繋いだこの手はそのままに −162
 ”帝王の咆吼”が意味するものはなにか?
 それはシュスタークの周囲に、誰も王族や上級貴族などの支配音声に従う者が誰一人いないこと、即ち皇帝が単身で敵の中を移動していることを意味する。
 皇帝の身に、それ程までの危険が迫っているなど、カルニスタミアは考えてもいなかった。帝国の軍容全てで守らねばならぬ皇帝が、単身で敵と交戦している。この状況が意味するものは、現在の劣勢。
 ダーク=ダーマの多くは敵に支配されていると考えるべきだろうと、カルニスタミアは走り通路の端末ではなく、それよりも権限の強い副艦橋へとむかった。
 権限が強いこともあるが、なによりもダーク=ダーマ内の状況を”ある程度”把握しなくてはならない。
「后殿下? 儂の頭に掴まってくださらんと」
「あの……その……」
 躊躇っているロガに”なんだ?”と思った時、カルニスタミアはロガが手袋を着用していないことに気付いた。奴隷区画にいたころのロガの印象が深いカルニスタミアは、違和感を覚えなかったのだ。
 掴まってもらうために、理由を聞こうと口を開きたかったのだが、目の前にヤシャルと同じく咆吼により呻いている”見覚えのない”五名ほどの見覚えのある容姿の持ち主を確認し、襟首を持って連れていたヤシャルを、容赦なく彼らに投げつけてその間にロガを降ろし、抵抗不可能となっている五名を殺害した。
「陛下の咆吼が切れたな」
 五名を殺害し終え、すぐにロガを抱きかかえたカルニスタミアは、音声が消えたところで”やっと”気付いた。
「僭主側が、相当システムに侵入しているようじゃな」
 先程から一切”僭主襲撃に関する”放送がない。
「完全に対儂等用の凶悪な武器じゃな」
 人間を殺すのには不必要な威力を所持している銃と、
「デスサイズですね」
 エヴェドリット特有の武器。
「どうしたものか。ヤシャル、歩けるな。第八副艦橋へとゆくぞ。敵がいる恐れ……はないがな」
 二人は殺害した僭主の銃を奪い、それを片手に第八艦橋へと向かった。
 艦橋はシステムを使用することが出来るが、システムその物ではない。システムの心臓部は艦橋とは別のところに存在する。
 よってシステムそのものに侵入している僭主が、艦橋を欲するとは考えられない。
 第八艦橋は無人の状態で、カルニスタミアはロガを片手で抱きかかえたまま、使えそうな港を捜す。ヤシャルは念のために室内を調べ始めた。
「あの……カルニスタミアさん。あのですね実は私、手も服も汚れてるんです……」
 驚きから記憶が軽く混乱していたロガは、カルニスタミアに抱えられた時”手洗ってない”ということを思い出し、しがみつくのを躊躇ってしまったのだ。
 消え入るような声で、恥ずかしそうに頬と項まで赤らめて言ったロガに、
「そのようなこと、お気になさらずとも」
 カルニスタミアは”汚れてる”がなにかは解らないが、気にしていないと答えた。元来救出など、糞尿や吐瀉物にまみれ、腐敗の始まった死体を押し分けて生きている者を助けるのだ、決して綺麗なものではない。
「あのですね! ボーデンがおしっこ! じゃなくて粗相した後片付けをしている所で、部屋から連れ出されたので。ボーデンをトイレに連れて行くのも遅くなって、服にも少し漏らしたのが」
 だが”お気になさらずとも”と言われても気になるもの。特に相手は王子となれば、飼い犬の粗相を片付け洗っていない手で触れてはいけないと考えてしまう。
 そんな恐縮しているロガは、小刻みな揺れに驚いた。”なんだろう?”とカルニスタミアの顔を見ると、やや長めの前髪を揺らし笑っていたのだ。
「ライハ公爵殿下。室内は安全です……ライハ公爵殿下?」
 室内を見て回っていたヤシャルも、カルニスタミアの小さいながらも心底楽しそうな笑い声に驚く。
「さすがボーデン卿ですな」
 ヤシャルの言葉を受けロガを床に降ろして、説明をした。
 
 作られた「動物の知能程度」の生物は、基本同類を襲わないように細工されている。
 襲わない基準は様々あるが、今回ロガが遭遇した拷問に使用される犬は「臭い」がそれに該当していた。
 犬の形状を取っている生物なので、当然とも言えるだろう。
 その臭いの一つが同類の排泄物。とくにロガは「手」と「裾」が汚れていると、裾を手で握り、連れ出した者たちに触れないように気遣った。
 臭いは人間の臭いが二種類混じっては効果の程は低いが”他の人につけちゃ駄目”というのが効果的で、犬たちはロガの臭いと抱きかかえた際に付着したボーデンの体毛に「これは襲わないもの」と認識し、別の場所へと運び襲うべき人間を襲ったのだ。
「ボーデンの……」
 ロガは思わず自分の掌を見る。
「ですが、普通はそう簡単にはいかんのですよ。あの犬は複数の犬が混じったものでして。大宮殿や王族が飼っているような純血種では役に立ちませんのじゃ。ボーデン卿は奇跡的に、あの犬の基礎と七割が同じ犬種の血を引いていたのでしょうな」
 普通の純血種の犬は同類ではない。
 三割はカルニスタミアやヤシャルなど、人造人間と同じ部分がある。残りの七割が様々な犬を組み合わせて作られている。この七割の部分が合致している排泄物が「襲わない」と認識するのだ。
 犬の体臭からかぎ取ることが出来るので、七割が同じである同種が襲われることはない。ボーデンはカルニスタミアが言った通り”奇跡的”に犬たちを作るために組み合わせた「犬種」の血をことごとく引いていた。

 紛れもない雑種の老犬は、奇跡の守りの犬であった。

「同じ敵がまだいないとも限らんので、手と服はそのままでお願いしたいのじゃが。よろしいか?」
「は、はい」
 ロガに説明をしている間に、移動に使える港を発見した。無人の港に到着した際にすぐに飛び立てるように指示を送り、再びカルニスタミアはロガを抱きかかえて走り出す。
 現在ダーク=ダーマは機動装甲の戦場の中心にいるが「ダーク=ダーマから逃げ出す」分には、まだ方法があった。

**********


 ロガに目を瞑るように言い、カルニスタミアとヤシャルは死体で溢れかえっている通路をつき進んだ。
 死体が溢れ生きている者の姿が見えないので、この死体の絨毯を敷き詰めた本人が既に別の場所へと移動していることを願いながら。
 もちろん敵がいることを前提としているので、刀を構えて走る。
 先程殺傷した僭主側の銃を構えないのは「銃」で攻撃をくわえると、思わぬ反撃を食らう相手もいるので、僭主相手に先制攻撃を加える際に銃を使うことはあまりない。
 相手の特性を知っていれば、銃による先制攻撃もあるが、基本は”彼らにとって”回避行動を取りやすい直接攻撃型の武器を使用する、
 骨と肉を踏みながらひた走る二人の前に、背の高い”見慣れた知らない人物”が立ちはだかった。
「期待などしてはおらなかったが」
 床だけではなく天井も壁も血で染まった通路に立つ、柔らかそうな黒髪に赤と銀の瞳を持つ、リスカートーフォン容姿の人物。
 見るからに王族の血を引きながら、カルニスタミアもヤシャルも初めて見る相手。
 相手はカルニスタミアとヤシャル、そしてロガの姿を見て口の端を上げ両手を広げた。エヴェドリットの特徴的な長い腕の影が血の上に描かれる。
「空間が……拉げて!」
 ヤシャルは初めて見た気体が凶器となる様を”拉げる”と表現した。その拉げた空気は、念動力と表現されるもので、新鮮な血と肉がこびり付いた壁を次々と剥がして、爆風により襲いかかってきたかのような動きで、三人に迫ってきた。
「后殿下、目を開かんでください。ヤシャル!」
 ヤシャルにロガを投げるようにして渡し、カルニスタミアは襲ってきた剥がれた床をたたき落とす。
 ロガを脱出させるまでは無駄な争いをしている暇はないが、この状況であるからこそ、この相手から様々な情報を引き出す必要もあった。
「ヤシャル、儂の背後と后殿下を守れ」
「はい。ライハ公爵殿下」
 僭主は”ヤシャル”と”ライハ公爵”そして”后殿下”と聞き、逃がす物かといったように舌で唇を舐め回して目を見開く。
 僭主の名を聞く必要も、男であるのか? 女であるのか? をも聞く必要はない。

 それを最初に聞いてしまっては、途中で時間稼ぎをするときの話題がなくなってしまう。

 全ては駆け引きであり、情報を求めながら渇望している姿は見せない。それが戦いの最中での交渉。なによりカルニスタミアは相手の名を聞こうが聞くまいが、相手の特徴や所持している能力を知らないのだ、聞く必要度は低い。その程度の情報は、タイミングに使う程度しか意味はない。
 カルニスタミアは刀を構えて相手の姿を見つめる。

―― 儂の足で五歩程度の間合い。この狭さで念動力を使うのじゃから、相当”速く”力も強大なのであろうな

 念動力の利点は敵から離れた所から攻撃できることにある。
 近くでの攻撃も利点はあるが、一度でも使う姿を見られてしまえば、警戒されるので二度目はないに等しい。
 間合いはカルニスタミアの歩幅で約五歩。
 カルニスタミアはこれを一気に詰める自信はある、それと同時に先程自分たちの名を聞いて、僭主が反応を示したことで「相手が自分の能力を把握している」のだろうと判断し、僭主は自らの念動力解放の速さに自信があると考えて行動する必要があった。
 カルニスタミアはわざと、この場にいるのが王子と王太子にして暫定皇太子、皇帝の正妃であることを敵に教え、敵の持っている情報がどれ程かを計り、相手をも推し量る。
 自分が僭主に全く問題視されない程度の男ではないと理解している。
 皇帝の側近で近衛兵団で団長と同等の実力を持つ、テルロバールノル王弟。その存在を知らずに攻撃を仕掛けてくるような相手ならば、まさに恐れる必要はない。
―― さて。ほぼ全てを念動力で動かしているのか、動かすだけで発生したエネルギーで攻撃しているのか。だがこの距離で、念動力をつかうとなると前者の可能性が高いな
 カルニスタミアはタイミングを待った。敵が念動力を使い攻撃を仕掛ける瞬間を。

 目に見えない力が今度は床を剥がし宙に浮かせる、カルニスタミアはその中に踏み込み【存在しない】力を放った。

「貴様!」
「そういう事だ、インペラールビュレイツ=ビュレイア」
 念動力によって持ち上げられ、爆風によって飛ばされて攻撃を仕掛ける破片となる筈だった床は、再び床へと落下する。転がっていた死体の上に落ちた床は鈍い音を上げる。
「無力化か!」
 僭主は再度距離をとり、念動力を使おうとするが封じられていることに気付き、驚いて再度距離を取る。
「なっ! どういうことだ! ケシュマリスタ王子!」
 だが何一つ、僭主の思い通りに動かない。
「手の内を明かす馬鹿がおるか。逃げたくばそのまま逃げよ。追いはせぬよ、念動力に頼り切りで弱そうであるしな」
 このまま逃げられてしまってはカルニスタミアとしては困る。だが逃げるなとも言えない以上、挑発が最良の手段であった。

 カルニスタミアの持っている力は「超能力無効化能力」

 超能力者が存在する以上、そのような能力を持ったものは当然開発され、受け継いでいる者がいてもおかしくはない。
 相手もそれを知っている筈なのに、何故驚いたのか?
 答えは「距離の変更」にある。
 超能力無効化という”超能力”は、超能力ではあるが、本人は制御できない。生まれた時から無効化範囲が決まっており、それを広げることどころか、狭めることもできない。

 僭主はカルニスタミアと遭遇した際に超能力を使った。

 次に封じられ、無効化能力所持者であると気付き、最初に攻撃を仕掛けた距離を取った。だが今度は――その距離でも攻撃が封じられた――ことに驚いたのだ。
 声には出さなかったが、見ていたヤシャルも驚いた。
 カルニスタミアが無効化能力を持っているなど、誰も知らないからだ。超能力無効化は、言うまでもなく自らの超能力をも封じる。
 そして機動装甲の操縦は、彼ら人造人間特有の作用する超能力に寄る。だから彼ら以外には操縦できないのだ。当然導き出される答えは”無効化能力を持つものは、機動装甲に搭乗できない”
 だがカルニスタミアは機動装甲に搭乗することができる。それを知り自らの陣営に帝国の戦力と交戦する能力を持つ機動装甲、すなわち《作用型超能力使用型》を持っている僭主は、この大原則を知っているので、無効化能力を持っているのは、機動装甲に搭乗することの出来ないヤシャルだと判断し叫び声を上げたのだ。
「なに見当違いなことを言っておるのじゃ、僭主。貴様の超能力を封じておるのは、この儂じゃよ」
「……」
 真実を語っているととられようが、でたらめであると取られようともこの場では構わない。ただ敵の動揺を誘うことが目的。
「嘘だと言いたさそうじゃが、嘘ではないと言い切れまい」
「貴様、兄がいたな」
 だがカルニスタミアにとって意外な返事が返ってきた。
―― 話の流れからして、無効化に関することじゃろうが。兄貴がどうしたというのじゃ?

「貴様の兄は本当に兄か?」

 帝国の根底とも言える両性具有。
 それは様々な物の基本であり、謎を持つ。
「実の兄弟か? ということであれば、容姿は似ておらぬが、確実に同じ両親をもつ兄弟じゃ」
 僭主はロガを抱きかかえているヤシャルに視線を移す。
「そちらのケシュマリスタ王子も知らぬようだな。貴様らが信用するかどうかは知らぬが、超能力無効と作用型超能力は稀に一つの個体に存在することがある。だがそれには、絶対の条件がある。なんだと思う?」
 睨み付けるカルニスタミアと、ロガを抱きかかえる手に力の入るヤシャル。ロガは話の内容が分からず、言われた通りに目を閉じたまま。
「貴様が”両性具有”の弟であれば、納得できる。ごく稀にそのような能力を持つ物が誕生するそうだ。貴様の兄は、本当に兄か?」
「儂は現テルロバールノル王と両親を同じくする弟じゃ。それは事実じゃよ。貴様の言ったことが、真実であるかどうかは深くは追求せぬ」
 ケシュマリスタ王子が知らず、長い間ケシュマリスタ王の元にいたカルニスタミアも知らず。ラティランクレンラセオに何らかの目論見があって、事実を教えていないとしても、カルニスタミアには関係のないこと。
 自らが両方の能力を特殊に操ることができ、カレンティンシスという兄が存在する。
「貴様の言葉の真偽は問わん。貴様は儂に殺害される理由を与えただけじゃよ。誇り高きテルロバールノル王に両性具有などと疑惑をかけた。それだけで貴様は処刑されるに値し、儂は貴様を処刑する」

 短く切りそろえられた榛の柔らかな髪が揺れ、振り上げた刀が鋭く輝く。


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