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「余だ」
 久しぶりに聞いた陛下の声は、少し疲れているような気もしました。
 声自体は衛星放送などで聞いてましたが、直接会話するのは……かなり久しぶりですわね。
「お待たせいたしました陛下」
 扉を開けて挨拶をした後に陛下のお姿を拝見いたしますと、随分と……老けましたわね。そうですわ、一年はお側に近寄ってませんでしたもの。陛下は今、三十七歳ですから三十五歳から三十七歳ってそんなに変化するお年なのかしら。
 でも四十歳に確実に近付いていらっしゃる訳ですものね。メセアはもう四十過ぎて……そうやって観れば似てますわね。
「……どうなさいました陛下? 私の顔に何かついてますか?」
 テーブルを挟んで向かい合って座っているのですが、陛下が凄い難しい顔をなさってます。あの顔があれ以上難しい顔になるなんて、はっきり言って奇跡です。
「前髪はどうした」
「えっ?」
 え! だって世の中の男性って、興味のない女性の髪型が変わっても気付かないって! 恋人だって気付いてくれない! 等と嘆いている人が多かったのに……一年は会っていない私の髪型が変わっている事に気付かれるなんて!
「気付かないとでも思ったか」
「はい。全く気付かれないと思っていました」
 邪魔だったんで、段階的に切りましたとでも言えば良いかしら? 何時まで経っても前髪があるのも可笑しいですし……とか……
「それを誰かに渡したりはしていないだろうな?」
「…………」
「渡したのか!」
 腕を掴れて、詰寄られるのですけど……私はてっきり、抜け道から外に出て過ごしていた事を言われると思っていたのですけれど、ちょっと想像と違うんでびっくりしてます。
 あの、不測の事態という事でしょうね? そうですわよね? 私の腕を掴んでいる陛下の手に力が篭って、手先には血が通っていない気がします。
「痛いです陛下!」
「誰に渡した!」
 陛下って元は軍人でしたけど、そう強くはなかったってっ! こっ! この位じゃあ折れないんでしょうけどっ! 腕の骨折れそうっ! 我慢できません! 失礼ですが、大声で叫びます!
「痛いっ! 痛いっ! 放してっ! ラディスラーオッ!」
 宮殿内では大声で叫んだりしてはいけないんですけど、我慢できませんでした。
「っ! 今、医者を呼ばせる」
「いいえ、それは結構です。騒ぎが大きくなるのは望みませんので」
 陛下に掴れていた箇所、ジンジン痛い……腫れるかもしれませんけど、この程度なら自然に治りますわよ……ね。何故陛下が怒られているのか全く解かりませんけれど、それ以上に腕が痛くて。誰かにこれ程強く握られたのは初めてです。
 腕をさすっていると、腰に手を回されて引き摺られて、ベッドに叩きつけられました。いくらスプリングが利いているとはいえ、痛いです。
「陛下?」
 今度は苦しいんですけど、ベッドと陛下の体で圧迫されて……何がどうなっているのですか?!
 外に出た事に関するのは……全く解からないのですけれど、服が裂かれて。そうだ! これ、外で見たテレビドラマのような……このまま……ですけど、とてもではないですが、力では敵いませんし。
 た、多分先ほど手を握られた時ほどは痛くはない……かった筈ですわ。そういえば? 陛下はこの時、どのような表情なされてらっしゃるのでしょう? この難しい顔のままなのかしら。

それでどうなったかと申しますと……

「悪かった」
 陛下が床に座り込んで頭を抱えてらっしゃいます、着衣も乱れ気味で。私の方がもっと乱れていますが、
「いいえ、私こそ」
 何もありませんでした。ガーターベルトは弾かれて飛ばされて、ストッキングは破れて、ドレスも結構ボロボロですが、何もありませんでした。
 というのも私が黙って陛下のお顔を見つめていた事に気付かれたようで。「じぃぃぃ」と陛下のお顔を拝見していたのが気になって、気になって……気になってしまわれたようで中止です。
 陛下が落ち着かれた? と言ったほうがいいのでしょうか? とにかく、そういう事で。
「陛下? 前髪は思い出という事でメセア・ラケに渡しました」
「メセアだと?」
 折角落ち着かれたのが興奮状態にまた……
「はい。初恋の人に渡すというのが慣わしですので。それに周囲には貰ってくれそうな人はいませんでしたから」
「取り返して来い。いや、余が取りにいってくる」
「はい……あの、陛下。それで……」
 外で接触を持った人達の安全を図りたいのですが、
「失礼いたします!」
 玄関からアーロンの声が。突然ですわね。
「どうしました? アーロン」
「皇后陛下にお目通りしたく参りました! アーロンを、ハーフポート伯爵アーロンを是非とも館に!」
「待ってくださいね、アーロン」
 何が起こったのか良く解かりませんが、アーロンが態々訪問してきたのですから。私は走って玄関へと向かおうとした所
「入れるな!」
「何故ですか? 陛下」
 アーロンの声もとても緊張していますし、何かが起こったのかもしれないから
「何かがあったのかもしれませんし」
「待て、皇后」
 そう言われながら、私の腕を……
「痛いぃぃ! 陛下! 放してください!」

先ほど腫れた腕を掴れました……痛い……ともこの直後言ってられなくなりましたけれども

「落ち着いて!」

 今私の眼前に広がっている光景。殴り飛ばされた陛下と、殴り飛ばしたアーロン。
 私が叫んだと同時にアーロンが館の扉を蹴破って入ってきまして、それで……怒ってしまったようで……陛下を拳で殴り飛ばしました。飛ばされて倒れている陛下は、口と鼻から血を流して立ち上がれないようです。私はというと、アーロンに痛くは無いほうの腕をつかまれて
「皇后陛下! ご無事でしたか!」
「え、ええ平気ですから。陛下の所に行っても良いかしら」
 陛下の目の焦点が明らかに合わさってませんの! 立ち上がろうとしてらっしゃるんですけれども、直ぐに床に落ちてしまいます。
「皇后陛下、お部屋にお戻りください。後の事はこのアーロンに任せてください」
 そう言って膝を付いて礼をされても、玄関には陛下の歯が飛び散ってますし、
「げほっ……ハーフポートの……言う通りに……しろ」
「わ、解かりました。そ、それでは」
 普通に対応する事はできたと思うのですけれど、想像していた事ではない事ばかりが起きて結局何一つ……
 言われた通り部屋に戻って、お風呂に入って着替えをして、ベッドに。
「外に出た事は、それ程問題ではないのでしょうか?」


 頭がクラクラして視点が合わない。口と鼻から血が流れ出して、呼吸が辛い。
「ラディスラーオ!」
 怒りを露わにしている若い伯爵は、余を殺さんばかりの勢いだ。
「黙れ……この場を、去るのが、先であろうが……ごほっ、ごほっ」
「ならば立たれよ。手は貸しません」
「誰が……借りる……か」
 がくがく言う膝を握り締め、立ち上がる。まだ視点が定まらぬが、館からは出る事が出来た。
「陛下!」
 衛兵が近寄ってくる
「肩を貸せ」
 それに手を置き、血を吐き捨てて
「解かって、いる、のだろうな……ハーフポート」
「其方こそ解かっているのであろうな、クランタニアン。我が直属兵をレンペレード館の警備につける! 皇后陛下にお会いしたくば、このハーフポート伯アーロンを殺してから行け」
 それだけ言うと、ハーフポートは大股で歩いて去っていった。
「陛下?」
「黙っておれ」
 三十七にもなって、二十三の男にしてやられるとは……余も鈍ったものだな。
「陛下?!」
「先ず医師を呼べ、グラショウ」
 あの生粋の軍人め、本気で殴りおったな。医師が脳波計測機を頭に付けて、その画面を覗くと
「多少揺れているようだな」
 まだ視界が定まらぬから、当然であろう。吐き気も先ほどから襲ってきている。
「グラショウ、委細は任せる。ハーフポート……は、ごっ……放置して、おけ」
「御意」
 二日酔いでもないのに吐く破目になるとは、脳波を整えて頭蓋骨のヒビを補修する溶剤を注射器で注入した後、顔の腫れをとらせて歯を入れさせる事に。
「陛下。歯の回収がかないません」
 そういえば歯はレンペレード館に放置したままだな
「義歯で構わん、性能に違いがあるわけでもない」
 下歯と顎の状態から歯を作り上げ、神経を繋ぎ合わせ終わった頃にはすでに朝となっていた。
「二時間ほど休む。それまで待機していろ、グラショウ」
 確かに余が悪いのだが、あのタイミングで押し入って来たという事は、間違いなくあの館には盗聴器が仕掛けられているのであろう。
 何故あの男が宮殿に来ていたのかも問題ではあるが、この事が総督のヴァルカに伝わってしまった事も問題である。ダンドローバーが言う通り、余の政治基盤は皇后にある……それに暴力をふるえばどうなるか、知っていたはずだ。
 例え知られなくとも、ばれる事がなくとも……。それ程自制心が落ちたとも思わなかったが、皇帝の座についてそれ程失われていたのだろうか? 

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