君想う[030]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[81]
 買うものは元々決まっており、資金は軽くこのワンフロアの楽器全てを一括購入できるほど所持しているので、買い物はあっさりと終わった。
「調律はいかがなさいますか? チューニングマシーンもありますが」
 金持ちは当然調律師を雇うが、それ程でもない人は機械で済ませる。楽器店には調律師が登録しており、派遣の手配も引き受けている。
「我は要らん。ジョフラダ、チューニングキットを見せて欲しい。買いはしないんだがな」
「はい? ケーリッヒリラ子爵閣下は調律もなさるのですか」
「ああ」
「エディルキュレセ。もしかしてピアノの練習よりも、調律のほうがしたかったんじゃないんですか」
 ジベルボート伯爵の声に
「……」
 子爵は笑いを浮かべて顎のあたりを痒くもないのに掻くような仕草をする。
「否定しないんだ」
 ザイオンレヴィは子爵の手を見た。その手は軍人家系らしくしっかりとしているが、全体的で見ると器用そうな雰囲気がある。
「シクシゼム、調律できるのか?」
 ヨルハ公爵は目を大きく見開く。白目に対して虹彩が小さいヨルハ公爵の目が見開かれると、白目がやたらと目立ち、周囲にいる見慣れない人間たちにはかなり恐怖をあたえる。子爵はヨルハ公爵の目を手のひらで隠して、簡単に説明をした。
「子どものころ、我のピアノの調律を脇で見ていたら”興味がお有りで?”と声をかけられて、それから教えてもらった。その男は我が十歳になる頃に引退し、館を去る際に”よろしかったらどうぞ”とチューニングキットをくれた」

※ ※ ※ ※ ※


 子爵はエヴェドリットでは必須のピアノの練習が好きではなかった。好きではないが、課題を練習しておかなければ合格できず、合格できなければしたくもない人殺しをしなくてはならないので、仕方なく練習していた。
「エディルキュレセ侯子」
 子爵の両親は早いころから、子爵が人殺しが好きではないことに気付いていた。ロターヌ=エターナの力を所持しているエヴェドリットは両極端になる。
 殺される相手の考えが解る、即ち同調してしまうので、殺したくないと考える者と、死にゆくまでを味わい楽しむ者のどちらかになる。
 子爵は前者であったので、両親はかなり期待をした。
「見てるだけだ」
「楽しいですか」
「うん。気にせずに調律を続けてくれ」
「はい」
 後者は狂って終わりだが、前者は臆病であるがゆえに力を上手く使いこなし大成できる。
 いつも交換条件になった人殺し、それを必死に回避する姿は、自分が死ぬことも嫌だということをはっきりと現していた。
 だから両親は帝国上級士官学校に入学する際に、あの条件を出したのだ。決して死を選ばないことを知っていたのだ。
「侯子お上手ですね」
「世辞か?」
「いいえ、お世辞ではありませんよ」

 ピアノの練習をしていれば人殺しをせずに済む。そしていつしか調律の方に興味が傾いたところで、両親は厳しくピアノの練習をさせなくなった。興味を持った子爵は、言われずとも練習するようになったからだ。

「引退するのか」
「はい。侯子に仕えることができて、本当に幸せでした。体が言うことを聞けば、まだまだ務めたかったのですが」
「もう調律はしないのか」
「はい。ですからこれを貰っていただけませんかね、侯子」

※ ※ ※ ※ ※


「家のピアノを調律するわけにはいかないから、宇宙船にピアノを積んで遊んでた。その時も特注して、あとで市販にしておけば良かったと気付いたが……」
 子爵は貴族としての立場を理解しているので、使用人の仕事を奪うようなことは決してしない。
 貴族というのは自分でできることでも「専門」の者に任せて、経済が回るように「贅沢」をして、同じように「寄付」をする。黙っても上級貴族の元に金は集まる仕組みになっているが、ある程度の金額を《有意義》に使わなければ資産は没収される。
 ピアノを買った理由の一つも、金の使い道に困ってのこと。子爵家の当主になったので、自分の裁量である程度金を使わなくてはならないのだが、学業が忙しくて貯まるだけで有益に使っていない。
 市販のグランドピアノを購入し《卒業後、寄付》と貴族庁に提出する。新米上級貴族当主として、なかなかに苦労しているのだ。
 簡単に済ませるために大口寄付をすれば良さそうだが、大口の寄付をすると税金が優遇される特典があるので、大口寄付先のほとんどはロヴィニアが押さえている。
 寄付は当然ながら施設の規模により限度額が定められており、寄付を受ける側は認可が必要なので、好き勝手に、または適当に金をばらまくわけにもいかない。
 ロヴィニアが持っている大口寄付先に割って入ってまで寄付をするとなると、かなり経済に詳しく、金に執着がなければ無理なので、子爵は小さい寄付からはじめることにした。子爵が研修先にロヴィニアを選んだ理由に、大口の寄付先を紹介してもらい、規定の財産使用を簡単に終えたいという思いもある。
「へえ。でも調律ってそんなに簡単にできるんですか?」
「簡単にできたら調律師なんか必要ないだろう、ジベルボート」
「ああ、そうですねケディンベシュアム公爵。ではエディルキュレセが凄いということですね」
「そうなるな」
「なら我がこのミニグランドピアノ〜本格的な音が楽しめます〜を買っても大丈夫だな。調律してくれるか? シクシゼム」
「それは構わんが、我が出来たんだ。ヨルハならすぐにコツを掴めるだろうよ」
 ピアノのことはまったく解らないジベルボート伯爵だが、話を聞いているうちに自分も欲しくなってきた。
「ねえ、ザイオンレヴィ」
 手を合わせて指を組み、口の前あたりに持って来て、濡れたような青い右の瞳と、物憂げな左の銀の瞳でザイオンレヴィを見つめる。
「すっごいキラキラした眼差しで僕を見てるけれど……あの連弾用のピアノ欲しいのか? クレッシェッテンバティウ」
「はい、とっても欲しいです」
「じゃあ買ってもいいけど……君と僕とで連弾でもする? 弾けないけど」
 ”良く解らないけど、調律ってのは子爵に頼もう”と考えながら、先程二人で楽しんで叩いたピアノの購入を決めた。
「ええ、連弾したらきっと僕の音ちぃ……」
「ちょっと来い、ジベルボート」
 ”きっと僕の音痴も治る”と言いかけたジベルボート伯爵の可愛らしい頭を掴んで、エルエデスは少し離れた所へと走って引き摺り、自分の額とジベルボート伯爵の額を合わせ言い含めるように命じた。
「いいか、ジベルボート。外ではその言葉を言っては駄目だ。いいか? 人殺しや戦争が嫌いな我等だとか、金儲けが嫌いだったり滑舌が悪いロヴィニアだとか、礼儀作法が解らない、人類皆平等思想のテルロバールノルだとか、そんなのは外に出しては駄目だ。長い年月をかけて思い込ませたものをそのままに、それが貴族だ。解ったか!」
「はい。申し訳ございませんでした、ケディンベシュアム公爵」
「それでいい」

 世間に公表してはいけないことは多々あるのだ。

「では手続きをこちらの方で」
 シリルが書類を整えてやって来たので、購入カウンターに移動することにした。
「我がやっておくから、お前たちは館内を見学してきたらどうだ」
「いいんですか!」
「任せたぞ、シクシゼム」
 喜んで走り出したヨルハ侯爵とジベルボート伯爵、そしてザイオンレヴィ。
「ケディンベシュアム公爵は行かないのか?」
「手続きに付き合う。あの二人がいたら、ヨルハも暴れんだろう。あの二人に対してはちょっと兄貴風吹かせてるから我慢するはずだ」
 近くにいた店員たちは《なにを我慢するのだろう》と思い、ジョフラダは《発狂するの我慢するんですね》と理解したが、表情には出さなかった。彼らは接客のプロである。
「確かにジベルボート伯爵には兄のように接しているな。我は弟には感じないようだが」
「年も近ければ同属だし、お前はジベルボートよりも余程落ち着いてるからな。若々しさがないというか、老成しているというか、まあ……貴族としては良いだろうな」
「無理して褒めようとしなくていいぞ、ケディンベシュアム公爵」

―― 失礼ながらケーリッヒリラ子爵は二十代前半に見えました(シリル以下店員一同)

 子爵は落ち着きがあり、なにより見た目が整い少年らしいというより青年らしさを感じさせる。もっとも一緒に来店した男性貴族が、紅顔の美少年と幽し月明かりのごときたおやか……簡単に言うとレイプ顔の男と、生物としてあり得ない骨と皮だらけで、目の回りの隈とかさかさの紫唇の狂人では比べようもないのだが。
「アップライトピアノとミニグランドピアノの代金は」
「それもまとめて払っておく。送料も我が」
「一括でよろしいでしょうか」
「ああ」
 寮に運ぶ手続きをしながら子爵はこともなげに告げる。”さすが大貴族”とジョフラダたち店員は総額を脳裏に並べて、まずは自分の年収で割ってみた。
「チップのほうは我が払ってやろう。気にせず受け取れ、危険手当というやつだ。楽器店の店員が生命の危機を感じながら接客しなくてはならないなど、想定されてもいないだろうな」
 エルエデスは言いながら小切手に一枚一枚に店員の名と金額を記入し手渡しする。
 彼らの半年分の給与に相当する額が記入されている小切手に、全員喜びよりも先に恐怖が襲ってきたのは言うまでもない。”俺たちはこんな危険な仕事をしていたのか”と。
「ケディンベシュアム公爵」
「なんだ? ケーリッヒリラ」
「公は金をどう使っている?」
「どう……ああ、規定使用か。残念ながらお前にアドバイスしてやれないな。我はデルシ様に預けている。あの方の財務担当者が運用してくれている」
「そうか」
「お前は両親も健在で、不仲でもなさそうだから頼んだらどうだ?」
「いやあ、それが両親は我が自分でやれと。最初の三年は七割は運用してやるから、残りの三割は自分で金を動かせと。もちろん依頼も禁止。四年目からは全額自力で動かせとなあ。正直さほど派手な趣味のない我は、親からもらった小遣いでも余してたのに」
 ”小遣いを持て余すってどんな額だ”店員たちは思い、具体的が額を知りたいという好奇心に囚われたが、人間の矜持として耐えた。子どもには見えないが、年齢的には子どもの小遣いの額を知りたいなど下世話であり、そして知った時の驚愕もエルエデスが切った小切手の額から想像はできた。
「では子爵になってからの資産は手付かずか?」
 店員たちは概ね子爵の小遣いを「月300万ロダス(三千万円)」と予測したが、実際は「週400万ロダス(四千万円)」であった。子爵の小遣いは上級貴族の子弟としては極めて普通の金額ではあるが、一般階級からしてみれば桁違いなのは言うまでもない。
「情けないことにそうだ。学費から生活費まで全部親が出している。税金のことを考えれば当たり前なのだが、学校生活で必死な我にこれ以上金を使えというのもなあ。クラブ活動の材料費を持ち出ししようとしたが、すでにヨルハが口座を作ってたからな」
 小遣いは相当額に見えるが、貴族の当主となれば様々なことで金を使う必要があるのでその練習を兼ねて与えていた……のだが、子爵はこの金を使うのがあまり得意ではない。規定使用分の他にも、ある程度当主として個人収入を還元するべく使う必要があるのだが、その使用先に頭を悩ませている。
「あいつは気違いなくせに、そこら辺はやたらと手際がいいな。それはともかく、両親はお前に随分と期待していて、お前はその期待に充分応えられる……いい家族関係だな」
「そうでもないが。ただ親に逆らえないだけだ」
「逆らう必要がないのなら、逆らわないほうがいいだろう」
 エルエデスの笑いに手を振って苦笑し、
「確かにな」

 ”頑張れよ”とはとても言えない出来事に返事をした。

「エディルキュレセ」
「どうした? ジベルボート伯爵」
 手続きも終わったので、館内をはしゃぎ回っているだろう三人を呼んでくれと店員に依頼している最中、三人は小走りで帰ってきた。
「館内に食事をしながら音楽を聴けるところがあるそうです。どうです、みんなで昼食でも」
「今日の昼は新人女性歌手だって」
―― 歌い辛いだろうなあ……
 線の細い顔に緑のマント。”美しき歌声のケシュマリスタです”と名乗っている二人(一名は音痴な模様)を前にして歌うのも大変だろうと子爵は思ったが、
「歌手も喜ぶだろう。歌をケシュマリスタに評価してもらえれば本物だろうし、アドバイスをもらえる可能性もあるのだから」
 ヨルハ公爵の考えは別であった。
―― そう言う考えも……たしかにあるな
 子爵は納得し、シリルに行きたいと告げる。
「予約なしでもいいのか?」
「はい。むしろ予約している人のほうが少ないです」
「なるほど」
―― 本当は予約が必要でも、我等が行きたいといえば予約無しでも大丈夫と言うだろうな……実際予約無しでも入れるのならいいが。あとで調べておこう
「ただ、料理がお口に合うかどうか。なにぶん普通の料理ですので」
 子爵はシリルの言葉を否定はしなかった。


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