繋いだこの手はそのままに −70
 デウデシオンの簡素すぎる説明。
「フォウレイト侯爵 リュシアニと申しまして今は新しい姓ダグルフェルド子爵、名はアイバリンゼンと名乗り私の執事を務めております。ありがたくも陛下の父君達とも親交があり、それなりに生活しております」
 ダグルフェルド子爵がなあ、名は知っておるし一、二度見かけたことはある。
 あまり人前に出ない執事であったことだけが印象に残っている。デウデシオンの屋敷に行った際に “すっ” と消えて、違う執事が現れる。本当に人前に出てたがらない男だと思ったら、そうであったのか。
「あの男は陛下が気に留められていると知れば、かえって萎縮してしまいますので。一度日陰に身を置いた者、白日の下に連れ出されますと直ぐに枯れてしまいます。今までどおり、宮殿の一角でひっそりと暮らさせてやってください」
「それが望みならば、余としても何の不満もない。そしてフォウレイト……ダグルフェルドとの生活は……楽しいか?」
「はい。何事にも変えがたく、異母弟がしてはいなかった親孝行を存分にしております」
 親孝行のくだりが出た部分で、メーバリベユが事の外面白そうに肩を震わせ、そして声を殺して表情のみで笑った。言われたデウデシオンは視線を逸らした。
「そうか。ならば宮殿におればよい。唯一つ、条件がある」
「何で御座いましょうか」
「ダグルフェルドとの時間を十分に持つように。余が会って声をかけるわけにも行かぬし、言葉を伝えろとも言えぬから……傍に居てやれ」
 あまり良くわからぬ上にこのくらいしか思い浮かばぬ。
 退出した二人を見送り、
「そろそろ治療が終わる頃です。向かわれますか?」
「ああ」
 ロガを迎えにゆくことに。
 治療されたらどうなっておるのだろうか?
 顔がすっかりと変わってしまっているのだろうか? そうなったとしても、余の気持ちは変わらぬ。それだけは自信がある。
 ロガの何処が好きか? 問われたら答えられぬが、ロガに嫌いなところがあるか? 聞かれたら、無いと答えられる。好きなところは解らぬが、嫌いなところはない。だからどのような姿になろうとも、嫌いにはならぬ。
 ロガに嫌いになる箇所などない。
 ……ああ! 余がロガを嫌う箇所はないが、ロガには余を嫌う箇所が多数あってもおかしくないというか、好かれるような箇所はあったか? こ、今度聞いてみようか? だ、だが……ロガを困らせるのもなあ。
 絶対困るであろうな……『余に至らぬところがあれば忌憚なく言ってくれぬか、直すよう努力する』
 ……駄目だな。そのように言った所で、直す努力をしたところで直せぬであろう事は余の人生が物語っておる! 尋ねるだけ野暮と申すか無意味と申すか。
 医療棟の前でタウトライバが待っておった。
「陛下、医師の話を聞いてやってください」
「構わぬぞ」
 医療棟にある余が検査の際に待つ部屋に入ると、医師たちが膝をついて頭を下げておる。何時ものことなのだが、今日は余の治療ではなくロガの治療を行わせたのだから……気になる。
「ロガの施術は成功したのであろうな」
 椅子に腰を掛け声をかけると、一瞬硬直した。まさか失敗でもしたのか?
「顔の治療は成功いたしました。陛下がお選びになられた后殿下、お顔の美しさは我々も眼を見張るばかりです」
「世辞は良い。余はロガに今すぐ会いたい」
 ロガは顔を治されて、混乱しているので二週間くらいあわない方が良いと言われた。折角連れて帰ってきて、いつでも一緒にいられると思ったのに初日から二週間も離れた状態?
「理由は」
「ナーバスと言いますか……自分の顔が変わってしまったことに、少し混乱しておられるようです」
「?」
「ご自分の顔だと認識できないのです。二週間もすれば落ち着くのですが、それまでは映る自らの顔を見て他人を見ているような落ち着かなく……」
 治療器などでどうにかなるのだそうだが、記憶を弄ることになるので余の許可を得ねばならぬと……時間をかければ自然に治療した顔を自分だと認識できるのであれば、ゆっくりと時間をかけさせれば良いだけのこと。
「余計なことだ。デウデシオン、ロガの元へ案内しろ」
 医師たちが余に対して物を投げつけるなどの暴力行為を働くかもしれないと言ってきたが、何の問題があるのだ? それで落ち着くのであれば良かろう。他の者が余に対してそのような行動をとるのは問題だろうが、ロガは別格だ。
「こちらです」
 入り口にアニエスが立っており『陛下は直ぐにおいでくださると思っておりました』と微笑みながら、そのように言った。
 ……医師とタウトライバとの意見の相違などもあったのだろう。
 扉を開かせ中に入ると、驚いたような表情でロガが此方を見た。
「あの……」
「ロガ……か?」
「は、はい」
 全く違う顔がそこにあった。
 治療された皮膚で覆われている顔は、頬から顎にかけてのラインがすっとしたどちらかといえば少年のような顔立ち。あの琥珀色の瞳は変わらずだが、顔の腫れが引いたので目が大きくなっている。
 少し爛れていた唇も、薄いピンク色の口紅を塗ったかのような色と艶。
「ナイトオリバルド様……」
 だが、慣れぬのだろう。爛れていた方の頬を手で覆い、うつむき加減に此方を見てくる。
 顔を治したのは帝国の、いや余の傲慢であろう。余自身はあのままでも良かった……だが、余が皇帝である以上そのままにしておくわけにはいかない。
「前の顔が大好きだ」
 寂しい。あの顔の頃の思い出が蘇ってきて。
 それ程の時間を過ごしたわけではない。いつかはあの顔の頃よりも長い時間を治療した顔と共に過ごすのだが……ロガの生まれつきの顔と過ごすことは、もう二度とない。
「余としてはあのままでも良かったのだが、その……皇帝の妃というのは色々あってな、顔は治療しておいた方が良いのだ。今更言っても信じてもらえないであろうが、余はロガの治療前の顔が大好きだ! 今の治療した顔も大好きだが、前の顔も大好きで……べ、別に顔だけ大好きなわけではない! 顔だけではなく性格も! だが、決して性格だけではなく見た目も! あの……な、何だか訳わからなくなって来たが! 治療する前も治療した後も大好きだ! 泡吹いて、いい年した大人がしてはならぬような事も仕出かしたが! 顔は大好きだ! ……だから顔だけではなくて、その……ああっ! 伝わらんかも知れぬが……伝わらんと意味がないぃ!」
 言いたいことが一つも言えぬ!
 力及ばず! 膝をついて頭を下げて己が身の不甲斐なさをかみ締めるしかない。
「へ、陛下。落ち着いてください」
 タウトライバの声と、
「ナイトオリバルド様」
 ロガの声。……余が不甲斐なさをかみ締めている場合ではない! ロガのことを、ロガを落ち着かせる為にも!
「ゆっくりと慣れてくれ。いきなり環境が変わり困惑しておるだろうが、よ、よ、よ……余がずっと側におるからな」
「ナイトオリバルド様」
「……」
「陛下! どうなさいました!」
 どの口で言っておるのだ! シュスタークよ!
 余が! 余が傍に居て!
「余が側におっても、何の役にも立たぬ……何を言っておるのだ」
 己の身の不甲斐なさをかみ締めて、かみ締めて、味わってしまった! うぉぉ、自らの不甲斐なさを痛感するハメになってしまって、余も大ダメージ!
「そんなこと御座いません! 陛下がお側におられるだけ、安心でき……ますよね! 后殿下」
 タウトライバが必死に余を慰めておる。
 だ、だがなタウトライバよ……どう考えても、余は……
「はい。ナイトオリバルド様が一緒なら」
「ほら、陛下! ロガ殿から心強い言葉が」
「ほ、本当かっ! ロガ」
「勿論です、ナイトオリバルド様」
「陛下、お気を確りと。后殿下の事を守れるのは陛下だけです」
「そ、そ、そうだなデウデシオン」
 此処で自らの不甲斐なさをかみ締めておる場合ではない。
 

 ロガを安心させる為に言ったはずの言葉を、ロガに後押ししてもらう。この時点で既に本末転倒になっているのだが、当人達は必死でその事に気付いていない。


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