「失礼しま……じゃなくて、デウデシオンさん、聞きたいことが」
休憩時間のロガは、式典のことについて尋ねたいことがあるとデウデシオンの執務室へとやってきた。
デウデシオンの執務室の扉は登録され、許可されている人であれば簡単に開くことができるようになっている。人力を使い扉を開かせて権力を誇示する大宮殿においては珍しい《機能重視》の扉。
デウデシオンはロガが来る以前からこの扉を使用していた。弟の妻二名が普通の人間なので、簡単に開くようにしておく必要を感じてのこと。
普通の男性であれば、弟の妻であろうとも女性と二人きりで会うことは避けるべきだが、デウデシオンは有名な女嫌いで弟たちにはザウディンダル好きと認識されているので、女性と二人きりになろうとも、誰も噂する気にはなれなかった。
そんな訳で簡単に開いた扉。
以前のロガならば奴隷として「入って良い」と聞くまでは入室しなかったのだが、今は正妃なので《事前に通達》も出したので、許可を取らずに入室した。
奴隷であったロガにとって、帝国で最も権力を持つ男の執務室に許可を得ずに入るのは、とても勇気が必要だった。
「あの……」
入室した先はというと、自分を襲った触手持ちの僭主とその他見た事のない人たちに押さえつけられているザセリアバ。執務机に乗っていた虫かごを持ち上げて連絡画面を確認するバロシアン。部屋の隅には胃を抑えたタバイと、
「ロガ皇后」
「あ? え? ハネストさん?」
いつの間にか足元で膝を折り頭を下げているハネスト。
そして用事があったデウデシオンはと言うと、ロガが見た事もない物をザセリアバの顔の前で”構えて”いる。
ロガは目の前の光景がなんなのか? 全く理解できなかった。
理解できなくて当然なのだが、貴族なら解る事なのかも知れないと必死に考え、注意深く見てザセリアバの白磁の肌と黄金の髪の隙間に茶色いものがあることに気付き目をこらす。
「たいへん!」
ザセリアバの美しい鼻筋の通った横顔に虫がへばりついていることを理解したロガは、
「デウデシオンさん! 動かないでください。ハネストさん、ついてきて下さい」
「畏まりました」
デウデシオンはピコピコハンマーを下ろし、
「何処までもお供いたします、皇后」
ハネストは、どうやったらそんなに滑らかに音を立てず、素早く立ち上がれるのだろう? と誰もが考えてしまう程の速さで立ち上がり、ロガに付き従う。
ロガは駆け足でザセリアバの前に立ち、
「ハネストさん私をこの虫に手が届くくらいに持ち上げてください」
両腕を肩の高さまで上げる。
―― よろしいのですか?
―― よい
「畏まりました」
デウデシオンとハネストはロガの頭上で視線を交わし、肋骨がはっきり解るほど肉の薄いロガの脇腹に手を回してハネストは持ち上げた。
「止めてください」
「畏まりました」
ロガは両手を使い、鼻全体と目頭のあたりにかかっている足をゆっくりと引き剥がし、
「降ろしてください」
「はい」
ザセリアバの顔に塗られた餌を堪能していた虫を取り除いた。
「取れましたよ、ザセリアバさん。デウデシオンさん、これ潰すと顔とか汚れてしまいます。虫に触るのが嫌でしたら、いつでも私を呼んでください。どんな虫でも平気ですから」
元奴隷は王族や貴族に”これならできます”とアピールする。
「失礼。私も虫を触るのは苦手ではないのですが、王の顔に虫がついてしまい慌ててしまったようです。ありがとうございます、皇后」
デウデシオンは剣を下げる腰ベルトにピコピコハンマーを差し込み、ロガから虫を受け取ってバロシアンに虫かごを持って来るように手招きをする。
ロガ以外は”予感”があった。人によっては嫌なものであったり、楽しいものであったり、胃が痛みそうな……多種多様な予感。
差し出された虫かごを掴んだデウデシオン、そして……
―― ええ、あんな棒読みは聞いたことがありません (バロシアン談) ――
「ああーてが、すべったー」
蓋に手をかけ緩め、そのまま床に落とした。
ハネストやバロシアンは虫かごを受け止めることはできたが、デウデシオンの棒読みから明かに落として虫をばらまくことが目的だろうと黙って落ち行くのを眺めた。
ロガは虫かごが落下した音と、デウデシオンが手を滑らせた告白を聞きながら呆然としていた。まだなにが起こったのか? 解らなかったからだ。
音がしたほうを見ようと動こうとしたのだが、ハネストがロガを抱き上げて、執務室でもっとも頑丈な執務机の下に身を隠す。
事態が飲み込めない状態のロガが、執務机の下から見たものは無数の茶色の虫と、ザセリアバの背後に立っていたヴィクトレイ。
「弾き飛ばされましたか、ヴィクトレイ」
「そのようだ、ハネスト。皇后よ、虫が嫌いではないのなら机の下から出て周囲を見ても構わんぞ。王が転がってきたら叩き落としてやる」
「弾き飛ばされたのに?」
「そう言うな」
ヴィクトレイが差し出した手に手を乗せて、ロガは立ち上がった。
「うわあ……」
虫が飛び交っていることに驚きはしなかった。ロガが驚いたのは、拘束を解いて虫を回避しているザセリアバ。
早すぎず虫を殺害することなく回避するその姿は、幻想的……でもないが、現実的ではない……でもないが、ロガが見て驚くには充分だった。
デウデシオンの手から虫かごが落ち、床に付く前にザセリアバは持てる全ての力と超能力を駆使し、拘束していた元僭主たちを振り払い、落下すると同時にその場から飛び退く。
虫たちは餌の匂いにつられザセリアバを目指してやってくる。
殺せば簡単だが、触りたくはないし、着衣で払うのも嫌なので、ザセリアバは逃げた。逃げるという思考回路が存在しないのではないか? と言われるリスカートーフォンが逃げる。
だが入り口は当然開かず。入り口が開かないということは、窓も開かない。
ならば壁をぶち破って逃げようとするが、虫にも餌に興味がないものがいるのか、壁にへばりついていたり、天井まで辿り着いてぶら下がっていたりと、触りたくない状況に。
ザセリアバは自分に向かってくる虫たちを避け続ける。
虫を越える速度で動くことは簡単だが、そうすると逃げ場所がなくなってしまう。
大昔に存在した自動小銃を積んだ武装ヘリコプターと同じだ。ヘリコプターのプロペラに自動小銃の弾丸が当たらない仕組みと同じく、回転速度を同じにするように、速度を同調して逃げる必要があった。
黄金の波打つ髪が揺れ、赤と金と黒の式典用の袖の長い服を掴み、虫にあたらないようにかわす。爪先で着地し、体勢をずらして再度宙に舞い、体勢を横にして回転しつつ今度は手を置きまた飛び上がる。
叫び声を上げないのは、口に入ることを阻止するため。
移動速度が虫と同じなので、ロガにもはっきりと見ることができたのだ。
その華麗なる舞いを見つめていたロガは、ザベゲルンが触手で虫を捕まえてトリュベレイエスが持った虫かごに戻している姿に気付き、
「私も捕まえます」
”こうしては居られない!”と、急いで虫を捕まえに走った。
ザベゲルンの触手の伸縮自在性により、虫は全て捕らえられた。
「この一匹は喰うか」
口だけの顔で笑い、触手が虫を取り込む。
「あの、デウデシオンさん」
「ご安心下さいとは言いませぬが、投降したので一応仲間です」
「とうこう?」
「負けて命乞いをしたということだ」
ジャスィドバニオンが説明を付け加えた。
「あ、あの……」
命乞いをするなどとても見えない面々を前にして、なんと言って良いのか? 悩んでいるロガ。その脇では虫を放ったデウデシオンと逃げ続けたザセリアバが無表情のまま対峙する。
「もう一匹くらい喰うか」
「……」
「あの……これ、お食事なんですね?」
この時ロガの記憶が甦った。
―― 貴族さまはそれは変わった食べ方をする。特に生、火を通さないものを好んだりする。そうだなレッシェルス様もそうだった。あの人は虫が好きでな、虫料理を作ったもんだ。
かつて下級貴族に使えていた父が、貴族は虫を食べると。それも……
―― 小父さん料理上手いからご主人様も満足してただろ
―― それがそうでもないんだ
―― どうして?
―― レッシェルス様は悪食でな……悪食というのは、普通では食べないような物を食べることでな。虫料理はいいんだが、あの人”焦げ”と”生々”を同時に再現しろと
―― それ、私の作ったハンバーグみたいなもの?
―― ……そうだな、ロガ。あのまま仕えていたらロガに……でも絶対に食べさせられんな
―― どうして?
―― いくら食用に処理された虫とは言え、天然ものだから。中が生は……よほど胃腸が強い方でもない限り
―― 胃腸が強い貴族? たとえば?
―― そうだな、リスカートーフォン公爵のクリトルセルフェン王とかガウダシア王太子とかリーデンハーヴ王太孫とかだったら
目の前で虫を食べる「元リスカートーフォン系僭主」そしてリスカートーフォンの王。
「あの! ザセリアバさんはクリトルセルフェン王の曾孫ですか!」
怒りで顔が硬直したままだがザセリアバは振り返り頷く。
「私料理しますよ」
「……? 何を」
「この虫かごの虫たち。私料理下手なんですけれども……」
―― 下手と言うより壊滅レベルです(タバイ談) ――
「下手なんですけれども、虫だけは貴族様のお口に合うように調理できるって。私のお父さん……ではなくて父が下級貴族のレッシェルス様という方に仕えてまして。その時レッシェルス様が”表面は焦げて中はどろどろで、なおかつ爆発しているのがいい”って。私そういうの作るの大得意なんです。よかったら食べていただけませんでしょうか? いつもビーレウストさんにお菓子作りを習っているお礼もしたいので」
ロガの父ビハルディアが仕えていたレッシェルスはかなりの悪食だった。「あれさえなければ、奥方様を迎えることもできただろうに……」とビハルディアが言うくらいに。
話を聞いているだけでザセリアバは喉の奥にこみ上げてきた。虫など食べたこともないのに、味が襲ってくるのだ。
聞いていたデウデシオンは執務机で同意書をもう一枚用意して、元から用意していた同意書にも書き込みをする。
「皇后、お話はちょっとお待ちください」
そしてデウデシオンはロガの頭上に二枚の紙を掲げた。
一枚は皇后同意書。もう一枚は帝后・皇妃・帝妃同意書。デウデシオンが皇后同意書にたった今付け足したのは《皇后を認めたら、虫料理はさせないことを此処に誓う”国璽印”》であり、新たに用意された同意書には《定期的に虫料理を作っていただき、帝国宰相が軍を総動員しリスカートーフォン公爵の口に押し込む”国璽印”》と書かれていた。
皇后であることを認めればロガの《貴族様にお出しする虫料理》から逃れることができ、そうしなければ、ザセリアバだけではなくロガが生きている間、すべてのリスカートーフォン公爵が帝国宰相の手により虫を口に押し込まれることになる。
決断は……
「残念だな、皇后。皇后は料理をしてはならんのだ。全ての料理ではないが、虫などは調理してはならんのだ。もっと早くに聞いていればな。ああ、残念だ」
ザセリアバは白々しくそう言い、デウデシオンの手から皇后同意書を奪い取り、執務机でバロシアンから渡されたペンでサインする。
「さて、我は用事があるので戻る。それではな、皇后」
”見事な虚勢だ”と元僭主たちに見送られ、やってくる途中で壊した床がすっかりと修復された廊下を戻っていった。
「……」
「……」
「……」
僭主たちは顔を見合わせ、
「そのレッシェルスというのはどうした?」
ザベゲルンがロガに尋ねる。
「亡くなりました。宇宙海賊に襲われて、交戦して亡くなったそうです。お陰で父は生き延びることができました」
「なるほど。何処で死んだ?」
「それは解りません」
なぜそんな事を聞くのだろう? とは思ったが、
「そうか……では皆の者、宇宙の何処かで戦死した下級貴族レッシェルスに各々が思う方向に敬礼!」
ザベゲルンの声と、四方八方に敬礼する元僭主たちをみて、死を悼んでくれたのだろうと軽く頭を下げた。
実際は《悪食で子飼いの奴隷の子が皇后になった》事に対しての敬礼だが、ロガが深く追求するものでもない。
「お前たちは下がれ。振り込んでおいた。それと儀典省からそろそろ衣装が届いたころであろう」
デウデシオンの言葉にザベゲルンたちは下がり、
「では私も」
ハネストとタバイも退出した。
ロガは尋ねて来た理由を思い出し、式典について尋ねたあと、
「あのー」
「どうしました?」
「私、お式が終わるまでは正式な皇后ではありませんよね?」
「……」
デウデシオンは言いたいことを理解して、執務机に乗っていた虫かごを手渡して、それはそれは鬼畜な笑いを浮かべた。
「私は目を瞑ります。陛下とご一緒にどうぞ」
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