繋いだこの手はそのままに − 201
 間違いなく初めての恋であったと……儂は言える。ザウディンダルにとっては、どうであったかは解らないが。
 ザウディンダルと過ごした日々で後悔があるとしたら、それは最初から諦めていたことじゃろう。デウデシオン・ロバラーザ・カンディーザーラが存在するから、いつの日か壊れてしまうと思いながらであったこと。
 その時は潔く身を引こう……などと、自分が傷つかぬことを必死に考えておった。
 初めての恋は、儂に己の弱さと狡猾さ、醜さに脆さ、それら全てを教えてくれた。それが次ぎに生かせるか? ……とは思わん。たぶん前の経験はなにも生かすことはできない。相手が違うのだから。上手く立ち回ろうとすれば、離れて行くような気がする。
 もしも経験を生かすとしたら、勝つつもりで行くということだけ。最初から綺麗に別れることや、相手の幸せを願ってなどという、物わかりの良さを盾に身を引く用意をしないこと。……だが出来るならば、次ぎは儂のことを好きだと言ってくれる相手とつき合いたいものだ。

 まだ現れぬ相手と、目の前にいる友人。

 これら様々な想い出は想い出のまま、これから新しい関係に踏みだそう。

**********


「これからよろしく」
「うん!」
「ただし、エーダリロクやビーレウストのような友人関係にはならんぞ。儂にあれを求めるなよ」
「うん。あれは無理だよ。あれはさ、同じ立場の王子同士だからなれるようなもんだろ?」
「……そうじゃな。それで……まずは手を離そうか」
「ああ」
 握手を解き嬉しそうに笑うザウディンダルに、カルニスタミアも何時もと変わらない笑顔で頷く。
 友人は恋人以上に周囲からの迫害も多いだろうが、二人ともそれは気にしてはいなかった。ザウディンダルが迫害や敵意をものともせずに友人になって欲しいと言ってきた。だからカルニスタミアもそれに応える。カルニスタミアにはそれに応える必要もあった。
「それで、儂からの頼みじゃがお前の出自は秘密にしておいてくれぬか?」
「え?」
「父王が刈り終えたとディブレシア帝に報告した一族が生きていたとなると、外聞が悪いのじゃよ」
「でも陛下は俺が僭主の末裔だって知ってるぜ」

―― 余は知っておる。聞いたのはつい最近だがな。余としては何も言えぬが、もしも真相を告げるとしたらカルニスタミアに告げよ。カレンティンシスに直接告げてはならぬ。デウデシオンとカレンティンシスが直接対決することになったら、余としては困るのでな。その点カルニスタミアならば……そうだ。

「陛下がご存じなのは良い。元々陛下に隠し通すつもりはない。儂から兄貴に説明して、二人で対策を練る。その際はリュゼクも交えるかも知れん。悪いようにはけっしてせぬ。なによりご存じの陛下が儂等に言わぬ状況から判断して、隠したいと考えておられるのじゃろう。騒ぎ立てて陛下のお心を乱すのは本意ではない」
「そういうことなら……でも、それで本当に良いのか?」
「なによりも、お前の代で終わりじゃろ? お前がお前の一族を滅ぼす、それで良い。責任を持って滅ぼしてくれ」
「それは約束する」
「任せた。そうだな、何か飲むか。召使いたちを全員下げておいたので、何も出て来ないのじゃった」
 カルニスタミアはベッドから降りて、近くの酒棚へと向かって幾つかの銘柄を取り出し、グラスをトレイに乗せる。
「あのさ、カル。お前のことだから気付いてるだろうけど……キュラお前のこと好きだろ。俺が言うのもおかしいけど、気持ちを受け取るか受け取らないかを……」
「…………」
 酒を注いだまま首を動かしてザウディンダルを凝視するカルニスタミア。手元の注ぐ酒は止まらず、グラスから溢れ出してテーブルからも滴り落ちる。
 足音を吸う絨毯は、滴る酒も吸い込んでゆく。
 カルニスタミアの表情は「ザウディンダルが僭主だ」と聞いたときとは比べものにならないほど、心底驚いていると誰からみても明かな表情であった。
 整った顔は崩れていない。優男だと言われる雰囲気も失ってはいない。
 だがカルニスタミアにはあるまじき状態で制止してしまっている。口が半開きで両目を大きく見開き、右側だけの眉が大きく上に上がっている。形の良い眉が”あんなに動くなんて”ザウディンダルは初めて知った。
「え……まさか……」
 カルニスタミアはキュラの気持ちなど全く気付いていなかった。だが思いだしてみると、カルニスタミアにも納得できるような箇所が幾つかあった。
―― そう言えば、ザウディンダルのあの事件のあと……
 カルニスタミアが倒れているザウディンダルの心臓を踏み抜いて止めを刺したことを「黙っている」条件は、三日ほど《恋人のふりをしろ》というものだった。
 その時カルニスタミアは深く考えなかった。それというのも、当時のキュラは精神的に不安定だったので「一緒にいて落ち着かせるように」とエーダリロクから指令が出された先での「出来事」だったためだ。
 だが自分のことを好きだと仮定すると、それはまるで違う様相を呈してくる。
「カ、カル。零れてる」
 ザウディンダルの《お前のことだから気付いてるだろうけど》の台詞からするに、相当はっきりと好意を露わにしていたらしいこと。エーダリロクはともかく、ビーレウストは気付いていると見て間違いないこと。
 ザウディンダルにややきつく悪戯していたのは、自分との関係に対して……考えれば考える程、なにかに”はまって”いるような気がしてならない。
「……」

 今度は好きになってくれた相手……キュラか? キュラティンセオイランサなんだな

 ”自分のことを好きになってくれた相手を好きになってみよう”先程そのように決めていたので、カルニスタミアは混乱した。自分のことを好きになっている男性がいるとは、思ってもいなかったのだ。カルニスタミアは不特定の女性を想像していたのだ。
 普通の男は”そう”だろう。
 これほど混乱するのならば、聞かなかったことにして、新しい相手を探せば良さそうだが、生来の頑固さから自分の決めたことを覆すことが許せず、その上ある程度関係があるので不快感がない。拒否する必要がない、そうカルニスタミアは自分で結論付けた。
 ただ他者の方が先に気付いていたというのが、かなりカルニスタミアの精神にダメージを与えた。”儂は随分と鈍感なようじゃなあ”と、思考が徐々にゆっくりになりつつ、過去に戻って行く。キュラティンセオイランサと初めて出会ったのは何時だったか? を、思い出すために。

―― あれは、たしか父が死去して……兄にラティランクレンラセオのことろに行けと言われた……まさかな、まさかそんな昔から儂のこと好きではないよな? そこまで自惚れる必要はないじゃろう

 十五年も昔のことを思い出して、違う! 違うと自分に言い聞かせているのだが、キュラがカルニスタミアのことを好きになったのは、その”まさか”は的中していた。キュラが十三歳、カルニスタミアが八歳の時。その時からずっと、途切れることなくカルニスタミアのことを見ていたのだ。
 思い出せば思い出す程”あれも、これも。もしかしたらあの時も……儂の婚約者候補を強姦したのも、それか? それが原因なのか”と。
 キュラの態度は決して優しいものではなく、苛烈で殺しも強姦もやってのけている。それを知っているカルニスタミアとしては、原因の幾つかが自分にあるとなると……酒瓶をテーブルに置き、カルニスタミアがゆっくりと床に崩れる。音もなく崩れたあと、頭を抱えて硬直する。
「カル、大丈夫……じゃないよな!」
 ザウディンダルは急いで立ち上がり、傍によって肩を貸してベッドへと連れ戻そうとしていると、
「あのロヴィニアとエヴェドリットの馬鹿王子どもは!」
「落ち着いてくださいませ、カレンティンシス殿下。あの二人があのような状態なのは、今に始まったことでは」
「解っておるわい、プネモス!」
 扉が開き、カルニスタミアと同室のヒステリー王ことカレンティンシスが帰ってきた。
「おお、レビュラか。ところでカルニスタミアはなにおしておるのじゃ」
「大変なんです! カルが! いや、カルニスタミアが突然倒れて」
「何じゃと!」
 プネモスがカルニスタミアに近寄り、
「殿下、カルニスタミア殿下」
「……」
 両肩を掴んで揺するが返事がない。それどころか、揺すられるままになっている。
「何事じゃ! 医者呼んでこい! あの、ロヴィニアの馬鹿王子でも! うあああ! 何事じゃあ。やっと容態が落ち着いたとおもったのに!」
「……」
 ザウディンダルはプネモスにカルニスタミアを渡して下を向く。それしかできなかった。原因が自分の発言にあるとはとても言えず、言ったらキュラに迷惑がかかるとやはり言えず。
「……」
 本当に気付いていなかったカルニスタミアを前に、自分が僭主であると告白したときの余裕に疑いすらもてなかった。もっともザウディンダルは両性具有なので、ほとんど人を疑うことができないのだが。
「カルニスタミア! 儂が解るか、カルニスタミア!」
 ベッドに座らされ視点が虚ろだったカルニスタミアだが、カレンティンシスの問いに目に光りが宿り笑顔となった。
「兄上様!」
 十年以上も前に呼ばなくなった呼び方を、それも笑顔で発する。
「はあ?」
 言われた方は久しぶりに聞いた弟の「兄上様」呼びに、頬が緩みかけたのだが周囲に人がいるので、無理矢理顔を戻して口が引きつり、目もまるで憎憎しげに睨んでいるようになってしまった。カレンティンシスは表情を繕うのが下手である。
 どう見ても睨んでいる状態のカレンティンシスを前に、
「兄上様、お顔恐いです」
 明かに態度が幼児のカルニスタミア。223pで142sの成人男性(それも骨太)が、握った手を口元にあてて、シーツを掴んで隠れる素振り。
「……」
 最後の一押しをしてしまったザウディンダルは、どうしていいか解らず混乱したままその場に立ち尽くしていたが、
「この事は内密に。そして引き取ってください」
 プネモスに背を押されて無事に、怪しい空間から脱出することができた。

―― ごめん、カル……

「でも……どうしようかなあ」
 ザウディンダルとしてはキュラのこと以外にも、カルニスタミアに是非とも相談に乗って欲しいことがあった。部屋へと戻り服を脱いで鏡の前で溜息をつきながら、乳首に張ったテープと布を剥がす。
「この胸から出て来る白い液体どうしたらいいか、相談に乗って貰おうとおもったんだけどなあ」
 ザウディンダルは出かける前に胸を摘んだところ白い液体が出て思わず「乳首から精液?」自分の性質から精液だろう! と勝手に間違った判断を下し、ロガに自分の体液を触らせるわけにはいかないと部屋を後にしたのだ。

 人生に―― もしも ―― ないと言われるが、あえて《もしも》の話をしてみよう。カルニスタミアがザウディンダルから、キュラの好意を聞かされて耐えたとしても、この”乳首から出て来る白い液体”を前にしたとき、彼はやはり壊れたであろう。

 部屋に戻りテープを剥がしていると、
「ザウディンダルさん? どうしたんですか? 怪我でも」
 ロガが部屋へと戻ってきた。テープを剥がした胸を手で覆い隠しながら”まずい、まずい”と助け船になるかならないかは不明だが、シュスタークの行き先を聞く。
「あ、后殿下。あの陛下は?」
「ナイトオリバルド様でしたらアニアスさんと一緒に……」

 検査の結果ザウディンダルの乳首から出ているのは、もちろん”母乳”

「うわー! 母でもないのに母乳とか! ありえないだろ!」

 ザウディンダルは上半身裸で頭を抱えて否定したが、事実は事実である。
 後から話を聞いたシュスタークは”胸から精液が出て来るよりかは、母乳のほうがマシではないか”そうは思ったが、女性でもなく男性でもなく妊娠も出産もしていないけれども母乳という、非常にデリケートな事案を前に無言にならざるを得なかった。

**********


 一般兵士に与えられるスペースは小さく狭い。テルロバールノル王の旗艦に搭乗している一般兵たちは、五人部屋が与えられる。ベッドの狭さに不満を持つ者は多数いたが、いまは余り文句を言う者はいない。
 とある兵士の五人部屋の一スペース。ベッドから床に髪が溢れ出して居る場所がある。
「よお、ビーレウスト」
「おう、エーダリロク」
 一般兵士用の部屋に滞在しているビーレウストのところに、これまた別の一般兵士用の部屋に寝泊まりしているエーダリロクが尋ねて来た。
「発狂してないか、ビーレウスト」
「近々寝不足で発狂する予定だぜ」
 立ち上がり個人に与えられた折りたたみ椅子を開き、エーダリロクを招き入れる。周囲にいる四人の一般兵士は急いで部屋から出ていった。
 そうこの五人部屋、四人はごくごく普通の平民が寝泊まりしているのだ。あとの一人は残念なことながら先の会戦で戦死して、私物は戦死者管理局の方で回収したのでスペースが一つ分空いていた。そこに「ここで良いか!」と、ビーレウストがやって来て滞在しはじめたのだ。
 ”なんで王子が一般兵士の区画に!”と、それらを管理する部署へと走ったのだが、他家の王子がそこで良いと言っている以上なにも出来ず。
 ビーレウストとしてはカレンティンシスから言われた兵士の見張りに適した場所だということで、そこに決めたのだ。迷惑極まりない男の行動は、それだけでは済まなかった。元々ビーレウストは人の気配がするところでは寝られない男なので、ベッドの中に入っている時でも目は開いたまま。
 エーダリロクに”寝不足で発狂する予定”と冗談めいて言うのだが、一般兵士たちには冗談には聞こえない。もちろん発狂しなくても危険な男だということは充分知っている。


 エーダリロクとビーレウストがカレンティンシスから与えられた区画に寝泊まりしていないのは、カレンティンシスの怒鳴り声にビーレウストの耳がやられる……のではなく、あの区画に滞在していると、必然的にカレンティンシスと一緒に食事をすることになる。
 これが二人には耐えられなかった。
 行儀が悪いこと、礼儀がなってないことは自分自身が良く知っている二人。もちろん二人とも、大宮殿で皇婿に礼儀作法を習っているので解ってはいるのだが、だらだらと好き勝手に食べることを覚えてしまった二人には、マナーその物の王との食事は耐えられず、さっさと逃げ出したのだ。
 もっともカレンティンシスが叱るのも当然で、二人ときたら口に大量のパスタを突っ込んではみ出させてみたり、サーロインステーキを切らずに口に詰め込んで肉を堪能。器に口をつけて五人分のスープを一気飲み、そして誤飲。口から吐き出せばいいものを”勿体ない”と床をのたうち回る……など、王子のマナーとしてどうか? 以前に、人としてどうか? といった食事作法。
 これを許している王二名が叱責されるのは確実だった。
 ただ叱責されても王二名は「肉は大量に口に突っ込まないと食った気しねえ。それに我等は噛みつくから、口が大きく出来ていて普通の料理が食い辛い」であり「どんな食い方をしても残さず吐き出さなければ良しだ! 料理にケチつけて捨てるお前に言われたくない」で終わってしまうのだが。


 王達の攻防はさておき、被害を被っているのは一般兵士たちである。
 だが本当に被害を被っていないので、嘆願のしようもないのだ。暴れて施設を破損するなり、賭けの胴元になるなりの犯罪行為があればどうにかなるが、存在自体が犯罪のような王子たち二人はそれらはしていなかった。
 そんな一般兵士たちの気持ちなど全く知らず、二人は共同浴場に向かう。こちらも一般兵用で、狭い区切りにシャワーだけのものだが二人は気にしない。
 この艦はカレンティンシスの艦で、搭乗しているのはテルロバールノル王国軍。要するにテルロバールノル王国の者だけ。選民意識の塊の頂点に立つ王族を王として崇める彼らの感覚からすると、この二名の王子は王子には思えず、貴族にも思えない。だが見た目は完璧にエヴェドリットとロヴィニア。
 共用の無料シャンプーで髪を洗って、同じく無料のボディーソープで身体を自ら洗ってブースから出て来る。上級貴族よりも上に属するのがはっきりと解る手足の長さに、左右違う瞳の色。それも正式な配置……と揃いに揃っているのだが。
 この二人を共同浴室でどちらが王子らしいかを問えば、誰もがビーレウストと返すだろう。理由は簡単、ビーレウストは腰にタオルを巻いてブースから出て来るのだ。対するエーダリロクはタオルを肩にかけたまま。要するに全裸、あるいは丸出し。
 性別分けされている場所なので、全裸で出歩いても良いには良いのだが、一応は王子である。それも皇帝の従兄で宇宙に名だたる童貞で天才。
 元皇后候補だった妃から四年も逃げている、宇宙でもっとも有名な童貞王子。
 童貞を差別するわけではないが、童貞で有名な王子の全裸を見るのは、彼らとしても辛かった。なにがどう辛いのかは、彼ら一般兵士にも解らないのだが、童貞王子の全裸を見るのは言葉にできない感情があった。それが恋ではないことだけは、彼らは言い切れる。そのくらいしか言うことができないでもいた。
「フルーツ牛乳一本! ビーレウストも飲むか?」
「貰うか」
「じゃあ二本」
 頼むから早く帰って下さいという視線を意に介さない二人は、そこでフルーツ牛乳を手に取る。
「どうした? ビーレウスト」
「あん? いやな、陛下の足音がこっちに向かってる。俺たちに用だろうかな」
「浴室じゃねえ」
 なぜ皇帝陛下が一般兵士の浴室に用事があると考えるのですか! 周囲にいた者たちは思ったが、言うわけにもいかないので黙っていた。
「入るぞ」
 アニアスを連れてやってきたシュスターク。まさか本物がやってくるとは思っていなかった兵士たちは、どうしていいのか解らないので、取り敢えず動きを止めた。
「陛下。どうなさいました」
 腰にタオルを巻いてフルーツ牛乳を持っている、美形だがそれは人相の悪い王子が声をかけ、
「陛下! いい音しますよ」
 フルーツ牛乳の瓶を口にくわえて胯間の間に濡れタオルを勢い良く渡して、軽快な音を立てる目つきの悪い王子。
 自国の王子、特に貴公子として有名なカルニスタミアでは考えられない行動を前にして、

―― 儂等の王子が一番じゃ

 心底思ったとしても彼らは悪くないし、思われても王子二名はなんとも思わない。

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