繋いだこの手はそのままに −38
『菓子……なあ』
 アルカルターヴァ第二王子カルニスタミアは、上層部で認知されている「皇帝陛下のお気に入りの奴隷娘」の元へと菓子を届ける途中であった。
『何も陛下、あんな薄汚れた娘に興味を抱かれずとも』
 ロガとカルニスタミア、両者の名誉の為に説明をするとロガは奴隷の中では決して薄汚れているわけではない。特にシュスタークが毎日のように訪れるようになってからは、水で絞ったタオルで体を毎日拭いている。個人宅に風呂がなく、公共施設もない奴隷としては清潔にしていると言っても良い。
 対するカルニスタミアは、王子。生まれる前から王子といっても過言ではない生活を送ってきた男。
 彼の前に本当の奴隷が現れる事など一度も無い。映像などで奴隷区画を監視し、統括者達を罰する事はあっても、今回のように奴隷達が生活している区域に足を運ぶのは初めて。何時も、綺麗に整えられた奴隷しか見ていない彼にとっては、どう好意的に見てやってもロガは薄汚れていた。
『確かに他に比べればマシ……と言えばマシだが……陛下のお好みは良く解らん』
 豪華な宮殿や、美しい王宮、贅を凝らした自分の城などで生活し、奴隷達にもそれ相応の生活をさせているカルニスタミアにとって、ペラペラな家でボロボロな洋服らしいものを着た、顔の半分が崩れている奴隷娘は、興味の対象外というか “何故これを未満ながらも恋愛対象として見られるのだろう?” と不思議にしか思えなかった。
 カルニスタミアの恋愛対象であるザウディンダルは、キュラやビーレウストには「貧相」と言い切られたが、それ程貧相なわけではない。
 ロガとは比べ物にならない程に美しい。
 そして本人は嫌っているが両性具有な為、肌などが男性よりも弱いので『女性用基礎化粧品で一日最低三回はスキンケアはするように』という帝国宰相の厳命の元、嫌々ながら化粧水などを顔に叩きつけているせいで、一定以上の美しさを持っている。
 そうでもなければ、カルニスタミアがそれ程執心するはずもない。
 ビーレウストやエーダリロクと同じ、跡を継ぐ必要もない王子。特に現在のように、王家に王女がいない状態ならば、気合を入れて迫ってくる「家」は多数ある。当然、娘を美しく飾るのは忘れない。
 そういった女達を見ても、カルニスタミアの心が動かない程にザウディンダルは綺麗だ。
 そのカルニスタミアの贔屓目を持ってしても、キュラのほうが綺麗なのは否定できない。ただ、綺麗とは言ってもカルニスタミア、好みは「女性」と「女性タイプ」なので確固たる男性のキュラに対し、何の感情もなければキュラが自分の事を気に入っているなど思いもしない。
『化粧品は肉腫に悪いか? いや、だがなあ……石鹸とシャンプーとトリートメント、シルクタオルに薬用の洗顔用品。それを持ってくるとなると風呂の設置も必要だな。下水に浄水プラントを設置して、外部から水を……御料の飲料水を運び込めば。提案してみるか。基礎化粧品はそれからだろうな』
 そんな余計なことを考えながら、カルニスタミアは肉屋前で見えていないがタウトライバに頭を軽く下げ、墓地に到着した。
 腕力やら握力やら脚力が、近衛兵団団長と良い勝負の出来る程の男は、ペラペラな合成板の扉を叩くのに細心の注意を払う。人差し指で軽く叩き、無事音だけを立てて穴を開けることはなかった。
「はい」
「警察だ」
 急いで出てきたロガにゾイから送られてきた荷物を渡す。
「あ、あの……」
 渡されたロガはどう返事をしていいのか? それよりも何故警官が此処まで荷物を運んでくれたのか? すっかりと混乱してしまっていた。
「此方に来る用事があった。ついでだ」
 カルニスタミアには、確かに用事があった。この[宮殿で試行錯誤された菓子]をロガに届けるという、帝国で最も重要な仕事。
「お前、食えるか」
 差し出された袋をおずおずと開け中を覗き込んだロガは、
「は、はい……」
 それ以外の返事のしようは無かった。
「食ってみろ」
「今すぐ……ですか」
「そうだ」
 シュスタークよりも大柄なカルニスタミアが、膝も折らず見下ろしながらそう命じれば、奴隷としてはたとえそれが食べ物ではなくとも口にするしかない。
 頭上から降り注ぐ視線に身を縮こまらせながら、ロガは急いでそれを食べた。
 そして喉を詰まらせ気味に必死に食べているロガの後頭部を見下ろしているカルニスタミアは、そこら辺のことは解らない。
「味はどうだ」
「お、おいしい……です」
 恐らくこの状態ならば、あのシュスタークが初めて持ってきた[ロガの口に合わなかった菓子]であってもロガは「美味しい」と言うだろう。良くも悪くもカルニスタミアは王子であり、それを隠そうという気は一切ない。
「偶に持って来る、これからも食え」
「え?」
「同僚に菓子作りが好きなのがいて、処分に困っている」
「は……はい……」
 奴隷に拒否する権限など当然ないので、ロガは当然頷く。
 王族と奴隷の会話としては、これでも随分と王族の方が優しく接している方に入る。
 カルニスタミアは背を向けて、遠ざかる途中足を止め振り返ると、そこには膝を付いて頭を下げているロガの姿があった。
『陛下が礼など要らぬと命じた相手にそうされるのもな』
 シュスタークは、ロガが膝を付いて見送ろうとした際に “要らぬ” と命じ “立ったまま手を振って欲しい” なる希望を告げ、ロガはそれを守っている。
 皇帝に対して膝を付かなくても良い相手なのだから、皇帝の家臣にあたるカルニスタミアとしては膝を付かれては困るのだが、止めろと命じる訳にもいかない。
『ありがたく受け取っておく……としておくか。それにしても奴隷娘、貴族に仕える作法は覚えているようだな。調査では此処で生まれ育って貴族の家に仕えたという記述はねえが、何処に出しても働けるくらいにはなってるな。連れてこられた父親の方をもう少し重点的に調べさせるか』

***************

「ポーリンさん、今日は」
「今日は、ロガ。何時も悪いね」
「そんな事ないですよ。私、お金貰ってますから、もっと色んな仕事しますよ」
「いやいや、十分だよ」
 “ポーリンさん” こと シダ公爵 タウトライバ閣下はロガに向けて優しい笑顔を向けて語りかける。
 ロガにしてみれば「話しやすい知り合いの奴隷」と先ほど来た「一番背の高い警察の人」が同じ軍属で、
「そうですか。でも何でも言ってくださいね」
 こうやって気楽に話しかけている方が「軍人としての地位は高い」とは思いも寄らない。それを言ってしまえば、ロガが何時も話をしている仮面の桜墓侯爵こと皇帝は、この「帝国軍代理総帥」よりも偉いのだが。
「うん、ありがとう。おや? 手に持っているのは何かな?」
「あ、これ……警察さんから貰ったお菓子なんです。良かったらポーリンさんも」
「頂くよ。シンプルな焼き菓子だね」
 見た目はシンプルな焼き菓子だが、これが出来上がるまでの苦労は並大抵のものではなかった……だろうと “ポーリンさん” ことタウトライバは心の中で兄である帝国宰相と、皇帝陛下の菓子部門で必死に働いている弟・アニアス=ロニの事を思いながら、ロガとは違う意味で喉に詰まらせながら食べた。
「どんな味だった?」
「……味、あんまり解んなかったです。警察さんが前にいて、緊張しちゃって。で、でも! 美味しいと思うんですよ!」
 タウトライバの表情が曇ったのが「味が解らなかった=まずい」と思ったのだろうと必死にフォローするロガだが、
『貴女様の味覚を……貴女様の御口に合うものを……だ、誰だ? それ程までに緊張させたのは? ザウディンダルか? ザウディンダルお前なのか? お前は知らない人が見ると取っ付き辛い雰囲気を不必要に発しているから、もう少しな! お前は一応女の子でもあるんだから! 昔のように ”にっこり” と笑ってくれれば兄は嬉しい……って! 二十五になった弟を女の子と言っては叱られるか! やはり女性と言うべき……いや……そんな事よりも……』
 貰った菓子を二つに割り、
「ここなら緊張しなくていいだろう? 一緒に食べよう?」
 現在、帝国軍人を統括している閣下は部下のフォローも忘れない。
「はい。……美味しいですね!」
「本当に美味しいね。所で、この御菓子を持ってきたのは誰だった?」
「茶色い警察さんです」
『カルニスタミアか……あれは女性に人気あるからなあ、顔もいいし女性の前で混乱する事もない。陛下にはない違う種類の落ち着きもあるし……いや! 陛下も! もちろんお持ちですがっ! カルニスタミアに必要最低限の優しさを持って接させても、下手な事したら……他の……他はダメだな。仕方ない、此処で毎回何とか帳尻を合わせよう』
 皇帝にライハ公爵カルニスタミアの持つ[女性に対する落ち着き]が一割でもあれば、既に事態は上手くまとまっているだろう。
 ただそれはライハ公爵が特別に持っているものではなく、皇帝が極端に持ち合わせてないだけ。
 それを誰も口にできないのが、帝国であり皇帝という存在だ。


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