VANITAS

 美しい青空だな。どこまでも続く青空と厚くはない白い雲。
 見慣れぬ景色だが、大宮殿の一部であろう。オークの森が広がっている。
 遠くから声が聞こえてくるな……誰だ?
 銀髪にロヴィニアの特徴を備えた男が、寝長椅子に肘をついた格好で目を閉じておる。小柄な男のようだな。
 声が聞こえてくる。
 美しい声だ、何を歌っているのかは、はっきりと聞こえて来ぬが。
 目を閉じたロヴィニアの男の周りに、人が集まってきた。
 黒い髪の……あれは、ビシュミエラ。
 背もたれ側から、ロヴィニアの男に声をかけているのは、ルーゼンレホーダだ。

―― 響けその祈りよ 遙かなり 悠久なり 永遠は途切れるものである 永遠とは人が望みし愚かなる願い 永久はあらず 永久はあらず 永遠と永久よ 悠久のまえに頭をさげて その眼球をよこせ よこせ ――

 寝永椅子の足元に日の光色した髪と、皇帝眼の……ラバティアーニ! あの寝長椅子に横たわっているのはザロナティオンか?

―― 地球の色した瞳よ 永遠であろうと願った蒼か 永久であろうと切望した翠か 私に差し出すのはどれだ 両眼を差し出し 悠久となろうか それとも再びその身に宿し 宿し 見るのか 見るのか ――

「眠っているのですか、ザロナティオン」
 ルーゼンレホーダが声をかける。
「もう、折角ラバティアーニが歌ってるのに」
 ビシュミエラが笑う。
 ラバティアーニは笑顔のまま、口を動かす。
 ザロナティオンは目を覚まさない。あの赤と黒の瞳はいまだ見えない。

 いつの間にか人が増えていた

 アレは誰だ? ザロナティオンに瓜二つの、ロヴィニアの特徴を兼ね備えた……
「サイロクレンド、今度一緒に海に行きましょう」
 ”サイロクレンド”……ザロナティオンの実弟だ。ではその隣に立っている、テルロバールノル女性の特徴を兼ね備えているのは……
「ラヒネ。明日鹿狩りに行こう」
 ラヒネか。
「いいな、ルーゼンレホーダ」
 ラヒネとルーゼンレホーダは絶対に同時期に存在しない。いや、存在しているのか。世の中では存在している。
 ザロナティオンが食べたラヒネ、ザロナティオンの赤き左目から作られたルーゼンレホーダ。赤い瞳はテルロバールノル伝統の瞳色。
「もう、こんなに周囲で喋ってるのに、目を覚まさないんだから」
 微笑んでいるように見えるザロナティオン。だが決して目を覚まさない。

―― 余には目を覚まさないことが解る

「ザロナティオン、目を覚ませ。バオフォウラーが拗ねるぞ」
「ひどいわ、サイロクレンド。私がまるで子供みたいじゃない」
「ザロナティオン、目を覚ませ。折角のラバティアーニの歌声を聞かないのはもったい無いぞ」
「そんな言い方しても無駄だ、ラヒネ。ラバティアーニはザロナティオンが望めば、いつでも歌うからな」

―― その眼球を その眼球を 宿っているのは 永遠 それとも 永久 それとも ――

 赤ワインの入ったグラスを持つ男ラヒネ。コーヒーカップを持つ男、サイロクレンド。百合の花を持っているルーゼンレホーダ。ビシュミエラが鬘を脱いだ。あらわになった金と銀の瞳。そして歌い微笑むラバティアーニ。

 突如現れた”影”に余は空を見上げた。
「雨? にしては大きい」
 何かが降ってきた。降ってきたのは青空と同色の楕円形をした軽そうな……羽? 余の掌に一枚の空色をした羽。
 初めて見る空色の羽を指で摘み上げた時、常緑のオークの森に羽が何かをひっくり返したかのような量が舞い落ちてくる。
 余は再び空を見上げた。
「青空が羽になって……壊れてゆく」
 青空がひび割れ欠けてゆく。その破片が空中で大量の羽となり、地上に降り注いでいる。あの者達はどうした? と見ると、羽に視界を阻まれて、見る事が出来なくなっていた。
 声だけは微かに聞こえてくる。
 空から降ってくる羽など全く気にしていないような会話。
 埋もれても目を覚まさないザロナティオン。

 青空がひび割れて、その向こう側が暗闇となった時、周囲のオークも消え去り、同時に羽も消え去った。
 余の手の中にある一枚の羽を残し、世界は黒と白となってしまった。周囲を見回しても何も見えない。余の眼を持ってして見えぬのだから、何も存在しないのであろう……暗闇から何かが此方へと向かってくる。
 余の眼前で闇をはがし現れたのは、ビシュミエラ。
 金と銀の瞳に驚いてしまい、羽を手放した。初めて見たわけではないが、驚きが襲ってきたのだ。
「羽が……舞い上がる?」
 手放した羽は落下せずに、上昇し《姿》を取った。波打つ黄金の髪、皇帝眼とケシュマリスタ顔。背は余よりも高く、そして低い声。
「遊ぶなら見えないところで遊んでろ、ビシュミエラ」
 右側に大きな一枚の翼、左側には小さな無数の翼が不規則に生えているラードルストルバイア。空色の翼が黒と白の世界で異彩を放っている。
「ラードルストルバイア」
 余の前で、世の中にいる過去の人物が向かい合った。

 二人は睨み合うには足りず、だが視線をかわすとは違う眼差しで違いを見つめ合った。先に視線を逸らしたのは、ビシュミエラ。
 ビシュミエラは余の方に向き直った。金の銀の瞳が……だが容姿がはっきりと解らない。
 記録が残っているので顔は解るはずなのに、容姿がぼやけて特徴である金と銀の瞳と、体毛の一切ない肌しか見えない。
 何故だ?
「そいつが認識している自分の顔と、お前が記憶しているビシュミエラの顔に違いがあるからだ。金と銀の瞳と、無毛だけが記憶のなかで一致しているから、それしか理解できない。解ったか? 天然」
 此方のラードルストルバイアは間違い無く、先日世話になったラードルストルバイアだ。それに容姿も……
「ラードルストルバイアは何故はっきりと、そして記録通りの姿でここに存在することができるのだ?」
「俺は俺自身の記憶とシャロセルテ(ザロナティオン)の記憶を所持して、お前と同化している。だがこいつは、部分的な記憶だけで一部に存在しているだけだ。だから全てが”あやふや”だ」
「だが、先程までは見えてみた! 見えていた筈だ!」
 楽しそうに話をしていた。
 ザロナティオンの傍で、ラバティアーニと共に。ラヒネやルーゼンレホーダ、そしてサイロクレンドと共に。
「あれは、シャロセルテの記憶を元にこいつが”記憶の中に幸せを描いた”だけだ。さっきのビシュミエラ、あれはシャロセルテの中のビシュミエラだ」
「……」
「その上、あのシャロセルテの記憶は俺の記憶の一部を使用しているから、俺は登場させることができない。もっとも、そいつは俺が嫌いだから、登場させはしないだろうがな」

 余とラードルストルバイアの会話を聞いているのかどうかも解らぬ、姿がはっきりとせぬビシュミエラが手を差し出してきたのは解った。

―― 響けその祈りよ 遙かなり 悠久なり 永遠は途切れるものである 永遠とは人が望みし愚かなる願い 永久はあらず 永久はあらず 永遠と永久よ 悠久のまえに頭をさげて その眼球をよこせ よこせ ――

―― 地球の色した瞳よ 永遠であろうと願った蒼か 永久であろうと切望した翠か 私に差し出すのはどれだ 両眼を差し出し 悠久となろうか それとも再びその身に宿し 宿し 見るのか 見るのか ――

―― その眼球を その眼球を 宿っているのは 永遠 それとも 永久 それとも ――

「どちらを差し出せばよい?」
 形こそ”瞳”だが、祈りの代価である生命を差し出すよう求めておるのだろう。
「……」
 尋ねたが答えはなかった。
「お前とは話しはできねえぜ、天然」
「ラードルストルバイア」
「ビシュミエラはお前を知らない。だろ? こいつは死んでるんだ、そしてお前でもない。こいつはお前だがお前じゃないヤツを捜して彷徨ってるだけだ。俺がこいつと話せるのは、こいつが俺を知っているからだ」
「どちらが欲しいと言っている?」
 折れていたラードルストルバイアの大きな右側の翼が開く。
 この何も無い空間に空を描くかのように、大きな翼が羽を舞い散らしながら開かれ、
「《女》が欲しいって言ってるぜ。色気付いた無性め」
 ”答え”は当然だった。
「そう言うな、ラードルストルバイア。ではビシュミエラ”永久であろうと切望した翠”を渡す。感謝している」
 余は左側の目に指を押し込み、眼球をえぐりだした。
 現実ではないが痛みがあった。これが己の寿命が剥落した痛みなのであろう。姿はなく宿主である余の寿命を得て、自らの存在する時間をも減らしてしまったビシュミエラ。
 この命を、余の内側においてどのように消し去るのであろうか?
「……」
「ありがとう、だとよ」
 余の”永久であろうと切望した翠”を受け取ったビシュミエラは、感謝を述べたあと、再び闇夜を纏い漆黒へと消えていった。

「余が見ていたのは、あれは夢だったのか。ビシュミエラの夢か」
 見送った後、余は問うた。
「そうだ。シャロセルテの記憶に住み着いて、幸せを描いている」
「ザロナティオンの記憶だから、本人は眼を覚まさないのだな。そして、あの記憶はラードルストルバイア、お前のものなのだな」
 余の中にザロナティオンはあるが、その時代に触れていた意志ある存在はラードルストルバイア。だから、あのザロナティオンが存在するであろう。本当にザロナティオンだけの記憶であれば、目を閉じたザロナティオンを作りあげることはできない。

 この男は、数少ないザロナティオンが目を閉じた姿を知っていたわけだ。だから……ビシュミエラはこのラードルストルバイアから、逃れられないのであろう。

「そうだ。ここにザロナティオンはいるがシャロセルテはいない。俺とお前はいても、あいつはいない。だからあいつがどれ程幸せを描こうとも、ラバティアーニが歌おうとも目覚める事はない」
 ラードルストルバイアは目覚めぬことを願っているのか。そうでなければ、目を覚まさせてやれば……
「それでビシュミエラは幸せなのか?」
 それともビシュミエラを怨んでいるのか? 憎んでいるのか?
「仕方ねえだろ。もう死んでるから誰かの記憶の片隅で、微睡ながら幸せを作りあげるしかねえ。偽りだと知りながら」
「そうか……ラードルストルバイア」
「どうした?」
「いや、羽が舞い上がって……」
 ラードルストルバイアから生えている翼から羽が舞い散り、青空のように広がった。
「シャロセルテが死んだ時は、こんなもんじゃなかったぜ」
 風もないのに舞い上がり、周囲に広がり、立っている白い場所にも渦をつくってゆく。
「ラードルストルバイア」
「お前は夢の中で都合の良い幸せだけに身を委ねるような男じゃない。苦しくても行け、生きて苦しんで、自分の矮小さや狭量さ、無力さを感じながら、あの奴隷とともに行け。苦難の果てが幸せであると俺は言わない。苦難の道もあの奴隷と共であれば、苦難ではなくなるかもしれない。それは俺には解らない。ただ解るのは、お前は幸せな夢を見る必要はない。お前は現実で幸せになる時間も余裕があり、何よりも相手がいる」
「ラードルストルバイア……」

ジーヴィンゲルンに裏切られるとはな
裏切るのは俺たちの特性みたいなもんだろラヒネ
そうは言うが、ロランデルベイ
サイロクレンドの改造が成功した途端にこれだからな

シャロセルテはどうなった? ラヒネ
解らん。……ロランデルベイ、ここで別れよう
ラヒネ?
奴等の当面の目的は私だ。あいつらは私を生かして捕らえる必要がある
ラヒネ、前々から聞きたかったんだが、奴等はどうしてそこまでお前に固執するんだ?
それか……


久しぶりのお兄様との対面だってのに……なにか、言え! シャロセルテ!
こ ろ し て


久しぶりだなラヒネ。お前も食われてたのか?
ああ。お前に裏切られて、ジーヴィンゲルンに捕らえられてからな
そりゃあ、悪かったな。もちろん本心から思ってはいが
構わない。裏切るのは、私たちの特性だ
そうだ……ジーヴィンゲルンにサイロクレンドまでいるのか
当然だろう。生かしたまま捕らえようとしていた私が、食われてここに僅かながら残っているのだから、阻止しようとしたあいつらが殺されていない筈もない

ザロナティオン ザロナティオン 空に舞わぬ純白の翼持つ銀狂の帝王よ


「少しだけ俺は眠る。また直ぐに目覚めるさ。じゃあな……シュスターシュスターク」

繋いだこの手はそのままに−152

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