君想う[015]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[66]
「リュティト伯爵」
「ケーリッヒリラ子爵」
 子爵は翌日の授業が終わると同時に、昨晩遅くまでかけて清書した手紙を差し出して、
「昨晩の依頼は受ける。口頭だけでは駄目だろうから手紙にも記した」
 メディオンは目を見開いて驚き受け取って、両面を見てから笑いかける。
「わざわざ良いのに」
「こんなことでもない限り、他属宛の手紙なんて書くこともないから。良い勉強になったよ」
「そ、そうか」
「大雑把な予定を立ててきた。リュティト伯爵の予定とすりあわせたいから、少し時間いいか?」
「もちろん良いぞ。カフェテラスで話そうではないか」
「そうしようか」
 アンティーク調のテーブルセットが緑豊かな庭に置かれている、学校内のカフェテラスの一つへ足を運び、子爵はトレイを持つ。
「なにか食べるか?」
 学校内の食事には一切給仕がおらず、自分たちで運ぶ仕組みになっている。卒業してすぐの赴任先でも必ず従卒が付く身分と地位の集団なのだが、やはり従卒の仕事をも覚える為に。その他に、給仕を置くとなると生徒一人に一人を付けることになるので、人員が膨れあがり管理が大変なことにもなる。特に高位の者には、子爵やヒレイディシャ男爵のような学生の付き人が用意されるが、それ以外の者は自分で覚えるしかない。
「儂は……ああ! 済まんな! トレイを持たせて品を取らせるとは!」
 メディオンは生粋のお姫様といっても過言ではないので、今も子爵が二の腕で鞄を押さえてトレイを持ってコーヒーを乗せていても、何とも感じていなかった。
 良い悪いではなく、そう教育されて来たのだ。
「気にするな。食堂ならば問題だが、カフェテラスならば知人が運んでも問題はないだろう」
「わ、悪いのぉ」
「いいや。我等のように軍学校を卒業するように教育されたのならばまだしも、貴族教育の一環として軍字学校の仕組みを習った程度では、なかなか体は動かないものだ。それで、なにを?」
「では、そこのカヌレを。ナイフとフォークも忘れんでくれ」
「わかった」
 ペールオレンジと黒が交互に張られている傘の下、持って来た予定表を開き説明をする。
「子爵は食べぬのか?」
「ああ、これからヨルハの所に顔を出すから」
「死体調理部であったか」
「ああ。味は良いんだがな、形がなあ。もう少し馴染みやすければと」

 子爵がメディオンとカフェテラスで他愛もない世間話を交えて予定を話合っていた頃、

「どうしました? ヴァレン」
「……」
 部室でマジパン作成していたジベルボート伯爵は、空気が変わったことに気付き、その空気を変えた主、ヨルハ公爵に声をかける。
 眉間に皺を寄せたヨルハ公爵はジベルボート伯爵の問いに答えず、早足で歩き扉を開いて部室を出てゆく。”何事だろう?”と後を付いて部室を出たジベルボート伯爵は、ヨルハ公爵とエルエデスが今にも殴り合いそうなくらいに近付いて、睨み合っている現場に遭遇する。
―― そっか。ヴァレン、ケディン……シュ……アム? 公爵が来たのに気付いてあんな表情に
 正式には《ケディンベシュアム公爵》である。ジベルボート伯爵、自分の主で最近アディヅレインディン公爵に変更したマルティルディの爵位を覚えるので精一杯。
「どうした? エルエデス」
「我がどこに居ようとお前には関係あるまい、ゼフ」
―― エルエデスなら覚えられそう
 緊迫した空気が支配する中、ジベルボート伯爵もその緊張に飲み込まれそうなのだが、内心はあまり緊張していないようにも見える。
「まさかお前、そのクラブに入るのか?」
「だからお前には関係ないだろう、ゼフ」
「止めた方が良い。そこは格闘テニス部だ。不慮の事故で死んだらどうする」
―― あー格闘テニス部。あのテニスコートでラケットとボール使って死闘を繰り広げるやつですね。エルエデス様なら大丈夫じゃないのかなあ
「……」
 エルエデスは格闘テニス部に入部しにきたわけではない。人体調理部の様子を見にきて、少し離れた場所にいた。
 ヨルハ公爵はエルエデスが近くにいたのは気にならなかったが、躊躇っている気配の位置に気付き《怪我したら兄が放つ刺客に殺されるぞ》と、入部を思いとどまらせるために部室から出て声をかけたのだ。人体調理部の前で”うろうろ”していたらスカウトしたのだが、エルエデスは真ん前で”うろうろ”できず、よりによって格闘テニス部の前にいたので、このような状態に。
「文化部の方が良いので……」
「お前に言われる筋合いはない! ゼフ!」

 そう叫んでエルエデスは《逃げ出した》

「へーそんな事があったのか」
 メディオンとの勉強の計画を立てて部室へとやってきた子爵は、途中で「文化系のクラブ」に突進していったエルエデスを見たと二人に告げて、その少し前にここで起こったことを聞かされた。ヨルハ公爵は文化部に入ったのは良いことだと、デルシにあとで報告しようと思い、エルエデスの名前が登録されたクラブの名簿を見て、首を傾げる。
 後ろからのぞき込んだ二人も、言葉を失い別の話題を捜すことに。
「そういえば、クレウ。恐くなかったか?」
「何がですか? シク」
「エルエデスが近くにいた時だ。アディヅレインディン公爵殿下程ではないが、エルエデスもかなり人に威圧感を与えるから」
「女性だから恐くないです」
「え?」
 話題を振った子爵は返事の意味が解らず、デルシに簡単な報告を送ったヨルハ公爵は、先程画面を見ていた時と同じように首を傾げる。
「僕、他属の女性は恐くないんです。だって女性でもっとも恐いのはケシュマリ……」
 言い終える前にジベルボート伯爵はしゃがんで膝を掴んで震え出す。
 帝国で最も執念深く陰湿で、手段は必ずや相手の精神を蝕むものを選ぶ女・ロターヌ。その血を引きしケシュマリスタの女たちの性質は、やはりロターヌ。
「……ご、ごめんなクレウ。そんなつもりで聞いたんじゃないんだ」
「大丈夫か? クレウ。それにしても、お前をそこまで怖がらせるとは」
「僕はオヅレチーヴァ様の悪口など決して! 決してえぇ! お許し下さいオヅレチーヴァ様あああ」
 歯の根がかみ合わないジベルボート伯爵の口から零れた名前に子爵は覚えがないので、やや上目遣いで”知っているか?”とヨルハ公爵に無言で尋ね、
(オヅレチーヴァはカロラティアン伯爵の母親だ。前副王妃で……ロターヌに似ていると言われるのが何よりも誇らしいと言うような人だと聞いた。前副王はその陰湿さで嬲り殺されたも同然だとか)
 耳元で囁かれた内容と、足元で震え続けるジベルボート伯爵を見る。

―― 我等のところの女も恐いが、ケシュマリスタもなあ。精神的にくるっていうからなあ……

 牙を剥く母親フレディル侯爵を思い出し軽く頭痛を覚えるも、ヨルハ公爵と二人でジベルボート伯爵を励まして、マジパン作りに戻っていった。

※ ※ ※ ※ ※


「入部ありがとうございます!」
「もう逃がさないからね! ケディンベシュアム公爵」

―― なんで我はよりによってこんなクラブに……入り口に書かれているクラブ名を読まずに……くっ……

「ケディンベシュアム公爵が入部してくれたら心強いね」
「同室のヨルハ公爵を殴れないから?」

※ ※ ※ ※ ※


 ヒレイディシャ男爵が寮の部屋へと戻り、メディオンに声をかける。
「メディオン。クラブは決まったか?」
「おお、決まったぞ、儂は美容部じゃ」
「お前がもっとも選ばないクラブだとおもったが」
「まあな。気がついたら入部しておったのじゃよ。カフェテラスに一人残って茶を飲んでいたら、”こう”囲まれてな。逃げるに逃げられんかったので、入部した」
 ”こう”と言いながらメディオンが両手で囲いをつくる。
 気付いたらその中心にいたのだとしたら、そして囲んだのが皇王族だとしたら逃れられないのは当然のこと。
「そうか。ところでお主が読んでおる手紙はなんじゃ? エヴェドリットからのようじゃが」
 説明をする際にテーブルに裏返して置かれた手紙の背の色から大まかな見当は付いたが、紋が誰であるかは他属に一切興味のないヒレイディシャ男爵には解らなかったので尋ねた。
「これはな、ケーリッヒリラから貰った返事じゃ。儂は、エシュゼオーン大公に救出方法を習ったほうが良いと言われたのじゃ。じゃから、救出で名高いデルヴィアルス家の血を引くケーリッヒリラに依頼してじゃな。他に得意そうなのがおらんかったし、エシュゼオーン大公もガルベージュス公爵もそうしろと言った……明確ではないが、言ったのでな。じゃから……」
「解った解った」
 ヒレイディシャ男爵の”解った”はメディオンにむけられたものだけではない。自分自身の疑問に対しての答えでもある。
―― 解りやすいな。エヴェドリットなあ……確かにケーリッヒリラは顔は悪くはないし、エヴェドリットにしては馴染みやすい性格だからな
 嬉しさが隠せないでいるメディオンに”良い想い出で終わるとよいな”と、言葉にも表情にも出さずにヒレイディシャ男爵は自室へと戻……るところで、寮内放送が。

『一年のヒレイディシャ男爵、大至急演劇部5のガルベージュス公爵閣下のところ行けよ。早くしないと、大変なことになるんじゃないかなって僕は思うけどね。この放送は、ヒレイディシャ男爵のご希望によりケシュマリスタっぽく放送だよ。ありがたく思いな……でした!』

「ゾフィアーネ!」
 表情は変わらないが、焦りが篭もった声で部屋を飛び出していった。

※ ※ ※ ※ ※


「エルエデス」
 寮に戻ったヨルハ公爵は、共有スペースで映画を見ているエルエデスに、困惑ではなく哀しみでもなく、ただでさえ言い表しがたい顔に哀愁に似て非なるものを被せた表情をむける。
「なんだ? ゼフ……なんだ? その不景気そうな顔は」
「元々なんだけど……その映画、ここで観るのか?」
「そうだ」
「そっか……」
 肉が薄いというか骨と皮しかないような肩を落として部屋に消えていったヨルハ公爵の姿を見て、エルエデスは映画を止めてドアをノックして声をかける。
「おい、今度から部屋で観るから」
『いやー気にしてないよ』
「べつにあれ、お前の仲間じゃないからいいだろ! 人間が化け者の扮装しているだけで」
『……』
 エルエデスが勢いあまって入部したのは「ホラー映画鑑賞部」で、ノルマもありこうして部屋で観ていたのだ。
 嫌ならば退部すれば良さそうだが、相手が皇王族なので話など聞いてもらえもせず、いつの間にかノルマの映画を持って部屋の前に立っていた始末。
 仕方なしにかけてみると、ヨルハ公爵に似たようなゾンビが大量に街中を歩き回る”だけ”という、理解に苦しむ映画が。
 ついでにゾンビは知能が低下しており、側溝に嵌ったり自動ドアにずっと挟まり続けたりと。山場なくそれが延々と繰り返される、ヨルハ公爵がなんとなく凹みたくなる気分の映画であった。


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