繋いだこの手はそのままに −182
ザウディンダルが扉が開くと栗色の光沢のある髪と、緋色と黒のテルロバールノル王国軍のマントが乱れ舞わせながらリュゼクが正面から飛び込んできた。
ザウディンダルはリュゼクを受け止めて床に置く。
「扉が開くとは」
腫れ上がり元の顔が全く解らなくなってしまった状態のリュゼクと、口の端が切れている程度のディストヴィエルド。
ザウディンダルは息を飲んだが、ここで引くわけにはいかないと、ディストヴィエルドから視線を外さずに、片手でミスカネイアから貰った治療薬を握り、歯が全部無くなったリュゼクの口に押し込み、近付いてきたディストヴィエルドを睨み付けた。
「なんのつもりだ? 両性具有」
「少し待ってろよ。お前じゃなくて、このリュゼク将軍……いいや、デーケゼンに言っておくことがあるんだ」
治療薬の入っているバッグを降ろし、錠剤をリュゼクの頭部周辺にぶちまけて声を掛ける。
「聞こえるか?」
耳は右側だけが聴力が回復していたリュゼクは、頷くことはできた。
”なぜ扉を開いたのか?”叱責しようとしたリュゼクだが、口の中は腫れ上がり呻き声すら漏れない状態。
ザウディンダルは治療薬を注入して、注入器をリュゼクの傍に置いて立ち上がり、皇帝の剣の鋒をディストヴィエルドへと向けた。
「まさか我と戦うつもりか? 両性具有が」
「そのつもりだと言ったらどうする? 僭主」
ディストヴィエルドは手で顔を押さえて大笑いした。
「両性具有ごときが、相手になるとでも?」
ザウディンダルはその嘲笑を前に退路を断つ。
「デーケゼン。俺の名はザウディンダル・アグディスティス・エタナエル。紛れもない両性具有だが、もう一つの存在がある。男でもない女でもない、その存在の名はベル公爵ハーベリエイクラーダ」
もっとも明かしてはならないだろう相手の前で、ザウディンダルはその名を叫ぶ。
―― なんじゃと……ウキリベリスタル王の時代に殲滅したと。ハーベリエイクラーダ王女の末裔は殲滅したと
見下し楽しげに笑っていたディストヴィエルドは笑いを収めて、ザウディンダルをみつめる。
「おもしろいことを言うな、両性具有」
「手前に言ってんじゃねえよ。俺はデーケゼンに言ってるんだ。これは兄のパスパーダ大公から直接聞いた。ロヴィニア側でも掴んでいる。だから信じろ、そして俺を刈りに来い」
リュゼクはザウディンダルが何をしようとしているのかを理解して、立ち上がろうとするが体は全く言う事をきかない。
この回復の弱点である、内臓機能を優先してしまい、手足の骨折や筋肉の断裂の回復が全く行われていないため、動くことができない。
「テルロバールノルにしてアルカルターヴァ。他の王家の僭主に自王家の僭主が殺されるのを黙って見てはいられないのがお前達だ。俺を刈る為には回復する必要があるだろう? それまでの時間を俺が稼いでやる」
ザウディンダルは右手に剣を持ち鋒をディストヴィエルドに向けたまま、徐々に間合いをつめて《格納庫》から出ようとしていた。
「でもな、デーケゼン。俺は両性具有だ、生殺与奪は陛下の手にある。だから陛下から許可をいただいて戻って来い」
言いながらザウディンダルはリュゼクに振り返ることなく、格納庫の入り口から出て扉を後ろ手で閉める。
扉が閉まる瞬間に”きゅるり、きゅるり”とS−555改が出て行ったが、それに注意を払うものはいなかった。
扉が閉ざされ、目の前にはザウディンダルが”飲め”とばかりに広げた回復薬。
リュゼクは必死に頭を動かし床に口を直接つけて薬を噛み飲み込む。
―― レビュラがハーベリエイクラーダ王女の末裔で、陛下に許可をいただけじゃと?
ザウディンダルはリュゼクに回復の後に逃げろと言ったのだ。誇り高きテルロバールノル貴族に両性具有が逃げろといった所で聞く筈もない。
だがその両性具有が僭主であれば、動きも変わるだろうと。
リュゼクは有能な軍人であり、僭主狩りにも関わっていることを知っているザウディンダルは、自分の発言が嘘ではないと”思い当たるだろう”と考えて告げた。実際リュゼクはザウディンダルの言ったことを否定できなかった。
ザウディンダルが生まれる一年ほど前に、現在は廃止された王族爵位ベル公爵位を所持していたハーベリエイクラーダ王女の末裔が滅亡したとはっきりと書かれている。
―― レビュラがハーベリエイクラーダ王女の末裔であれば、帝国宰相が異父兄弟の父方の系譜を消したことも頷ける
「う……ああ……」
リュゼクは動かない体に泣きながら、
―― 誰が、誰が……僭主と言えども儂等の王女の末裔。それをあの薄汚れた僭主の手に掛けさせるものか! 儂等の王女は儂の主たるテルロバールノル王家の御方以外が触れて良いものではない!
自らの全身に”治せ”と叫ぶ。逃げろと”命じられた”ことは解っても、彼女はそれに従うつもりはなかった。彼女に、リュゼク・フェルマリアルト・シャナク=シャイファに命じることが出来るのは二人だけ、テルロバールノル王にしてアルカルターヴァ公爵と皇帝のみ。
「勝負になると思っているのか? 両性具有」
「黙れ。少なくとも俺の手には皇帝の剣はある。その点で貴様より、皇帝の座に近い場所にいる」
「たしかにそうだな。エヴェドリット王子ビュレイツ=ビュレイア系統僭主ディストヴィエルド=ヴィエティルダ。勝負を申し込もうじゃないか」
「テルロバールノル王女ハーベリエイクラーダ系統僭主ザウディンダル。受けて立つ」
―― 逃げてくれよ、リュゼク将軍
両性具有だから殺されないかもしれないが、相手がエヴェドリットである以上殺されるかもしれる可能性も高い。そんなことを思いながら鋒を向けた時、ザウディンダルは自分が心の底から幸せだと気づいた。
なぜこの瞬間に、自分が幸せで愛されているのかが思い浮かぶのか? 不思議に感じたが、同時に死の恐怖も襲いかかってきた。
“最後の日の光を僅かに残した、だが確実に闇夜に向かう空の色を思わせる帝后の瞳。黄昏より始まりし帝国の日が沈み夜が訪れた。帝国暗黒時代の始まりである”
そのように書き記された藍色の瞳。
ならばその瞳が次に観るものはなにか? それは深い闇が白みゆく世界。その世界を見る為にも、ザウディンダルは踏みとどまった。
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―― となれば、僭主側に属している「人間」も少なからず艦内に存在しておるということじゃな
通信を途絶させて、行動不能を引き起こす帝王の咆吼を阻止しているのは人間であるとカルニスタミアは推測した。
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シュスタークとロガの二人は、移動用のシャトル便に乗り込んだ。艦内を移動する手段として用いられる、専用レールの上を走行するものだ。
乗り込みエーダリロクから借りた小型の地図に登録していた行き先を入力し、車両の壁を背もたれにする区切りのない座席の中程から少し後方にずれた辺りに二人は座った。
「あのな……ロガ」
車両に窓はないが、圧迫感を与えないようにと、車両内には音楽が流れ、緊張をほぐす映像が映し出される。
普段は効果があるが、この惨状下では音楽と映像は、緊張をほぐすどころか寒々しさを感じさせてしまう。
「はい?」
シュスタークに降りかかった悩みは大きい。
「あの……」
ザベゲルンと対面したロガに「全て」を告げなくてはならないだろうと覚悟を決めたのだが、どのように説明していいのかが解らず俯いてしまう。
無言になったシュスタークを見つめていたロガは、胸の放射線測定シートを観た後、
「ナイトオリバルド様。ヘルメット外してもいいですか?」
笑顔でフルフェイスのヘルメットに手をかけた。
―― 大丈夫か?
《奴隷の胸元の測定値を見ろ。それに空調回復放送も聞いただろ》
「ああ。余が外そう」
「お願いします」
基本は初代のヘルメットと同じ作りなので、
「外れたぞ」
シュスタークでも簡単に留め具を外すことができる。
頭上にゆっくりと引き上げたヘルメットの中から零れる、柔らかさを感じさせるロガの金髪。
「ふう……息苦しくなんてなかったのに、ヘルメット外すと深呼吸したくなります」
頭を軽く振りながら、息を吸い込んだロガの笑顔に、シュスタークもつられて笑う。
「たしかに息苦しく感じるな」
「ありがとうございます」
ロガはヘルメットを持ちます、と手を伸ばしたが、シュスタークは自分が持っているからと言い、ロガが座っているのとは反対側の小脇に抱えた。
「ナイトオリバルド様」
座席にのぼり膝を立てて、ロガはシュスタークに顔を近づけて、
「あとで良いですよ。ナイトオリバルド様」
額に額をあわせて”悩んでいるだろう”ことに触れずに、優しく控え目に意見した。
「絶対言うから。全部告げるから……ちょっとだけ時間をな……」
「はい。待ってますから」
どちらかがもう少しだけ動けばキスできる距離だが、二人ともそれ以上は動かず、ただヘルメットを抱えていない方の手と、銃を持っていない手を握り締め合う。
《安心しろよ。この状態じゃあ、嫌いになったりしねえよ》
―― それはまあ……その……ああ、何と告げれば良いであろうか
自分が皇帝であることを最初にロガに告げたのは帝国宰相で、シュスタークは大事をいまだはっきりと伝えた事はない。
”それではいけない、自分で全てを告げるのだ”と考える。ロガに握り締められている手の感触。シュスタークの手のひらの三分の一程度の小さな手、それも直接触れているのでもないのに、温かさや柔らかさが伝わってくる。
額に触れている温かさと、小さな手のひら。
「あ、到着するみたいですね」
離れた時に揺れるように動く髪。
物足りないと感じつつ、立ち上がり握りあっていた手を再び握り下車した。
「おお、そうだな」
二人は目的地近くの停車所で降り立ってから、地図を見ながら近付いてゆく。
「これは誰ですか?」
皇帝の剣とエーダリロクの近くにある《生体コード》
「このコードは解らん。格納庫の中にいるようだが。格納庫も出入りは自由ではなから、エラーであろう」
「そうなんですか」
華々しく人々の目に触れることが《責務》であるシュスターク、その皇帝が決して歩く場所ではない格納庫裏に向かう通路。
剥き出しの骨組みと、
「うわあ、落ちたら大変そう」
底が見えないほどの吹き抜け。
「ロガ危ないから、こっちへ。手すりがあるとは言え、そこから落ちたら大変だ」
《人間だったら簡単に死ぬからな》
シュスタークは扉の開いたエレベーターに乗る。
「珍しいですね」
誰もが”古めかしい”と感じる、塗装剥げているエレベーター内を、ロガとシュスタークは興味深く見回した。
「ここで降りるぞ」
「はい」
二人は手を繋いでエレベーターを降り、画面を再度見る。
「その陰あたりのようだ」
目の前の吸い込まれそうな吹き抜けと、反対側のギャラリーの間にある通路。角度のついているその先を地図は示していた。
「なんだ?」
向かおうとしていた先から聞こえてきた、機械音と聞き慣れない音に、シュスタークはロガを庇う。
庇いながら音が何かを確認しようと見つめていると、角から現れたのは、
「清掃機ですよ、ナイトオリバルド様。あれ? あの剣」
現れた清掃機は、シュスタークの剣を塵運搬用のトレイに乗せながら近付いてきた。
「……まさか! ロガは此処で待っていてくれ!」
シュスタークは駆け出し、剣を掴むと死角とも言える角を曲がり、
「ザウディンダル!」
”誰か”にのし掛かられているザウディンダルを発見し、持っていたロガのヘルメットを投げつける。
首を絞められて声も出ない状態になっているザウディンダルと、振り返った首を絞めていたディストヴィエルド。
「ヒドリク!」
そのディストヴィエルドの頭にぶつかったヘルメットは、粉々に砕けて周囲に飛び散る。ザウディンダルの首から手を離し振り返ったディストヴィエルドだが、その時すでにシュスタークの剣はディストヴィエルドの首に食い込んでおり、銀髪と共に音もなく切り落とされた。
ギャラリー側に転がった首は、顔を歪めて”体だけ”を動かす。
「攻撃?」
司令塔であるはずの頭を失っても、的確に動く体に”自分たちの特性”を知ってはいても、驚きを隠せないシュスターク。
《異形の系譜だ、当然のことだろ。倒すよりもまずは、安全確保だな。体をその吹き抜けに突き落とせ》
それに冷静に指示を出すラードルストルバイア。
「うおあああああ!」
”シュスターク”は叫びながら、渾身の力を込めてディストヴィエルドの「体」に拳を入れて、手すりまではじき飛ばし、駆け寄って両足をすくい上げて吹き抜けへと落とした。
「げほ……ぐっ……」
「ザウディンダル! 大丈夫か? ロガ、こっちに来ても大丈夫だ!」
シュスタークは顔のあちらこちらに殴られた痕跡があり、首にどす黒い指の痕が残ってるザウディンダルを抱き締めた。
「無事で良かった」
シュスタークに声をかけられたザウディンダルだが、喉がつぶれかかっていて咄嗟に声が出ない状態。
「大丈夫か?」
その声に緊張の糸が切れ、身体中から力が抜けてゆく。
抱き締めているシュスタークの肩越しに見えたロガの笑顔に「ああ、后殿下が無事で良かった」と、泣き出したくなるほどの安堵に意識が押し潰されそうになった。
呼ばれて来たロガは、隅に転がっている銀髪の首と、
「よかった! 無事でよかった!」
ザウディンダルを抱き締めて、本当に喜んでいるシュスタークの後ろ姿を見て、助けに来て良かったと実感した。
何故か足元を”きゅるきゅる”と音を立てて付いて回っている清掃機に視線を落とした時、その輝き周囲を映し出す機体の背に「人」が映っていることに気付いた。
ロガはその方向を見上げる。
ギャラリー側に立ち、自分たちを見下ろす形となっている少年。
キャッセルの稚児と言われるサーパーラントは腰から銃を抜き、ロガに向けた。
彼の持っている銃では胴体と切り落とされたディストヴィエルドの頭を撃ち抜くことも、ザウディンダルを抱き締めているシュスタークも撃ち抜くことはできない。
ザウディンダルはシュスタークの陰となり狙えず。この場で彼の銃で殺害できるのはただ一人。奴隷の少女、ロガ。
彼はロガの眉間に照準をあわせ、引き金に指をかけた。
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