが、ある程度の年になり懐かしい味の価値に気付くも、滅多なことでは作ってもらえなくなってしまった。
 生活態度が悪いからなどではない、彼の生活態度は昔から似たようなもの。理由は執事が他の子どもたちの「爺や」になってしまったので、その子たちが優先されるようになったためだ。
 酒と薬の瓶を運び出し、ベッドだけの殺風景な部屋に戻ってきた執事は、食事をしている彼の隣に立ち黙っている。
「あいつら、頑固だなあ」
 結局イデールマイスラとヒレイディシャ男爵は耐えに耐え抜いて朝まで助けを呼ばず、部屋にやってきた執事が《これだからテルロバールノルは……》と、渡していた通信機を取り上げてデルシを呼んだ。
「テルロバールノル王子ですからね。私に言わせれば、あなたの頑固さも相当なものですけれどね、ミーヒアス」
「ほっとけよ、ヒロフィル」
「ほっといてますよ、ミーヒアス。私はただの同僚として、あなたを諭しているだけですから。昔のようにあなたの心の領域に踏み込んで、必死に道に戻そうなんてしませんから」

※ ※ ※ ※ ※


 食事を終えてシリルたちに見送られて店を出て、
「メルフィの別宅に行くか」
 エルエデスはジベルボート伯爵がどれほど音痴かを確認するために、街中にイルギ公爵が借りている邸へ案内した。
 ピアノを買った店にもスタジオがあったので借りて歌わせようとしたのだが《超音波系だったらどうする? 普通のスタジオでは対処しきれないぞ》と、ヨルハ公爵のもっともな意見に場所を移動することにした。
 ピアノ演奏用に借りているイルギ公爵の家は、周囲に他の家もなく、召使いも置いてはおらず、広い庭に囲まれている形になっているので、もしものことがあっても被害は建物だけ。万全を期して四人はジベルボート伯爵の歌を聞くことにした。
「では、一番解り易い国歌斉唱します!」


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