繋いだこの手はそのままに − 214
 ここにビーレウスト=ビレネスト・マーディグレゼング・オルヴィレンダ・アヴィジョン・ディデ・リスカートーフォンはいない。
 居るのは、
「陛下。いかがですかな?」
「皇帝は偉大だな、エーダリロク」
「もちろんに御座います、陛下」
「ところでエーダリロクよ。そなたも楽しめ”皇帝の凱旋式典”を」
「楽しんでおりますよ、陛下」

 従兄のセゼナード公爵を傍に置き、椅子に座り扇で顔を隠すように話しかける男の名は、皇帝シュスターク。

**********


 シュスタークは命令により遅くに帰還したラティランクレンラセオと非公式に面会をすることを望んだ。
「ラティランクレンラセオ」
「陛下」
 出来る限り人を排除するようにと命じ、室内には二人だけで。近衛兵は一見するとどこにも居ないような庭だが、そこかしこに潜んでいる。
 帝国宰相だけはこの場に居なかった。
 シュスタークが来てはならないと命じたのではなく、デウデシオン自ら足を運ばなかった。デウデシオンは誰よりもこの場面でラティランクレンラセオを《信用》していた。
 ザウディンダルが拷問用生物に襲われている映像を両方向に映し出される画面を見ながら、互いに眉一つ動かさず。
 悪びれもせず、取り乱しもせずに無い事もなかったかのように終えて去った両者。
 どちらも無駄なことを一切語らなかった相手に、最善の策は皇帝にあると判断した。その判断も手に取るように解った。
 下手に阻止をしたり立ち会ったり、また動いて余計な疑念を近衛兵に植え付けるのは、両者とも得策ではない。
 シュスタークはそれらの駆け引きと無縁の所にいる。
「ラティランクレンラセオ、そなたの息子ヤシャルのことだが、これからしばらくの間、大宮殿に置き父たちに養育を任せる。ヤシャルは暫定皇太子ゆえに皇太子としての教育も施したほうが良かろうと思ってな。王太子としての教育は初陣を果たした時点で終わったと見なした。良いな」
 これはヤシャル本人が望んだこと。
 信じてもらえないことよりも、自分が父親を嫌いになることを恐れ彼は離れたいと願い、
「異存はありませぬ。至らぬ息子ですが教育してやってください」
 シュスタークはその願いを受け入れた。
 シュスターク自身にもある感情。父親たちではなく先代皇帝であり、十五人もの兄弟を残してくれた母ディブレシアに対して持った複雑に折れ曲がり、だが折れた箇所はどれ一つとして千切れることもなく感情が通っている。
 彼女が自分に何をしたのかを完全に思い出したシュスタークだが、それでも彼女のことを嫌いになることができなかった。
 彼女に孤独を感じたわけでもなく、憐れと思ったわけでもない。ディブレシアという存在はそんな感情では言い表すことはできない唯一つの存在。
 シュスタークは《自分が持つディブレシアに対する感情を処理することはもうできない。すでに彼女が死んでしまっているからだ》だがヤシャルの父親はまだ生きている。
 この深き悩みを生きている間に片付けることが出来るように手助けできたなら……シュスタークは己の気が少しは晴れるのではないかと思い受け入れた。

 父の一人である皇君も「それがよろしいでしょう。死者と遺恨で血を通わせ繋がってもなににもなりませんよ」と後押ししてくれたことも大きい。

「……そうか。ラティランクレンラセオ」
「はい」
「僭主襲撃の際、ザウディンダルの身に起こったことについて何か言いたいことはあるか?」
「言いたいことは御座いません」
「そうか。では知っているか?」
「もちろん知っております。私の旗艦より発信された映像ですので、その責任は負います」
 嘘をつく必要はないので、ラティランクレンラセオはいつも通りの態度で答えた。
「誰もがそなたを疑っておる」
 シュスタークはラティランクレンラセオの嘘を見抜くつもりも、口を割らせるつもりもない。そのようなことをしようと考えているのであれば、近くにランクレイマセルシュなりカルニスタミアなりを置く。
「でしょうな」
「余個人として言わせてもらえば、やはり疑っておる」
「不徳の致すところです」
「そうかも知れぬが。だが余は皇帝だ」
「はい」
「案ずるな、余はそなたの味方だ。私人としては疑いを持つが皇帝としては微塵も疑っておらぬ。私人の判断は持ち込まぬゆえに安心せよ、ラティランクレンラセオ」
「……」
「もちろん余はデウデシオンの味方でありザウディンダルの味方でもある。余は帝国全ての味方であり、帝国全ての敵である。余はどれほど帝国に生きる者達に嫌われようとも、余は信じる。余はすべての臣民を信じておる」
「……」
「余は信じておる。帝国に存在する者達を」
「……」
「ラティランクレンラセオ、そなたが罪を犯したかどうかを判断するのは余ではない。余は判断を下してはならない存在だ。余の一言で決まるゆえに、余は判断しない。だから全てを信じる」
 ラティランクレンラセオは皇帝シュスタークを自ら殺害する策を用いることはない。能力的に勝ち目がないということもあるが、誰かにシュスタークが『皇帝』として殺害されるのは良いのだが、誰かが『ナイトオリバルド』を殺害しようとしたらラティランクレンラセオは守る。
「貴方は何時でも寛大で、強大な圧力をかける御方だ」

 この部分は誰も解らないラティランクレンラセオの心の最深部。

 ラティランクレンラセオが排除したいのはあくまでも皇帝シュスタークであって、ナイトオリバルド・クルティルーデ・ザロナティウスではない。
 だからキーサミーナ銃で単身で敵に挑んだ時も、僭主に襲撃された時も殺そうとした。あれは皇帝であったからこそ、ラティランクレンラセオは見殺しにすることが出来たのだ。
「圧力? 余がか?」
 私人として休暇を楽しんでいるナイトオリバルドが敵に襲われたら、ラティランクレンラセオは躊躇わず自らを犠牲にしても全力で守る。
 ラティランクレンラセオは私人としての『ナイトオリバルド』は嫌いではない。私人の嫌いではない部分が公人として最大の砦であり、強大さを持っていることは面倒だとは思えど嫌いではなかった。
「ラティランクレンラセオ」
「はい」
 誰もがシュスタークがラティランクレンラセオをなぜあれ程までに信用するのか? と疑問に感じるが、シュスタークだけしか知らないラティランクレンラセオが確かに存在しており、それをシュスタークは認めているからこそ、他者にはこの二人の関係が不可解な物に映る。シュスタークが本当に愚鈍であれば、ラティランクレンラセオのこの態度に気付くことはなく、信じることもなかっただろう。
「ヤシャルの結婚式には余を招待してくれるのだよな」
「もちろんに御座います。お后とご一緒にどうぞお出でくださいませ」
「余が初めて帝国から外に出たのは、そなたの即位の時だった。アーチバーデの崩れゆく城の美しさに涙したこと、今でも鮮明に覚えておる」
「ありがとうございます」
「ラティランクレンラセオよ、あの時のそなたは美しかった。美の化身の王家の王に相応しかった……下がれ」
「御意」
 ラティランクレンラセオの姿が扉の向こう側に消えたところでシュスタークは目を閉じた。

**********


 デウデシオンは腕の中で眠っているザウディンダルの幾筋もの涙の跡が残る寝顔に軽くキスをして、起こさないように注意してベッドから降りた。
 カーテンを閉めていない窓の外には、夜空が広がっているのが見える。一面に広がる星空に目を細めてから分厚いカーテンを引こうと手を伸ばしたが、その音でザウディンダルが目覚めては駄目だなと手を止めて手近にあったガウンを羽織り、隣室へと向かい装飾一つない、実用性だけを追求したコップに水を汲んで飲む。
「……」
 デウデシオンは水が僅かに残っているコップを置き、潜んでいるのか気付いて欲しいのか、どちらかはっきりしろと怒鳴りたくなる相手に近付き、本気の蹴りを放った。
 彫刻の影に半分隠れていたデ=ディキウレが、ぎりぎりの所で後方に飛び退きかわし、体勢を整えて微笑みながら、
「フルチンキックはくらいませぬぞ! 長兄閣下」
 揶揄したのか、事実を述べたのかこれまた先程の気配同様判断し辛い言葉を投げかける。
 デウデシオンはガウンを羽織っているだけのキックなので、デ=ディキウレの言っていることは正しいような、正しくないような。それ以上に追求する意味などあまりないということ。
「くらおうが、くらうまいがどうでもいい。デ=ディキウレ」
「なんで御座いましょうか? ちなみに録画した映像は返しませぬぞ」
「返せ。そしてその語尾はなんだ?」
「息子と仲良くした結果ですぞ。ハイネルズと親子仲良くハイネスト様のご帰還をお待ちしつつ、過去映像を楽しんだ結果にございますぞ!」
「そうか、息子かハイネルズか……ああそうか、ならばいい、ハネストですらなにも言うまい。それでは本題だデ=ディキウレ。先日陛下がラティランクレンラセオを不問にすると言われ、私も同意したが……后殿下を皇后にするための合意を四王から取り付けるという体裁で、あのラティランクレンラセオに復讐する。殺しはしないが、この私が直接手を下す」
 デウデシオンは心の澱でもあった「即位したい」という感情を完全に手放したことで、帝国宰相として今までよりも自由に、己の感情に自由に生きることができるようになった。
 その手始めが復讐というあたりが、デウデシオンらしいとも言える。
「よくぞ言ってくださいました! 長兄閣下。兄弟皆、この映像を前にその宣言を聞けば感涙にむせび泣き、賛成すること間違いなしですぞ!」
 デウデシオンがやる気ならデ=ディキウレは何処までも付き従う所存であった。忠誠と兄弟愛があり、なによりも面白いので。
 最後の項目があるのは兄弟の中ではデ=ディキウレだけだが、それが彼の強みとも言える。
「記録映像は返せと言っているだろう」
「嫌です。これがなかったら、誰も信用しませんぞ」
 ザウディンダルを抱いている最中に撮影されていることに気付いてはいたが、止めるよりも手の内にいる弟妹と自分の感情を優先させたため、記録されてしまったのだ。
「信用されずとも良かろう」
 阻止しようとしたら何時もと同じく、ザウディンダルをほったらかしにして追いかける必要があるので、最善の策を取ったのだが最善であっても憂いがないわけではない。
「いままでこれ程私たちに苦労をかけてきておきながら、信用されずとも良いと言うなんて、酷すぎますぞ!」
「あのな」
「ところで、本当に信用してもらえるとお思いですか? 今までザウディンダルに散々なことをしてきた長兄閣下ですよ。貴方さまのお口から”ザウディンダルを抱いた”って言って、信用してもらえると? 本気で思ってるなら、帝国宰相お辞めになったほうがいいですぞ!」
「……」
 記録を残すことを使命としているデ=ディキウレと料理が全てのアニアスはややこしい。話しかけながら、身に付けているだろう記録映像を探していると、
「兄貴? デウデシオン?」
 隣の部屋から親とはぐれて探し疲れた子のような、悲しさを感じさせる声でザウディンダルがデウデシオンの名を呼ぶ。
「ザウディンダル……とにかく映像は返せ!」
「みんなで見たら返しますとも」
「……どうした? ザウディンダル」
 文句はあったが寝覚めのザウディンダルを放置しておくのは良くないと、指をさして小声で注意しオレンジジュースのボトルと小振りなコップを持ち、急いで寝室へと戻った。
「ううん。兄貴が見えなかったから何処にいったのかな? って思って」
 ベッドの上で上半身を起こし、子供の頃と同じように笑い両手を差し出すザウディンダルを片手で抱き締め、
「目覚めたら喉が渇いているかもしれないと思い、隣の部屋から持って来た」
 持って来たオレンジジュースを軽く振って見せる。
「飲む」
「……」
 隣に座りコップに注いで渡し、ザウディンダルは大事に両手で受け取り僅かずつ飲む。飲み終えるまで横顔を黙って待つ。
「どうしたの兄貴?」
 飲み終えたグラスをザウディンダルの手から取り上げて置き、
「朝まで目覚めないと思っていたのでな」
 抱き寄せて首筋から鎖骨にかけて触れる。その口調と吐息に楽しげな笑いが含まれており、
「……」
 ザウディンダルは気を失う前のことを思い出して思わず俯く。
「次ぎは朝まで目覚めないようにしてもいいか?」
「寝坊しても……怒らないなら」
「誰が怒るか」

**********


 続きを撮影しようとしているデ=ディキウレの背後に立つ影。
「アーフィ」
「ハネスト様」
 妃が背後を取り、撮影機材も取り上げて背を向ける。
「初回だけで充分だ。ゆくぞ」
 ハネストが”初めて”の撮影を止めなかったのは、彼女は正式に認められたいのであれば、関係を持っているところを隠してはならないという認識を持っているためだ。
 僭主王族の末裔であった彼女は、帝室や王室と変わらない常識を持ち合わせている。
「畏まりました、ハネスト様。それでハネスト様、長兄閣下がケシュマリスタ王に復讐をするともうしておりましたぞ!」
「そうか。だが殺しはしないのであろう? ならば我の出番はないな」


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