サウダライトを見送った後、リニアはグラディウスに横になるように促した。
　欠伸の続くグラディウスはリニアの言葉に従って。シーツが取り替えられたベッドに横になり、すぐに眠りに落ちていった。
　リニアはグラディウスの寝顔を少しだけ眺めてからタオルケットを掛けて”なにをしようか”と辺りを見回す。
　グラディウスが眠っているので、掃除をするわけにもいかない。
　以前にも同じように、サウダライトを見送った後グラディウスを眠らせたことがあった。ルサ男爵はこれらに関しては特に口を挟みはしないので、黙って眠らせるリニアと、眠るグラディウスを観ていたくらいだ。
　その後、リニアは静かに掃除を始めたのだが、グラディウスがむっくりと起き上がって――　あてしもお掃除するよ　――　となってしまったのだ。
　眠たくても仕事をするのが当たり前のグラディウスは、普通に酒を飲んだり食事をしたりしている気配には反応を示すことはないが、掃除をしている気配には敏感だった。
　”気にしなくてもいいから寝てなさい”とリニアが言っても聞かないので、その日は手伝いをしてもらったくらい。
　以前そのようなことがあったので、リニアは迂闊に掃除などはできない。この時間を自分の時間として使ったところで誰も非難しないのだが、リニアはグラディウスから目を離したくはなかった。だが近くで見ていると”むっくり”と起き出して来そうなので、少し離れた場所から寝顔をみつめることにした。その離れた場所は、昨日の夕方前から眠り続けているルサ男爵の傍。
　その隣に椅子を運び、二人の寝顔を観ながら肩に降り注ぐ木漏れ日の温かさを感じる。その静かな空気に心より安心と幸せを覚えて、二人が目覚めるまでの時間を楽しんだ。

※　※　※　※　※

　サゼィラ侯女イデルグレゼの傍に、すでに人はいない。
　彼女が連れてきた者たちは逃げた。
「巫山戯ないでよ」
　多数の侍女を従えてきたアランは”出迎えがない”ことをあげつらい、
「容赦？　そんな物ここには無いわ」
　同じようにダーヴィレストも、嘲笑う。
「当たり前でしょ？　邪魔なんだから」
「何を言っているのかしら？」
「持てる権力全てで敵を潰すのは常識よ」
「ここがそういう世界だとは知らないで来たの？」

　二人は高笑いし、イデルグレゼは破壊された館で一人呆然と二人をみつめるしかなかった。

　館が破壊されたのは、昨日のこと。破壊したのは”僕は売られた喧嘩なら買うよ”という姿勢を崩していないエンディラン侯爵ジュラス。
「ちょっと！　ザイオンレヴィ」
「なんだ？　ロメララーララーラ」
「ミサイル燃料を頂戴」
「なんに使う気だ？」
「館を焼くに決まってるでしょう！」
　イデルグレゼからは散々宣戦布告されていたが、ジュラスはまだ布告していない。なので布告の意を込めて、
「イデルグレゼの館を？」
「そうよ」
　イデルグレゼに与えられた館を焼き払うことにした。
「止めてくれよ。焼く以外にも嫌がらせの方法は様々あるだろ？」
　ミサイル燃料を持って来いといわれたザイオンレヴィは”落ちつけ”の意を込めて、そうは言ったが《じゃあ嫌がらせの代案寄越しなさいよ！》と言われたら困るな……と考えてもいた。
「煩いわね。寄越しなさいって言ったら、寄越しなさいよ」
　そして怒るジュラスを前にして、

――　早く撤退してくれないかなあ、イデルグレゼ。変な根性とか意地とか出さないで、お姫様らしく撤退してくれよ。死ぬ前に帰ってくれ。僕は命じられたら殺さなけりゃならないんだからさあ……

　とにかくイデルグレゼの帰宅を願っていた。

　願いながら目の前で”燃料で館焼く！　焼くのよ！”と叫んでいるジュラスに、
「……あー無理だ」
「なんで？」
「エシュゼオーンががっちり管理してるから無理なんだよ」
　諦めてくれと言う。
「無理なの？」
　エシュゼオーン大公の名前が出たことろで、ジュラスも少しは冷静になった。
　実際エシュゼオーンが管理していることもあるのだが、ミサイル燃料は基本的に人体に有害なので、ぶちまけると周囲に及ぶ被害が焼失だけでは済まない。
　なのでできるだけ、そんな物をザイオンレヴィは使用したくはなかった。頭に血が昇っている状態のジュラスに《えーと、人体にも有害だから。やめようよ》といった所で《そんなこと、どうでもいいわよ！》と言われるのは確実なので、一応引いてくれそうな相手の名を出してみた。
　ちなみにここでマルティルディの名を出さなかったのは、下手に出して《だったら私、直接許可いただいてくるわ！》となり、本当に許可が下りたら、止めようもなく大惨事になるので敢えてザイオンレヴィはその名を避けた。
「無理だって」
「そうなの、じゃあ」
　次の案を口にしそうだったジュラスに、
「館を壊すだけでいいのか？」
　これ以上の暴走はさせないようにと、当初の目的だけは協力することにした。
「まあそうね……もしかして壊すの手伝ってくれるの？」
「館を壊すだけならやっておくよ。僕が自分の手で破壊しておくから」
　ザイオンレヴィの身体能力を駆使すれば、一時間もしないうちに館を廃墟にかえる事が可能。心強いザイオンレヴィの言葉に、
「嬉しい！」
　ジュラスは満面の笑みを浮かべて、その首に抱きついた。
「そ、そうかい？」

　周囲に花が舞いそうな笑顔の美女と、困惑気味ながらも頬を赤らめている幽し美女っぽい男の抱擁シーン。

――　今までこんなにジュラスが喜んでくれたことなかったな。あんまり喜ばせたことなかったし、喜ばせることできないから、今回は頑張ろう

　政略結婚しない政略的婚約者同士は、初めて心が通じ合った。

　シルバレーデ公爵ザイオンレヴィ。彼は幼少期からマルティルディに仕えているので”美しい人が小首を傾げて、ちょっと残酷なことをお願いしてくる”というシチュエーションにすこぶる弱い。

　その後ザイオンレヴィは早いほうが良いだろうと、イデルグレゼの館へと突撃して、叫ぶ侍女たちや応戦して良いのか解らないで立ち尽くす衛士たちを無視し館を破壊して回った。
　イデルグレゼは破壊しているザイオンレヴィを前に、呆然としていた。これが他の男であれば、少々自分の美貌に自信のある彼女は”誘惑”でもしたが、相手は《マルティルディ殿下のお気に入り》であるザイオンレヴィ。下手な誘惑は命取り。
　牽制しようとやってきていたアランとダーヴィレストも、ザイオンレヴィがいるので自らの館へと戻ったくらいに。彼女たちは《マルティルディ殿下のお気に入り》には近付きたがらない。
　窓という窓を破壊し、壁に穴を開けて、天井を剥がし、持って来た着衣を引き裂き、宝飾品を砕いて、
「イデルグレゼ以外の者。僕に従わないかい？　悪いようにはしないよ」
　彼女の配下を引き連れて、父親である皇帝に身柄を渡した。
　彼女の配下は彼女の物ではなく、彼女の実家が用意した者たち。なので、
「取引にはなるでしょう」
「そうだな」
　彼女の生家であるサゼィラ侯爵家に帰してやろうと判断した。
「お前は戻れ、ザイオンレヴィ。あとは私がやっておく」
「お願いします。私はロメララーララーラに報告してきますから」
「はいはい」
　息子を見送ったサウダライトは、仕えるべき相手であり、主の娘であるイデルグレゼを見捨てた形となった召使いたちの身の安全を、サゼィラ侯爵シャリエンと交渉して相応の保証を得た。
　サゼィラ侯爵としても娘が、ジュラスの父親の愛人になるくらいまでは容認していたが、次のウリピネノルフォルダル公爵家の当主の座を子供たちに狙わせるなどとは思ってもいなかった。
『娘はもう少し賢いと思ってたんだけどねぇ。親の欲目ってやつだったんだねえ』
　報告を受けたサゼィラ侯爵は苦笑いする。
「そうだねえ。それでさあ館が壊れたんだけど、壊したのはザイオンレヴィだから修繕費の半分は私が持つけれども、もう半額は払ってね。シャリエン」
『全額僕が払うよ、壊したのザイオンレヴィなんだろ？　だったらもうこっちが全部払って当然。だからさあ』
「イデルグレゼの身の安全？」
『それよりもアディヅレインディン公爵殿下に取りなしをお願いしたいなあ……と。頼むよ、ダグリオライゼ』
「サルヴェチュローゼンにも頼まれてるんだよねえ。マルティルディ様、あんまりご機嫌とろうとすると、逆に気分を害されるから難しいなあ」
　マルティルディの理由がはっきりと解らないが不興を買ったカロラティアン副王サルヴェチュローゼンも、必死にサウダライトに《アディヅレインディン公爵殿下のご機嫌をとる機会を》と申し込んでいた。
　この仕事はサウダライトが「イネス公爵」だった頃からのもの。
『頼むよ、サウダライト。君以外頼れる人はいないんだよ！』
　元からの調停係。かつては”マルティルディを従わせることのできる”皇帝が存在していたが、今や皇帝はマルティルディの配下。
「まあ、やれるだけはやるよ。サルヴェチュローゼンは帝星に来るつもりらしいから、君もきたらどうだい？　謝罪ついでにイデルグレゼも引き取ってもらえたら、僕としては嬉しいな」
『解った！　今すぐむかうから。頼むよ、ダグリオライゼ！』
「はいはい。じゃあ帝星で会おうね、シャリエン」

　通信を切ったあと呼び出され、皇帝サウダライトは”マルティルディの執務室”へとむかった。

※　※　※　※　※

　ルサ男爵の一房の黒髪が顔に落ちた。
　その一房の髪が邪魔にならないようにと、リニアは注意深く手を伸ばして除けようとしたのだが、
「……！」
　その手を掴まれた。
　左右瞳の色の違う目を開いたルサ男爵は、驚いているリニアの顔を見て、
――　どうしました？　――
　そう言ったつもりだったが、声がでなかった。
　驚き喉に手を当てて、同時にもう片方の手を観る。リニアの手首を捕まえている自分の手に気付く。
　急いでその手を離そうとしたが、寝起きで強張っているだけではない”なにか”によって、手を離しがたかった。
「済みません、男爵さま。お顔に髪がかかっていたので」
「ありがとう」
「……」
「……」
　木漏れ日を作る葉の陰が二人の上で揺れる。