繋いだこの手はそのままに −153
「ラードルストルバイア!」
 手を伸ばした先に見えたのは天蓋。
「目覚めて……ロガ?」
 手を伸ばした拍子に落としてしまったか? と、周囲を見たがロガはいなかった。
「ロガ! どこだ? ロガ!」
 優しい暖色の足元灯がついているところを見ると、ロガは自分で起きて部屋を出ていったのか? 全く気付かなかった。
「ロ……」
「ばう」
「ボーデン卿。あの、ロガ!」
 ボーデン卿の眼差しは、物言いたげであり、謝罪せよと圧力を……
「ご、御免なさい。ロガを泣かせるつもりなどなく、ましてや! その王女に生まれてくれば良かったなどと言わせてしまい……本当に申し訳なく。好きに噛んでくださいまし」
 そう言って、ボーデン卿が噛みやすいように頭を差し出したのだが、完全に無視されてしまった。
「あの、ボーデン卿?」
 遠離るボーデン卿の足音に顔を上げて、他者には見せられぬがザロナティオンのように這ってついて歩く。
 ボーデン卿は扉の一つの前で立ち止まり、余に背を向けた。
「あの……」
 早く行けと言わんばかりに尾を振る。
「本当に申し訳ないことをした。噛むに値しない男と思われても仕方ない。だから、余はボーデン卿に噛まれる男になりたいと……」
「ばうぅ!」
「ひぃぃぃぃ! ごめんなさい。ロガ! ロガ! どこだ? ロガ!」

**********


「はい。もう大丈夫です」
 朝日が昇らない艦内だからこそ、時間は遵守される。
 タウトライバは任務の一つである、朝の挨拶の連絡を入れた。昨晩のうちにタバイより、シュスタークの状態が落ち着いたことを聞いていたので、彼の表情も晴れやかであった。
『后殿下に全てを押しつけるような形になってしまい、誠に申し訳ありませんでした』
 シュスタークが席を離れてからも、続く戦闘に参加し、それと同時にエーダリロクと共に戦死者や被害総額を計算する。
「いいえ」
 彼は帝星に戻るまでの間に、被害総額を兄であるデウデシオンに届けるのが任務。そして隠れた《任務》に向けての用意も始めなくてはならない。
 僭主狩りに向けて用意をするのだ。
 カルニスタミアの負傷などで予定が大幅に狂ったため、此処から再調整して迎え撃たなくてはならない。
 キャッセルは元々”戦死するもの”として数えられているので、大怪我をしたくらいでは予定は狂わないが、カルニスタミアの負傷は彼らとしても痛手だった。
 当面の落ち着きを取り戻した艦と、

「ひぃぃぃぃ! ごめんなさい。ロガ! ロガ! どこだ? ロガ!」

 いつも通りの状態に戻ったシュスターク。
「ナイトオリバルド様?」
 転がるようにして部屋に飛び込んできた。類い稀な運動神経や、宇宙空間で己の能力を使って停止した特殊能力の欠片さえ見当たらない、足の”もつれ”ぶり。
「ロガ! あ、あのな! 目覚めたら居なかったから、心配になって……タウトライバ.久しぶりだな、タウトライバ」
『陛下』
「あのな、タウトライバ。その……えっと、何の話をしていたのだ?」
『陛下の体調を后殿下から伝えてもらっておりました』
「そうか」
『はい』

―― あれ? タウトライバの顔を見ていると、何かがこう……こう……余は何かを忘れている? ような。とても重要な……ああ!

「タウトライバ! 本日余は演説する必要があるのではなかったか!」
 戦闘終了後に指揮官が演説をする必要がある。
 帝星を出発する前にこれらの日程を細かく説明されていたシュスタークだが、様々なことがあり、すっかりと忘れていた。
『は、はい。ですが体調が思わしくないと……』
 タウトライバとしては無理強いしてはならないと、タバイとともに王達相手に演説せずとも良いようにと話し合いを重ねていた。
 もちろん上手く説得できてはおらず、今朝の段階になっても”陛下の演説”を求める王側と、体調不良と精神状態の不安定さを連絡せずに”演説中止”を求める異父兄弟側が真っ二つに割れてる状態。
 ”帝国宰相”がいたならば勝ち目もあるが、タウトライバでは力が足りなかったのだ。
「いや、やる! これから準備するから、原稿を組み合わせて持って来てくれ」
『御意』
 内心で”ほっ”としながら、タウトライバは画面正面をシュスタークに譲ったロガの横顔を観る。その優しげな表情に「母と言えばおかしいし、母とはとても私たちは口にできないが」そう内心で但し書きをして、母親の慈愛に満ちたような表情を浮かべているロガに、軽く頭を下げた。
「それと……ロガにも参加して欲しいのだが……体調はどうだ?」
「喜んで。体調は良いですよ」
「無理はさせないからな。タウトライバ、ロガには椅子を用意したい。最後尾に台をつくり、椅子を設置できるな」
『御意』
「その用意、任せた。そして原稿もな」

**********


 タウトライバは部下にロガの席を作ることを命じてから、原稿を持ってシュスタークの部屋を訪れ、ロガの出迎えを受けた。
「ポーリン……じゃなくて、タウトライバさん、お早うございます」
 特徴的なマーメードドレスのような広がりのある薄紫の軍妃用軍服を着て、笑顔で出迎える。
「后殿下、お加減は?」
「平気ですよ。ナイトオリバルド様はまだ用意が。さ、行きましょう」
 宇宙でもっと多く軍階級章を身に付ける必要のあるシュスタークの用意は、当然のことながら時間がかかる。
「総帥皇帝にして、帝国軍特殊曹長か」
 感慨深げに呟き、手袋の上からはめている左手薬指の根本から第二関節までを覆う総帥の指輪を眺める。
 つい数日前までは皇帝ではあったが、総帥ではなかった。そのため総司令官の杖を持ち、指揮にあたった。
 夢中に指揮し、戦い、必死に生きて戻り、ロガを抱き締めた。夢というのは苦しくあるが、終わってみれば全てが遠い出来事のように感じられた。
 指輪は素材自体は高価なものではない。白い特殊アクリル樹脂に今にも飛び出しそうな蝶と、それが止まっている秋桜が描かれている。
 皇帝の紋様である「秋桜」
 だがこの指輪を飾るもう一つのモチーフ「蝶」
 雌雄嵌合体とも言われ、雄の羽と雌の羽を持つために、一目で左右が違うものが存在する。詳細を知らない階級の者達は、それを「上級貴族の瞳の色の違い」を表すために、珍重されているのだろうと解釈しているが。
 実際は違う。

 雌雄が一つであること

「タバイ」
「はい」
「ザウディンダルはどうしておる?」
「どうして……とは?」
「体調悪化などはないか? 体調を崩しやすい体質であろう」
「全く問題はありません」
「そうか」

―― もう一人に関しては、触れぬ方が良いのであろうか?

「ナイトオリバルド様、タウトライバさんをお連れしました」
「ロガ、ありがとう。久しぶりになるな、タウトライバ」
 複雑で簡単には対処できない事柄を、責めるかのように訴えかけてくる左手を降ろし、右手を差し出して原稿を受け取った。
「ナイトオリバルド様。それは?」
「演説の原稿だ。デウデシオンが用意し、タウトライバが結果に合わせて組み合わせてくれたので、余はこれらを暗記して喋るだけでよいのだ」
「?」
「会戦後、総指揮官が演説するのだ。だがその原稿は開戦前に出来上がっているのが常でな。このページとこのページ、右上の打ち消し線が引かれた番号が”飛んで”いるし、文字の色も違うであろう?」
「あ、本当だ」
「何種類も用意するのだ。戦死者の数が10,000から49,999の場合50,000から99,999の場合、それ以上もあるが死者数で分けた原稿がある。文字の色が違うのは、各王家に対しての文章だ。今回はカルニスタミアを筆頭にテルロバールノル勢が目立った活躍をしてくれたので、この”ライハ公爵殿下に関する草稿”を読むが、実際とは違う部分もあるので、それらは戦場を知っているタウトライバが打ち消し線を引いたり、補足をいれてくれたりするのだ。原稿は王が死んだ場合、王子が死んだ場合から、何から何まで用意されている」
 ”会戦後の演説用原稿”は、会戦前に用意するものだ。自らの言葉で語りたい皇帝であろうが、会戦前に幾種類も用意しておくのは常識。
「そういう物なんですか」
 戦いが収束したあとに、名文を考える余裕などない。
 名文どころか、文章を考える余裕すらないのが普通だ。被害状況から遭難状態に陥っている兵士の救出、各王家からももたらされる被害状況と、帝星で留守を守っている相手に入れる報告。
 人々の前に立った時、淀みなく喋ることができるとしても、喋るための情報を集める必要がある。戦死者の数に合った、王族や有力な貴族が死ねばそれに即し、彼らの後継者にかける言葉も必要だ。後継者はたとえ戦場にいなくとも、演説に混ぜる必要がある。
「自分で書いて読む皇帝もおるが、余はデウデシオンに任せている。皇帝として甚だ情けないが、四大公爵相手に使ってはならない言葉などもあるので、それらを網羅していないと、重要な場で大事となるのでな」
 使ってはならない言葉があり、各王家に対して余程のことが無い限り、かける言葉の「数」は同数でなければならない。
 個人の武勇を褒めることはそれには入らないが、王家に対してはあくまでも公平であらねばならないのだ。

 シュスタークがするべき事はそれらを暗記し、帝国宰相の原稿は持たずに、完全正装で壇上で淀みなく話しきること。

 テーブルの上に書類を広げ、右手だけで捲るシュスタークの隣から、ロガが書類をのぞき込む。
「どうした? ロガ」
「難しいこと書いてるな! って思って」
 ”難しい”どころかロガには殆ど読めなかった。ロガにとっては見た事も聞いた事もない単語ばかりが並んでいる為だ。
「難しいであろうな。余も書けぬし」
「誰も椅子に座ったりしないんですか?」
「まあな。余が立って話をするので、誰も座れんことになっておる。だがロガは気にせず座ってくれ」
「こんな難しいこと、座り心地の良い椅子に座って聞いてたら、私寝てしまうかも知れませんよ」
「寝ても良いぞ。そこにロガがいてくれたら、良いのだ」
「ナイトオリバルド様」
「あ、でも寝てるのはちょっと……」
「大丈夫。寝ませんから」
「いや、寝ても良いのだ。皆余の方を向いているからな」
「?」
「ロガの寝顔を見せるのは惜しいのだ。だがそれらは余が振り向くなと命じれば、頭を下げよと命じればいいだけのこと。そうではなくて、ロガの寝顔に見惚れて……いや! 起きてる顔も可愛いぞ! いや、顔だけではなく」
「ナイトオリバルド様」
 ロガはシュスタークの首に抱きついた。
「もう、覚えちゃいましたか?」
「いいや、もう少しだ。デウデシオンの原稿を暗記するのは得意なのだ! いつも暗記して話しているから」
 抱きついたロガの頭を左手で撫でながら、シュスタークは笑顔を作った。
「ちょっとミスカネイアさんとお話してきたいんですけど、良いですか?」
「もちろん」

**********


―― ナイトオリバルド様、気を使ってくださるから ――

「ナイトオリバルド様が覚えるの邪魔しちゃいそうなんで、会場に向かう時間まで、ここに居ていいですか?」
「構いませんよ。それにしてもお邪魔というか、陛下が后殿下のことが気になって、気が漫ろといいますか。集中力の高い陛下には、非常に珍しいことですわね」
 シュスタークは、本人がどう思っているかは別として、集中力が並外れている。幼少期からその集中力を持ってして、皇帝として帝国宰相の原稿を暗記し演説していた。
 幼少期は声の大きさや、それ以上に”幼さ”の残る声が、やや頼りなさを感じさせたが、今は”皇帝そのもの”である姿に合った美声を大音量で響かせる。
「ナイトオリバルド様って、本当に私たちとは違いますよね」
「まあ……そうですわね」
 ミスカネイアは夫のタバイから、王族や皇王族、そして皇帝が何者であるかを聞かされて知っている。全てを知っているわけではないが、最大禁忌である両性具有のことまで聞かされているので、元部外者としてはかなりしっている方に入る。
 対するロガは”皇帝の口から語られる”まで、知ることはできず、他者が勝手に語ることもできない。
「あのですね……ミスカネイアさん」
「なんでございましょうか?」
「実は笑われてしまいそうなんですが……あの……」
 ロガはシュスタークの機嫌を直す為に、父親の遺品である辞書で様々なことを調べた。
 その際に、あることを知った。
「はあ。そうですね。全く気付かず、失礼いたしました」
 ロガに言われたミスカネイアは、驚きの表情を硬直させる”はめ”になった。
 ミスカネイアが好きな歴史御伽話の主人公の一人は、帝后グラディウス。”ちょっとどころではなく頭が足りない”と記録に残っている帝后。
 その帝后に比べれば、ロガは奴隷ながら格段に賢い。
 だがロガは奴隷で、帝后は平民であった。
「帝后グラディウスが知っていたから、后殿下もご存じとばかり。……完全に私の勘違い、いいえ、思い違いだわ。奴隷と平民の生活習慣の違いをもう一度調べ直さないと」
 ロガがシュスタークと共に部屋から出て行ったあと、ミスカネイアは椅子に座り溜息をついた。

―― キスでもいいでしょうか? ――

 帝后グラディウスは”他者の誕生日”を祝うことが好きで、手料理を作り、手作りの飾りで部屋を彩り祝っていた。


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