繋いだこの手はそのままに −161
―― 慣れんな
 カルニスタミアは頭髪の短さに違和感を覚えながら、ヤシャルと共に”后殿下が捕らえられていると思われる場所”へと向かっていた。
 ダーク=ダーマの倉庫で、当然ながらケシュマリスタ王家の備品が収納されている部分。倉庫は区分けされており、他王家の倉庫とも一応は繋がっているが、繋がっている箇所が開かれることは殆どない。
 人目には触れさせることの出来ないものを、多数積み込んでいる場合があるからだ。

 カルニスタミアとヤシャルは武装していない。軍人としての”武器”を腰から下げているが、それ以外の殺傷力に優れた武器や、身を守るために装着する防具は一切ない。ヤシャルは武装して出歩いていると気取られる恐れがあるので、自らが所持することを許されている武器である”鞭”だけ。
 カルニスタミアは”陛下の元に参上する”ために、帝国軍近衛兵の片刃の軍刀を所持するのみ。それでも二人は”助けられる”と考えていた。
 ヤシャルからラティランクレンラセオの部下で、ロガを連れ出すと思われる人物たちの名を聞いたカルニスタミアは「その面子ならば」自信があった。たとえ病み上がりで、体調が万全ではなくとも勝てる相手であると。それは驕りでも慢心でもなく、事実であった。
「撃て、撃て!」
「シールドは上にも!」
 目的の場所へと向かう道の先から聞こえてきた一般兵士たちの叫び声と、銃を撃つ音に両者顔を見合わせて、一度足を止めて武器を持ち構えて”角”を曲がった。
 彼らの目の前で、一般兵士たちがシールドを構え、敵の攻撃を防ぎつつ、その隙間から必死に銃を撃っていた。
「あの犬がなぜここに」
 ヤシャルが掴んだ「ロガを餌にする犬」と同種の物が、透明なシールドの向こう側に五匹ほどおり、攻撃をかわしながら襲いかかろうとしていた。
「貴様等、退け!」
 低くも通る声に銃を構えていた兵士たちが振り返り、歓喜の声を上げる。自分たちには強敵であっても近衛兵のカルニスタミアならば倒してくれることを知っているからだ。
 彼らの信頼は裏切られることはなかった。
 銃を向けている者たちがよけ、カルニスタミアの号令のもとシールドを構えている者たちも避ける。その隙間に飛び込んで来た”犬”五匹は、軍刀により切り裂かれ機能を停止した。
 胸を撫で下ろした一般兵士たちに、カルニスタミアは即座に説明を始めた。
「僭主が攻めてきた。それも機動装甲まで有して」
 一般兵士たちは驚きの表情を貼りつけ、硬直する。
「赤地に白で描かれている”夕顔の蔓を切り裂く幅の広い剣”の紋章をつけておった。間違いなくビュレイツ=ビュレイア王子、エヴェドリット系統僭主じゃ。あれたち相手では、一般兵を投入しても不必要に犠牲が増えるだけじゃ。この”犬”どもも、僭主が放ったものであろうし、事実お前たちは苦戦した」
 カルニスタミアはここから他者を遠ざける必要もあった。
 ロガをここから助け出す姿を見られるのは困るのだ。こんな所にロガがいたという噂が立ったが最後、尾ひれがついた噂は”暴行された”まで容易に泳ぎ切る。
 それが噂だけではなく、本当である可能性も捨てられない。
「私たちはどのように」
「一般兵の避難区画へと向かい、指示があるまで動くな。応戦などせずともよい。途中で出会った者たちにも同じように言え」
 カルニスタミアは命令が正当であることを証明する証として、胸元についている階級章の一つを渡す。
「は、はい! 総員、ライハ公爵殿下のお言葉を覚えたな! 行くぞ!」
 王族が正式な格好をしなくてはならない理由の一つともいえる。軽装で身分を表す階級章の一つも付けていない王族軍人は、指示を出すことはできない。責任の所在を明かにして、命ずるためにも、命じた自身がたとえ死んでも、命令に従った兵士たちを守る為に階級章は必要不可欠。
「一丸となって戻れ。途中でなにがあるとも限らんからな。儂とヤシャルは先を調べにゆく。まだ犬が潜んでいるやも知れぬからな」
 全員が角を曲がり遠離っていった足音を聞き、全員離れたことを確認してから、再度走り出した。
「ゆくぞ、ヤシャル。……それにしてもラティランクレンラセオも運の良い男じゃ。全てをビュレイツ=ビュレイアの末裔に擦り付け、罪を逃れる事が可能となってしまったのじゃからな。あの男ならば、その程度は簡単にやってのけようぞ」
 ヤシャルは答えなかったが、内心ではカルニスタミアに同意していた。
 それは悪いことであるが、同時に”父王が罪から逃れられる”ということに、少しばかり安堵してしまった自分の思考に恥じつつも。

 二人が血の痕跡と犬の足跡を辿ると、予想通りの場所へと出た。
「何か聞こえてくるな」
 カルニスタミアが耳を澄ますと、獣の唸り声が聞こえてきた。唸り声に遅れて、生きている者の腹が裂かれた時に充満する、様々な体液が血と混じり合った内臓臭が漂ってきた。
 ヤシャルは臭いに動揺したが、カルニスタミアは頭を振った。
「この内臓臭の濃さは一人のものではないし……おそらく、男だけだ。女性特有の臭いは混じっていない。これ程臭いが漂っているということと、先程犬が襲撃してきたことを考えると、入り口は開いているであろう」
 人を何度も殺害したことのあるカルニスタミアは、嗅ぎ分けがつく。エヴェドリットのように、この”死と生が入り交じり絶望した臭い”を好みはしないが、好まない分に元来の冷静さが加算され「正確な判断」を下せる能力が高い。
「用意はいいな? ヤシャル」
「はい、ライハ公爵殿下」
 二人は倉庫前へと突進した。
 倉庫の入り口は予想通り開いており、なんの障害もなく踏み込むことができ、そして目の前に広がる光景も予測できていた範囲のものであった。
 男たちが「犬に食われて」いる。
 拷問すなわち苦痛を与えるために開発された[犬]の形状をした人造生物は、誕生するために与えられた性質を、真っ当にそして完璧にこなしていた。
 男たちは意識を失うことなく、苦痛を与えられていた。手足を失い引き裂かれた腹部から見える内臓は”足りない”が、ぎりぎり命をつなぎ止められるようにより分けられ残されており、頭部はほぼ完璧に残っている。自らが食べられる音を聞く耳も、隣にいる知り合いが食べられる様を見ることのできる目も、それらを見て判断できる脳も無傷で残されていた。
 人に対する見せ物でもあるので、哀れに助けを求める声帯も食いちぎられることはない。もはや叫び声を上げる力は残っていない、餌となっている男たちのすすり泣く声が犬の咀嚼音の合間を縫って自らの血に溶けていった。
「こいつらで間違いはないか? 確認しろ、ヤシャル」
「はい」
 餌となり果てている男たちを助けるつもりなど、二人にはない。自業自得というよりも、このことを内密に収めるためにはこの者たちを殺害する必要があるためだ。
 この者たちを生かしておき、ラティランクレンラセオを糾弾するなどは不可能どころか、逆にカルニスタミアとヤシャルのほうが窮地に陥る可能性の方が高い。
 王子二名が”証言者”を生かし匿っていた程度では、ラティランクレンラセオ「王」を追い込むことはできないのだ。
 ヤシャルが確認する間に、カルニスタミアは犬たちを殺害してゆく。
「全員間違いありません」
「そうか」
 カルニスタミアは犬を殺害後、死ぬゆくままにされている者たちが応戦した跡を見回した。相当な数の犬が放たれていたことが解る。
 上級貴族である彼らは必死に応戦し、相当数を殺害したが武器の貧弱さもありついに敗北した。彼らはこれといった武器を携帯していなかったのだ。
 彼らの目的はロガの暴行であり、任務は犬の餌として与えることで殺害ではない。剣や銃は使用されると、それが記録に残されるので使用するつもりはなかったのだ。
 そしてロガ暴行の際に、間違って使用してしまっては「危険だ」ということで、彼らは丸腰であった。
 丸腰であるという事実に「こいつらは本当に后殿下を強姦しようとしていたのだ」とカルニスタミアは理解し、彼らの薄汚れた血の中にロガの痕跡がないかどうかを調べる。
 彼らが生きている以上、ロガもまだ生かされている筈だと。だが血溜まりの中に、ロガが連れて来られたような証は見当たらない。
 先程自分が嗅いだ臭いの判断が正しいことに望みをかけて、カルニスタミアは周囲に積まれているケースを見ながら犬の足跡を辿る。
 ヤシャルは死にかけている彼らに「后殿下はどこに?」と問うが、彼らもロガが何処へと”連れて行かれた”のかは解らなかった。

 彼らは倉庫までロガを強引に連れてきた。
 ロガは驚きはしたが、抵抗はしなかったので倉庫までは簡単に辿り着くことができた。倉庫の扉を開き二人が入り口を通過したところで、奥から犬たちが飛びかかってきた。
 ケースに収まっている筈の犬が突如現れたことで、彼らは驚き何が起こっているのかを理解できぬまま、主導権を犬に奪われる。
 彼らに与えられた倉庫入り口の扉の開閉用の鍵がかみ砕かれ、扉は開いたままとなり彼らは犬に倉庫内へと引きずり込まれた。
 その時ロガも引き摺り込まれたところを、すすり泣きながら死を待つ男は見ていた。ロガは最初に犬が体当たりした衝撃でそのまま気を失い、彼らは犬と戦うこととなる。
 全く余裕はなかった彼らだが、犬がロガを襲わないことに気付いた。最初にロガに飛びかかった犬が気を失ったロガから離れ、もう一匹もロガの体に鼻を付けて臭いを嗅いだあと、胸元を軽く噛んでどこかへと持ち去る。
 持ち去った犬が直ぐに戻って来たことで「犬の特性上」ロガが食べられたわけではないことは解ったが、何が起こったのかまでは知らなかった。
「后殿下! 后殿下!」
 カルニスタミアは犬が保管されているケースの並びへと向かい、声を上げながら一つ一つ見て回った。
 ケースの一つから全軍でロガだけが着用を許されている、光沢のある薄紫色の布を発見したカルニスタミアは、一瞬も躊躇わずにそのケースを開いた。
 内心では見えているのが布だけという、最悪のことも考えたが、躊躇う時間はない。
 灰色で中の見えないケースの中に、意識を失ったロガを発見したカルニスタミアは、起こさないようにゆっくりと取り出す。
 目立った外傷がないことを確認すると、
「ヤシャル、六名を殺害しろ」
 最高の慈悲として殺害を命じ、ヤシャルは全員の脊椎を踏みつぶして、カルニスタミアは倉庫内になにか役立つものが無いかを捜す。
 一般用倉庫では武器はやはり望めなかったが、
「仕切りが……向こう側はロヴィニア? なぜエヴェドリット系僭主がロヴィニアの倉庫から?」
 仕切りが切り裂かれ、通り抜けられるようになっているのを確認することができた。
 本来ならば、その先にゆき調べたいところだったが、まずはロガの安全確保を優先するべきなので、六名の殺害を終えたヤシャルと共に、ロガを抱きかかえて倉庫をあとにした。
 先程一般兵に「退却」を命じたことで、通路に人の姿はなく二人は目的の場所へと向かうことができた。
 通路に併設されている「移動艇使用」を申し込むことの出来る端末。無人の港を使用し、移動艇を確保してから向かう。
 だがその前に、カルニスタミアは確認することがあった。
「ヤシャル」
「……はい」
「儂とてやりたくはない」
 ロガの気を失わせたまま、ここまで運んできた理由は”ロガが本当に無事であるか”の最終確認をする必要があるためだ。
 二人は先程の倉庫での惨劇の実情を知らない。
 よってロガが暴行された後に犬が暴走したという可能性も考慮する必要がある。もしも暴行されているとしたら、まっすぐ避難することはできない。
 ロガの主治医であるミスカネイアの元へと向かい、暴行の痕跡を消してから避難させる必要がある。胸元が犬の歯で裂けている以外は、とくに着衣に乱れはなく、顔に殴られたあとも、首を絞められたあともないので強姦されたとは思えないが、思い込みで判断を下して、後にロガを窮地に追い込んでは助け出した意味がないとも言えた。
 カルニスタミアはロガの軍服の下衣、ドレス調の部分に手をかけて捲った。
「下着にも何ら痕跡はないな」
「良かった」
 ”酷い”かもしれないが、救出は綺麗ごとでは済まない部分も多数存在する。つとめて冷静に男が触れた形跡のない下半身を確認し安堵してから、
「ヤシャル、移動艇を捜せ」
「はい」
 カルニスタミアはロガを起こす。
 軽く揺すり、起こされたロガはカルニスタミアの姿を見て、一度にっこりと微笑んでから、弾かれたように驚きの声を上げた。
「あっ! あのっ! い、犬は?」
 周囲を見回して自分がどこにいるのかも解らず、不安げな声を上げているロガに、カルニスタミアは状況を尋ねる。
「私が覚えているのは、扉が開いたら犬……っぽいものが、襲いかかってきたことだけです。ぶつかられて息が詰まって気を失ってしまいました。それ以外は全く解らないです」
「ぶつかられた箇所は」
 意識を失う程の激突に、内臓は無事かとカルニスタミアは手を出す。ロガは、
「この辺りです」
 と両手で肋骨のあたりを押した。
「失礼してもよろしいでしょうか」
「えっと……触るってことですか? はい、診断してくださるのでしたら」
 カルニスタミアは自分の両手が軽くまわってしまうロガの体に触れた。肋骨のあたりを撫でるが、折れた形跡はない。
 ”軍用犬ではなかったことが幸いしたな。体の大きさでぶつかる力を判断したのか”
 拷問用の犬は軍用犬と違い、体当たりで内臓を破裂させるようなことはしない。軍用犬は内臓を破裂させてでも、捕らえたい相手や殺害してもいい相手に使用するが、拷問用は苦しみを長引かせることが目的なので、それに用いられる犬はこれらの判断力が優れている。
 ロガは肋骨を触診されながら、
「あ、でも。私を連れて行った人たちも驚いてたから、知らなかったんだと思います」
「そうでしょうな。骨に異常はないようですな。他にどこか痛むところはありませんか?」
「ないです」
 ”あとで痛むところがあったとしても、今は解らぬだろうな”
 最悪の事態と、最低の状況は回避されたので、カルニスタミアは一先ず安堵し、
「ヤシャル。まだ港の一つも自由にできぬのか?」
「申し訳ありません」
 ロガに笑顔で接しながら、兄の旗艦まで無事に連れて行くための策を考えていた。

 この時点ではカルニスタミアとヤシャルは、僭主の襲撃は受けているが、皇帝シュスタークは無事だと信じていた。

「なんだ?」
 沈黙していた通信が開き、突如降り注ぐ、
「うおああああああ!」
 帝王の咆吼。
「后殿下、首にしがみついてください。走りますので」
 その”支配する声”にヤシャルは操作卓から手を離して床に崩れ落ち、カルニスタミアはロガを抱きかかえて、ヤシャルの襟首を持ち走り出した。


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