繋いだこの手はそのままに − 226
シュスタークとロガの挙式は、粛々と……とはかなり言い難くはあるが、しっかりと進んでいた。
家臣から祝福の言葉を受けてやるのもシュスタークの仕事の一つ。
「おめでとうございます」
「おめでとうございます」
普通であればロガも同席して祝福を受けるのだが、今回は席を外している。それというのも、祝福を述べに来たのはラティランクレンラセオ率いるケスヴァーンターン勢。
その中にかつてのお妃候補であったエダ公爵バーハリウリリステンが混ざっていたのだ。彼女が何を祝辞とするのか? 解らない以上、ロガを遠ざけた方が良かろうと。そして、
「私が対応いたしますので」
かつてその座を争ったメーバリベユ侯爵が控えることになった。
もちろん帝国宰相であるデウデシオンは並んでいるが、デウデシオン自身エダ公爵相手に上手く立ち回れる気がしなかった。政治的なことならばエダ公爵に勝ち目はないが、デウデシオンは女特有の攻撃から皇帝を護る力は低い。
エダ公爵は美しいブルネットの髪を持っている。いまは前髪がやや長目で、目にかかるほど。その髪越しに見える瞳の輝きは、強いが悪意はない。
一通り差し障りのない挨拶を終えてから、
「陛下」
エダ公爵はあのケシュマリスタ特有の笑いを浮かべて、一歩踏み込んだ。
「どうした? エダ」
「陛下はいまだ妃を手中に収めていないようですが」
シュスタークがロガに手を出していないことを知っているくらいの地位でなければ、祝いを述べるなど出来ない。そしてエダ公爵は主であるケシュマリスタ王が未だに皇后同意書にサインしていないことを知っているので、皇后とは言わずに妃だけに留めた。
「そうだ」
そしてもちろん、シュスタークも否定しない。否定などしても無意味であり、下手な否定はロガに矛先が向かうので、しっかりと受け止めて濁さずに答える。
皇帝の寝所はあからさまにする必要はないが、明かにしておくに越したことはない。
「陛下はもっと自信をお持ち下さい。このエダ、国王の愛人であり帝国宰相の愛人でもありますが」
「ふおあ? ……あ、続けろ」
エダ公爵がラティランクレンラセオの愛人だということは聞いたことがあったシュスタークだが、皇帝の前でも女嫌いを隠せなかったデウデシオンがエダ公爵を愛人にしているとは、考えるはずもなかった。
思わず玉座から転がりそうになったシュスタークであったが、皇帝として踏みとどまった。今更踏みとどまらなくても誰も笑いもしなければ、表情一つ動かさないのだが、妃を迎えてラードルストルバイアと別れた一人の皇帝として矜持を持ちシュスタークは堪えた。
「いまのことは事実です。その私が断言します。陛下はケスヴァーンターン公爵殿下よりも、帝国宰相閣下よりもお上手です」
このエダ公爵以外には言えぬ言葉。
それが世辞になるのか? 事実だとしたら……謁見の間にいる他の貴族たちは、どうして良いのか困り果てるが、
「……なにがだ? エダ」
一人だけあまり困っていない人がいた。
それは誰でもない、シュスターク。なにが「お上手」と言われたのか解らず、普通に問い返す。
「セックスです」
返されたほうは宮廷隠語やならなにやらを使わず、ストレートに告げる。どのように返事をして良いか? シュスタークは解らずデウデシオンの方を見るが、よくよく考えなくとも自分に比べて下手と言われたデウデシオンに、なにをどのようにフォローしてもらっていいのかも解らないので、話しかけることもできなかった。
「自信をお持ちください。妃を失望させることなどありません」
シュスタークがロガに手を出さない理由は様々あるが、この自信のなさも若干関係はしていた。自分にやたらと自信のある皇帝よりも良いかもしれないが、弱腰であることも否定できない。
「心配させてしまったようだな」
「はい」
「そうか。そなたの心配も近いうちになくなる」
「吉報、心よりお待ち申し上げております」
先制攻撃的なエダ公爵の祝辞のあとも、六名ほどの祝辞が続き、その後シュスタークは昼食を取るためにロガと共にアルカルターヴァ公爵の待つ会場へと向かった。
「陛下、私はケスヴァーンターン公爵と話がありますので。それとメーバリベユを借りますので、そのこと皇后に。私の代理はタバイで」
「了承した」
謁見の間から退出したケシュマリスタ勢は、ラティランクレンラセオとエダ公爵以外は早々にその場から立ち去った。
長居して良い場所ではないので当然だが、それにしても彼らが立ち去るのは早かった。
デウデシオンと共にやってきたメーバリベユ侯爵は、
「私は夫はおりますが、比べる相手がいないもので」
これもまた誰もが知っている事実を笑って話す。
「まったくだ。君が言うのが一番無難だっただろうに。それなのに君の夫ときたら。こんなにも魅力的な妻から必死に逃走して、困った王子様だ」
困った王子はどこかでくしゃみをしているか? それとも気付かないか?
「そうです、非常に困った夫です。さて、帝国宰相閣下。早々に話して会場へ急ぎましょう。式典において、テルロバールノル王を陛下一人で相手するのは負担が大きすぎます」
「……」
「……」
デウデシオンは無言で、ラティランクレンラセオも無言のまま。
メーバリベユ侯爵はわざとらしく息を吐き出し、エダ公爵の方に事態を動かすように合図を送る。
「酷い顔ですね、二人とも」
エダ公爵は皇帝の前では帝国語で話すが、それ以外の場面ではケシュマリスタ口調のほうが多い。その彼女が珍しく帝国語で話かける。
「……」
「……」
彼女は独特の口調と表情で相手を小馬鹿にしているように見えることの多いケシュマリスタ語よりも、皇帝以外に帝国語を話している時の方が何故か馬鹿にしているように感じられることが多い。
本人も理解して使っているので、特に問題はない。
「言っておきますが、あれは世辞ではありません。王や帝国宰相とは全く違う、あの方はご性格その物で抱きますから。女にしてみれば幸せな時間を与えてくださいますよ」
「……」
「……」
曖昧な表情のまま二人はエダ公爵の話を聞き続け、
「そんなにも順列が欲しいのでしたら差し上げます。王と帝国宰相なら帝国宰相のほうが好いです」
互いにダメージを食らって……帝国宰相はメーバリベユ侯爵と共に次の会場へと向かった。何をしたかったのか、メーバリベユ侯爵でもよく解らなかったのだが、知ったところでまさになんの得もないので追求はしなかった。
それでラティランクレンラセオとエダ公爵はと言うと、
「帝国宰相の方が大きなダメージを食らったと思いますよ。帝国宰相は女に上手と言われるのは死ぬほど嫌でしょうから。それをふまえて帝国宰相と言いました。もちろん事実ですけれども」
謁見の間の前でまだ話をしていた。
「私はそんなにもお前が欲しいものを与えていないか?」
ラティランクレンラセオは全力で寄りかかってくる愛人は嫌いだが、エダ公爵のような愛人は嫌ってはいない。昔ながらの王の子(庶子)を産めば未来は安泰、と考えるような女を特に嫌う。その感性そのものが人間由来のもので、人造王と言われるケシュマリスタにはそぐわない。
実はキュラティンセオイランサの母親はその性質があり、先代ケシュマリスタ王が生きている頃、息子の未来を案じて当時王太子であったラティランクレンラセオに庇護を求めに来たことがあった。
偽りの笑顔で応えてやったのだが、その行為がラティランクレンラセオの人造人間の部分に触れた。
彼女はそのような行為をしていなかったとしても、殺害される未来は変わらなかっただろう。だがそれをしていなければ、息子のキュラティンセオイランサに向けられる憎悪は幾分かは軽くなった筈だ。
語ったことで致し方ない過去の出来事ではあるが。
「王、ここは”僕”といきましょう。僕は君から何一つ欲しいものはもらってないよ」
「君が欲しいものとはなんだ? 僕が君に与えられない物などないよ」
「僕は君の妃の座が欲しい。もらって良いかい?」
「君は僕が止めろと言ったら止めるのかい? その程度なら諦めるべきだよ、リリス」
「僕を止めない君だから、僕も止めはしない。目指すといいよ、僕が君の妃を目指したように、君は君の欲する所へと向かえばいい、王よ」
エダ公爵バーハリウリリステン・モディレッシェル・サンファオンディラードは皇帝シュスタークの挙式後、ケシュマリスタ王妃ネービレイムスを殺害し王妃の座に収まった。
そして皇后の女官長メーバリベユ侯爵と対立し続けることとなる。
**********
着実に近付いてくる、ロガとシュスタークの初夜。
喜びに溢れている民衆たちは、まさか皇帝が二年近くも傍に置いている皇后に、まったく触れていないなど思ってもいない。
「来年には誕生するんだろな!」
「来年だろうね。今年中に未来の皇太子殿下を見れると思ってたけどな」
来年は親王大公誕生のお祝い! と沸き立ってもいた。
罪なき民衆の期待と、その他諸々を背負う皇帝シュスターク。彼はいま困惑していた。困惑している時の多い皇帝ではあるが。
「……」
「……」
成すべきことは解っているのにどうする事も出来ない。
「陛下……」
「ザウディンダル」
シュスタークと向かあいっているザウディンダルは頬を赤らめ、まだ膨らみの残っている胸を腕で隠しベッドの上で顔を背ける。
「あの……触るぞ」
「はい」
それで、何をしているのかというとザウディンダルの下着を脱がせている……いや、正確には「脱がせる練習をしている」
一週間後に迎えるロガとの初夜の練習を、この時点でザウディンダルを使って練習していたのだ。
ことの始まりは……一年近く前からなのだが、早い話が《寝所のロガの格好はどうしましょう》と言うもの。
ロガを全裸でベッドで待機させるか? 着衣で待たせるか? というそれだけのことなのだが、シュスタークは服を脱ぐのが苦手で、他人の服を脱がせるのはもっと苦手。
どのような服を着ていようが力任せに引き裂くことはできるが、望みに望み大事にすると心に誓った少女の着衣を引き裂いて初夜は、シュスタークの性格上不可能。
あくまでもロマンチック推奨の異父兄弟たちは、ロガの服を一枚でもいいから脱がせて行為に及ぶべきだと力説。
―― 陛下の負担になろう
唯一全裸で待機を推すデウデシオンだが、弟たちの恋路に首を突っ込むことに情熱を燃やすタウトライバの前にやや劣勢であった。
シュスタークの結婚相手が《好きになった少女》なので、普通に恋愛をして女性と結婚した弟の意見と感性を蔑ろに出来ないのだ。
なにせデウデシオンは初恋は拷問の跡が痛々しかった人妻両性具有で、現在好きなのは異父弟で初恋の人の孫。
その事に後悔もなにもないが、己が持つ感情とタウトライバが持つ感情ならば、タウトライバの方がシュスタークに近く、また近くあってもらわねばならぬと考えている。
悩みに悩んだ結果「シュスタークにヒモパンを脱がせる練習をさせること」に落ち着いた。普通の下着よりも脱がせやすいということから選ばれた下着である。
ちなみにロガは胸の膨らみが皆無に等しいのでブラジャーの着用はなし。
実戦に耐えうる練習である必要があるので、当然誰かが穿く必要がある。シュスタークが裸を見て緊張する身内……となると、ザウディンダルしかなかった。
途中キャッセルが「私の方がよくないかい?」とヒモパン(女性物)を穿いて現れたが、同性愛者は禁止なので、胃が痛くなりながらタバイが撤収作業。
そして結局ザウディンダルになった……というよりもザウディンダル一択であった。
「このヒモパン、女性用だから」
「俺は半分しか女じゃねえよ! それに外見は男だって!」
ザウディンダルにはしっかりと男性器はついている。それで言ったらタバイだろうがタウトライバであろうが、その他誰でも良いようにも感じられるが、ザウディンダル以外の兄弟であればシュスタークは感謝すれど照れはしないし、緊張もしない。
ある程度、性的な緊張を感じつつそれを乗り越えてもらう必要が……
ということで、二十五歳過ぎた皇帝が、挙式の最中に初夜に向けてヒモパン脱がせる特訓とあいなった。
「……」
「……」
シュスタークが震える手で必死に紐を掴む。
手袋は脱ぐので直接肌に指先が触れ、感触に困惑しながら、固めに結ばれた紐を掴む。”緩めにしておけば?”と言われそうだが、ロガは身体全体が薄くて平ら気味なので、ヒモパンなどはしっかりと結んでおかないと、直ぐに身体からずり落ちてしまうのだ。
「……」
「……」
「……」
「済まぬ! 許してくれ!」
結局シュスタークはヒモパンを脱がせることが出来ず、いたたまれなくなって逃走。
「陛下! なんで、なんで蝶結びがこんな固結びに? タウトライバ兄! 陛下には無理っぽいぞ!」
ザウディンダルの宇宙固結びになったヒモパンは、デウデシオンが解きました。
それで”全裸待機と全裸訪問”になったのか? というと、そのようにはならなかった。
「私が自分で脱ぎます。ナイトオリバルド様のお洋服も、簡単なものでしたら脱がせることできますので。空いている時間を使って練習します」
ロガの心強い発言により、シュスタークはシルクのガウンだけを着用して寝室へ、ロガは身体の線がはっきりと解る総レースのガウンを着用して待つことに決まった。
「ロガ、苦労をかける」
心底”情けない”を露わにしているシュスタークを、
「そんなことないです」
ロガは何時も通り励ます。
「だが……」
「あの、それに私も……私なんて言っていいのか解らないんですけど、本当にナイトオリバルド様のお妃になれるの楽しみなんです。もちろん怖さもあるんですけれども……服を脱ぐところまで頑張れますので、その先はよろしくお願いいたします」
「……あ、うん! そうか!」
「ナイトオリバルド様?」
「余だけではなく、ロガもそうであることを知れて良かった。それではまた明日な」
いつも一緒に寝ていた二人だが、挙式の最中は慣例的に別々となっている。
「はい」
「一人で眠ることができるのは、あと僅かだ」
初夜を迎えたあとは、二度と別々に眠ることはないと、
「……はい。おやすみなさい、ナイトオリバルド様」
「おやすみ」
軽く口づけ、シュスタークはロガの寝室から出て行った。
ロガは眠る時間でも、シュスタークは夜遅くまで式典に参加する。今日は式典ではなく、
「陛下」
「エーダリロク、余に見せたいものがあると?」
エーダリロクからの特別の依頼。
ランクレイマセルシュもデウデシオンも時間を作ることに協力的であったので、シュスタークはなにも考えずにその申し出を受け取った。
「俺に付いてきてください、陛下。行くぞビーレウスト」
「おう。陛下、俺もお供します」
「そうか。して、余は何処へ向かい、何をすればいいのだ?」
「カレンティンシスに会ってもらいます。向こうはカルニスタミアだけを連れてくるように命じておきましたので」
Copyright © Rikudou Iori. All rights reserved.