繋いだこの手はそのままに −16
昼である。
だが、今日はいままでの二日間とは違う! 昼であっても今日は『昼前』に来たのだ。
昼食持参で参った。娘と一緒に昼食を取りつつ、謝罪するのだ!
「ロガ」
「こんにちは、ナイトオリバルド様」
ロガは妙な物体にブラシをかけておった。犬のようにも見えるが、随分とくたびれたような物体である。生物であるのには間違いないようで、余を見上げて直ぐに興味を失ったように頭を降ろした。
「何だ? これは」
「え……」
ロガは吃驚した顔で余を見上げる。
「いや、その見慣れぬ生き物なのでな。犬のようにも見えるのだが、別の生き物にも見えるのだ」
「あ、犬ですよ。ボーデンって言うんです。すっかり年取っちゃった、おじいちゃん犬ですけど。本当の飼い主は私じゃなくてゾイなんだけど、ゾイは仕事が忙しいし官舎じゃ飼えないからって」
そういえば飼い犬がいるとは聞いておったが、犬? 犬って……
「ロガ。一つ聞いても良いか」
「はい。私なんかで答えられる事なら」
「犬は歳を取るものなのか?」
「…………」
桜が舞っておった。この舞う桜の花弁を見ると、何かを思い出す。何であろうか……デウデシオンが『解りました』と言った、何かを……
「これ、食べてもいいんですか!」
「ああ、思う存分食するが良い」
ロガは渡されたバスケットを開き、嬉しそうな声をあげておる。
犬な……動物が歳を取ると、余は今始めて知った! 余の周囲におる動物は、どう見ても何時も同じ。若い動物だけを周囲においておるのであろう。歳を取るのは人間だけだと思っておった。動物は皆若いままで死ぬのだとばかり。
……実際、殺されておるのかも知れぬが……殺されておるであろう……
「どうしました?」
「なんでもないぞ!」
落ち込んだり、どこか痛いような素振りをみせれば再びタバイが血相変えて走ってくるであろうからして、落ち込むな! 戻ってから聞けば良いのだ! 誰もが余の問いには答える! 勝手な憶測で落ち込むのは、唯でさえ愚かである余の思考を、もっと愚かしくしてしまうであろう。
「ナイトオリバルド様。あばら屋ですけれど、よろしければ中で食べませんか?」
確かにあばら屋であるが、少々興味もあるな。庶民の家に……待て! 確かロガは一人暮しではなかったか? 若い娘が一人で住んでいる家に男が(それもマスクで顔を隠しておる)上がりこむのは、倫理的にも道徳的にも!
「いや、外で食べようではないか」
「はい」
「良いか! お前の家に上がりたくない訳ではない! 訪問したい気持ちはあるが、お前は一人暮らしであろう、ロガよ!」
「はっ、はい……」
「一人暮らしの娘の家に、男が上がりこんでは、あらぬ噂が立つ原因となる。お前も年頃の娘であれば、そのような噂を立てられるのは避けたいであろう。よって、外で食べることにいたったのだ! 家には上がってみたいぞ。だが、倫理的にも道徳的にも同義的にも観念的にも具体的にしても……混乱してきたが! と、とにかく! もっ! もちろん! 余はお前に触れようとは思っておらぬから、それらに関しては」
肩を掴んで力説してしまった。
ただ、力説ではあるが支離滅裂でもある。ロガは微笑むと、
「もちろんですよ。ナイトオリバルド様、そんな事なさらない方だと思ってご案内をしたのです。それに、私はあまり男の人にそんな風に見られたりしないんで」
「食べるぞ!」
顔の事を言っているのであろうな。思いつつ、余は持参したフォークで一口サイズに切り揃えられた料理を口に運ぶ。
「口に合うか? ロガ」
「はい」
良い表情で食しておる。
他人と食事などしたことは無いが、余は食事をする際にこれ程の笑顔になった事はない。
もしかして、これが美味しそう! という顔なのであろうか? だとしたら、良いな!
「外で食べるのも良いものであるな」
ずっと、その笑顔で食べていてくれぬであろうか……いや、胃に悪いか……。
「貴族様って桜が嫌いだとばかり思ってました」
何故だ? そういえば、桜は知っておったが……余の周囲には桜はなかったような。余が桜を見たのは何時であったか?
「何でも、今の皇帝陛下は桜がお嫌いだってゾイが言ってました。五歳位の時に、帝星の桜の木を全部捨てたって。その木がこれだって聞きましたよ。だから、皇帝陛下の部下? ですっけ? その立場の貴族様もみんな嫌いなのかな? って」
余はフォークを銜えつつ硬直した。
そうだ! 五歳の時、桜の木から余の頭に毛虫が落ちてきたのだ! その毛虫が偶々毒蛾の幼虫であった為(何故そのような昆虫がそこにいたのかは不明である)、それと触れてしまった顔が腫れた、あれは痛かった。あれは余の最も幼き日の記憶である。あの痛烈な痛み!
直ぐに治療を施されはしたが、毛虫が落ちてきた木が嫌いになった。あの木に綺麗な花(桜の事である)が咲いていた。散って寂しくもあったが再び咲くと教えられ、何時咲くか楽しみにして毎日のように近寄っていた時の出来事であったゆえに、ショックも大きく余の言葉は暴君レベルに達したのだ。
『あの木嫌い! デウデシオン! あの木全部どこかに捨ててくれなきゃやだぁ!』
『解りました』
……此処に捨てたのであろう……。
余も十五歳を過ぎた頃からは、己が発言力の強大さを感じるようになり言葉を選ぶようにはなったが、それ以前は結構適当な事言っておった。『あのお星様欲しい!』など叫び、改領させた事もある。
欲しいと指差した星が存在していた空間はテルロバールノル領であったのだ。よってテルロバールノル領と皇帝領を交換した……その後、帝星から見える範囲の星がある空間は全て皇帝領となった……。何もそこまで徹底してくれんでも、デウデシオンよ。
五歳の頃か、銀河帝国皇帝の意味も解らぬ頃であるな。父に抱かれて玉座に座っておったはずだ。
「ナイトオリバルド様。喉詰ったんですか?」
「あ、いやいや。平気である」
この桜が、その時の桜かどうかは知らぬが、とりあえず戻ってから聞いてみよう。
今はロガとの食事に集中せねば。そ、そうそう! ロガは貴族は皆、桜が嫌いだと思っておるようだ。先ずはそれを訂正せねばなるまい。
「ロガ、貴族は別に桜嫌いではないぞ。それに、皇帝も嫌いではない。ちょっとした行き違いだ」
桜よ、もしも余の庭から排除されたのであるならば、悪かったな。
だが、あの頃は己が権力の大きさを知らなかったのだ……お前達が好きで通っておったのだよ。だから余計にショックだったのだ、葉桜から毛虫が落下してきて目の前が真っ暗になったのが。
何も見上げている時に落下して来ずとも良かろうが……。悪いのは桜ではなく毛虫か……やはり暴君であったようだ。幼き暴君ほど手の施しようがないな。
本当に悪かった、桜よ。
「ナイトオリバルド様、皇帝陛下の事知ってるんですか? 若しかして、凄く偉い方なのですか?」
知ってるも何も本人であるが、
「表面的には知っておる、我輩はこれでも侯爵である故に。爵位的には偉い位を持っておる」
ただ本人ではあるが、自分の事を良く知っておるか? と問われれば余は “否” と答える。
知らぬというよりは、あまり存在せぬのだ。余に余は然程存在せぬ。
皇帝としての余もそれ程存在しているわけでもない。自らの才で帝国を治められ舵を取れる者ならば、強すぎる自我を持っていても良かろうが、余のように他者に全権委任している皇帝は、アクが強かったりしてはいかんのだ。
余は皇帝という宇宙統一の旗印となる器を動かす、最低限の動力である。食事をしたり睡眠を取ったり、儀礼を執り行ったりと、そこに自我は必要ない。
ただ、種馬としては燦然と輝き、圧倒的な存在感を放っておるわけだが、それはまた別次元の話であろう。
「ナイトオリバルド様は何侯爵様なんですか?」
ロガよ! 主は中々に良い点を突く娘であるな! 余などより、余程明察である! 余より明察であっても、何の慰めにもならぬな!
考えてみれば、余のような何もせずとも生きていられるのとは違うわけだから、賢さはメキメキと育ち花咲くのであろう。そんな事より、侯爵名である。
何故余を侯爵と呼んだかは解っておる、皇族爵位のつもりで呼んだのであろう……そんな事よりも! 皇帝名は使えぬし、余は返還されておる貴族の爵位も頭には入っておらぬ。ぎ、偽名でも良いであろうか。だが、名乗った爵位を忘れる可能性もある。
いや! 関連付ければ良いのだ! あの難解にして煩雑な宮廷儀礼作法を暗記するかのように! そう、此処は墓地! そして桜の木! よし!
「我輩、桜墓侯爵と言う」
よし、これならば忘れることはない!
余は食事を済ませると、立ち上がり、
「また明日、食事を持ってきても良いか」
帰る事にした。本当はもっとゆっくりとしていたいのだが、桜と動物に関してデウデシオンに聞かねばならぬ。
「は、はい。でも、こんなにして頂いて、いいんですか」
良いというか、何と言うか、
「欲しい物があるならば言え。何でも用意して持ってこようではないか」
ここに訪れたいのである。正確に表現するならば、ロガに会って話をしたい……ような気がするのだ。
戻る途中、ロガの住んでおる衛星を見下ろして本日も謝罪しなかった事に気付いた。
いや、気付いてはいた。意図的に謝罪しなかった。
恐らく余は、謝罪したくないのだ。謝る事に関してではなく、謝ってしまえば最早会いに行く理由がなくなってしまう……だが、早々に謝罪せねば来訪自体を嫌われる可能性もあるな。
デウデシオンに謝罪した後もロガの元に通いたい旨を伝え許可を得よう。やる事が多数ある……いや、違う。自分で何かしようと思った事がこれ程あるのは始めてなだけなのだ。
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