繋いだこの手はそのままに −21
 シュスタークは宮殿に戻ると直ぐにデウデシオンを呼び出し、提案をした。
「馬……ですか」
「そうだ。余が徒歩である事をロガが気にしておるので、乗馬で向かおうと思う」
 戻ってくる直前にロガが言った事を気にかけ、今度から徒歩ではなく馬に乗って訪問したいと言い出した。
「馬……ですか……」
 シュスタークは帝国に一人だけの皇族である。
 生まれてから此処まで、一切の危険を排除して育て上げられた。世の中の過保護など、シュスタークの育成過程の前には保護とすら呼べぬであろう。
 とにかくシュスタークは危険な事は一切しないで成長してきた。成長途中で『危険』という存在すら知らない程に。
「ベルレザンダ種(白馬)に乗っていくわけには行かぬから、それ以外の物を用意しておけ」
「あの……陛下……」
 シュスターク本人は知らないが、シュスタークは本物の馬に乗った事はない。彼が皇帝の教育の一環として習った “乗馬” だが、彼が乗っていたのは本物の馬ではなく作られた馬。毛や匂いも兼ね備え、シュスタークの成長に合わせて最も操りやすい大きさにいつも形を整えて作られていたそれは、内部は超精密機械。
 シュスタークが少しでも傾けば、それを立て直すように体勢を動かし、少しでも疲れた数値が出れば脚を止め……ありとあらゆる制御装置を盛り込んだ、費用的に言えば機動装甲一機と何ら変わりない馬。
 端的に言えばサイボーグ馬。
「馬で行っては駄目なのか」
 その安全性を追求した馬に乗っている場所も、地面全てに落馬した際に怪我せぬようにクッションとなる人工の草を植え、土にもクッション剤を混ぜ込んで、それでも落下したら危険と重力自体を制御する装置をいたる所に設置。落下する前に、その惑星を無重力化することが出来るようにしてシュスタークを馬に乗せていた。
「そうではなく……」
 シュスタークの乗っているサイボーグ馬ほどではなくとも、機械制御の馬はある。そしてそれで乗馬しているのは……普通は乗馬とは言わない。
 シュスタークには罪はないが、皇帝が本物の白馬ではなく、制御されているサイボーグ馬に乗っているのは、はっきり言って相当格好悪いのだ。
 “皇王族や王族だけの秘密にしておきたい” それは足並みの揃わぬ彼等の、珍しく共通の願い。
 シュスタークは決して運動神経が悪いわけではない。むしろその容姿から、抜群の性能を持っているのはシュスターク以外の者は皆知っている。
 実際戦わせれば近衛兵団団長のタバイやリスカートーフォン公爵以上の白兵戦能力を持つであろうし、機動装甲の才能は現オーランドリス伯爵キャッセルや、それに次ぐ能力を持つケスヴァーンターン公爵にも劣らない数値が計測されている。
 これだけの身体能力があれば、乗馬くらい簡単に覚えられたのだが、シュスタークに怪我をさせてはいけないと大事に育て過ぎ、今まさに一大事。
「どうした? デウデシオン」
 今更『貴方が乗っていたのは馬でありません。サイボーグ馬です』とは言えない。いや、言ったとしてもシュスタークは全く気にせずにサイボーグ馬に乗って墓に向かう事は明らか。
「あの…………そう! 馬は馬糞を」
 “この際、体裁が悪いのはどうでもいい! ロガという娘には見分けがつかぬだろうから。だが! 風が吹いてマントが絡まり、それで手を離して間違って馬から落下して墓石の角にぶつかったりしたら!”
 最悪な事ばかりが脳裏を過ぎる心配性は、乗せてなる物か! と全精力を上げて皇帝の説得に回った。帝国宰相デウデシオン、必死の思いで乗馬を諦めさせる為に縋ったもの。それは馬糞。
「ばふん?」
 帝国宰相は眉間に皺を寄せ、真面目に語った。
「馬で行かれるのは構いませんが、あれは所構わず糞をします」
 サイボーグ馬には当然それはない。
「糞とは何だ?」
 生まれてこの方、サイボーグ馬しか観た事のないシュスタークが(蹴られるのを恐れて、本物の馬に近付けなかった)宰相の言っている事を理解する事は難しい。だが、宰相は困難を越え必死に説明して、説明して、
「余が始末できれば良いが、それも無理であろうしな」
「はい無理です! ですので、馬は諦めてください」
「解った」

 ロガが後始末をしなくてはならなくなる云々で、皇帝は馬に乗る事を諦めた。

 何とか皇帝を説得した、過保護の張本人・デウデシオンは胸を撫で下ろす。
「それとな、デウデシオン」
「何でございましょうか?」
「ロガの財政状況、知っておるか? 死刑が執行されない為生活が苦しいと聞いたのだが。そもそも生活が苦しいとは、具体的にどう言った事なのだ?」
「収入がないのです」
 先ほどのサイボーグ馬騒動とは違い、答え易い質問に切り替わった事に喜びすら覚え、デウデシオンは質問に答える。
「収入? ……が、ない?」
 宇宙で最も生活に無頓着な皇帝は、不思議そうに言葉を口にする。その皇帝の表情を見ながら、今度はデウデシオンが尋ねた。
「あの娘……ロガと呼んでよろしいでしょうか? それともロガ殿と呼べばよろしいでしょうか?」
 将来皇帝の后になる可能性のある娘の呼び方となれば、帝国宰相であっても気を使う。皇帝の『御心』が定まっていない時ならいざ知らず、現段階のような状態であれば注意を払う必要がある。
「お前の好きなように呼べ、デウデシオン……ロガで良いであろうな……そうだ、ロガのほうが良いな」
 例え皇帝本人には何の自覚がなくとも、家臣は注意を払っておくに越したことはない。
「では、ロガと呼ばせていただきます。ロガの仕事である墓守は、平民墓地に葬られない死刑を執行された平民の死体を葬る事にあります。それらを葬る際に、国から賃金が支払われます。それと墓の維持費用も年に二度ほど支払っております。偶に死刑執行された家族が、遺体を綺麗にしてくれと金を払って依頼します、これらがロガの収入です。この二年程は死刑を執行しておりませんので、ロガに支払われているのは墓の維持費用のみ。それだけでは足りないので、近隣の身体の不自由な者の世話をしたり、同居人だった女からの仕送りなどで賄って生活しております。その生活ですが、金銭によって成り立ちます」
「金銭とは……あれか? 国家予算書にかかれておる数字か? 税収入」
「はい、陛下にはそれが最も馴染み深いでしょう。ロガの収入は生活をぎりぎり維持できる程度しかないのです。贅沢など一切できず、生活を切り詰める……具体的に言えば、食事の量を減らす事などでしょうか」
「どうにかしてやる事はできぬか?」
「毎日死刑執行いたしましょうか? 現時点で死刑を言い渡された者は帝国領内に五億人ほどおりますので、毎日二人ずつ死刑にしていきましょう。死刑囚など次々現れるので、なくなる事はまずありません」
「いや、待てデウデシオン。ロガは死刑がない方がいい……と申しておった。だから……」
「そうですね、毎日二名の死体を処理していますと、ロガが陛下と会って会話する時間はなくなるでしょう」
 畳み掛けられるようにデウデシオンにそう言い渡された皇帝の表情は、
「…………」
 『お願い! それは止めてくれーー』としか言い表す事のできないもので、長年皇帝に仕えてきたデウデシオンですら観た事がないもの。
 幼少期からあまり我儘を言わなかった皇帝は、成人してからは表情が出る事自体なくなった。我儘を言わなくなり感情を表に出さなくなってきたと同時に、皇帝の表情は乏しくなった。笑わなければならない部分では確りと微笑むこともできる、儀式によってその表情を使い分けることは出来ていたが、それだけでもあった。
「そんなお顔なさらないでください。陛下が毎日食事を持って訪れているだけで、相当楽になっているはずです。今までも生活できていたのですから、陛下がそう心配なさるほどの事ではありませんよ。陛下が金をくれてやるという事も出来ますが、人によっては嫌いますので」
 そう言えば、ロガという娘に会うようになってから随分と表情が現れるようになったな……そう思いながらデウデシオンは皇帝と話を続ける。
「そうだ! 金と言えばデウデシオン! 余は明日、コロッケを食べに向かうのだがそれに必要な金は……このくらいでいいのか?」
 思い出したように皇帝は、机にあったメモ用紙とペンで数字を書き、デウデシオンに見せる。
「陛下?」
「金とはこれの事であろう?」


 二十年間国家予算表しか見た事のなかった皇帝は、紙に書いた数字が金だと信じて疑っていなかった。


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