繋いだこの手はそのままに −129
 シュスタークの為に設えられている総司令官の座る椅子ロガにとっては大きすぎて、当然ながら体の安定が悪かった。
 体の大きさだけで、ロガの三倍以上は大柄なシュスターク。そのシュスタークが座って尚余裕がある作りの、黄金と大理石で作られた総司令官席。そこに170pにも満たず、体重も50sに満たないロガが座るのだ。見て居る方も座る方も心細くもなるだろう。
 玉座に、総司令官の席に座る者は、標準以上の絶対的な威風と豪奢さが必要だと、ロガのことを任されたメリューシカは痛感した。
 ロガは美しいが、シュスタークのような伝統に裏打ちされた 《迫力》 はない。
 中身は少々頼りない皇帝だが、その容姿は完全なる支配者であり、生まれた時から人々と王達の上に立ち続け、振る舞うように育てられた。
 その”空気”は容易に人々を畏怖させる。
 残念ながらロガにはそんな空気も迫力もない。
 だが、そうであってもメリューシカはロガを 《皇帝の代理である后殿下》 として、人々に認めさせなければならないのだ。
 彼女はクッションを用意させ、ロガが体を預けられるように隙間を埋めて、届かない足の下に宝石で飾られた箱を置き、それらが少し見えるようにして、白い布で箱を覆いロガの足を置く場所を作った。

 ロガは全人類の頂点に立つ皇帝の代理人であり、未来の皇帝の生母となる少女である。
 その事をこの場で知らしめる必要があり、好機でもあると。

 周りで様々に自分を飾っている者達の方は向かず、そして顔を下げることだけはしまいと、ロガは正面の画面を見つめ続ける。
 何度目かの敵の操縦を奪う警告、その後の叫び声。ただ声は徐々に減っていた。人が減った事と、回収のほとんどが終わったことが原因だ。
 タウトライバは通信網の多くが途絶し、その中で指揮を執る以上、音声を閉ざすことができないので、そのままの状態。ロガが拒否した場合はどうするかと考えていたタウトライバだが、そのような命令は下されなかった。
 ロガはその叫び声を聞いてはいたが、これも理解できなかった。今のロガには何もかもが理解できなかった。
 シュスタークが自分に全権を預けて何処かへ行った事も、先ほど突如自分の首に指をかけて 《ロガの解らない言語》 で喋っていたことも。
 もっと言えば戦場にいること、何故自分がシュスタークの最も傍にいるのかも。
 ”奴隷が皇帝の正妃に”
 現実味のない出来事だと思いながら過ごした日々の辿り着いた場所が、軍事国家の全軍総司令官席。
 統一国家の全軍を指揮する者だけが着席できる椅子に座り、指示を出すことを命じられた。
 もう 《現実味のない出来事》 や 《奴隷から皇帝の正妃に》 などとは言えなかった。だが何と言って良いのかも解らなかった。
 ロガに解ることは、最早逃れる事などできないという事だけ。
 だが ”帰りたい” とも ”逃げたい” とも思わなかった。
 その気持ちの理由を知りたくて、ロガは視線を落とさず、だが意識はここにはなく考え続けた。
 ロガは戦場では何も出来ない。だが、この場で最も影響力のある指示をだすことが出来る。その意味を自らに問いかけて、シュスタークの帰還を待つ。本から学び、教師から教えられた正妃の心構えや役割を越えた事態に直面した今、まさにロガは自らが皇后として立つということの意味を肌で感じ、それを理解するべく 《戦い始めた》

 奴隷から皇后へ。命尽きるまで続く、己の内面との戦い。

 まだ決意も覚悟も形とはなっていないが、全てから目を決して逸らすまいとロガが見つめ続けていた通信画面に、知った顔が映し出される。
『后殿下』
 テルロバールノル王国軍の全権代理を任された ”カルニスタミア” が現れた。声と脳、そして自らの生死を司る脊椎を重点的に治療しているために、体は皮膚で覆われてはおらず、筋肉や神経の束、骨などが剥き出しになっている状態。顔も体もその状態なのだが、
「カ、カルさん? そのお怪我は?」
 ロガは難なくカルニスタミアと判別をして、話しかける。カルニスタミアは自分が ”驚かせてしまう姿” で話しかけたことを詫びたが、ロガはそれよりも怪我の状態を知りたがった。
『見た目は酷いですが、それほどでもありません』
「そ、そうなんですか……でも」
 ロガの困惑を他所に、カルニスタミアはあることを願い出た。
『后殿下にお願いが』
「何でしょうか?」
『儂に、連合許可と、その総指揮権を与えて下さい。その軍を持って、陛下の偉業の補佐をしたい』
 ロガは息を吸い込み、目を閉じる。
 緊張し極端に瞬きが減っていた瞳が、少し痛いと思うだけの余裕が生まれた。同時に言われている事が全く理解できない自分の無知に泣きそうになったが、それを堪えて ”命令” を出す。
「ポーリン……いいえ、シダ公爵」
「はい、后殿下。ここに」
「今のライハ公爵殿下の申し出に対しての意見を……私に下さい。意見を聞いて、私が許可を出します」
 タウトライバは膝をついてロガの目を確りと見て、
「私としては願ってもない申し出です。ライハ公爵殿下は、帝国随一の指揮官。この私などよりも、ずっと上手に艦隊を指揮し、陛下のお役に立つことでしょう」
 ”どうぞ” と背を押してくれた。
 ロガはタウトライバに代理指揮に戻るよう告げ、まだ顔が筋肉と血管だけしかないカルニスタミアに微笑みかける。
 ゆっくりと頷くカルニスタミアの表情に、自分が理解できないことも、タウトライバに聞いた方が早かったことも理解しながら、敢えて王族として手順を踏んでくれたことを確りと感じ取る。
 本当は感謝の言葉を言いたかったロガだが、それを言ってはカルニスタミアの意志が無駄になるだろうと、その言葉を飲み込み、何時か言える日まで取っておくことにして、代理の任を果たす。 
「ライハ公爵殿下に皇帝陛下の代理として、連合許可と総指揮権を与えます。それで具体的な話についてですが、……そうですね、バールケンサイレ侯爵と話していただけると。私よりもずっと話の通りが良いでしょう」
 ロガはカルニスタミアに許可を与えて、自分の隣に立っていたメリューシカに委細を任せた。
『許可をくださり、ありがとうございます。后殿下のお心遣いに応えることができるよう、最大限の努力と、絶対に結果をお見せすることを、プランセ・ライハ此処に誓わせていただきます』
「解りました。バールケンサイレ侯爵、任せます」
 カルニスタミアとメリューシカが画面越しに話し合い、シダ公爵がその間に各王に臨時連合の命令が下ったことを伝える。

 帝国軍は元々、皇軍と呼ばれる皇帝直轄軍と、各王家の持つ王軍の連合部隊である。連合部隊であり総指揮は皇帝だが、実際の指揮官は王国の方で決めており、作戦のほとんどは王国軍単位で行われる。
 今カルニスタミアが申し出たのは、テルロバールノル王国軍の指揮下に三王家艦隊を組み入れて、テルロバールノル王国軍の作戦に従わせるというもの。
 合同練習などはしたことはあるが、それはあくまでも王国軍単位での連携であって、他王家の艦隊を混ぜて作戦行動に出るのは稀。それが皇帝以外の指揮官であれば、尚のこと。
 むしろ、狂気の沙汰にちかい。

**********

「なぜ止めなかったのじゃ? テルロバールノル王」
 シュスタークが 《ザロナティオンの腕》 ことキーサミーナ銃を、船外から撃つという報告を兄王から聞かされた時、治療調整器に入っていたカルニスタミアは心底呆れたように言った。勿論周囲に、プネモス以外の人がいないから言えたことではあるが、居たとしても同じ事を口にしただろうと、カルニスタミアは後で思った。
 そして言われた方も、呆れられると思っていたので何時ものように怒り出さずに答える。
「陛下の御心に逆らう事は出来なかったのじゃ。いや、儂としては反対したかったが……儂以外は誰も反対せぬから、無駄じゃ」
 カレンティンシスは眉間に皺をよせて、美しい金髪を自ら毟るように掴んだ。
「ザセリアバとラティランクレンラセオが同意するのは解るが、何故あのランクレイマセルシュが? ロヴィニア王が陛下を危険に晒すような行為に、とても同意するとは思えんのじゃが?」
 王が ”二対二” になった場合は、その場に存在する王子・王女や皇子、皇女の同意も決定に大きく関係する。
 この場においては、カルニスタミア、エーダリロク、ビーレウスト、シベルハムにヤシャル。ヤシャルが父王の意見に従うのは仕方なく、シベルハムが自国の王に従ったとしても、自分を含めたあとの三人は ”反対” に動くと確信しており、それは通常ならば間違いのない事だった。
 カルニスタミアの 《もっとも》 な言葉に、カレンティンシスは手を口元に軽くあてて、視線を逸らす。
 リスカートーフォンのザセリアバは「こんな面白い軍事行動に水を差す訳ねえだろう!」と同意。ラティランクレンラセオは、皇帝の排除を狙っている王だ。皇帝が自ら死地に出向くと言っているのを、止めるような真似はしない。
 そして、ランクレイマセルシュ。
 通常であれば彼も止めただろう。だが、今回は 《銀狂》 が現れた。完全な姿を表した銀狂を前に、ランクレイマセルシュは沈黙するしかなかった。
 カレンティンシスは血管と神経の隙間から骨がのぞく状態の弟を見て ”言えるわけ無かろう” と内心で頭を振る。銀狂の存在を知るのは、極僅か。
 この情報をばらまく事は、在位していない皇帝 《銀狂》 が許可していない。
「解らん。あの男の事だ、何か計算がるのじゃろう」
 皇帝に忠実であろうとするカレンティンシスは、弟の疑問を遮り代理で王国軍を指揮するよう命じた。
「リュゼクがおるじゃろうが」
 リュゼクとは軍事に疎いカレンティンシスに代わり、テルロバールノル王国軍で、国王代理として長い将軍。
 長いと言っても、まだ三十歳前。だがカレンティンシスの即位以来、ずっと王を守り続けており、その信頼は厚い。
「リュゼクよりも貴様の方が才能はある。リュゼクを副官に付けてやるから、今から指揮を執れ。儂の軍、好きにするがよい」
 そう言って、プネモスを連れて部屋を出ようとする。
「王はどうするのじゃ?」
「儂は敵のフィールド解明の指揮を執る。セゼナードは陛下のバックアップに入るので、解明から完全に外れた。儂が指揮せねばならぬ」
 扉が開くと廊下ではリュゼクが待機しており、王に礼をし、その後カルニスタミアの居る部屋へとまた一礼をして入ってきた。
「ライハ公爵殿下」
 カルニスタミアは瞼を閉じたかったが、まだ瞼が再生されていないので、憎々しげに神経に害の無い程に柔らかい照明を睨み、
「まずは艦橋へと向かう。その途中で現状を端的に、だが完全に説明しろ」
 命じた。

 艦橋に調整器に入ったままで現れたカルニスタミアの姿に驚く者もあったが、直ぐに気を引き締めて何事も無かったかのように 《戦争》 に打向かい合う。
「殿下の作戦は完璧だと儂も思います。ですが、決定的な欠陥が。艦隊の数が足りません」
 カルニスタミアはシュスタークのことを考えて最前線に出て、その前線を最低限必要な期間維持する策を、参謀も兼ねるリュゼクに語った。
 だが作戦として完璧だが、それが寄るべき艦隊が足りない。
「アロドリアス」
 カルニスタミアは自らの側近であるアロドリアスに、シダ公爵に連絡を入れろと命じるが、命じられた方は主の意図を理解して、困惑しつつも答えた。
「いいえ……全権代行は……」
 この時点でまだカルニスタミアはロガが代理になった事は知らなかった。
「シダ公爵ではないのか? 陛下の代理でシダ公爵以外の者が下手に立っては、後々問題になるじゃろうが」
 異父弟で部下のユキルメル公爵でも立てたのか? と、言外に含ませて尋ねたカルニスタミアは、指揮官代理がロガになったと聞いて絶句する。
「……」
「ライハ公爵殿下」
「陛下も……良い。アロドリアス、急いで連絡を」
「シダ公爵にですか?」
「后殿下に決まっておろう。陛下より全軍を預かっておられる后殿下を ”とばして” シダ公爵に連絡を入れるなど、テルロバールノル王族として許されん行為じゃ」
 そう命じた後に、調整器の枠に自分の顔が映り込み、自分の顔が 《顔》 として形成されていない事に気付いたが、カルニスタミアは敢えてそのままで会話に臨んだ。
 ロガに、嘗て顔が崩れている事を気にしていたロガに面会するからこそ、カルニスタミアは顔を隠さなかった。

 この顔を正面から見据えることが出来る人物だとカルニスタミアは信じ、それは事実となり、僅かながらも ”ロガ” を後押しする事となる。


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