繋いだこの手はそのままに −164
 驚きや警戒を他所に、追ってきた”シューベダイン=シュリオダン”という僭主と、
「生きていたのか、ハネスト=ハーヴェネス」
 やはり僭主としか考えられない名を持った”ダーク=ダーマ”が睨み合う。
 だがハネストと呼ばれた人物は、正式な帝国軍大将の制服を着用していた。
 潜入するためと勘違いされそうだが”ダーク=ダーマ容姿”の帝国軍大将が存在しないことは、一兵卒でも知っている。
 誰かの身分を偽るのであれば意味はあるが、この容姿でこの格好では逆に目立ち「僭主です」と言っているようなものなのだ。
 そんな無意味な格好を何故しているのか? それが警戒させる原因であった。
 カルニスタミアの警戒を背に、ハネスト=ハーヴェネスは話続ける。
「ああ、生きていたさ。弟よ」
 シューベダイン=シュリオダンは”弟”であり、
「まさか生きていたとはな、姉よ」
 ハネスト=ハーヴェネスは”姉”。
「裏切ったのか?」
「貴様には関係無かろう。ゆくぞ弟よ。念動力はどうした? 使うなと言う我の指示に従ったのか?」
「誰が貴様の指示などに従うか、姉よ。そこにいるアルカルターヴァの王弟が、超能力を封じることができるのだ」

―― 両性具有の下に生まれた単一性は、稀に超能力無効化と外界作用型の超能力の両方を使用することができる ――

―― もしかしたら、テルロバールノル王が両性具有だからウキリベリスタルは巴旦杏の塔を作ったのかもしれない ――

「それは知らなかった。それにしても、貴様まだ超能力などを使っていたのか。その程度の超能力を」
 ハネストは両手に剣を持ち、シューベダインに襲いかかった。
 踏み込みの速さ、剣さばき。揺れる黒髪と”漆黒の女神特有の戦いの表情”と言われる曖昧な笑みを貼りつけて、シューベダインの肩を切り裂き、腹を切り裂き、背中を切り裂く。
 足でシューベダインを壁に押しつけると、押しつけられた方は、壁の固さに息を詰まらせる。
「なぜ、食堂の壁がこれほど固い」
 暴れて壁を直した際に”近衛兵が暴れても大丈夫なようにしてきた!”と聞かされていたカルニスタミアは、もう一つの入れ替えられて頑丈になったテーブルを盾にしてロガに破片が飛んでこないようにする。
 目の前の戦いが、僭主の策の一つである可能性は捨てられない以上、目を離すわけにはいかなかった。
 そして使用を考えていたコンテナだが、ここに僭主が居たので使用をためらっていた。どのような細工がなされているのか解らないので、動きようがないのだ。
「王弟さえいなければ!」
 純粋な戦闘能力ではシューベダインはハネストに適わぬため、追い詰められて諦めの悪い台詞を叫ぶも、
「追ってきたのは貴様だろ、弟よ」
 ハネストに言い捨てられて、顔を歪ませて襲いかかる。
 ハネストはテーブルを立てて、シューベダインを壁との間に挟み込んだ。潰され骨と内臓が砕ける音が響く、ハネストはそのテーブルを足で押さえたまま、先程投げた包丁を掴み、テーブルごとシューベダインを壁に縫い付けた。
 そして両方の腰にぶら下がっていた銃を持ち、両サイドの隙間から差し込み、
「裏切り者!」
「だからなんだ? それに、沢山裏切る予定だよ。貴様は知る必要は無いがな」
 別れの言葉もなく乱射する。
 天井に血が弾け飛び、床に血が広がる。血が壁に蝙蝠の羽を広げたかのような模様が、赤で描かれる。
 その姿を見ていたカルニスタミアは歩き出し、ハネストの顔を握り拳で殴った。カルニスタミアの攻撃に、ハネストの体はバウンドし食堂の壁にぶつかる。
「ヤシャル、テーブルに挟まっている”シューベダイン=シュリオダン”とやらが、本当に死亡しているかを確認し、念のために止めを刺せ。超能力者だ、脊椎核とみて間違いなかろう」
 カルニスタミアはそう言い、テーブルとシューベダインを壁に縫い止めていた包丁の一つを抜き、まだ立ち上がれないでいるハネストの元へと行き背中を刺した。
「僭主の仲間割れか? それとも弁明でもあるか?」


「カルニスタミアさん! カルニスタミアさん! その人は、その人はデ=ディキウレさんの奥様です! 敵じゃないです。僭主じゃないです!」


 死亡していたシューベダインに念のために止めを刺していたヤシャルの、引き金を引く指が止まり、カルニスタミアは突き刺していた包丁を持つ手に力が入った。
「説明してもらおうか? ハネスト=ハーヴェネス」
「はい殿下」

**********


 入り口をテーブルで塞ぎ、シューベダイン=シュリオダンの死体にテーブルクロスをかけて隠す。
 食堂のテーブルに三人の飲み物を置き、ロガは座りヤシャルとカルニスタミアは立ったままでハネストは跪く。
 この状態で、まずカルニスタミアはロガの証言を確認した。
 容姿が似ている上流階級なので、ロガが誰かと勘違いして言っている可能性も考慮してのこと。まだこの頃はロガが完全に人を見分けられることは、ほとんど知られていなかったので、この質問も致し方ないことでもある。
「前に会ったことがありました。ここでお仕事しているとは知らなかったんですけど、クッキーを焼きに来た時に」
「……あの時とは随分と大きさが違うが」
 同行していたカルニスタミアは、あの時のことを思い出し首を傾げる。
「なんでも、ハネストさんは足とか手とか生えてくるから、こういう所にいるときは切って義足とかにしてるんだそうです」
 最初に聞かされた時、ロガは意味が解らなかった。
 だが”潜入捜査”に向いているのですと言われて「痛いお仕事してらっしゃるんだ」と、解らないながらも理解はした。
「ああ」
 話を聞きながら、カルニスタミアは「クッキーを焼く場所」に帝国宰相がこの第80059食堂を指定した理由が解った。
―― そう言えば……礼をしに。そうか

「食堂を使わせてもらったお礼をしてきますから」
ロガがそう言って軍服の裾を持ち、調理室に駆けてゆく姿をシュスタークは眺めていた。


 ロガは正妃として「頭を下げないように」と教育されていた。
 なにより皇帝を待たせてまで礼をしようと思う相手となれば、相応の相手。

感謝させてください。親しい人には、感謝を言葉にしたいのです。あまりするものではないと教えられましたが。覚えるつもりはありません。重ねて感謝させていただきます

 余程のことがない限り、そして「礼をしてもいい」と、女官長が言った相手でもない限り、礼をすることはないのだ。

「義足や義手はどこに?」
 カルニスタミアは鍋のなかに放り込まれていた生体義肢をつかみ上げ、
「切断面などは残るのか?」
「全く残りません。この辺りから切って接続しています」
 彼女が指し示す切断ポイントと義肢のサイズを見て、あの日調理室にいた”小柄な女性”になることを認めた。
「顔は?」
「その都度整形しております」
「瞳は?」
 ハネストは目に指を入れてえぐり出し、調味料の瓶を開く。
「義眼です」
 生体義眼を眼窩に押し込んだあと、金の瞳を捨ててカルニスタミアを見つめる。
「瞳を元に戻せ」
「解りました」
 押し込んだ義眼を押し出して、金の瞳が再び現れる。
 カルニスタミアは掴んでいた義肢を鍋に放り投げ席へと戻った。
「次はお前の話を聞かせてもらおう」

 排水溝の傍に転がった金の瞳と黒い瞳は、虚ろにその場を見つめていた。

**********


 跪いたハネストは、生き延びるために説明を始めた。
 この容姿で自らを説明できなければ、僭主として殺害されるのは当然のこと。だから彼女は納得させなくてはならないのだ。
「長々と語れませんが、我は今から二十年前桜の木から陛下に、合成猛毒を顔に命中させた者です」
 ハセティリアン公爵デ=ディキウレの妃ハネスト=ハーヴェネスこそ、シュスタークの中に眠っていた”ラードルストルバイア”を起こした最初の人物。
「暴れた陛下を取り押さえたのは……」
「エーダリロクであろう」
 カルニスタミアの言葉に驚いたハネストだが、
「隠そうとするな。話を続けろ。后殿下、解らないこともおありでしょうが、後でご質問があれば。今は情報が欲しいので」
「わかりました」
 促されて続けた。
「陛下を取り押さえる前に、セゼナード公爵殿下は我を捕らえにきました。顔の腫れ具合から、毒物が使用されたと判断されてのこと」
「そうじゃな。毒物は何が使用されたかが判明するまでが最も困難じゃ。毒物の種類が解れば対処方法はある」
 口を割らせるために当然ハネストを「生かして」捕まえた。
 まさかその彼女が、デ=ディキウレの妻になっているとは、捕まえた本人と本体も思いもしないことだった。
「そうそう、名乗り遅れましたが、我はエヴェドリット系僭主ビュレイツ=ビュレイアの一族に属していたハネスト=ハーヴェネス。テーブルクロスを血で汚しているのはシューベダイン=シュリオダンといいまして実弟です。母は我が帝星単独襲撃以前に既に死亡しているから必要はないでしょう。父はケベトネア=ケベイトア、寿命にはまだ至っていないので今回の襲撃にも参加していることは確実、なにせ父は地下迷宮に詳しい。我が単独で地下迷宮を抜けて大宮殿へと出ることができたことからも解るように、大宮殿に抜けるリスカートーフォン専用迷路をほぼ網羅している」
「なるほど。帝星の地下迷宮の守りはハセティリアン公爵デ=ディキウレというわけか」
 夫であるデ=ディキウレが地下迷宮の主と言われるのは、彼女から得た知識も関係していた。
「はい。僭主の現当主はザベゲルン=サベローデン。我の父はその男の大叔父にあたります。我から見れば現当主は従姉の子」

 帝国宰相たちがリスカートーフォンに先んじて、エヴェドリット系僭主ザベゲルン=サベローデンの情報を掴んだのは、彼女ハネスト=ハーヴェネスを捕らえたことによるものだった。

「捕らえられた後は、それなりに」
 ロガの前では語れぬと、顔を上げてカルニスタミアを見る。
「なるほどな。最終的には語ったというわけか」
 そこまではカルニスタミアも言えとは言わなかった。
「はい。順を追って話すのがもっとも効率よく、信用していただけるのは解っておりますが、ここから暫くは僭主に関しては関係ないこと。この部分に関しては、現在の襲撃が片付き次第説明させていただきます。とくにライハ公爵殿下には語らねばならない事実がありますので。では少々話は”とび”ますが、帝国宰相閣下の目的を。我と夫の間には息子が四名。長男ハイネルズ=ハイヴィアズ……」

**********


 彼女は拷問に屈したわけではない。彼女が屈したのはある種の狂気。
 彼女から情報を引き出せと命じられたのは、ハセティリアン公爵デ=ディキウレ。
 地下迷宮の主とも言われる彼は、日に当たることが出来ない体質だった。彼の外出は夜だけ。特異な性質の彼は、日の当たらない地下迷宮で一人過ごすことが多かった。
 彼の大半は暗闇とともにあった。暗闇でしか生きられないのだが、暗闇は彼の神経を蝕み、孤独を募らせた。
 彼は怨んだ。
 暗闇でしか生きられないことではなく、暗闇でしか生きられないのであれば、暗闇にいても苦しくは感じない精神をも与えて欲しかったと。
 普通の人間では耐えられない暗闇の中に”いかようにしても良い。情報を引き出せ”と帝国宰相から渡されたのが、ハネスト=ハーヴェネス。
「拷問しても無駄だ。我は全てに耐えられる」
 その言葉に彼は胸が躍った。
 全ての拷問に耐えられる女なら、この暗闇においていても狂いはしないに違いない、自分が狂気に囚われない、灯火になってくれるに違いないと。
 逃げられては困ると手足を切る。目的は情報を引き出すためか? 手元に置くためか? すでに最初から”違って”いたのだ。
 彼女は手足が復元する、超回復能力の持ち主。
 それにも驚き彼は何度も彼女の手足を切って通路に置いた。手足を切った彼女に食事を口まで運び、体を洗い、そして体を重ねる。
 当初彼女は”この狂人”を味方に引き入れて逃げようとしたのだが、彼は狂人ではなかった。ただ孤独に震えて耐えかねて、傍にいる人が欲しかっただけで、その純粋な欲求が狂気の姿を取っていただけのこと。
 それを狂人と呼ぶのならば、狂人なのであろうが、彼は狂人になりたくはないがために、強い女である彼女に縋った。
 縋られた彼女は狂人が狂気に怯える男と知り、その男の狂気に体ごと押し潰されながら応えた。その身と愛情で。
――彼と彼女。どちらが先に捕まった?―― そんな謎かけのような言葉もあるが、二人に関してははっきりとしていた。
 体も心も捕まったのは彼女のほう。
 彼は本当に切り落とし、縛りつけただけ。
 彼女は情報を与えて尽くし、彼は兄に《彼女を殺した》と告げ、彼女が閉じ込められている小さな部屋に繋がる通路は、彼女の手足の骨が散らばっていった。
 「貴方が此処にいることが幸せだ」という男と「手足は必要無いでしょう」と生やすことを止めた女は、水を飲み血を飲み、舌を絡ませあう。

 弟の異変に気付いた帝国宰相は、地下に降りて通路に広がる白骨の量に驚くが、同時に弟が何をしているのかも理解した。

 彼女の部屋に現れた帝国宰相に、彼は必死に弁明をする。
 帝国宰相は弟の言葉は聞かず、彼女を見下ろした。
「ずっとここで二人きりでいるのか?」
 彼は二人きりでいたかった、彼女も二人きりでよかった。だが二人は共にいて、最初の関係とは少し変質した。
 狂気と歪んだ愛が調和して、暗闇に溶けて未来を欲した。
 すなわち「認められ、正式に結婚し、子供が欲しい」と、変わっていったのだ。
 彼女は手足を戻し、彼と共に帝国宰相の元へとゆく。執務室に現れた彼女と二人きりで話をしたいと彼を遠ざける。
「弟を、デ=ディキウレを利用しようとしたな」
「はい」
 彼女は否定しなかった。否定したら彼女の命はなかった。
「証を立ててもらおうか。帝国現体制に対する忠誠の証を」
「何を持って証と?」
「テルロバールノル王国へとゆき、テルロバールノル王にしてアルカルターヴァ公爵ウキリベリスタルを殺害せよ」
 執務机に肘を乗せて、指先を交差している銀髪の男の目は、地下迷宮の暗さなど比ではなかった。

 ディブレシアも右に金の瞳を持っていたと

 彼女は全能力を駆使し、ウキリベリスタルを殺害して戻って来た。
「信頼していただけますか?」
「裏切り者は死ぬまで裏切らなかったことで、初めて信用されるものだ」
 帝国宰相の言葉に彼女は頷いた。彼女自身、理解していた。
 主を裏切り、敵の主に仕えるというのは、死ぬまで信用されず、死んでも信用されるかどうか?
 だが自ら選び、そして彼も彼女を選び、二人は結婚して子供を得た。

 ハイネルズ=ハイヴィアズ

 暗闇の中の純粋な狂気を持つ男と、裏切り者であり続ける女の間に産まれた息子。その誕生は帝国の方針を決める切欠となった。

**********


「我と夫の間には息子が四名。長男ハイネルズ=ハイヴィアズは、我とハセティリアン公爵の子にも関わらず無性因子がないのです」
「なんだと……」
 帝国の危機とされる”女性の喪失”を阻止することのできる存在が現れたのだ。
「我等は僭主の常として、血族結婚を行ってきました。異形系リスカートーフォンの重度近親婚」
 長男の誕生とその性質に帝国宰相は”二人目も見せてみろ”と命じた。
 次男も長男と同じ性質だった。そして三男も四男も。
「リスカートーフォン異形の血が、無性を食い荒らしたようです。そして帝国宰相閣下は決めました。我等ビュレイツ=ビュレイア系統僭主と、大宮殿にいるリスカートーフォン系皇王族を入れ替えると」
 リスカートーフォン系皇王族を入れ替えることを許可したのは、彼らが属するザセリアバ。圧倒的な血と能力を持つ一族を《自らの王家に属しているが王族ではない部分で》入れ替え、次の世代の支配に繋げられ、僭主を刈ったことにもなるのだ。利点は多く、むしろ拒否など考えられないほど。 
「……」
 ヤシャルは声も出なかった。
「なるほどな。ということは、この襲撃に関してはエヴェドリットもロヴィニアも絡んでいるのじゃな」
 カルニスタミアはもっともな判断だと感じた。
 自分たちの周囲から”女性”が消えたのはザロナティオンの血によるもの。僭主たちはその血を一切引いていない。
 同族で確実に無性を消し去り、女が作り出されるのであれば、引き入れたほうが良い。
「はい。生まれてくる子供の計算については、セゼナード公爵殿下が再計算してくださいましたので」
―― この特性がエヴェドリットで、そしてザセリアバがランクレイマセルシュと手を組む性格で良かった。兄じゃあ、こうは行かぬ
「入れ替えるためには、殺害せずに説得した方がいいか?」
「そんな必要はございません。無理に説得などする必要は。我を見れば解るでしょう」

 自ら一瞬の躊躇いもなく殺害した弟の死体を見て、彼女は笑った。


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