「さーてと、そろそろクレウの邸に戻ろう」
律儀に一時間きっかり計りヨルハ公爵は邸を出た。
※ ※ ※ ※ ※
『ガルデーフォ公爵がケシュマリスタの通りでケディンベシュアム公爵と諍いを起こして、通りがかりのマルティルディ様がご気分を害したと……解った、陛下は私に任せておきなさい。お前はマルティルディ様にいつも通りで。じゃあねえ』
邸に連れてきて、貴族の邸には必ずある”主の座”にマルティルディを降ろしたザイオンレヴィは急いで大宮殿にいる父のダグリオライゼに連絡を入れた。
ザイオンレヴィは焦っているが、連絡を受けた方はわりと慣れたことなので「はいはい」と軽く受け答えするだけ。
「お願いしますよ、父上 」
父親のいつもと変わらない軽さに不安を覚えたものの”これ”で長年切り抜けてきたのだからと自分に言い聞かせ、ザイオンレヴィは通信を切った。
玉座へととって返そうとしたザイオンレヴィに、召使いが「マルティルディ様はあちらに」と教えられ、
「マルティルディ様!」
名を呼び部屋を通り抜けてゆく。
マルティルディはと言うと、裸足になって三人が食べていた朝食の残りに手を伸ばしていた。
「マルティルディ様! 新しいのを持ってこさせますので」
「やだ。手が付いてないのだからいいだろ」
邸の主、ジベルボート伯爵が召使いたちに次々と、かなり支離滅裂な指示を出す。いつもはのんびり、的確な指示を出す主らしからぬ態度だが、召使いたちも混乱しているので、気付く者はいないに等しい。
ジベルボート伯爵邸にマルティルディがやって来たのは初めてのこと。王太子の訪問自体、ジベルボート伯爵家としては初めてのことで、長くからこの邸に仕えている召使いたちも「どうしていいのか」解らない。
「マルティルディ様! あんまりクレッシェッテンバティウをからかわないでくださいよ!」
「僕が人からかうの好きなこと、知ってるだろ」
止めるザイオンレヴィの言葉など意に介さず、スライスされたレモンが沈み、飾りのミントが浮かんでいる飲みかけの水が入っているグラスに手を伸ばす。
「止めてください! それは僕の飲みかけ……あああ!」
あとの二つのグラスは、片方は小さな赤い薔薇の花が浮いており、もう片方は皮が緑のグレープフルーツをグラスの縁にかけている。
「飲んじゃった」
ザイオンレヴィが好むのはレモンなので、躊躇わずにマルティルディは手を伸ばした。
「マルティルディに飲みかけの水を飲ませてしまったなんて!」
予想通りザイオンレヴィの飲みかけで、頭を抱えて床の上に丸くなる姿を見て、マルティルディは大喜び。
「大丈夫だよ、ダグリオライゼってそう言う事、気にしないし」
「僕が気になるんです!」
「君のその反応が面白いんだよね、ザイオンレヴィ」
「うわー。止めてください!」
戻って来た子爵は、召使いに案内されマルティルディが居る部屋へ通された。できることなら、別室待機したかった子爵だが通されてしまった以上、部屋の装飾品になるしかないと黙って角に立つことに決めた。
―― 声をかけられない限りは、口を開く権利もないからな……それにしても、凄かった。リスリデスを一撃って……どんな強さだマルティルディ”王”
子爵の中ではマルティルディは既にケシュマリスタ王。物心ついた頃には、ジベルボート伯爵の両親も死亡したクーデターが成功していたので、子爵は現王である”はず”のラウフィメフライヌの姿を公式の場で見たことがない。公式の場に現れるのは、前王太子エリュカディレイスか、その娘であるマルティルディ。
元々体が弱かった父親に変わりこの三年ほどは、ほぼマルティルディが表に立っていることもあり、ケシュマリスタで最高の地位にいる人と問われれば、大体の人は「マルティルディ」と答える。
その美しさと強さと才能で、十二歳であろうが王に相応しいと誰もが認める王女。
―― それにしても、どうしてクーデターが成功したのに、エリュカディレイス前王太子殿下は即位なさらなかったのだ?
マルティルディが「まだ」即位しないのは、父である前王太子エリュカディレイスの喪に服しているからだと思われているが、クーデターを成功させてから九年ちかく王太子で居続け、王にならずに死んだエリュカディレイスの真意は誰も分からないに等しい。
「アディヅレインディン公爵」
真実を知っているのはマルティルディのみ。
―― そう言えば、マルティルディ王の母君もクーデターに巻き込まれて死んだんだよな……なんだろうな、この……いやな感じがする
「なんだい? ケディンベシュアム公爵」
子爵は心に沸き上がる疑念が露わになることを恐れて目を閉じ、二人の会話をなにも考えずに聞くことだけに専念する。
「ガルデーフォ公爵を本気で殺すつもりだったのか?」
余計な詮索は身の破滅に繋がる。
破滅を怖がる一族ではないだろうと言われそうだが、子爵は破滅が怖ろしかった。戦って死ぬのとは違う、身の破滅。”追い詰められる”その恐怖の正体を知っている子爵にとって、どうしても回避したいことでもある。
「うん」
「殺すと面倒になるだろう」
「そうだね。でも少し面倒なだけなんだよ。僕にとってはね、君とは違うのさケディンベシュアム公爵」
マルティルディの声は心地良く美しい”音”なのだが、そこに人格が加わり語る「声」となった時、人を惹きつけて放さない。眠りに誘うような柔らかな音ではなく、支配者の声となる。
「そうか」
「殺しちゃえば良かった?」
「殺してくれたほうが良かったな」
「そう。じゃあ、殺さないでおくね。頑張って君が殺したらいいよ」
語尾に乗る微かな《嘲笑い》
その嘲笑いもマルティルディを彩る。
「ああ。ところで、大宮殿での用事とはなんだ?」
「今日の僕の予定はね、陛下に会って今年の予算報告して、ルベルテルセスとキュルティンメリュゼに会ってやって、陛下と昼食、仕方ないけどイデールマイスラも一緒。その後は陛下と一緒に他属の貴族たちに会ってやる予定だったよ。もうどれ一つもするつもりないけど。どうするんだろうね、リスリデス」
誇張一つもない内容に、エルエデスも《シセレード公爵家》の危機を感じたが、どうすることもできないので黙ることにした。
「マルティルディさまあ……」
「ダグリオライゼが”任せて”って言ったんだろ? だったら……」
頬を膨らませて言い返すマルティルディの耳にも届いた、召使いたちの声。
”お館様を呼んで参ります”や”お待ち下さい”など制止の声を振り切ってやってきたのは、
「お迎えにあがりましたよ、アディヅレインディン公爵殿下」
マルティルディの黄金髪の輝きにも引けを取らない、艶やかな黒髪のガルベージュス公爵。
「ガルベージュス」
「予算案はイネス公爵に任せておけばよろしいでしょう。昨日苦労したイデールマイスラを労ってやってください」
「昨日苦労って、何したんだよ」
「死体練習と、昨日から今朝にかけて酔っぱらいに付き合ったことです」
白一色と表現しても過言ではない正装のガルベージュス公爵は、椅子に座っているマルティルディの前に両膝をついて手を差し伸べる。
「靴ないんだ」
「ではわたくしがお運びいたしましょう」
「君に横抱きされるの?」
「はい」
「嫌だね。履いてきた靴でいいや、ザイオンレヴィ。脱いだの履かせて」
「畏まりました」
ガルベージュス公爵はザイオンレヴィに場所を譲る。
ふくらはぎの中程まであるブーツを持って、丁寧に足を通す。その様をジベルボート伯爵は固唾を飲んで見守り、子爵は目を閉じたまま緊張した時間をやり過ごす。
「どうでしょう?」
「まあ、許してやるよザイオンレヴィ」
目の前にいたザイオンレヴィの頭に手を置いて立ち上がったマルティルディは、踵の裏を見ながらそう言って、ガルベージュス公爵と共に部屋を出て行く。
「では参りましょう」
「ああ」
扉をくぐり抜け、隣の部屋へ消えてからマルティルディは足を止めて、
「ケディンベシュアム公爵」
「なんだ?」
「僕がガルデーフォ公爵を殺そうとしたのは、こいつと爵位が似てるからさ。ガルデーフォ公爵は殴れるけど、こいつは殴れないからさ。じゃあね。あと、見送りは要らないから」
そんなことを言って大宮殿へと向かった。
朝から大変な緊張感に包まやっと解放されて、各自だらけ切っているところに、
「ただいま」
一人変わらぬヨルハ公爵が戻ってきた。
「ヴァレン、おかえりなさい」
「その格好はなんだ? ヴァレン」
四人の前に現れたヨルハ公爵は、長方形の敷物の短い面を首に縛り、マントのようにしていた。
「これ敷物。ああ、済まないクレウ。バスケットから容器まで全部食べてしまった」
「いや構いませんよ」
「敷物だけは無事だったんだが、持ち帰るにのにどうしたらいいか悩んでしまって。結局結んでみた」
黄色地にえんじ色とオレンジの水玉模様が描かれた敷物。
「微妙に似合ってますね」
「そうだな。凄く似合っているとは言わないが、似合っている」
なぜかその敷物マント、ヨルハ公爵に良く似合っていた。
似合っていると言われて気を良くしたヨルハ公爵はそのままの格好で椅子に座り、途中の道が壊れていた理由を聞き、隈の濃い目をもっと開いて頷く。
「マルティルディか。だが不意をつかれなかったら、リスリデスも応戦できただろうな」
「そうなのか?」
ヨルハ公爵の見解に、まったく勝てそうにないと一目で全てを放棄した子爵が尋ねる。
「可能だ。マルティルディは攻撃が出るまでに時間がかかる」
「やっぱりヨルハ公爵もそう言うんですね。僕なんかは、マルティルディ様の攻撃開始なんて見えませんけど」
ジベルボート伯爵は「偶に聞く、マルティルディの弱点」に食いついた。
「ゼフ、お前は攻撃できるかも知れんが、我等兄妹は逃げることはできても、攻撃することは不可能だ」
エルエデスが攻撃はできないと首を振る。
「……あ、そっか。マルティルディはいつも臨戦態勢か」
隣に座っているエルエデスの顔を見て、それから”ああ、そうだね”とヨルハ公爵は訂正する。
新しく運ばれてきた水やお茶、ジュースなどを前に一息ついていた、誰よりも知っているザイオンレヴィが教える。
「クレッシェッテンバティウ、マルティルディ様の攻撃速度自体はそんなに凄くないそうだよ。あくまでも、帝国上位においてはで、僕たちじゃあ相手にならないけど。マルティルディ様の強みは、ヨルハ公爵が言った通り臨戦態勢維持能力にあるんだ。マルティルディ様がいつも怒った感じなのはそのせいなんだって」
”マルティルディその物”は強いには強いが、決して無敵ではない。彼女が持つ能力が無敵に近く、それをいつでも使えるように用意している。
気を抜けば暴走する力を美しい肢体を飾る、皮一枚挟んだ場所に置いて警戒している。
「あのくらいの精神力がなければ、あの力は制御しきれないだろうがな。力だけ大きすぎて、楽しくはないだろうな」
エルエデスはヨルハ公爵が持って来たオレンジジュースのグラスを受け取り、マルティルディの姿を思い出す。
「そう言えばヴァレンもケディンベシュアム公爵も、マルティルディ様と戦いたいとは言わないんですね」
強い相手を見れば大喜びで、死ぬと解っていても攻撃を仕掛けるのがエヴェドリットだと思っているジベルボート伯爵は、二人がまったくそんな素振りを見せないことを不思議に感じた。ちなみに子爵が戦おうとしなかったことに関しては、なにも感じていない。子爵が弱いからというのではなく「シクは戦うの嫌いそうですしね」と、短い付き合いながら行動を理解したためだ。
ジベルボート伯爵に話題を振られたエルエデスは”家臣が意外にマルティルディのことを知らないこと”に驚きつつ、話に付き合うことにした。
「我のことはエルエデスでいい、ジベルボート。その質問の答えだが、マルティルディとは勝負にならん。特殊能力を使わないマルティルディならば我の相手にはならん、特殊能力を使ったマルティルディには我は戦う術を持たない。勝負というものにはならない。ゼフなら特殊能力を使っているマルティルディとも応戦できるだろうが、勝てるか?」
ケシュマリスタは《太陽の破壊者》を然程理解しておらず、エヴェドリットの開祖アシュ=アリラシュは《太陽の破壊者》狙いでデセネアを暴力を持って手に入れた程なのだから知識は豊富。
「勝てないよ、エルエデス。でも負けもしないだろうね」
アシュ=アリラシュの直系子孫でもあるヨルハ公爵は、一人ストローを挿してジュースを飲みながら答えた。
「そこら辺のこと詳しく教えてもらってもいいですか? ヴァレン」
”内側”にいると解らないことがある。もちろん”外側”では解らないこともある。そして第三者の視点は謎解決の糸口をもたらす。
「構わんぞ、クレウ。その前にギュネ子爵は知っているか?」
ジベルボート伯爵は長いこと後見人であるカロラティアン伯爵により情報を遮断されてきた。”彼”は情報を自分だけの物にして優位に立ちたいと考えている。
「あまり詳しくは知りませんね。マルティルディ様の力を破壊するのは至難の業だってことくらいしか」
ザイオンレヴィもあまり知らない。だが「彼」はマルティルディに気に入られており、父親のイネス公爵よりもマルティルディその物を知っている。イネス公爵は知っていることは全て息子に教えていた。マルティルディのことに関して隠すことは破滅に繋がると解釈すると同時に、あまりに大きな面倒事は一人で抱えるつもりなどイネス公爵には毛頭なかった。カロラティアン伯爵のように、情報を有して優位に立つという考えはほとんど持っていない。
「じゃあシクは?」
ケシュマリスタでもなくエヴェドリットでも王家に近いわけでもない子爵は、完全とは言わないがここでは第三者に限りなく近かった。
「……」
目の前の会話を漫ろに聞きながら、声をかけられても気付かないほど別の考えに向かって歩いていた。
「シク、シク。聞こえてるか、シク」
「ああ、済まんヴァレン。なんの話だ」
「マルティルディの力についてだが。何を考えていたんだ? シク」
「マルティルディ殿下の力か……それについては解らないが、我が考えていたのはマルティルディ殿下の母君についてだ」
埋もれてしまって見えてこないマルティルディの母親。
「”それ”と”これ”は切っても切り離せないことだ。目の付けどころが鋭いというか、別角度から見る能力に優れていると言うべきか。ともかく”さすが”だな、ケーリッヒリラ」
「エルエデス」
「別に隠されていることではないから話すとしようか。お前たちは知らないだろうが、我とゼフはエヴェドリット中枢近くでマルティルディよりも先に生まれていたから、あの頃のことは良く覚えている。ケシュマリスタに太陽の破壊者が《発生》した日のことを」
「あの日は凄かったね、エルエデス。……それで単純な説明になるんだけど、太陽の破壊者ってのはケシュマリスタでは”ザンダマイアス”分類で隔離される。普通のザンダマイアスは生まれてから隔離されるはずだけど、マルティルディは《発生》した瞬間から隔離された。理由は簡単で、生まれてしまうと隔離しきれないからだ。ラウフィメフライヌ王はマルティルディを成長させないで、隔離し続ける方針を取った。これが故エリュカディレイス王子との確執につながったんだろう」
「太陽の破壊者というのは、太陽を破壊するエネルギー弾を作ることが可能な生き物だが、一度作ったら二度と作れないわけでもない。幾らでも作ることができる。この膨大なエネルギーをどうやって手に入れるのか? それは生育過程にある。ゼフが言った通り、隔離したラウフィメフライヌ王は成長させない方針だった。なぜ解るか? それは隔離したからだ。太陽の破壊者は生育過程で特殊な栄養素を必要とする《宇宙線》だ。オゾン層に包まれた”惑星”上にいては足りない」
「寿命と成長は別物だから、百二十年間成長させないままにして殺すつもりだったんだろう。それを良しとしなかったのが故エリュカディレイス王子。王子はカロラティアン伯爵に命じて、主星のオゾン層の一部を破壊させて高濃度の宇宙線が降り注ぐようにした。そしてマルティルディは一年半かかったが生まれても良いほどに成長した。でもマルティルディは母体に留まって宇宙線を吸い続けた」
「それから更に一年が経過して、ついにソイシカ星から500km圏内の宇宙線が尽きた。データ上でも誤魔化しようがない状況になり、エリュカディレイス王子は娘を助けるために動いた。これがクーデターの真の理由だと聞いた」
―― 幼馴染みのザイオンレヴィでも、マルティルディに初めて会ったのは三歳の時 ――
「だからマルティルディは”発生日”そして”準備完了日”を経て、普通の”誕生日”になるんだ。ここまでの説明で解る辛いことあるか? シク」
「いいや、解り易かったぞヴァレン。あと知りたかったことも全部解った」
母親はマルティルディが《発生》した瞬間に死んだも同然になっており、マルティルディが生まれた時点で死に、それを隠すためにジベルボート伯爵の両親などを巻き込んで”たった今死んだ”ことにされたのだ。
「ああ、だからマルティルディ様の誕生日って、あやふやなんだ」
聞いていたジベルボート伯爵が得心がいったとばかりに手を打つ。ジベルボート伯爵も子爵と同じく理由を推察したが、嘆く気持ちはなかった。貴族の当主として、納得はできなかったかも知れないが《らしく》死んだのだから、蒸し返しても仕方なく、なによりジベルボート伯爵はそれで良いと判断を下したのだから、死者はそれに従うまでである。
「だから毎年、三回お祝いしろって言われるのか……」
頭を抱えたザイオンレヴィにエルエデスは《気付けよ、ばか》と、容赦ない眼差しをむけた。それに殺意は含まれていない。ただひたすらに馬鹿と軽蔑、微量の憐れみも含まれているが、それは決してザイオンレヴィにむけられたものではない。
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