―― 青紫の矢車菊が宙に舞った
今から約二年ほど前 ――
「デルシ」
デルシ=デベルシュは兄のエヴェドリット王に呼び出された。
「どうした? 兄王」
エヴェドリット王の表情は楽しそうでありながら、どこかデルシを窺う面持ち。この表情をむけられることに慣れてしまったデルシは気付かぬように指示された椅子に座る。
エヴェドリットの赤よりも、もっと深く濃い赤い髪がゆれる。
「ゼフ=ゼキがしでかした」
デルシに次のヨルハ公爵になる予定であった兄キゼ=キノよりも、遥かに強烈な印象を与えた《幼子》ゼフ=ゼキ。
「ゼフ=ゼキがヨルハとキゼ=キノを殺害したのか?」
エヴェドリット王は自分よりも強いデルシを恐れていた。
一生消えることはない恐れと不信。妹であるデルシの忠誠を信じられない己の狭量さに、エヴェドリット王は自らの能力の低さを実感するも、それはどうやっても拭いきることはできない。
「ヨルハ一族だ」
兄王の表情から《簒奪》であることは想像がついた。兄王はデルシの力を恐れ、生涯簒奪を恐れる。
デルシは皇帝から「簒奪せぬのか。お前ならば勝てるであろう」と冗談には聞こえない言葉をかけられたことがある。その時「簒奪されるのを恐れる相手と勝負する趣味はありませんな」デルシはそう答え、皇帝は得心がいったと頷いた。
「それはまた。一人でか?」
「ああ。一人で皆殺しだ」
「さすがだな。バーローズはどうすると?」
「バベィラ=バベラを貸すと申し出てきた」
「我が処理すればよいのだな?」
「そうだ。任せたぞ」
―― そう言えばゼフも、もう十三になっていたな。幼子ではなく子どもか
毎年のことだが、エヴェドリットに王城に上級貴の子供たちを集めて”子ども用パーティー”を開く。どの国でも行われていることで、生まれる前に婚約者の決まっていない貴族の子どもたちは、この王隣席のパーティーで親同士が話をつける。
デルシは子どもたちを見るのが好きで、このパーティーにはできるだけ参加していた。
その年、ヨルハ公爵は次男で結婚のあてのない三歳のゼフを連れてきた。《見た目》は酷いが強さは優れていると評判のゼフを。
骨と皮だらけで、肩と腰幅に合わせて作られた服は手足首のあたりがブカブカだが、ゼフはそんな奇妙な自分の格好など気にせず、楽しそうにヨルハ公爵家の花である青紫の矢車菊の花束を持ってデルシに近付いてきた。
隈の濃い目でデルシを見つめて、そして花束を投げつけて飛びかかる。
「久しぶりだな、この場で戦うのは」
ゼフはデルシの強さに引かれて、攻撃を仕掛けた。
何年かに一度このような事は起き、この王家では然程問題にはならない。
「カロシニア公爵殿下つよいですね!」
「お前も中々であったぞ。ゼフ=ゼキ」
襟を掴まれ猫のように背中を丸めて釣り上げられているゼフを、勝者のデルシが褒めて、事態は収拾された。
「あはははは」
「お前は才能があるのではなく天才だな」
「でも負けました」
「我は経験を積んで才能に磨きをかけた。天才に近いくらいの戦いの才能はあると自負しているが、あくまでも才能だ。だから我には解る、お前が天才であることを。天才は天才を見ても、天才とは気付かぬものだ」
床に散った矢車菊の中で、デルシはそうゼフを評した。
「お前くらい強く、恐怖を感じないのであれば」
デルシはゼフ=ゼキを甥のサズラニックス王子に会わせた。これほど強ければ、サズラニックスも大人しいであろうと。
デルシの予想通り、自分より弱い相手には暴れるサズラニックスも、ゼフの前では大人しく、
「うあーああー」
「キシャーレン王子? 始めまして。ヨルハ公爵の息子ゼフ=ゼキです、王子」
「あああーああー」
言葉は言えないが「話しかけて」はいた。
ゼフは王城に出入り自由となり、デルシがいない時でも矢車菊の花束を持って、サズラニックスの元を訪れていた。
―― ヨルハ公爵になったゼフとサズラニックスは会わせられんな。せっかくの友達であったのにな
兄王の前を辞し部屋へと戻ったデルシは内心で呟く。
同格当主のどちらか一方だけを王家に近づけるのは避けるのが常識。ヨルハ公爵の同格であるイルギ公爵が”弱すぎて”サズラニックスに会わせることができないので、今までのように簡単に会わせるわけにはいかなくなる。
「ゼフ」
『はい、デルシ様』
子どもの頃と変わらず顔色悪く頬は痩け、目の回りには濃い隈、そして乾いた紫色の唇。手入れが行き届いていないようにしか見えない髪の毛を掻きながら、
「ヨルハ公爵、叙爵おめでとう。お前は誰よりも青紫の矢車菊が似合ってる《ヨルハ》も喜ぶであろう」
『ありがとうございます』
デルシに”おめでとう”と言われて、目を細め喜ぶ。
「聡いお前のことだから解っているだろうが、キシャーレンにはもう会うな」
『はい。ですが週に一回、矢車菊の花束を贈ってもいいですかね』
「それは構わぬ。イルギのほうには我が連絡しておく」
※ ※ ※ ※ ※
―― 叔母君
―― サズラニックス、どうした? 喋るとは知らなかったな
―― 我は行く。あのケシュマリスタの王太子の元へ。だから放してくれ
―― 我の縛めも解けぬお前が勝てるとは思えないが
―― いい。我はこの背に眼を入れられた。勝てば返さずとも良いそうだ
―― 負けるな
―― だが行く
―― 解った。あれは正面から戦ってくれるであろうよ。完全異形マルティルディ、初の完全なる太陽の破壊者。我も正面から戦ってみたい相手だ
―― 感謝する。ここで縛めを解いてくれることだけではなく、今までの全てを
―― 行け。そんな物は要らぬから、行け。キシャーレン公爵サズラニックス=サズラニアクス
―― 死に行く我に名をくれ。カロニシア公爵デルシ=デベルシュ
―― 非公式ながらくれてやろう。サズラニックス=デベルシュよ
―― では行ってくる。デルシ=サズラニアクス叔母君
サズラニックスが部屋を出ると、向かい側からガルベージュス公爵とゾフィアーネ大公がやってきた。
「キシャーレン王子」
「ガルベージュスとガニュメデイーロか」
二人はサズラニックスが歩き話しても驚きはしなかった。
「どちらへ」
「神殿まで」
「ゾフィアーネ大公、案内しなさい」
「畏まりました」
ゾフィアーネ大公の後ろに従い、ガルベージュス公爵の脇を通り過ぎるサズラニックスに、視線を合わせず声をかける。
「キシャーレン王子。友人のヨルハ公爵に伝えたいことはありますか?」
「ない。あれはなにも言わずとも、我の墓に溢れんばかりの青紫の矢車菊を手向けてくれるだろう。泣きもせず哀しみもせず、一時たりとも忘れないなど愚かなことは言わず。偶に思い出しあの骨と皮だけの腕に矢車菊の束を抱き、我の墓へとやってくる。充分過ぎるな」
床に散らした矢車菊。人を殺して手を叩き合って、そして本を開き読み合い、ピアノを奏でて、そしてまた矢車菊を散らす。
「そうですか」
遠ざかる足音に目を閉じてガルベージュス公爵は歩き出した。
その頃マルティルディとキーレンクレイカイムは、全く人気はないが扉の向こう側に数多くの 《自分達》 が存在する神殿を見上げていた。
マルティルディが扉に手を添える、軋む音と共に開かれる。
「待ってなよ」
「はい、畏まりました」
キーレンクレイカイムは扉の中へと消えてゆくマルティルディを見送った後、袋を降ろしてから行儀悪く神殿前庭の床に座り、初めて大都市に出て来て、目的地へと向かうための案内を捜す人のように、上部をキョロキョロと見る。
見上げたものの手元にも興味があるので視線を降ろして、見るなとは言われていなかった袋の中をのぞき込むと、色とりどりの花、そして花。むせかえる花の香りに思わず顔を背けて深呼吸する。
袋の中身が解ったので口を閉じても良かったのだが、何故かその時《矢車菊》を捜したくなり、袋を何度か揺する。
袋には何本かの矢車菊、それもヨルハ公爵家を示す青紫の物があったので、キーレンクレイカイムは一本失敬した。
サズラニックスとマルティルディの元から去り、戻る途中足を止めて矢車菊を眺める。
「……楽しそうだったな」
グラスに崩御したシャイランサバルト帝が好んだ酒を注ぎ、キーレンクレイカイムはテラスで死を悼む。
僅かばかりの追憶を持ってそれを終え、
「殿下、どちらへ? 寝室の準備は整っておりますが」
「調べ物をしてから寝る」
執務室へと入り、紙で作られた最高級の《貴族用》植物辞典を取り出し、少しばかり癖のついている紫苑のページを開き、そこに矢車菊を挟める。
「上手い具合に押し花になってくれよ」
なぜ自分がこんな子どもじみたことをしているのだろう? そう思うも、キーレンクレイカイムには恥ずかしいという気持ちはなかった。
※ ※ ※ ※ ※
「カロシニア公爵殿下、シセレード公爵第二子エルエデス=リケルデス殿が面会したいと」
「ここ来ているのか?」
「はい」
「では通せ」
ゼフ=ゼキが一族を皆殺しにして《ヨルハ公爵》になったのと同じ頃、エルエデス=リケルデスがデルシの元へとやって来た。
「帝国上級士官学校に入学する際に、我に後見人を依頼したいと」
「はい。殿下には迷惑をかけることになるでしょう」
「そうだな。では答えよ、エルエデス。お前は簒奪するつもりか」
「はい」
「よろしい。ならばシセレード領に戻るわけにもいくまい。大宮殿のリスカートーフォン区の我の屋敷に住み入試に備えよ。入学までの猶予は三年だ。入学できなかった場合は、野心を捨てイルギの妃となり子を産み自殺せよ」
「はい!」
デルシの尽力により、エルエデスは入学に必要な爵位《ケディンベシュアム》を得る。
―― それから二年後。帝国上級士官学校一年生寮
ヨルハ公爵にはある考えがあった。
共有スペースでゾンビ映画以外のホラー映画を観賞しているエルエデスの脇でお茶を淹れて、部屋に戻る《ふり》をして、用意した変死体マネキン(頭部)を取り出し、エルエデスの足元へとボーリングのように転がした。
足元にぶつかったそれを見て、エルエデスはソファーごとひっくり返る。その視線の先には変死体マネキン(頭部以外)
「――――!!」
ソファーを被って隠れてしまったエルエデスに、
「あのーエルエデス」
「……」
「恐いの苦手なんだろ」
ヨルハ公爵は優しく声をかける。
「いつ気付いた」
この状態で”違う!”と言っても説得力がないことは、エルエデス自身が誰よりも知っている。最後の虚勢に声だけは大きくしっかりとさせたが、怖がっているのは隠しきれていない。
「ん……最近。本当に怖いのかどうかを確認したくて」
ホラー映画を共有スペースで観ていたエルエデスの表情が非常に険しいことに気付き、ヨルハ公爵は不思議に思った。
―― 恐くなさ過ぎて怒ってる?
だが大きな音に合わせて、微かに肩が揺れることを発見し、確認してみることにした。その結果、エルエデスはひっくり返したソファーの下に潜り込んでしまった。
「……」
「恐いなら共有スペースで観よう。あのゾンビ映画だって二人で観たら、我もへこまないと……思う」
「はあ?」
ヨルハ公爵は映画を消してソファーを移動させ、先程淹れた紅茶を差し出し自分も床に座る。
「なにが恐いんだ? エルエデス」
「作り物が嫌いなんだよ……本物なら良いが作り物は……作り物の死体は嫌いなんだよ! だから片付けろ! 大体、それはなんだ!」
エルエデス、本物はなんともないのだが作り物は大嫌い。おまけにどれ程精巧に作られていようが、簡単に見分けられることができるので誤魔化されもしない。
「クラブで作る死体菓子の見本用。クレウが変死体を直接見たことないって言うから」
「本物用意しろ! それ片付けろ!」
「エルエデス、残念ながら本物は学内搬入不可なのだ。教えておくが、死体持ち込みも、殺害用生物の持ち込みも一切禁止だ。エヴェドリット士官学校とはそこら辺は全く違うのだ」
「なんだと! 軍事学校だろうが! 殺害用の人間くらい常備しておくもんだろ!」
そのエルエデスの咆吼が正しいのかどうかはさておき、それ以来、
「これは心理的にくるホラーか。あ、顔の皮が剥がれ……早送りするか? エルエデス」
「いい……」
”凄い恐い”と評判の映画は共有スペースのソファーにエルエデスとヨルハ公爵が並んで座り観ることに。エルエデスとして恐くあり嬉しくもあり、それでいて怖がらないヨルハ公爵に負けを感じつつ、頼りがいを感じてみたりと。映画を一本観るだけで、かなり複雑な己の感情に翻弄されることになる。
―― 九年後も紫苑は風に揺れている ――
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