繋いだこの手はそのままに −43
 ロガの家、ベッドの直ぐ傍の窓の前でカルニスタミアは立ち尽くしていた。
 この薄い壁を越えれば、自分は処刑されるかも知れない……だがそれでも構わないという程の思い。だがそれをも挫く、
「どけ、犬」
 犬、ことボーデン。
 寝ているロガの上に乗っているボーデンがカルニスタミアを見たまま、動かない。
『……なんだろう、この恐怖というか、やるせなさというか、最初から敗北しているイメージ……犬だろう?』
 感情の流れが混乱するのは、何もシリアスな部分だけが行き来するわけではない。
 シュスタークの “無用にボーデン卿を警戒する気持ち” までもがカルニスタミアに流れ込んだ。小さなものでカルニスタミアには見つけ出せないのだが、確かにそれが紛れ込んだ為
『襲い辛い……いや、いいのか、それで……』
 “あのシュスタークと互角に戦える男” 唯の老犬の前に硬直。
 夜目が効くその目で、薄いガラスの向こう側にいるロガの寝顔を見つめつつ……
「寝顔くらい見させろ、犬」
 ボーデンに阻止される。
 そうしているうちに、背後で枝を踏む音が聞こえ振り返る。
「キュラ……か」
 そこには見慣れた金髪の年上ナルシストが立っていた。
「何事も無くてよかったよ」
 “キュラ” が来た事に安堵を覚えた自分に、安心する。カルニスタミアはロガに特別な感情があるわけではない。それはあくまでも“皇帝”の感情であり、自分のものではない。制止され安堵を覚えた自分は、その事をまだ理解しているといえる事に安心したのだ。
「お前には気付かれるような気はしていた……キュラ」
 気が付けばボーデンはロガの足元に移動して、丸くなって眠っている。
 そして騒ぎで疲れきったロガも気持ち良さそうに眠っている。古くなった窓硝子と、カーテンもない窓。その向こうにある綺麗に畳まれたシュスタークのマント。
 朝起きてからそれを敷き、シュスタークが帰ればほこりを払って大事に畳み椅子の背凭れにかけられるマント。
「ロガは……あの娘は、陛下の事が好きなのだろうな……お前もそう思うか? キュラ」
「一つだけ正しい事が言えるとしたら、僕はキュラティンセオイランサじゃないよ」
「え?」
 ロガが起きないように声を潜めているが、どう聞いても高過ぎる “キュラ” の声。
「君が勝手に勘違いしただけだよ、ライハ公爵」
 はは、違うよーと浮かべた表情は、違和感を覚えるが声は全く同じ。
 「キュラティンセオイランサじゃない」 そう言われなければ解らない程仕草も似ている。いや、言われても似ている。
「いや、その甲高い声は……いや……お前は誰だ?」
 ケシュマリスタ容貌を持ったその男の名は、
「私の名前はデ=ディキウレ」
 ハセティリアン公爵 デ=ディキウレ。
 弟・ザウディンダルすら見た事がない帝国宰相直属部隊の長。
 そのハセティリアン公爵は、驚いて声も出ないでいるカルニスタミアに、まるで大した事ではないように“裏”を教える。
「私は陛下の異父とは言え兄にあたる。その関係なのか、声帯が異常に発達してねえ。支配音声こそ無かったが聞いた声は全て再現できる。私に再現できない声はない」
「……」
 直接会った事もない相手の名を聞いて『そうですか』と簡単に信用する程、カルニスタミアも馬鹿ではない。
 赤の他人がデ=ディキウレを名乗っている可能性もある。ただ、容姿からして『全く王家・皇家に関係ない者』でない事は確かではある。
 王家や皇家に関係のある者で、帝国の中枢にいる王子と初対面の可能性が高い。それは現帝国では『敵』である可能性もある。
 シュスタークを暗殺しようとした「僭主達の遺児」であるかもしれないのだ。未だ刈りきれていない「暗黒時代の末裔」 それを警戒し、カルニスタミアは剣に手をかけて腰を落とす。
「信用していないのかな? まあ、信用しないと言うのは良い事だよ」
 帝国でトップを争う男が本気で見せた “殺意” を前にしても “キュラティンセオイランサの声を持つ男” は動じない。
「どういう意味ですかな?」
「では君だけに、特別に披露してあげよう」
 そう言うと、彼は雰囲気を変え、そして声を “出した”

「私はケシュマリスタ王・ラティランクレンラセオ」(選民意識が恐ろしいほど感じられる、中性的な声)
「え?」
「私はロヴィニア王・ランクレイマセルシュ」(企みを含んだような、低めの声)
「あ?」
「我はエヴェドリット王・ザセリアバ=ザーレリシバ」(力強く、それでいながら少し神経質そうな声)
「い……」
 そして止めは

「儂はテルロバールノル王・カレンティンシス」(暗いところが明らかにダメな声)


− 音声を皆様にお届けできないのが、真に残念でございます ハセティリアン公爵 デ=ディキウレ・バナスバード・リベンタルキアーフィ −


「あっ……あぅ……兄貴……」
 声も態度もまるで実兄と同じそれを前に、剣に手を乗せたまま一歩後退する。
「君が王だと思って話している相手が王だとは限らないのだよ、ライハ公爵」
 再びキュラティンセオイランサの声に戻ったデ=ディキウレは、楽しそうに声をかけてくる。あまりの彼の成りすましに衝撃を受け、そしてある事に思い当たった。
「…………あー偶にキュラに成りすましたりしていませんかな?」
 ライハ公爵カルニスタミア。
 現皇帝の[我が永遠の友]は何処で見張られているかわからない。もしかしたら、キュラに成りすまして……
「そこら辺は守秘義務だから。私も任務には忠実であらねばならぬのでね。おっと、ガルディゼロ侯爵が来たようだね。それではライハ公爵! 私の事は忘れてくれたまえ」
 それだけ言い残して、デ=ディキウレは鮮やかに去っていった、側転しながら。
 彼が去った後、
「どうやって忘れろと……」
 カルニスタミアは剣から手を離し、膝を付き肩を落として頭も下げた。彼とキュラは感情の行き来は無いが関係はある(キュラの感情は一方的であり、カルニスタミアは気付いていない)
『……キュラだと思って抱いていたのがハセティリアン公爵 デ=ディキウレ・バナスバード・リベンタルキアーフィ……顔は知らなくともフルネームは知っている……そんな事はどうでもいい! キュラだと思い込んでいたのがあの公爵閣下だなどとは……か、考えたくない。顔は似ているが……そっくりだが……』
 別に睦言言うようなこともなく、割合遊びというか大人の関係というか、とにかく唯関係があるだけであり、他者に隠している訳でもないので特段「問題がある」事はないのだが、それはあくまでも[キュラ]だと思っての情事であり、四人の子持ち公爵閣下だとは思いたくは無いのがカルニスタミアの正直な気持ちだった。
 そしてもう一つ正直な気持ち、それは
『ケシュマリスタ系が多いのが、こんなにも面倒だとは……思わなかった』
 四大公爵もデ=ディキウレもキュラも全員[ケシュマリスタ系]
 その容姿の男は、大半が腰の辺りまで金髪を伸ばす。後姿は服の色を除けば同じようなもの。
『兄貴だと思っていたのが兄貴ではなかったら……別に構いはしないが……だがな……』
 傍まで近寄ってきたキュラに小声で声をかけられた時、
「カルニスタミア」
 カルニスタミアは弾かれたように頭を上げ、見慣れているはずの顔を見る。キュラの服の端を掴み、
「キュラ……」
 混乱を浮かべたままの表情で、
「何深刻な顔してるの? まさか」
「お前、ガルディゼロ侯爵キュラティンセオイランサだよな」
 取り敢えず確認。
 もしかしたら、デ=ディキウレである可能性もあるので。去った方向と来た方向は違うのだが、この混乱状態のカルニスタミアには最早そんな事を考えている暇は無かった。
「……どうしたの? カルニスタミア」
 立ち上がれないでいるカルニスタミアの傍に膝を落としてキュラが覗き込む。
「あ……あのな……ハセティリアン公爵に会った……あの人と、お前……」
 それだけ聞くと、キュラは “解った” と言った風に頷き、
「僕と間違ったんだ。公爵閣下、声色変えるの得意だからねえ」
「お前知ってるのか!」
 異父弟ザウディンダルでも知らない、帝国宰相直轄の秘密部隊の長をキュラが知っているとは、カルニスタミアも思いはしなかった。
「勿論だよ」
「ハセティリアン公爵の事は、異父兄達しか知らないとザウンディンダルは言っていたが」
「そうらしいね。でもカルニスタミア、僕が昔キャッセル様の稚児だったってこと忘れてない?」
 ケシュマリスタ容貌のナルシスト・キュラは、幼少期これまたケシュマリスタ容貌の同性愛者キャッセルの愛人の一人だった。
「お相手する為に部屋に入ったら、キャッセル様が二人いて感動したね。美しい者が多数いるというのは心が豊かになるものだよ」
「……」
 さすが帝国一のナルシスト、自分に似た容貌が増えた所で驚きはしないようだ。
「その時紹介してもらったのさ。偶に四大公爵の誰かに成りすまして、他の公爵との関係を悪くしているらしいよ。四大公爵が結託すると厄介だからねえ」
 帝国宰相が鋭いあの目を。企みを隠すように細めている表情がカルニスタミアの脳裏をよぎる。
「…………お前、それ……ケシュマリスタ王に」
 道理で四大公爵が完全に分断状態なんだな……と。ザウディンダルの想い人、カルニスタミアにしてみれば恋敵になる帝国宰相の薄ら笑いと、[最高の破壊工作員]であるデ=ディキウレを思いながらキュラに尋ねる。
「教えるわけないじゃないか! こんな楽しい事。ハセティリアン公爵と帝国宰相にはめられて、ずぶずぶと底なし沼に沈んでゆくラティランに縄を投げてあげるのが僕の長年の夢なんだから!」
 投げてやるだけで、助け上げるかどうかが甚だ不明なところがキュラらしい。
 お前はそういうと思ったよ……色々な混乱と衝撃が何とか落ち着いたカルニスタミアは立ち上がった。
「所でカルニスタミア、どうしてこんな所にいるのかな?」
 ハセティリアン公爵がいたと言う事を聞いて、キュラは一安心した。あの公爵がいたならば、最悪の事態は避けられたのは確かだと。
「ん……お前の事だから気付いて此処まで来たんだろう」
「あの子が君の好きな子になっちゃったのかな?」
 混乱と衝撃が去った後のカルニスタミアは、その問いかけに体を硬直させ、
「…………」
「何、泣いてるんだよカルニスタミア」
 泣き出した。
 顔を手で覆い、頭を軽く落として呟く。
「二度も叶わない初恋したんだ、泣きたくもなる」
 一度目は彼が好きになったザウディンダル。二度目はロガ。どちらも感情としては初めてで、そして後者は決して叶う事はない。
「そっかあ。どんなカンジなのかなあ “陛下の初恋” は」
「愛してる、ロガ。それしか出てこない」
「……そう……。折角落ち着いてたのに悪かったね。さ、戻ろう」
 握りこぶしで軽くカルニスタミアの背中を叩き、帰ろうと促す。
「ああ……ザウディンダルには言わないでおいてくれ……」
 それを合図に、カルニスタミアはゆっくりと歩き出した。
「構わないよ」
「陛下には……儂から言う」
 ロガに軽く触れた事、隠しておく事もできそうだが敢えてカルニスタミアは語る事にした。
 不興を買っても、仕方ないとの覚悟を決めて。
「解った」
「…………」
 外出禁止令が出された奴隷達は、大人しく従っていた。
 あの騒ぎの後では、禁止令が出されなくても家から出てこないだろう。全く人気のない過去に舗装されていたのかどうかも解らないような道を暫く黙ったまま歩き続け、管理区画が見えるようになった頃、キュラが口を開いた。
「あのさあ、カルニスタミア」
「何だ」
「君、ハセティリアン公爵の地声聞いた?」
「……いいや、殆どお前の声で」
 そう言えば……とまだ溢れている涙を拭いながらカルニスタミアは「ハセティリアン公爵」との会話を思い出す。
 “残念” とキュラは苦笑して、彼も知らない真実を語り出した。
「僕、ハセティリアン公爵に会ってお話した事あるんだけれど、声はいつも四大公爵の誰かだったんだよねえ。地声聞かないまま成長して、キャッセル様の稚児を辞退したんだけどさ……気になってきた。宮殿に戻ったらキャッセル様のところ行って来ようかなあ」
 キュラが会話したハセティリアン公爵は、何時も誰か別の人の声色を演じていた。
「あのペデラストなオーランドリス伯爵が、もうお前を相手にするとは思えんが」
 次々と突きつけられる真実に、叶わない初恋の涙も、さすがに乾き始めた。
「別にいいじゃない。それにしても気になるなあ。どんな声してらっしゃるんだろう」


ハセティリアン公爵 デ=ディキウレ・バナスバード・リベンタルキアーフィ 彼の謎伝説は尽きる事がない



 ……そして、
「まあ、俺の出番が無かった事、この場合は喜んでおくか」
 キュラとカルニスタミアが去った事を下水管の中で確認したビーレウストは、少し時間をずらして管理区画へと戻っていった。
 完全武装を施したビーレウストは、万が一に備えて待機していたのだ。
「カルとやりあうチャンスだったんだけどな」


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