繋いだこの手はそのままに −171
 ロガは銃を両手で持ちながら、四本の線が残っている壁を目印に通路をひた走った。自分で”大丈夫です”と言った以上、無事に誰かに保護されなくてはと、人が待機していそうな場所を目指していた。
 ロガは食堂でハネストの話を聞いて、攻めてきたのが僭主だということは解った。そして僭主はシュスタークたちに似ていることも理解できた。
 四大公爵の見た目が似ているので納得できたが、同時に「絶対に知っている人にだけ声をかければいい」とも解った。ロガはシュスタークたちを見分ける自信がある。
 顔も知らない通常兵士や、貴族らしいが知らない人には声をかけずに隠れてやり過ごし、本当に知っている人だけに声をかけようと決め、死体で溢れかえっている通路の、できるだけ死体の無い場所に足をおきながら進んでいた。
 銃を持っている手に汗が滲む。
 手袋を着用しているので、すべりはしないと知っているのだが、感覚的に不安を覚えて物陰に入り銃を小脇に抱えて手を擦り合わせ、ヘルメットで覆われているので無意味だとはわかりながら、手に温めるように息をふきかける。
 全く人の声も、自分が走る以外に物音もない周囲に、ロガの体の底から寒さが沸き上がってきた。
 ”走って知っている人の居る所にいかなくては”と、ロガは再び銃を握り、駆け出す。
 走り段々と握っている銃が重く感じ始めるが壁の四本の線、シュスタークの指の痕を見ながら走り続ける。
「きゃっ!」
 壁にばかり注意が向いていて、足元が抉れていることに気付かず、段差に爪先をひっかけて勢いよく前のめりにロガは転んだ。
 銃が手から離れることを恐れて、手をつかないで体前面を床に打つ形となったが、着衣が身を守り痛みはほとんどなかった。
 なかったのだが、立ち上がれなくなった。
―― どうして? どうして……
 起き上がろうとしても、体が重く動かない。ロガは気付いてないのだが、先程から息をつく暇もないほどに遭遇した襲撃に、精神は極度の緊張を強いられ疲労し、体はすでに限界に達していた。
 だがロガはそれに気付くことができないでいた。
 ハネストから渡された薬を飲めば動けるのだが、緊張からくる疲労というものが理解できず、走っている距離はいつもの自分なら平気な程度だと思っているので、自分が動けなくなるほど疲れているのに気付けないのだ。
 やっとの思いで仰向けになると、そこには星空が広がっていた。
「あ、ここ……この前お話した……」

**********


「はい。私の寿命が先に尽きるかもしれませんけれども、最後まで正妃として……皇后として、奴隷として、ロガとしておそばに」

「ありがとう」

**********


 ”ありがとう”と自分に向けて言った時の、シュスタークの泣きそうな表情を思い出し、ロガの視界がぼやける。
「泣いちゃ駄目だって」
 ロガは起き上がろうと床に手を付き、必死に体を起こそうとしたところで、遠くから足音が聞こえてきたのに気付いた。
「え?」
 ロガの耳に届くのは”ひとつ”の足音だけ。
 だが……
「無視して追いかけて良かったんだぜ」
「そりゃ、確かに一般兵の保護は大事だけどよ」
「ああ、あれね。陛下からいただいたやつだから、ほとんどの貴族は知ってるから証明には最適だ。そうそう、対になってるやつ。対はさあ」
「へえ、あいつの祖父の祖母とやりあったのか。強かった? へえ、ディストヴィエルドより格段に強かったんだ」
 何故か”誰か”と話をしているのだ。
 だが話している相手の声は聞こえない。
 ロガは必死に声のするほうに首を動かし、誰が来るのかを待った。到着する前に顔を動かしておけば、知らない相手だと確認した際に動かないでやり過ごそうと考えたのだ。
「え、そうなの。でも、あいつまだ戦えるだろ……ん?」
 半ドームのホールに現れたのはエーダリロクただ一人。
「エーダリロクさん」
「后殿下?」
 銃を持ったまま床に転がっているロガを見て、エーダリロクは心底驚いた顔を浮かべると同時に駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。体がちょっと動かないだけで」
「后殿下、薬持ってますか? 疲労した際に飲むやつ」
「あります」
「飲んでください。急いで飲みましょう」
「はい」
 言いながらエーダリロクはロガの体を触り、装備から薬を取り出して次々と放り込む。
「五枚舐めて。無くなったらまた五枚舐めるんです。良いですか?」
 ロガは頷きながら、乾いた口で必死に薬をなめた。
「それにしても驚いた。なぜ后殿下がここに……いま説明しなくても良いですからね。薬を舐めながら聞いてくださいよ。后殿下が十枚薬を舐め終えたら、また五枚口に含んで俺と一緒に歩いて船外へ向かいましょう」
―― 周囲に敵は?
《いないから、安心しろ》
 エーダリロクは笑って話かけているが、ロガはかなり危険な状態。
 薬で回復させてから動かさないと、抱えて走ったとしても意識が混濁するほど。胸元についている放射線警告シートの下にあった”状態警告部分”をチラリと見ながら、エーダリロクは焦らないように、そして不審を感じないように話かけていた。
「抱きかかえて走った方が早いのですが、敵がまだいます。結構厄介な敵でして、それと遭遇した場合、俺は両手で戦わないといけません。それで抱えていると、降ろす時に狙われる恐れがあります。それでまあ、抱えて降ろした直後って動けないことが多いんですよ。静々と抱えてゆっくり歩いてるならまだしも、全速力で走ったあとに降ろして”そっちへ!”って、結構大変なんで」
 ロガは薬を追加して舐めながら、先程カルニスタミアに降ろされた時、瞬間的に膝に力が入らなかったことを思い出して再び頷く。
 実際敵がまだいるので、歩いて貰った方がエーダリロクとしても楽だった。
「大丈夫です。あと五枚口に含めばいいんですよね」
「はいそうです。では、行きましょう……」
「あの……」
 唇を開き下を動かすのも億劫なほど疲れていたロガは回復し、やっとシュスタークの居場所を言えると口を開いた時、床から音が聞こえてきた。
《動くなっ! 来る!》
―― 何が?
「この揺れ! たぶん、ザベゲルンっていう僭主が来ます」
 ロガは先程と同じ震動に、叫んだ。
「ザベゲルン一人ですか?」
「はい、ナイトオリバルド様とカルニスタミアさんが! 私は一人で逃げてきたんです」
 ”一人で”とロガが言ったところで、ザロナティオンは周囲を見回し、再度ロガの放射線測定値を見る。
《たしかに、安全だろうな》
「なるほど。俺の影に隠れてください」
 エーダリロクはロガをマントの中に入れて、
―― 来る方向は”こっち”か?
《ああ。こちらだ。くるぞ!》
―― 聞かなくても解ってる。異常な音だ!

 それに正面を向いた。

 ロガが走って来た通路と同じ箇所を通り、現れたザベゲルン=サベローデン。床を破壊し壁を剥ぎ、死体の山をはじき飛ばし、幾つかは触手で巻き上げ食べながら現れた。
 それをエーダリロクの影から見たロガは、驚きの声を上げる。
「なんか……おっきくなってる……」
「おっきく……ああ、なるほど。最初はもう少し人間の形してたんですね」
「はい。カルニスタミアさんくらいの大きさでした。顔は口だけでしたけど」
《相当痛めつけられて、回復が及ばなくなってきたのであろう》
―― ところで、陛下とカルニスは? まさか食われたとかないよな
《ラヒネを有する王弟は知らんが、ロランデルベイは食われはしない。王弟を使ってでも逃げ延びるであろうし、王弟は使われても文句は言わんだろう》
 大量のダメージを受けたザベゲルンの体は、形を作ることを止めて、もっとも動きやすい形に変化した。もともと大きかった体は倍になり、口しかない特徴的な白い顔はあるが、体自体は内臓の色合いが目立ち、白い肌はほぼ姿を消した。
 触手も増えているが《瞳》の無い触手が幾つもあった。瞳を作るのに回すエネルギーが無くなっている証。
「貴様……放射線はどうした!」
 一つの触手が、エーダリロクをその瞳に映すと、次々と触手がエーダリロクの方を向き姿を映し、ザベゲルンは《そこに部下がいる》ことに気付いた。
「はあ? ……ああ、放射線ね」
 ”放射線”の部分でエーダリロクも理解した。

 ラードルストルバイアは理解したのでロガを行かせ、ザロナティオンはロガを見て、ラードルストルバイアが殺害した者たちを見て理解していた。

 ロガの放射線測定シートには一度も計測された痕跡がなかった。ロガはこのザベゲルンの所から逃げてきたのだから、ザベゲルンが放射線による回復を一度も行っていないことが解る。
 この種類の異形なら放射線を投与すれば、無制限にちかいほど動き続けることができる。
 それを任された相手が、行わなかった。不慮の事故で行うことができなかったのか? それとも……
「ディストヴィエルド! 裏切ったか」
 裏切ったのか?
―― どう考えても裏切ったよな。あいつ生きてるわけだからさ
《そうだな》
 そして通路に人員が補充されていない。
 放射線ほどではないが、同族を食べ回復する異形。そのために、同族を配置しておくべきだが、それを行っていない。
 ラードルストルバイアは通路の僭主の中でも血の濃いのが少なかったことと、ロガの放射線測定シートが一度も測定していなかったことから、来た道に《回復材料となる同族》が再配置されることはないと判断したのだ。

 おれ も こうやって うらぎった もんだ

「残念ながら、俺はお前の部下ディストヴィエルド=ヴィエティルダじゃない。そいつがこの艦を乗っ取るために使ったセゼナード公爵エーダリロクだ」
 ”エーダリロク”と聞き、ザベゲルンは口だけの顔を曲げた。首も既になく体に埋まっているので、つまみを捻るかのような状態だが、とにかく顔が動いた。
「お前がエーダリロクだとして、なぜディストヴィエルドの名を知っている? 正体を気取られれぬように動けと言ったのに」
「それは作戦実行前だろ? 俺がそいつに会ったのは、ついさっきだ。這々の体で逃げていったけどな」
「貴様と対戦して逃げただと? 嘘をつくな、お前の実力ではディストヴィエルドには勝てないはずだ」
 ”俺の実力じゃあ、確かに勝てはしなかっただろうねえ”と苦笑しながら、言い返す。
「嘘ついたんじゃねえの?」
 宇宙を背に立つザベゲルンと、出入り口を背にそれを見る形となっているエーダリロク。そこへ、
「待て! ザベゲルン!」
 カルニスタミアを肩に担いだシュスタークが現れた。
「陛下!」
「エーダリロク! ロガ! そして、見つけたぞ! ザベゲルン」
「しつこいな、インペラールヒドリク」
 ザベゲルンは変わらぬ表情の下で《表情を歪めた》
 精神感応を使える二人相手にザベゲルンはかなり押されていた。シュスタークの”浮遊”した状態と”ザロナティオンに似た狂気状態”は、強いが同族である程度やりなれている。だがそれに同調し補佐に徹する正統派のカルニスタミアが厄介だった。
 戦い方が完全に軍人で、軍人でありながら傭兵に似た動きをする皇帝の補佐を完全に行える。ここまで軍人然している男は、乱戦では珍しいと言っても過言ではない程の《軍人》
―― ここから逃走するとして、もっとも弱いのはどれだ? 弱っているアルカルターヴァか? 情報通りのヴェッティンスィアーンか? だがヴェッティンスィアーン、ディストヴィエルドを退けたと。ディストヴィエルドを退けた相手が弱いとは言えないが、あれは虚言のヴェッティンスィアーンだ。あいつら特有の視線を逸らすことなく、何時も通りに語る嘘か? それとも……

「大丈夫か? カルニス」
 シュスタークの肩から降ろされて、壁を背に座ったカルニスタミアのもとへと、エーダリロクはロガの手を引きながら近寄る。
「あまり……だがお前がいるなら、もう大丈夫だな」
 口や鼻どころか、耳や目からも出血しているカルニスタミアの姿に”危険だな”とは思いながら、
「気失うな。后殿下連れて逃げてくれ」
 もう一働きしろと、エーダリロクは胸元から出した薬を口に押し込む。
 噛み砕き血と共に飲み下したカルニスタミアは、
「了承した」
 持っている銃を寄越せと手を伸ばす。手のひらを上に向けて伸ばしているのに、薬指と中指は床に垂直になっていた。
「后殿下、カルニスと一緒……あああ!」 
 ドームの端に感じた光に、エーダリロクは大声を上げる。
《あの輝きは、エネルギー弾道であろうな》
「どこの気違いだ! ダーク=ダーマに向かって」
 カルニスタミアが見上げ、シュスタークも見上げる。
《おいおい。真面目にどこの気違いだよ!》
 ラードルストルバイアですら呆れ、ザベゲルンの無数の触手が光を捉えてザベゲルンに送り届ける。
「なんだ……」

 人間の視力しかないロガは、三人が見て驚愕している方向を見上げたが、その時はなにも見えなかった。だが徐々に光が近付いてきていることが解り、それが通り過ぎたように見えた後、自分の足元に衝撃が走り、あれが攻撃であったことをやっと理解した。


novels' index next  back  home
Copyright © Rikudou Iori. All rights reserved.