帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[47]
 マルティルディの真意の所在は解らないが、彼女が「ダグリオライゼの愛妾を寵妃にする」と発言した。
 もちろん対抗勢力などの関係上、本決まりではないが、マルティルディの歓心を買おうとする者や、機嫌を取りたいと思っていた者たちにとっては、好機であった。

※ ※ ※ ※ ※


「うふふ〜うふふ〜」
 グラディウスは全く似ていないサウダライトの笑い真似をしながら、ベッドにシーツを掛けていた。グラディウスを正配偶者候補、通称・寵妃にするために、日々マルティルディに使われているサウダライトから「久しぶりに行けるよ」と連絡があったのだ。
「おっさんと、ハンバーグ!」
 グラディウスは言いながらシーツを力一杯引っ張る。あまりに勢いよく、引っ張るので反対側のシーツがマット下から引きずり出されてしまう。
「あれ!」
 それに気付いて、再度引っ張るも、
「おっさんと一緒の夕ご飯!」
 勢いがまたついてしまい、先程調えた方が引っ張り出される状態。
「……」
 ルサ男爵は見ていたのだが、どのように言えば通じるかを考えているうちにリニアが手伝いにきて、シーツは無事に掛け終えられた。
「とろとろハンバーグ! 焦げ目のついたマッシュポテト!」
 言いながら今度は枕カバーを取り替える。
 グラディウスがハンバーグを食べたのは、大宮殿に来てから。グラディウスの住んでいる地方では、ハンバーグは一般的な料理ではなかったためだ。
 鉄板に乗せられている分厚く、輪切りパイナップルが乗せられている、肉汁たっぷりのハンバーグ。周囲はマッシュポテトで飾られており、鉄板に特製ソースを掛けて食べる。
 もちろんグラディウス用に作られたソース。
「じゅわああ! じゅわああ!」
 料理を切り分けることが苦手なグラディウスが火傷しないようにと、サウダライトがハンバーグを切り分けてやる。”ありがとね、おっさん!”と言いながらグラディウスは食べる。
 それらを思い出しながら、グラディウスはカバーを取り替えた枕の形をなおそうと必死に引っ張る。
 そうやって久しぶりのおっさんの訪問と、大好きなハンバーグに喜びを体で表していたのだが。
「失礼します」
「なんですか?」
「本日の陛下のお渡りは中止となりました」
「……」
 ”行けるよ”と連絡を貰った時から大喜びしていたグラディウスの表情は硬直し、そのまま俯いてしまった。
 そのままの状態で話を聞き、
「以上です」
「はい……」
 元気なく返事をして、カバーを取り替えた枕を抱き締める。
 リニアはあることを思いつき、伝令を追った。
「あの! 愛妾殿のことで」
 声を掛けられた伝令は足を止めて話を聞く体勢をとる。通常伝令は一方通行で、意見を聞くことはない。あくまでも一方的に伝えるだけが彼らの役割。
 ”内容を聞きなさい”
 だが伝令の耳には別の命令が届くように細工されていた。その相手から、話を聞けと命じられたので立ち止まり話を聞く体勢を取ったのだ。
 むろんリニアはそんな事は知らない。
「あの! 今日の夕食のメニューを変えていただきたいのです! あのメニューは愛妾殿にとって特別なメニューなので!」
 伝令は「今日の夕食は陛下の計らいで、メニューはそのままで自室で三人で食べられます」と言った。それを聞いて、リニアは先程まで”おっさんとハンバーグ!”と大喜びしていたグラディウスにとって寂しいメニューに変わってしまっては駄目だと伝令を追ってきたのだ。
 ”了承しなさい”
「了承いたしました」
 伝令に意見を受け入れてもらえたことにリニアは安堵して、頭を下げてから部屋へと戻った。
 部屋へと戻り、グラディウスに声をかける。
 当然ながら”しょんぼり”としている状態のグラディウスに、
「お手紙書いてみましょう」
「え?」
「陛下へのお手紙の練習をしてみましょう」
 伝令が一方通行であるように、愛妾に対する連絡はすべて一方通行。決して愛妾から皇帝へ連絡を取ることはできない。
「陛下には届けられないけれど、おいでになった際に渡しましょう。グラディウスの書いたお手紙を見たら陛下喜んでくれるはずよ」
 リニアの言葉をゆっくりと噛み締め時間をかけて理解し、
「うん!」
 グラディウスは泣きそうな顔で笑った。

※ ※ ※ ※ ※


 グラディウスに危害を加えようとしている者がいることをガルベージュスは既に知っており、警備には細心の注意を払っている。
「お手紙ですか」
 ”愛妾グラディウス・オベラに直接危害が及ばぬ限りは手を出さないように。それ以外は貴公の裁量に任せる”そうガルベージュスから直接命じられたゾフィアーネ大公は二人のやりとりを見ていた。
 ゾフィアーネ大公は「2」の部屋で監視と警備を続けている。
 この男が「2」の部屋に入るまでの経緯など省くが、誰にも知られることなく、そして怪しまれることもなく監視を続けていた。
 もともとグラディウスの持ち物に対する警戒がなくとも、皇帝が足繁く通っていることは広く知られているので、暗殺などを考慮し何事に対しても対処できる者を配置しておく必要はあった。
 そして選び抜かれたのがゾフィアーネ大公。
 彼の才能と能力を持ってすれば、マルティルディに遅れを取ることもないだろうと言われるくらいの鬼才。
 なにがどのように鬼才なのか? 鬼才なので簡単には説明はできないが、とにかく鬼才なのである。
「届けるよう指示でも出しますか」
 鬼才だが判断力は”まとも”であり、グラディウスのことは特別扱いするように命じられてもいるので、手紙をサウダライトの元へ届けるよう手配することに決め、連絡を入れようとした。その時だった。
『交渉してきます』
 ルサ男爵が「男爵」としてはあり得ないことを言い出した。
『なんの交渉ですか?』
『陛下に手紙を届けて欲しいと』
『出来るのですか?』
『わかりません。ですが交渉してみてもよいかと』
 ルサ男爵は皇帝に手紙を届けるなどできないことは、知っている。だがそれでも交渉すると自ら言い出した。
「これは……特筆すべきことでしょうね」
 ゾフィアーネ大公は窓口となる職員へ連絡を入れながら、ルサ男爵のことをガルベージュスに伝えた。
 連絡を受け取ったガルベージュスは《取り計らう》とはっきりといい、この先の具体案を提示した。
 幾通りも作られていたルサ男爵の未来に、ゾフィアーネ大公は驚く。
 その驚きを前にしながら、ガルベージュスはこうも言った。

《この案が採用されたとしても、彼は長生きしないであろう。おそらくこの案が採用されない生き方が彼にとって最もよい。そう、グラディウス・オベラと共にあり続けることだ》

※ ※ ※ ※ ※


 ルサ男爵の交渉は通り、封筒と便箋。そして蝋と専用の箱を渡され、部屋へと戻った。
 グラディウスはルサ男爵に「手紙を届けることができます」と言われて、大喜びして抱きついた。
 リニアとルサ男爵が戻って来るのを待っている際に書いた下書きを差し出し、
「これで解るかな?」
「……ちょっと手直しが必要かと」
「教えくれる? ルサお兄さん」
「もちろんですとも」
 こんどはルサ男爵に手直ししてもらいながら、手紙を書き続けた。
 ルサ男爵は内容そのものに手を加えることは当然ながらしない。文法の間違いもある程度は目を瞑った。おそらくこれらは、受け取った皇帝が喜ぶだろうと”感じた”ためだ。
 彼の手直しはあまりに単語の意味が変わってしまう綴りの間違いなど。
 罫線からはみ出している元気いっぱいの文字が綴るのは”会えなくて寂しい”という内容。そのアンバランスさがグラディウスらしいなとリニアは思った。
 グラディウスは二人の助けを借りて手紙を折って封筒に入れ、封をする段階になった。封筒などは「古風」な作りがされており、ルサ男爵が貰ってきたのは再湿糊の部分を水で濡らしたり舌で軽く舐めて封をする作りのもの。
「これ? どうするの?」
「えーとですね。このように……」
 ルサ男爵はグラディウスに実演して見せる。薄い色素のない舌で山吹色の紙を舐めた。水で濡らすことも考えたのだが、それでは封筒が水浸しになる可能性が高いので、
「口が渇きますので、途中で舌を離して再度舌を湿らせてからもう一方を舐めて」
 敢えて舐める方を採用したのだ。
「うん! 解った。あてし頑張って舐める!」
 だが生まれて初めての手紙を”大好きなおっさん”に届ける! と意気込んだグラディウス。気合いを入れて口糊を舐めて、舐めて、舐めて……
「糊を塗りましょうね」
「ありがと、リニア小母さん」
 グラディウスは舐めれば舐めるほど”くっつき”が良くなると思っての行動だったのだが、結局糊を舐めとってしまう形になり、追加で糊を塗ることに。
 最初から糊を塗れば良かったのだ……と打ちひしがれるルサ男爵と、
『誰でも初めてはそうですとも』
 グラディウスを見守るゾフィアーネ大公の呟き。

 こうしてグラディウスは「手紙」を完成させた……とはいかないのだ。

「最後に蝋封ですが」
 溶かした蝋で封をする必要がある。
 ルサ男爵が代理で行ってもよいのだが、ここはあくまでも全てグラディウスの手で行ったほうが、グラディウス自身のために良いだろうと考えてのこと……だが、出来そうにもない。
 蝋封の練習をするのだが、数回の練習程度ではグラディウスには出来そうにはなかった。リニアもそれを感じたので、部屋から下級貴族が仕様する判子タイプの緘。
 名前の部分は端末でいくらでも変更できるもの。
 その名前の部分をグラディウスに変更して、判を押させることにした。
「封筒の口のところ。そうです糊を塗ったところに」
「うん!」
 グラディウスはルサ男爵の言葉をきいて、正直に糊を塗ったところ全てに判を押した。
 下手くそな文字で書かれた”おっさん”という宛名。
 舐めすぎ、そして糊を多目に塗って撓んでしまった口。そこに重ねられた”グラディウス”という判子。
 普通ならば書き直しは当然だが、
「陛下はよろこんで下さると思います」
 ルサ男爵はそれを専用の箱に入れて、三人で窓口でもある管理室へと向かった。


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